番外編 豪也と香葉(後編)
豪也が香葉と出会ったのは、白い雪が舞い落ちる季節だった。
雪の降り積もった峠道で、豪也は力の入らない足を引きずり、妖から必死に逃げていた。
真っ白な地面には、豪也が落とした血で真っ赤な花が点々と咲いている。
この日も、いつものように仕事の依頼を受けて、豪也は妖退治に向かった。だが、今回は相手が悪かった。
予想以上に手強く凶暴な妖は、豪也一人の手には負えなかったのだ。
懸命に逃げてこの場所にたどり着いたものの、油断はできなかった。
この遮るもののない峠道では、豪也の姿は丸見えなのだ。
今度見つかれば、ひとたまりもない。もう、体を動かすのも限界だった。
その時——
前方から、サク、サクと、軽やかに雪を踏む足音が聞こえてきた。
新手の妖が追ってきたのかと豪也は身構えたが、現れたのは、この場に似つかわしくない一人の子供である。
「美味しそうな匂いがすると思ったら……人間だ」
——妖だったか
豪也は、絶望的な思いで目の前の相手を眺めた。
真冬の峠道に、人間の子供が一人で歩いている訳がない。この子供も、豪也を食らおうと寄ってきた妖らしい。
「ああ、追われているんだ。冬場は餌を見つけるのも一苦労だから、妖も必死なんだよね」
「俺を食らうのか?」
「うん、でも。まずは後ろの奴から頂くことにするよ。美味しいものは、後に取っておかなきゃ」
そう言うと、子供は、豪也の背後へ向かって駆けていった。
「今のうちに、逃げなければならないな」
豪也は、倒れそうになる体に鞭打って峠を下る。妖同士が相打ちしてくれれば良いと、淡い期待をしながら。
人型をとれる妖というのは、総じて力が強く知能も高く、厄介なものが多い。
退治屋達の間でも、関わるべきではないとされている相手だ。
麓に辿り着くには、まだまだ時間がかかりそうであった。
そうしている間にも、徐々に冷えた豪也の体からは力はが抜け、生命の限界が近づいていた。
「ここまでか……」
退治屋の寿命は短い。
その職業柄や生い立ちゆえのものだ。
退治する相手の妖に命を奪われる者、仕事が上手くいかずに飢える者、山で迷う者、妖との契約で失敗する者。
どうやら、豪也もその中の一人になりそうである。
白く冷たい地面に膝をつき、豪也が意識を手放そうとしたそのとき、頭上から無邪気な声が降ってきた。
「ねえ、生きたい? 死ぬのは嫌?」
当たり前だ。
豪也はそう答えたが、声になったかは定かではない。
「じゃあ、これあげる。僕の苗床になってよ」
「苗床……」
嫌な響きだった。
さっきの子供の妖が、戻ってきたのだろう。
「僕と契約してよ。お前、退治屋でしょう?」
「契約?」
「損はさせない、力をあげる。今よりも強くしてあげる、お前が生きているうちは。どうする? ここで死ぬ? それとも、僕の苗床になって生きる?」
何と答えたのかは、覚えていない。
けれど、生きたいと答えたのだろう。気付けば、豪也は峠の麓の小屋にいた。
火をくべた竃の側で、布にくるまれている豪也の傍らには、峠で出会った子供の妖が笑みを浮かべて座っている。
「約束通り、生かしてあげたよ」
あれは、夢ではなかったのか。
「俺を追ってきていた、あの妖はどうなった」
「……食べちゃった」
美味しくなかったと呟く子供の妖を見て、豪也は何だか笑いがこみ上げてきた。
後で知ったことだが、この妖は豪也を自分の親だと偽って、麓の民家に連れ込んだらしい。
「妖らしくない奴だ。お前、名前は?」
「香葉だけど。契約の時に言ったでしょう?」
「あいにく、覚えていない」
豪也の言葉に、香葉は呆れたように肩を竦めたのだった。
この妖が、千年以上を生きる大妖だと豪也が知るのは、この数日後のこと。
更に、彼に与えられた人外の力に気付くのは、その一月後のことであった。
※
豪也は、香葉との契約を後悔したことはない。
彼との契約がなければ、豪也はあの峠道で死んでいた。
凍死、或いは退治し損ねた妖に食われて——
香葉には感謝こそすれ、恨んでなどいないのだ。
だが、香葉は豪也の思いに気付くことなく、あの契約を気に病んでいる。
一緒に過ごすうちに、豪也は香葉に対して情がわいた。自分を蝕む妖だというのに、嫌うことができない。
香葉は、自分の欲求に忠実で素直な妖だ。
豪也にとって、腹の底が見えない人間達よりも、よほど付き合いやすい相手である。
香葉の方も、いつの間にか豪也に懐いていた。
自分の持ち出した契約を、後悔するほどに。
豪也は自分の死後、香葉のことが気がかりだった。
香葉の根は今も豪也の体を蝕んでいる。体中に根が行き渡り、豪也の命を奪うのも時間の問題だろう。
「もって、あと数年と言ったところか」
豪也は自分の死後、香葉を敬子に託すと決めていた。
香葉は豪也との——人間との暮らしに馴れすぎてしまった。豪也を失えば、孤独に苦しむだろうことは目に見えている。
だから、彼が豪也以外に興味を持った唯一の人間に香葉を託すことにしたのだ。
香葉が、寂しがらないように。敬子を、一人前の退治屋にして——
——未練など、この世に何も残さないように
だから、豪也は目の前で、自分のしたことを悔いている子供姿の妖に告げた。
生かしてくれて、命を与えてくれて感謝していると。
——何度も




