三章・森妃の挑発(2)
──私の師匠、つまり半月前の事件のあれこれを誤魔化すため、そういうポジションに収まった古い友人のクルクマは、実はあれからずっと村に滞在しています。彼女の怪我は誰より酷かったものですから、いまだ快復しきれていないのです。
お隣の宿は経営者一家が留守にしているため当然休業中でした。とはいえ鍵はかかっておらず、私は正面から堂々と中へ入ります。田舎なのでどこも夜寝る時くらいにしか施錠しません。さらに言えばここは私にとって第二の我が家みたいなものですからね。
あ、いや、そういえば魔法使いの森にヒメツル時代の家もあります。九年間もほったらかしていますし、流石にそろそろ帰らないと駄目ですよね。うう、あの子、怒っていないでしょうか……。
(この問題も後で彼女に相談しましょう。なにはともあれ、まずは村の話です)
階段を上がった私は、左右に二部屋ずつ、奥にも一つある部屋のうち左側手前のドアを叩きました。
「師匠~、ちょっとお話が」
『入っていいよ~』
許可が出たので入室。やっぱり鍵はかかっていません。まあ、かかっていても私は禁止魔法で開けられますが。犯罪行為なので皆には内緒ですよ?
クルクマは気配を察していたのか、すでにベッドの上で上体を起こしていました。今もその体はやはり包帯だらけ。いつもなら四本の三つ編みにしている赤い髪も、ここ最近は下ろしたままです。結っていないとボリュームありますね。こうして見るとけっこう美人でもあります。本人は否定するのですが。
「なんか外が騒がしかったね」
何も知らないような言い回し。実際のところはどうだか。彼女は洞察力に優れている上、地獄耳です。すでに大体の事情は把握してるのかもしれません。
まあでも、確認を兼ねて私から説明させてもらいますわ。
「それについてお話が」
近付きつつ、これからする話が外へ漏れないよう、隠蔽魔法を使っておきます。何故かクルクマは苦笑を浮かべ、椅子を勧めて来ました。
「うん、とりあえずそこに座りな。それからねスズちゃん、たまには師匠らしいこと言わせてもらうけど、相変わらず魔力のコントロールが雑。今の術、村の半分くらいが範囲に入っちゃったよ」
結局、隠蔽魔法はクルクマが使いました。部屋一つ分の結界の中で私は先程の出来事を語ります。
一通り聞いた彼女は顔を引き攣らせました。
「やっと師匠を倒せたと思ったら、今度はそっちが出て来たか~……」
「ビーナスベリー工房の社長って、やっぱりあの人ですよね?」
「そうだね。困ったことにあの人だよ」
「森妃の魔女……」
私は久しぶりにその二つ名を呟きました。
畏れを込めて。
──森妃の魔女。それは同業者ならずとも知らぬ者無き高名な魔道士。全ての魔法使いの頂点に立つ存在。
さらに言うと彼女はただの魔法使いではありません。モモハルと同じ、神様と契約して加護を得た“神子”でもあります。それも世界で最初に誕生した神子。その齢は千歳間近。つまり、あのゲッケイの三倍以上。年齢だけでなく魔道士としての実力でも才害の魔女を上回ると言われています。
「流石にちょっと、気後れします」
「師匠ですら手を出さなかった相手だからね。いつか言ってたよ、勝てない相手じゃないけど、勝てる保証も全く無いって」
あのゲッケイがそこまで言うなら噂通りの実力なのでしょう。言い伝えでは“魔王”と戦ってトドメを刺したのも彼女だと言われています。そんなものが実在したのかどうかは疑わしいところですが、それでも彼女の実力を疑う人間は誰もいません。何故なら否定のしようがない実績を数多く残しているから。
──四百年ほど前の話ですが、当時あった千人以上の魔法使いを擁する大国は無謀にも彼女に対し戦争を仕掛けました。
そして彼等は敗れたのです。ただの一人も傷付けられることなく。
平和的に話し合いで解決したなんてオチではありません。全力で戦って、その上で赤子扱いされ、プライドだけをへし折られて帰りました。以後二度と彼女に対し牙を剥くことは無かったと言います。
「どうしてそんな大物が、この村を標的に……」
「まあ、十中八九スズちゃんがいるからだろうね……」
うぐ、認めたくありませんでしたが、結局それ以外に無さそうです。
「つまり“神子”にまつわる事情ですね」
「うん。そうだと思う」
──かつての私、ヒメツルは彼女に近付くことを極力避けていました。何故なら森妃の魔女は魔法使いの森の管理者でもあるから。あの森に住んでいた私と彼女は、いわば大家と店子の関係。だからあの方だけは怒らせたくありませんでした。
自分で言うのもなんですが、以前の私は色々やらかして方々から恨みを買っていたので、知らぬまま彼女を怒らせていた可能性も無くはありません。
けれど、今の私と彼女の間には別の、より明確な接点が存在しています。
それは、私もまた“神子”であること。
