五章・夢中の茶会(1)
カタバミは気付くと白い世界にいた。足下には透明なガラスらしき一本の道。あまりに頼りなく思えるそれのせいで腰が抜けそうになる。
「大丈夫、ここは夢の中です」
「え?」
いつの間にか目の前に見知らぬ少女の姿があった。三角帽子に黒いローブ。見るからに魔女という風亭。テーブルと二脚の椅子を用意して、その片方に腰かけ、のんびりお茶を楽しんでいる。
見知らぬ? いや、どこかで見たことがある。むしろよく見慣れた顔のような、そんな気もする。
「どうぞ、座って」
「あ、はい」
勧められるまま空いている椅子に座った。少女は逆に立ち上がり、カタバミの分のお茶まで淹れてくれる。よくわからないままカップを持ち上げ、口を付けた瞬間に驚いた。
「これ、うちのお茶?」
「ええ、貴女が育てた“カタバミ”です。私、これが大好きですの」
「そうなの? ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう」
はて、どうしてお礼を言われたのだろう? カタバミにはやはりわからない。ここが夢の中だからなのか、思考が現実にいる時より散漫に思えた。いつの間にか足下がガラスであることにも恐怖を感じなくなっている。
それからしばらく、二人は無言でティータイムを楽しんだ。やはり、いつも同じことをしているような気がする。でも目の前の少女のことは知らない。こんな知り合いはいない、はず。
「あら、いましたよね? 昔、魔女の友人が」
「……ああ、いたわね」
そうだ、この子ではないけれど、たしかに幼馴染の中に魔女がいた。あいつはいったいどこへ行ってしまったんだろう? ずっと心配している。村を出て行った友人達にも手紙を出して訊ねてみた。なのに見つからない。生きているかさえわからない。
(あれ? 帰って来たんだっけ?)
おかしい。つい最近どこかで見かけたような気がする。
「あ」
そうだ、レンゲ達を連れてトナリへ行った帰り道、廃村のある場所を通ったら兵士達が大勢いて、その中に長い黒髪の女も見かけた。後ろ姿だったし、こちらもすぐ通り過ぎてしまったから確証は無い。
でも、きっとあれはナスベリだった。あの瞬間、自分達は再会していたのだ。
「魔女はお嫌いですか?」
「え? ええと、そうね……少し前までは苦手だったわ」
唐突な質問に、少し考えてから答える。
自分だけじゃない。村の大人は大半がそうだった。魔女という存在に対し偏見を抱いていた。それはナスベリの母リンドウが原因。
けれど今は違う。
「あの子が変えてくれたの……何もかも」
ココノ村は変わった。以前より閉鎖的でなくなったし、村人達には笑顔が増えた。
昔、都会から出戻ってカズラと結婚し、店を開いたばかりの頃には大半の住人が自分達夫婦を白い目で見ていた。いつかはまた出て行くのだろうと、そう思われているのが声に出されずとも伝わってきた。せっかく開いた店も閑古鳥が鳴くばかりで、しかたなく他の仕事もしてギリギリで食い繋いでいた。
故郷なのに、いつまで経っても皆に受け入れてもらえない。その時になって、ようやくナスベリ達の辛さがわかった。一時期ひどく落ち込み、さらに自分は妊娠できない体だとわかったことが追い打ちをかけた。子宮の中の本来あるべきでない場所に壁がある先天性の奇形。治療は可能だけれど大金を払わなければならない。そんなお金、当時の自分達に支払えるはずも無かった。
荒れに荒れて、カズラやサザンカだけでなく妊娠中のレンゲにまで迷惑をかけた。自分は絶対に子供を産めないのに、もうすぐ母親になる彼女のことが妬ましかった。後で何度も謝ったけれど、あの頃の自分はいまだに許せない。
でも、そう、たった一つの出会いが全てを変えた。
「あたしはスズに会えた。あの子を引き取って、やっと母親になれて、そこから何もかも良い方向へ進み始めた」
「そうですの?」
「そうよ。村の皆はね、レンゲとサザンカとウメさん以外、最初はうちの店に近寄ることさえしなかったの。でも、あの子を引き取ったらちらほら顔を出すようになった。子供はうちの子とお隣のモモくんだけだったもの、赤ちゃんの顔が見たくて、渋々買い物に来てくれたの。いつもしかめっ面だったクロマツさんがあの子を見た途端思わず笑顔になった時なんか、あたしも吹き出しちゃった」
そこから次第に関係が修復されていった。昔のように挨拶すれば返してくれる。向こうから声をかけてくることもある。もちろんしばらくはぎこちなかったけれど、それでも皆から少しずつ認められていくことが嬉しかった。
やがてスズランを通じてクルクマと知り合い、村の皆に楽しんでもらうつもりで始めた茶葉の栽培が思わぬチャンスを生み出した。クルクマが世に存在を知らしめてくれたおかげで、自分の育てた銘茶“カタバミ”は今や大陸全土で愛されている。
彼女の提案で他の皆にも茶葉の栽培を勧めた。若者の大半がいなくなり休耕地だらけになっていた村が、新しい事業によって再び活気付き、貧しさからも抜け出せた。雰囲気はますます明るくなり、その幸せを象徴するように老人ばかりの土地で三人の子供達が笑い、はしゃぎ、駆け回る。スズラン達を見ていると自然に信じられた。
きっといつか、自分達が子供だった時のように賑やかな村が戻って来る。未来は希望で満ちていると。
「──でも、このままでは終わってしまいます」
少女は自分の持っていたティーカップを放り投げ、捨てた。透明な地面に落ちたそれは甲高い音を立て、砕け散る。その音に驚き、肩を竦ませるカタバミ。
夢の中で夢から覚めたような顔の彼女の目をジッと見つめる少女。その口からは続けて奇妙な話が語られた。
「私には未来を断片的に見る力があります。その力で今回の件の解決法を見つけることはできました。一応ね」
「一応?」
難しいことなのだろうか? カタバミは、目の前の少女が村の問題について何故知っているのか疑問に思わなかった。むしろそれが当たり前のように思えて素直に彼女の言葉を受け取り、首を傾げる。
「気乗りしないの?」
やはりなんとなく、そんな気がした。
「そうです」
少女は嬉しそうに肯定する。
「私が皆の先頭に立ち、あることをしたなら問題は解決するそうです。それが最善策だと教えてもらいました。私に答えを教えた彼、アルトラインは本来、今回の一件においては中立の立場にいなければなりません。なのに、まだ私は未熟だからと贔屓してくれたわけです」
「でも嫌なのね?」
「はい」
少女は立ち上がり左手を振った。するとテーブルもカタバミが持っていたティーカップも消えてしまう。障害物を除けた彼女はまっすぐ近付いてきた。当然、座っているこちらより視線が高い。
だから彼女はしゃがみこんだ。目線の高さが逆転する。母親が子に諭すような仕草。
けれどカタバミは直感した。母は自分の方だと。
「あなたは──」
そっと目の前の顔に触れる。ああ、どうして今まで気が付かなかったのか。こんなにも瓜二つなのに。
「スズ……」
「お母さま、これは夢。貴女の目の前にいるのは本当のスズランではありません。けれど、現実の私も必ず同じことを言うでしょう」
成長した姿のスズランは、いつもと違う口調で語りかけ、そして微笑む。
「私が解決しても意味はないのです。私もたしかにココノ村の一員、もちろん協力はしましょう。けれど、先に立つのは貴女達でなくてはなりません。村にいた頃のナスベリさんを知っていて、あの人と同じ時間を共有したことがある皆。私達子供以外の大人が全員で立ち向かわなくてはならない。そう思うのです」