閑話3―とある騎士の葛藤
長らくお待たせしました。
さっそく閑話で申し訳ありませんが、お付き合いいただけると幸いです。
昼休み。ジャンは渡り廊下の間にある、ひと気のないベンチに腰かけていた。時折、真正面に佇む廊下を見つめてはため息を吐き出した。
「あー……」
背もたれにもたれかかり、天を仰ぐと言葉にならない声が漏れる。
まぶたを閉じると偶然見てしまった光景がよみがえった。
前に見た時は何も感じなかったはずなのに。見つめあう二人が目に焼き付いていたのだ。
そのもやもやは、ジャンの心の中を確実に巣食っていた。
にくいほどの快晴が広がる視界の端で、事の起きた廊下を見やる。
今となっては人通りも少なくなったが、つい先ほどまで昼休みになったばかりで廊下は騒がしかった。
遡ること、昼休みが終わる数分前。
課題を終えたジャンは魔法薬学の実習室を退出し、この廊下でエリンとクロウリーが話しているところを見かけた。同じ班のレオやナターリヤたちは「またか」と言った態度を見せていたものの、ジャンは二人から目が離せずにいた。
移動魔法でわざわざエリンの前に立ち、笑いかけるクロウリーを見て、胸がざわついたのだ。
なんてことない日常の一コマのはずだった。しかし、今でも頭から離れない。
レオやナターリヤと昼食を共にし、何気ないひとときを過ごすはずだったが、そんな気分にはなれなかった。
結局、「食欲無ぇ」と二人に言い残し、教室を飛び出した。
(別にクロード様がちんちくりんに興味を持ってるなんて、今更じゃねーか)
初めてエリンと出会った時、既にクロウリーは彼女に少なからず好意を抱いていた。そしてそれを自分は「趣味が悪い」と一蹴した。
いつぞやのレオとナターリヤ主催のお茶会だってそうだ。
エリンが到着する前、ルーチェを呼びに来たクロウリーは「エリンは居ないのか?」と尋ねていた。
クロウリーは本人の居ないところでも、何かにつけてエリンと会う口実を探していた。故にルーチェは「自身をダシにするのはやめろ」と牽制したわけだが、これはいずれルーチェ自身から語ってもらうとしよう。
つまるところ、ジャンにとってエリンはクロウリーとセットとして認識することが多い人物だった。ちなみに次点は知り合ったきっかけである親友兼主君のレオとその婚約者のナターリヤである。
(ていうか、なんで俺、アイツのこと気になってんだよ……)
脳裏から自動再生された、背の高いクロウリーを見上げる横顔をかき消すように左右に首を振りかぶる。
彼の中ではすっかりクロウリーとエリンによる二人の世界になっているのだが、もちろんあの場にエリン以外も居た。あの瞬間、既に彼女以外はジャンの眼中に入っていなかったのだろう。
自分で制御できない感情に、イライラしては打つ手もなく途方に暮れる。
たった数分、されど数分。
ジャンの心は、すっかりエリンによってかき乱されていた。
「はぁ……」
ずるずると背中を預け、また空を見上げた。
ジャンに変化が起きたのは、言わずもがな例の茶会であった。
制服しか見たことのないエリンの私服姿は、剣と主だけを思って生きていたジャンに雷を落とした。
晩餐会などで淑女のドレス姿は見慣れているものの、女性に対して異性として認識をしたことがなかった。あの時、ジャンは初めて「同世代の女子生徒」を意識して見たのだ。
皮肉なことに、あの日のエリンは普段の彼女から想像もつかない可愛げのある服装で仕立て上げられていた。ギャップ萌えともとれる変化は、初心なジャンの心を打ちぬくことも容易かったのかもしれない。
しかしながら、服装はきっかけに過ぎない。
彼がエリンに好意を抱いたのはもっと本質的なところにあったのだ。
「俺の目が優しい、か……」
長年のコンプレックスであった威圧感。それを全くもって気にも留めないエリンに、ジャンの胸はぎゅっと締め付けられた。
本を正せば異常なまでに一挙一動に反応を見せるジャンに違和感を感じたエリンが話題をすり替えるべく発した言葉であったが、うっかり好感度を上げてしまったのは言うまでもない。
ルーチェと親密度を上げるよりも先に、エリンがジャンの柔い部分に触れてしまったのだ。
