一章・誤解(6)
でも、この日──何故かナスベリは一度も目を覚まさなかった。宿のベッドに横たわり、死んだように静かに眠り続けた。
そのうち夜になり、待ちくたびれたあたしが客室まで様子を見に行ってもやはり一向に目を覚ます気配が無い。寝言一つ言いやしない。
「どうなってんのよ、あんた……?」
あんだけ飲んでトイレにも起きないってありえる? 本当にまだ生きてるんでしょうね、こいつ?
試しに額に触れてみて驚く。
(冷たい……)
一瞬、本当に死体なのかと思った。でも呼吸はしてる。脈を計ろうと手を取ってみても多少ひんやりしてるだけで額ほど不自然に冷たくはなかった。体温だってちゃんとあるし脈拍も正常。
部屋が冷えている……ということもない。そういう体質なんだろうか? 不安になって毛布を一枚追加してやる。それから椅子に座って少し観察してみた。
(一歳違いなのに、ずいぶん若く見えるわね)
魔女なのだし、クルクマさんがやっている年齢固定化処置というものをこいつも受けているのかもしれない。外見的には十代後半か二十代前半くらいに見える。記憶の中のあのリンドウの姿より少し若いくらいかな。
改めて見ても良く似ていた。こうして静かにしてると、ほとんどあの頃の母親の姿そのままだ。髪を梳かして服装を揃えればパッと見では見分けがつかないだろう。
(魔女ってずるいわ)
きっとリンドウも今ではあたしより年下に見えるのだろう。あたしも娘かクルクマさんに頼めば老化を止めてもらえるのだろうか?
……いや、やっぱり無いな。あたしだけ歳を取らずに旦那に置き去りにされてはたまらない。カズラは多分、老いない体になんてなりたがらないだろう。彼は人はありのままの姿でいる方が良いって言うタイプだ。最近白髪が出始めていて、抜いてあげようかと申し出たのに断られたことがある。
「歳を取ったら髪は白くなるのが当たり前だよ。それに真っ白になったらスズとお揃いになれるじゃないか」
それまであと何十年かかるのよとあの時は笑い飛ばしたけれど、そうやって歳を重ねること自体を楽しめるのも彼の魅力の一つだと思う。それにあたしも今日のクロマツさんを見ていたら、老いるのも案外悪くないのかもと思えた。この村の老人達は最近楽しそうにしている。最後までああやって笑って生きられたなら、それで十分幸せじゃないか。
「さて、そろそろ行きたいんだけど、離してくれない?」
旦那と娘が家で待ってる。だから帰りたいのに、脈を計ろうと手を掴んだ時、逆にナスベリに手首を掴まれてしまってから離れられない。ずっと強く握られていてだんだん感覚が麻痺してきた。
「もう叩き起こしてやろうかしら?」
でも、それでまた朝まで酒盛りをされたりしたらレンゲ達にも迷惑がかかる。せっかく寝ているのだから今夜はこのままにしておいた方がいいだろう。
とはいえ手首は離してもらわないと……どうしたものかと考えたあたしは思い付きで子守唄を歌ってやった。これでより深い眠りに落ちたら力が抜けるのではないかって考えたわけだ。
すると、半分以上駄目元だったのに本当にナスベリは脱力して腕を離してくれた。ようやく指先に血が通うようになってジンジンと痺れ出す。ったく、余計な手間をかけさせてくれたわね。
やれやれと肩を竦めながら立ち上がると、そこで初めて彼女がうわ言を発した。
「父ちゃん……」
「いや、誰が父ちゃんよ……」
相変わらず失礼な奴ね。あたしよりあんたの方がよっぽど男勝りで──
あれ? でも、そっか。今の子守唄はこの地域の子供にとっては聴き慣れたものだけど、故郷の人間以外にはあまり知られていないと聞く。だったらリンドウも知らなかったかもしれない。
だけど、ナスベリの父親なら知っていたはずだ。いつか彼……トリトマさんもこの子のために歌ってやったことがあったのでは?
