四章・ナスベリの教え(4)
その夜、ムオリスとハバング、さらにスパゲッティが一皿に盛られたやけに豪華な夕飯を頂いた後、私はいよいよナスベリさんの教えを授かることになりました。
特訓の場に指定されたのは職員の運動用に用意された“体育館”という建物。魔法の光を灯す照明がたくさん設置されているため、夜なのに昼間のように明るいです。
「お待たせスズちゃん。ごめんね、思ったより長くかかっちゃって」
別に運動するわけではないはずですが、何故かナスベリさんはわざわざ動きやすそうな服装に着替えて現れました。村での格好に似ているのでなんだか落ち着きます。
『いえ、それは構わないんですけど、ナスベリさんは休まなくて良いんですか? 一日中ずっと働き詰めじゃ……?』
「大丈夫大丈夫、いつものことだから。それに私は少し疲れてるくらいの方が意識を集中しやすいんだよ」
『少し……』
あの働きぶりで“少し疲れた”程度で済むんですか。思っていたよりタフな方です。
「じゃあ早速始めるよ。あ、念のためカタバミはそれ以上近付かないように」
「わかってる、大丈夫よ」
体育館にはお母さまも見学に来ていました。壁際に立って私達の様子を見守っています。私としては危険だからやめて欲しかったのですが、ナスベリさんに必ず一緒に来るように厳命されました。
『あの……どうして母を?』
「お母さんが見てたらスズちゃんは頑張れるでしょ? それに、なにがなんでも成功させなきゃって気持ちになるだろうし」
なるほど、優しい笑顔ですけれど思ったよりスパルタですね。制御に失敗したら母まで巻き込んでしまう可能性がある以上、たしかに下手なことはできません。
いいでしょう、こちらとしても気合が入るというもの。
『じゃあ先生、最初は何をしたらいいですか?』
「そうだね、まずは軽く魔力を放出してみてくれるかな?」
『はい』
言われた通り、極力“軽く”魔力を放出してみました。
すると──
ガタガタガタ、窓が鳴ります。
ギシギシギシ、屋根が軋みます。
ゴゴゴゴゴ……床が振動しました。
「……軽く、だよね?」
ナスベリさんの喉がゴクリと鳴ります。
『そのつもりなんですけど……ちょっと加減に失敗したかも』
「ちょっと……ちょっとか……それでこれなんだから本当に規格外だね……」
改めて私の魔力のデタラメっぷりを認識したようです。ただ、今のには実を言うと本人も驚きました。
(なんだか私の魔力、以前より強くなっていません……?)
量も出力も回復速度も全てが急激に向上したような気がします。もしかして魔法使いの森で二度目のソルク・ラサを使ったから?
(たしか、あれも私の中で覚醒したウィンゲイトの力のほんの一部に過ぎないとアルトラインが言っていました。使えば使うほど箍が外れてしまうのかも……)
だとするとあの術は多用すべきではないのかもしれません。ただでさえ魔力の制御には苦労しているのに、これ以上強くなったらいよいよ御せる自信がありません。
けれど“崩壊の呪い”に対抗するためにはより多くの力を引き出さねばならないという話ですし、むしろ積極的に使うべき? うぅん……どちらが正解かわかりませんわ。
とにかく今は目の前の課題に集中しましょう。深呼吸して表情を引き締めるとナスベリさんもそれを確認して頷きました。
「よし、とりあえず座ってスズちゃん」
『こうですか?』
ナスベリさんは胡坐をかきましたが、私は教えを乞う立場なので正座します。何故だか苦笑されてしまいました。
「もっと楽な姿勢で構わないよ。リラックスして欲しいんだから」
『では……』
流石に胡坐には抵抗があるので少しだけ足を崩して座り直しました。それを待ってナスベリさんが自分の両手の平を胸の前でピッタリ合わせます。大きな胸が腕に押し潰されて大変なことになっています。
もちろん、着目すべきはそこではありませんよ?
