一章・誤解(5)
食後ゆっくりとくつろいだ後、おもむろにクロマツさんは立ち上がり、帽子を被った。
「そろそろ行くよ、ご馳走様。本当に美味しかったよ、スズちゃん」
「どういたしまして」
スズは平静を装っていたけれど、あたしからは見えていた。クロマツさんから見えないよう後ろ手に回した両手の指が、もじもじ忙しなく動いている様が。嬉しいのに、それを隠している時の仕種だ。
この子は本好きで、賢くて、優しい。どちらかと言うと夫にばかり似ているような気がしていたけれど──
(あたしと似てるところ、あったわ)
思わず顔がにやける。案外この子も見栄っ張りだ。そんな悪いところばかり似なくてもいいのに。もちろん、それでも嬉しいんだけどさ。
「ところでカタバミ」
「なに?」
家から出たところで振り返るクロマツさん。問い返したあたしに、彼は決意の眼差しを向けた。
「お前さん達と話したおかげで踏ん切りがついたよ。ワシはこれから皆の家を回って説得してみようと思う」
「説得?」
「もしもナスベリが……それにリンドウとトリトマが帰って来るなら、今度こそ村の仲間として受け入れてやりたい。そのための話じゃ。後で直接ナスベリとも話し合いたいから、それまでどうにか引き留めておいてくれんか?」
「それは……」
引き受けてもいいとは思う。あの地震の時、家族を土の下から掘り出して弔ってくれたこの村のみんなは、あたしにとって恩人だ。クロマツさんが、そして村のみんなが望むのなら、あの一家を受け入れることを認めたい。
でもまだ抵抗感がある。クロマツさんの話で多少印象は変わったものの、やっぱりリンドウに対する恐怖もナスベリへの敵愾心もあたしの中には残っているのだ。二人がいなくなったせいで晴らす機会も得られず長年かけて鬱積したものだから、そう簡単には消せやしない。
「できると思う?」
村のみんなだって易々とは受け入れられないだろう。わだかまりの原因は誤解だったと伝わったとしても、やはり納得するには時間がかかるはず。
でもクロマツさんは揺らがなかった。
「やってみなけりゃわからんさ。なに、案外みんなもワシと同じようなことを考えているかもしれん。なんせ、そこにいる可愛い魔女さんのおかげで魔女嫌いはとうに克服しとるからな」
「あっ……」
そうか、忘れかけていたけど、リンドウと同じようにスズだって元は村の外からやって来た“魔女”なのだ。
もちろん事情は大きく異なる。でも、この子の実母が誰なのか知っても、半月前のあの事件のことがあっても、それでもなおスズランを家族として認めてくれた村のみんなならたしかに……ありえるかもしれない。
それに、ここで断ったら娘に格好悪いところを見られてしまう。それは嫌だ。あたしは嘆息しつつ頷いた。
「わかった、それまでなんとか引き留めておく。ナスベリはあたしに任せて」
「頼んだぞ。じゃあ、また後でな」
「いってらっしゃい、おじいちゃん」
「ほほうっ、いってきます」
スズに手を振って見送られ、クロマツさんはスキップしながら上機嫌で立ち去って行く。今年で六十だったはずなのに、まったくもって元気な爺さんだわ。
「それじゃスズ、お母さんも、もう少ししたら隣に様子を見に行くわね。レンゲ達の分のお昼を用意しておくって約束したし、洗濯もしないと」
「手伝う?」
「ううん、スズはお父さんを見ていてあげて。お酒に弱いのに昨夜はたっぷり飲まされたみたいだから、今日はきっと夜までぐったりしてるわ」
「あ、うん。そっか、お酒か……」
頷いて、それから急に考え込むスズ。この顔は何か思いついたらしい。まあ、この子に任せておけばカズラは大丈夫だろう。
そんなことを思いながら家の中へ戻ると、そのカズラが寝室から顔を出した。