彼女と同じように神様と契約したのではなく、たまたまこの世界を創造した主神の血を引いていて、その血が覚醒しただけですが、たしかにあの戦いの直後、夢の中で再会した眼神アルトラインに言われました。私もまた神子なのだと。
『──多分、師匠も途中で気付いたんだ。だからあの時、急にモモハル君からスズちゃんへ標的を切り替えたんだよ』
あの戦いの直後、クルクマに言われた言葉です。思い返せばたしかに、ゲッケイは怪物と化して村に現れて以降、ほとんど私ばかりを狙っていました。最初はモモハルの能力が目当てだったのに。
八年前、未来予知の魔導書を解読した私に眼神が見せた予知。私はあれを、ココノ村で神子が生まれ、その力によって自分が封じられるという意味に解釈しました。
おおむね合ってはいたのですが、一つだけ解釈違いをしていたようです。生まれる神子は一人ではなかった。あの日、生まれたばかりのモモハルの隣で、彼の力によって赤ん坊に戻された私もまた産声を上げました。そしてヒメツルではなくスズランとしての人生が始まった。つまり今の私もあの時あの場で生まれた“神子”である。おそらく、そう解釈するのが正しいのでしょう。
それを踏まえて、今回の一件を改めて考えてみます。
「試されている、ということかもしれません」
「何を?」
「人格か能力、あるいはその両方を。だってあの方は千年近く神子をやっている大先輩でしょう? 目上の人間は何かと後進に訓示を垂れたがるものですわ。ほら、さっきの貴女みたいに」
「言ってくれるね。たしかに人間、歳を取れば取るほど説教くさくはなるものだよ」
でもと呟き、考え込むクルクマ。いまいち納得いかない様子。まあ、私自身もこの説に強い確信を持っているわけではありません。というより、何かが違うとは自分でも感じています。ただ他の可能性が思い浮かばず消去法で意見を述べただけ。
彼女は腕組みしつつ、ピッと右手の人差し指を立てました。
「仮にそうだとしてだよ?」
「はい」
「スズちゃんは、どんな振る舞いをすべきだと思う?」
「う~ん……まあ、神子ですもの。品行方正なのは絶対条件でしょうね」
「つまり、良い子ちゃんでいるってこと?」
「……」
ですね、それは間違っています。
『──いいですか、これは私の持論ですが“悪いやつほど自由”なのです』
脳裏に、半月前の夢の中でアルトラインとゲッケイに対し叩き付けた自身の言葉が蘇りました。
私は最悪の魔女。最も自由なる者。だから好きなことをして好きなように生き、そして必ず、どんな結果に至ろうとも笑って死んでやる。そう言い放ったのです。
その私が一人の魔女を恐れて猫を被るなんて、やっぱりありえないと思います。そんなことをしたらあの日の誓いが嘘になってしまう。
私は、私の幸せを願った実母のためにも、心の声に背きたくない。
「ああもう、今の無し無し。やっぱり性に合いません」
バタバタと手を振って失言を取り消しました。そして居直ります。
「相手の思惑なんて気にしてもしかたありません。彼女がこの村を攻撃するというのなら受けて立つまで。ウメさんの言う通り、私だってここからは離れたくないですもの」
この地には八年分の思い出があります。私の八年だけでなく、父や母の、村の皆の人生の痕跡がそこかしこに残っているのです。そんな大切な場所を魔道具開発のためのラボになんかさせてたまるもんですか。
ナスベリさん、大切なのは物だけではありません。この村そのものが思い出の詰まった宝箱なのです。きっと、あなたの会社の倉庫でも収めきれないでしょう。
「私は断固戦います。そう決めました。絶対にここを離れません」
「わかった。なら、あーしも出来る限り手伝うよ」
「いや、あなたは寝てなさいな」
ここで無理をしたらまた復帰が遠のいてしまうでしょう。
なのにクルクマは頭を振るのです。
「寝ながらだって出来ることはあるってことだよ。ほら、こうして助言するとかね」
「なるほど。では師匠、早速教えてくださらない? ここはどういう作戦でいくべきだと思います?」
「まだ作戦を立案する段階じゃないかな。まずは情報収集を進めるべきだと思う」
そういえば、まだナスベリさんの過去について聞いていませんでした。彼女が故郷の村へ差し向けられたことにはおそらく意味がある。なら過去の経緯を知っておいて損は無いでしょう。
「なら、お父さま達に話を聞いてきます。やはり鍵はそこにありそうですし」
「色々わかったらまたおいで。三日しかないけど勝負に焦りは禁物だ。じっくりいこう」
「了解です。それでは弟子一号、行ってまいります」
「あれ? 一号じゃなくて二号か三号かもよ?」
きょとんとするクルクマ。下手な冗談ですわ。
「嘘おっしゃい。あなたに弟子入りする人間なんて私くらいのものでしょう」
「違うよ。あーしがスズちゃん以外を弟子にしたくないのさ」
「はいはい」
悪い気はいたしません。それでは安静にしてらして、お師匠様。