トリトマさんは奥さんの悪戯に堪えかねて家出したと聞いている。でもリンドウがクロマツさんの言うように単に不器用なだけの人だったなら、それも何かの誤解だったのではないだろうか? 少なくとも親になった今のあたしには、そんなことで娘と故郷を捨てて出て行くとは思えない。だから本当は別の事情があったのでは……確信は無いけどそんな気がした。
今、彼と彼女はどこで何をしているのだろう?
「明日こそ聞かせなさいよね……それじゃ、おやすみ」
そう告げて部屋を出て行ったあたしは、結局最後まで気付かなかった。夜になり室内が暗かったせいもあるだろう。
ナスベリの閉ざされた瞼の隙間からは時折涙が零れ落ちて、頬を伝い落ちる間に凍結し、小さな氷になっていたのだ。スズやクルクマさんが見ていたらこの時点で何が起きているかを察せていたのかもしれない。
まあ、だからといって何かが出来たわけでもないだろう。結局のところナスベリと話をすべきなのは、あたし達、昔の彼女を知る者達だったのだから──
──オッス! アタイの名はナスベリ、十四歳! 長年ココノ村のテッペンをしきってたスゲーヤツ! 魔女の母ちゃんもアタイには才能があるってよく言ってた。なんの才能かは言わなかったけど。
その母ちゃんが昨日、いきなり消えちまった。家ん中にあった書き置きには、アタイがちっちゃい頃にいなくなっちまった父ちゃんをようやく見つけたんで連れ戻しに行くって書かれてた。だからアタイも後を追って村を出てきたところだ!
前々から思ってたのさ、才能のあるアタイにはあの小さな村じゃ狭すぎるって。天才は都会に出てもっと大きなことを成し遂げるべきだ。なあ、そうだろ母ちゃん!
村の大人達はともかく、じいちゃんとばあちゃんは好きだし、舎弟もいっぱいいたから離れるのは寂しい。でも冒険物語の主人公ってのはそういうもんだ。必ず一度は旅に出る。でもって色んな土地を見て回って、知らなかったことを知り、でっかく成長して、いつか故郷にニシキを飾る。カズラと一緒によく読んだ“ゆうしゃサボテン”の物語だってそういう話だった。
ニシキってのがなんだかは知らないけど、旅をしてりゃそのうち見つかるだろ。アタイ、じいちゃんとばあちゃんにそれを見せてやりたい。
母ちゃんの後を追うのは簡単だった。母ちゃんは変わってるから、行く先々で毎回必ず騒ぎを起こす。アタイはその情報を辿って行くだけでいい。
十四歳からの一人旅は時々危ないこともあった。でも母ちゃんから教わっていた魔法のおかげでなんとかなった。あとあれだ、カタバミのヤツと繰り返して来たケンカの経験も、ちょっとは役に立ったかもな。あんなヤツでも人のためになることはあるらしい。スゲー馬鹿だけど!