「あらっ? 起きたの?」
「ううう……」
寝室からよたよた歩いて出て来たかと思うと、どうにかこうにかといった様子で食卓にしがみつく。何してんのよ、この人はもう。
「お父さんっ」
「まだフラフラじゃない、遠慮せず寝てなさいって」
スズと一緒に駆け寄りながら、あたしは眉をひそめた。明け方までナスベリ達の酒盛りに付き合ったことといい、今日の彼はどうもらしくない。好奇心が強く時々馬鹿もやる人だけど、こういうあからさまに身体に悪い無茶はいつもなら絶対しないはず。子供の頃は病弱だったから無意識に自制が働くのだ。
「ほら、座って」
「す、すまない、二人とも……迷惑かけて……」
あたしとスズに手伝ってもらい、ようやく椅子に腰かけた彼は、二日酔いのせいで顔をしかめて苦しんでいた。全身汗だくで身体も拭いてやった方が良さそうである。
でも、そんな状態であたしの顔を見つめ、問いかけて来る。
「ナ……ナスベリには、もう……会った?」
「え? ええ、今朝あなたを連れてうちに来た時に」
「うっ……ぷ……話は、した……?」
「いや、ほとんど話さないうちにあいつも潰れて寝ちゃったから」
「そ、そう……そうか……まだか……」
なに? もしかして、あなたまであたしにあいつと話して欲しいの?
「どういうこと? カズラ、あなたとサザンカ、昨夜あいつと何か話したの?」
「昔の、こと……」
「昔のこと? あたし達が子供の頃の話?」
「それも……だけど、村を出てからの、ことも……聞いた」
あ、やっぱりその話は出たんだ。ということは、あたしもあいつに直接聞けば十六年間どうしていたのか教えてもらえるわけね。
ならクロマツさんから頼まれた時間稼ぎも兼ねて根掘り葉掘り聞き出してやろう。そう企んだ時、あたしの腕をカズラが掴んだ。思いの外に強い力でだ。
「なによ、どうしたの?」
「カタバミ……頼む」
「えっ?」
「ナスベリを……しっかり、見ていてやって、欲しい。もしかしたら、目を離しちゃ駄目かも……しれない。彼女は、何かおかしい……」
どういうこと? あたしは眉をひそめた。あいつがおかしいのは今に始まったことじゃない。昔からそうだったはず。昨夜だって村の上空で花火を──
(あれ?)
いや、そうだったか? あたしはやっと気付いた。記憶を混同してしまっていたことに。たしかにナスベリの母親のリンドウはおかしな人だった。迷惑な悪戯ばかり仕掛けて村のみんなを困らせていた。クロマツさんの言葉が真実なら、それも誤解だったかもしれないけれど。
ともかくナスベリは──あいつは、ただ単に男勝りだっただけじゃないか? たしかに親が親なので少し風変りなところはあったけど、例の腹巻状湯たんぽに疑問を抱く程度の常識的な感覚は持ち合わせていたはず。
そんな奴が深夜に、しかも村にほとんど人気が無い状況で花火を打ち上げたりするだろうか? いくらなんでもそれは非常識が過ぎる。意味がわからない。むしろ昔のナスベリなら村中の人間を呼び集めて、それから実行していたはず。注目を集めるのが好きな性格だった。
まあ、ちょうど良い。どうせ今から宿屋に戻るつもりだったのだし、クロマツさんから頼まれたこともある。まだ寝てるとは思うけれど、起きて来るまで待ってから直接話してみるとしよう。
「わかったわ、あなた。ナスベリはちゃんと見ておく。だから、今はあなたも休んで回復しなさい。スズ、お父さんをお願いね」
「うん」
頼もしい娘に夫を託し、家を出るあたし。その瞬間、不意に懐かしい感覚に見舞われた。これは幼い頃、あいつに決闘を挑む度に感じていた独特の高揚感。
(帰って来たんだわ、あの馬鹿が)
今まではどこか夢の続きを見ているような感覚だった。けれどこの瞬間、あたしは遂にそれを実感した。




