序章・スズランの苦悩
「う~ん……」
「あら、どうしたの?」
私ことスズランが一枚の紙を睨みつけ机の前で唸っていたところ、いつの間にか間近に来ていた母が声をかけてきました。
「お、お母さまっ!?」
慌てて隠そうとしましたが、焦りすぎて逆に紙を弾いてしまいます。ひらひらと空中に舞ったそれは、よりにもよってお母さまの足元へ。
「なぁにこれ?」
拾い上げたお母さまは、当然その内容にも目を通してしまいました。
「なになに……“ハイパーぐるぐるトルネード”……“踊る巨大竜巻”……“風の精霊のボンダンス”……スズ、これっていったいなんなの? 誰かのアダ名?」
問いかけられた私は半笑いで目を泳がせます。
「え、えっと……それは、絵本。そう、今度仕入れて欲しい絵本のタイトルなの」
「ああ、そういうこと」
我ながら苦しい言い訳だと思ったのですが、母は何故か納得してくれました。ちなみにあれは両親が定期的に出している手紙の書き損じを再利用したものです。私、昔と違って最近は倹約家ですの。
ふう、と安心してメモ書きを受け取った瞬間、母はこっそりと耳打ちしてきました。
「お母さんは“踊る巨大竜巻”がいいと思うわ……でも、今までのスズの呪文もけっこう好きよ?」
「……」
「お父さんには内緒にしておくわね。あ、よかったらお母さんにも相談して。いっしょにかっこいいやつ考えましょ」
「う、うん……」
迷ったら頼むかも、と述べると母はワクワクしながら店の方へ去って行きました。一人リビングに残された私は真っ赤になった顔を両手で覆い隠し、心の中で叫びます。
(バレてたあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!)
秋間近のこの時、私にはいくつかの些細な悩みがあったのです。
その一つがこれ。新たな呪文の模索、でした。
『ご機嫌ナナメのハリネズミ!!』
二ヶ月ほど前のことです。初めて村の皆の前で魔法を使った私は、そんな慣れ親しんだ呪文と共に地面から無数の岩柱を出現させ、村を襲っていた怪物を攻撃し、皆さんを颯爽と助けました。
他にも、
『酔いどれマダムの千鳥足!』
や、
『坊主が長々お説教……』
などの呪文を唱えた覚えがあります。正確にはこれらは呪文ではなく、本来長い詠唱を必要とする術を待機状態にしておき即座に発動可能にする“圧縮魔法”という技法。その展開・発動用キーワードなのですが、魔法について詳しく知らない一般の方々からしたらどうでもいい違いですね。なので私も短縮呪文と呼ぶことにします。
そもそも根本的な問題は呪文かキーワードかなんてことではありません。そう、あれは事件から数日後のことでした。あの戦いで被害を受けたご近所さんの家の片づけと修繕を手伝っていた最中、偶然にも聞いてしまったのです。
『しっかし、スズちゃんの魔法の腕前はとんでもなく凄かったけんども、どうしてあんな奇天烈な呪文ばっかりなんかのう?』
(えっ!?)
『なんちゅうたか……たしか機嫌の悪いハリネズミだの、酔っ払った何とかが千鳥足だの、そんなんばっかりじゃったろ。いったいどこの誰が考えたんかね?』
『やっぱり師匠のクルクマさんじゃないかい? でも、あの人もそういうのを考えそうな感じには思えんなあ』
『アンタらまったく馬鹿じゃのう。魔法の呪文なんて大昔の人間が考えたに決まっとろう。ヘンテコでも、アレじゃないと使えんものなんじゃよ、きっとな』
『そうか……スズちゃんのことじゃ、ワシらのためにと我慢してあんな恥ずかしい呪文で戦ってくれとったんじゃろう。だったらどうじゃ皆の衆、カズラに頼んでもっと格好良い呪文が載っとる本を探してもらうというのは?』
『おお、ええ考えじゃクロマツさん。ワシらで金を出し合ってスズちゃんのためにセンスの良い魔法の本を買ってやろう』
『そうじゃそうじゃ、あんなおかしな呪文唱えさせとったらスズちゃんが可哀想じゃ』
『ええぞクロマツっ!!』
『……』
──皆は知りませんでした。すぐ近くの物陰に私が立っていたことを。涙目でその会話を聞き続けていたことも。だからあの人達に罪はありません。
悪いのは私のセンス。
その時、生まれて初めて知ったのです。自分の感性はおかしいと。
だって誰にも指摘されたことがありませんでした、短縮呪文が変だなんて。指摘される前に秒でぶっ飛ばしていたからかもしれません。昔は私も尖っていました。
あの瞬間まで本気でかっこいいと思っていたのです。ところが実際には、一般的な感性の方々にはあの散々な言われよう。今まであんなボロクソ評価の短縮呪文を得意気に詠唱していたなんて、穴があったら入りたかったです。
なので現在、新しい短縮呪文を考えているわけです。あの後、本当に“かっこいい呪文をつくろう”なんて本を渡されましたから、それも参考にして。こんな書籍が出版されているということは、私のように悩んでいる魔法使いは結構多いのでしょうね。
けれどこの本に書かれている呪文は本当にかっこいいのでしょうか? 目を通すたびに首を傾げます。
“走れ疾風の刃! ゲイルブレード!”