「スズちゃんにやって欲しいのはこれ。魔法制御の基礎中の基礎を学ぶための練習。水球生成だよ」
『水球生成?』
「やっぱりやったことないんだね。クルクマさんだったかな? スズちゃんのお師匠様はうちの母さんとは教育方針が違うのかもね。とにかく手本を見せるよ」
『お願いします』
私の言葉の直後、ナスベリさんの全身に美しい曲線を描いて魔力が駆け巡る様子が見て取れました。思わず見惚れてしまうほど無駄の無い流麗な魔力操作です。
そして合わさっていた手の平がゆっくり左右に引き離されて行くと、その間に文字通り水の球が生じました。大きさは拳大。これもまた歪みの無い美しい真球に見えます。
「これが水球生成……基本中の基本だけれど、出力する魔力の微調整、流れの操作、集中力の持続。魔法を上手に操るための重要な技術がこれ一つに全て集約されてる。ここまでできるなら即合格だよ」
『いきなりですか』
「うん、もちろん最初から上手にできるとは思っていないけどね。まずは一回やってみて問題点を洗い出した後、それを克服するための別の練習をしてもらう。それが終わったらまたこれをやってもらって新しい問題点を見つけて、といった感じで少しずつ改善してくつもりだから安心して」
なるほど、一足飛びに一番難しい課題を出したわけではありませんのね。
「はい、それじゃあ時間も無いし、サクッとやってみようか」
『はい、先生』
頷いて両手の平を合わせる私。
両手の平、を……。
手の……。
『あの』
私は顔を上げました。
『これ、頭以外は脱いでいいですか?』
「それもそうだったね、ごめん」
「着替え持ってくるわ」
苦笑して片手を上げるナスベリさん。母は急いで私の服を取りに走りました。
四日後──
『うう……ぐ、ぐっ、ぐぬぬぬ……』
歯を食い縛りながら必死に術を制御しようとする私。けれど両手の間に生じた水の塊は到底“球”とは呼べない歪な形のままボコボコと変形して暴れ続けます。しかもサイズは大玉スイカ並。こんなに大きくするつもりは全くありませんのに。
「も、もうちょっと、もうちょっとだよスズちゃん、頑張って!」
「諦めないでスズ! 後少しで丸くなるわ!」
ナスベリさんとお母さまに励まされながら私は必死に制御を続けました。けれどやはり結果はこれまでと同じ。
「ううっ、もう駄目!」
「わぷっ!?」
水の塊が弾け、大量の飛沫となって辺りに撒き散らされます。おかげでナスベリさんも私もずぶ濡れ。もう四日間ずっとこの調子です。
「カタバミ、お願い」
「任せて」
雑巾とバケツを携えた母が駆け足でやって来て、床に散った水を拭き取ってくれました。四日前から同じことをしているので慣れた手付きです。
「ううん……やっぱり課題は出力制御だね。流れのコントロールはそれなりに出来てるし集中も維持できているから、後はそこを乗り切るだけだよ」
『すみません……何度も教えてもらってるのに』
「気にしない気にしない。誰だって最初から上手くはいかないもんだから。私だって散々母さんと一緒にずぶ濡れになったよ。じゃ、もう一回魔力計に挑戦してみよう」
『はい』
意気消沈しつつ言われた通りに魔力計と呼ばれる機器に触れる私。これは計測部の金属に触れた状態で魔力を流し込むと目盛りの上で針が上下して出力量を示すという計測機器です。かなりお高いので魔女と言えども滅多にお目にはかかれません。
目盛りを覆うガラスカバーにはナスベリさんの手で赤い線が二本書き足されていました。曰く拳大の水球を形作るのに適切な出力量を示す幅だそうです。この練習は、その赤い線二本の間で針を止める絶妙な調整を三回連続で成功させるというもの。それが出来てから再び水球生成に挑むことになります。
一回目、針はほとんど動きませんでした。
ナスベリさんの声が硬くなります。
「スズちゃん、また悪い癖が出てるよ」
『すみません』
そうなのです、水球生成に失敗した直後は無意識に出力を絞り込み過ぎてしまうのです。わかっているのですが、本当に意識してないのでなかなか治りません。
それでもやがて目盛りがしっかり動くようになりました。けれどやっぱり簡単には目標の位置で止まらず、振り切ってしまったり手前で止まってしまったりの繰り返し。
やがて夜の十時を告げる鐘が体育館の中に鳴り響きました。ああ……今夜はこれでおしまいです。
「そこまで、続きはまた明日」
『でも先生、私はまだ』
「駄目だよ、根を詰めすぎるとかえって悪化していくから。焦らずゆっくり休息を取って。明日からは日中の自主練も許可するから」
『わかりました……』
今日までは昼間の練習も許されませんでした。それが許可されるなら、たしかに今夜は眠ってしまった方が良さそうです。この陰鬱な精神状態では成功するものも成功しないでしょう。
私は母の元へとぼとぼ歩いて行って謝りました。
『ごめんね……』
「大丈夫、お母さんはいつまでだって付き合うから」
そう言って抱き締めてくれた母の温もりに、私は思わず泣き出してしまいました。どうしてこんなに不器用なんでしょう? まさか四日もかけてなんの進展も無いなんて。村で留守番してくれている父にも、準備を進めながら待っていてくれるクルクマ達にも申し訳無くて死にたい気分です。
って、いけない。精神が不安定になっていますわ。これではますます制御の成功確率が落ちてしまいます。もっとしっかりしないと。
そんな私達を見つめて、ナスベリさんは一人何かを考え込んでいました。
「もしかすると……」
彼女はこの時、すでに解決策を見出しつつあったのです。