ただ、そのうちアタイは気が付いた。追いかけるのは簡単でも、追い付くのは難しいということに。何故なら母ちゃんは飛んで移動してるからだ。徒歩で頑張ってるアタイとは速さがぜんぜん違う。このままじゃどんどん引き離されて、いつかは見失っちまうんじゃないかと不安になった。
そんな時だ。母ちゃんが入って行ったって噂を聞いて飛び込んだでっかい森でアタイは迷子になり、親切な魔女に出会った。蜂蜜色の髪と透き通った青い瞳の胸がめちゃくちゃでかいおばさんだ。
おばさんはアタイが道に迷ってるだけじゃなく空を飛べないことにも困っているのだと話すと、自分の使っていたお古のホウキをアタイにくれた。
「くれんの? ありがとう!」
「御両親と無事再会できるといいですね。それと、いつかあなたも困っている方と出会うようなことがあれば、ささやかでもいいので力になってあげて下さい。親切は巡り巡っていつか自分にも返って来ますよ」
「わかった!」
約束したので、それからアタイは人助けにも精を出すようになった。もちろん母ちゃんを追いかけながらなんで大したことはできないけど、ちょっとしたことでもアタイが手を貸すと相手は喜んでくれる。人の喜ぶ顔を見るとこっちも気分が良い。だから多分、あのおばさんもこういうのが嬉しくて人を助けてるんだろうなって思った。
おばさんから空の飛び方は習ったものの、アタイは飛ぶのがあんまり得意じゃなかった。いつもフラフラしながら飛んでいた。
するとある日、別の魔女にぶつかっちまった。この広い空で他の何かにぶつかるなんて珍しい。だからその魔女は「怒るよりも呆れた」と言ってアタイを許してくれた。小さいのに意外と器のデカいヤツだった。
「貴女、そんな歳で一人旅なの?」
「なんでい、お前の方がチビじゃねえか」
「私は年齢を固定されてるだけ。多分貴女より年上だわ」
「え、マジで?」
歳を聞いてみたら本当にアタイより年上だった。しかもめちゃくちゃ上。魔女ってのはスゲーなと思ったもんだ。アタイも魔女だけど。世の中には、やっぱりまだまだ知らないことがたくさんある。
そのチビはなんでかアタイのことを気に入ったみたいで、困ったことがあればいつでも訪ねてこいと言って住んでる場所を教えてくれた。でもアタイは両親を追いかけてる最中だったんで、そのうち行くかもしんねーとだけ答えて、この時はそれで別れた。
やけにアタイを心配してたな。馬鹿にすんじゃねーよ。平気だっての。
アタイの旅はそれからも続いた。どういうわけか空を飛んでも、母ちゃんにはなかなか追いつけなかったんだ。というか、そんな母ちゃんから逃げ続けてるってことは父ちゃんも相当必死に走ってんだろうな。スゲー逃げ足だぜ。
そんなことを考えていたら、ふっとわからなくなった。二人に追いついたとして、それからアタイはどうすりゃいいんだ? 母ちゃんと一緒に父ちゃんを説得するのか? 駄目だったら母ちゃんだけ連れて帰るのか? 母ちゃんは、あの村に帰りたがるかな?
母ちゃんは村の皆から嫌われている。あんだけ悪戯ばかり繰り返してたんだから当たり前だ。父ちゃんだって、母ちゃんの悪戯に我慢できなくて家出したんだって村の大人達が噂してた。母ちゃんにそうなのかって訊いても、何も言わなかったけど。
母ちゃんにとって、あの村は居心地が悪いだろう。父ちゃんも、もし母ちゃんとよりを戻すつもりになったとしても、今さら村には帰り辛いかもしれない。だとしたらアタイはどうしたらいい?
アタイは帰りたい。あそこはアタイの生まれ故郷だ。じいちゃんばあちゃんが待っててくれて、ダチだっていっぱいいる。生意気なヤツもいたけど、そんなヤツの顔だって離れて大分経った今では懐かしく感じる。
でもアタイは母ちゃんから離れたくない。父ちゃんにだって会ってみたい。父ちゃんの顔なんか、ほとんど覚えちゃいないんだ。ほんのり覚えているのは、父ちゃんが赤ちゃんのアタイに聴かせてくれた歌声だけ。だから父ちゃん、今までいてくれなかった分、少しくらいワガママを聞いてくれよ。できれば三人であの村に帰りたいんだ。
「母ちゃん、父ちゃん、どこにいるんだよ!」
泣けてきたのが悔しくて、アタイは涙を氷に変えた。下に誰かいたら驚くだろう。真夏に雪が降るんだぜ。
アタイの旅は、なんと四年も続いちまった。
そして、ある街でようやく、二人と再会できたんだ。
「カズラ、カタバミ!! 起きてるか!」
「えっ、なっ、なに!?」
驚いたあたしが前日と同じように飛び起き、寝室から顔を出すと、やはり昨日の光景を再現するようにナスベリが玄関に立っていた。いつも通りのボサボサ頭で男物の服。白い歯を覗かせてニカッと笑う。
「釣りに行こうぜ! 湖までピクニックだ!!」
「はぁ!?」
昨日死んだように眠り続けたのが嘘のように、馬鹿は馬鹿に快調だった。