意味が同じですし前半か後半どちらかだけでいいのでは?
“我のこの手が真っ赤に燃える、汝を燃やせと咆哮す! 極熱バーニングフレアァ!”
長い長い。短縮呪文の意味が無いでしょう。
それと最後の「ァ」は誤植ですか?
“ハイパーエターナルブリザード!!”
相手は死ぬそうです。
どうして?
「うーん……」
やっぱり、どうしてもこれらがかっこいいとは思えません。ひょっとしなくてもこの本をチョイスしたお父さまは……あ、いや、私には人様の感性にとやかく言える資格なんて無いのでしたわ。
ともかく、いつまたゲッケイの時のようなことが起こるかわからない今日この頃、私も皆さんも納得できる素晴らしい短縮呪文の考案は急務だと言えるでしょう。でないと格好が付きませんから。
「考えてみたら、お母さんに相談するのはありかも」
お母さまはああ見えて恋愛小説大好きさん。何かこう、私には思いもよらない乙女心をくすぐる呪文を考え付いてくれるかもしれません。今の私は見た目九歳の女の子なのですから、少女らしさというのも重要な気がいたしますわ。
(あとは……私の正体を秘匿するため、できれば子供らしさも残しておきたいところです。この“ハイパーぐるぐるトルネード”の“ぐるぐる”の部分なんかそれっぽくて割と気に入っていますし、やはり“ぐるぐる”は採用すべきでしょうね)
手加減の苦手な私は人間相手に戦う場合、よく風の魔法を使います。突風で吹き飛ばすだけなら大怪我させることもそうそうありませんから。そういった使い勝手の良い魔法の短縮呪文を優先的に決めておくべきでしょう。
「踊るも悪くない……お姫様の出て来る絵本にはヒロインと王子様の踊る場面が必ずあるもんね。これで女の子らしさをアピール……あっ、さっきのと繋げて“ぐるぐる踊る”にしたら綺麗かも。でも、この後にどう続けるかが肝心。長すぎると圧縮魔法を使う意味が無いし、かといって短すぎると表現の幅が……」
と、ブツブツ呟きながら思索に耽っていた私はまたしても背後から近付いて来る気配に気が付きませんでした。
のしっ、と頭と背中に誰かの体重が預けられます。
「やー、久しぶり~、スズちゃん」
「クルクマ!?」
久しぶりに聞く友人の声。先月頭のあの幽霊退治の夜以来です。戻って来たということは例の一件は片付いたのでしょうか?
「ちょ、ちょっと、重たいですわ」
「あ、ごめんごめん」
「ともあれちょうど良かった。戻って来て早々に申し訳ないのですけれど、実はまた相談したいことが──」
そう言って振り返った私は、しかし絶句いたします。クルクマが先月よりだいぶ痩せていたのです。
あからさまに頬のこけた顔で彼女は言いました。
「こっちも頼みたいんだ……助けて、スズちゃん」
「ど、どうしたんですの!?」
──ここから私とクルクマの、長くて短い、短くても長い、めんどくさくさてちょっとだけ懐かしい冒険の旅が始まりました。