「UTS」において、ジャンは威圧感があることにひどく後ろめたさを感じていた。それもこれも幼少期の友人に原因があった。ジャンが怒っていると勘違いした友人が、無茶をしてケガを負ってしまったのだ。その後、友人から復讐と言わんばかりにひどい裏切られたこともあり、自分のせいで誰かがケガをすることに対してひどく敏感になっていた。
元来、頭より体を動かすタイプであるにも関わらず、事件以降、自分が高圧的に見えないよう考えながら行動していた。エリンと初対面の際も、同じ視線になって声をかけたのもその一環である。古くからの友人であるレオやナターリヤ以外には背筋を伸ばして話かけることなど出来なかったのだ。
ところがどうして、いつの間にかエリンは彼の懐の中に入りこんでいた。
見下ろしても物怖じせず、タメ口ではないものの気軽に接してくる。ジャンにとってエリンとは、俗に言う「おもしれー女」ポジションに見事当てはまってしまったのだ。
エリンはかねてより「乙女ゲームは王族や貴族に対してフランクに接する平凡主人公(特殊能力アリ)だからこそ成り立つ」と言った持論を持っていたのだが、まさか特殊能力のない自分がそのテンプレートに当てはまっているなど気づけるはずもない。ジャンにとって「レオとナターリヤの恩人」であることが特殊能力以上に評価されていることも、本人は知る由もない。
故に、前述の信愛度イベントの発生前から、ジャンは彼女に学友以上の感情を持ち合わせていたのである。
(思えば、初めて出会った時から変なヤツだったな)
校舎の陰でレオとナターリヤを覗き見していたと思えば、「二人のイチャイチャを見ていた」だの「下心はない」だの意味の分からないことを言っていた。
「ははっ」
レオとナターリヤに気づかれ、振り返った顔面蒼白のエリンを思い出し、思わず笑いがこぼれた。
エリンはレオやクロウリーに対してもあまり緊張している様子はないのに、何故かナターリヤに対してだけは借りてきた猫のようにおとなしくなる。
百面相をしがちなところも、ジャンには可愛く見ていたのだろうか。コロコロと表情を変えるエリンが彼の脳内を占めていた。
(……でも)
愛おしいものを見つめるような瞳は、一瞬にして光を灯さなくなった。
まぶしい空から逃げるようにうつむくと、生気の無い双眸が地面を見下ろした。
自身が主を守れなかったクリスマスパーティーの際、エリンは体を張ってレオたちを助けた。詳細は人伝えにしか聞いていないが、保健室へと急ぐ教師陣が居たことは現場に居たジャンも知っている。
(アイツはあの時、ケガしたんだよな)
あの時バルコニーに出ていなければ。レオのそばを離れていなければ。
ジャンの中でふつふつと月食のような陰りが満ちていく。
大きな手のひらで顔を覆うと、浅い呼吸をくりかえした。
決してジャンの失態ではない。一因ではあるかもしれないが、エリンは「アメリアを止める」と言う大義を持ってあの場で戦ったのだ。誰かに強制されたことではないし、誰かを責めるわけでもない。
とはいえ、真面目な性格も相まって責任を背負いがちなところも、彼がヤンデレルートを開いてしまうゆえんなのだろう。
(今後は俺が助けてみせる)
指一本誰にも触れさせない。俺が守る。俺が……。
ほの暗い目をしたジャンの、妄執にも似た思いこみは更に激しくなっていく。
怯えているようにも見えるジャンは、顔を隠すようにもう片方の手も顔に添える。無意識に力んでいるせいか重なった手の甲には赤いミミズが這っていた。
(クロード様じゃなくて、俺が……)
俺が、何もかもから守って見せるのに。
そう思った時、彼の脳裏には窓のない部屋に幽閉されたエリンがよぎった。
「……!」
わけのわからない高揚感が背すじを駆けあがる。なんだこれは。
手で隠れて他人にはわからないが、頬が緩んでいく。得体の知れない気質の片鱗が心の隙に付け込もうと手ぐすねを引いていた。
泣きそうな顔で懇願するエリンを想像し、ジャンの鼓動が早まった。
(ああ、そうだ。閉じ込めてしまえば、どんなことからもアイツを守ってやれる……!)
無邪気なジャンの心を、邪悪な何かが覆いつくそうとしたその時。
「やっと見つけた!」と知った声によって意識が遮られた。
一呼吸あけて顔を上げると、燃えるような赤い髪を二つに結い上げた女生徒が立っていた。
「ぐ、グレン?」
光を一切通さなかった瞳に、青空が写りこんだ。
ジャンは澄み渡った色に、目をしかめた。
「ごきげんよう、ジャン様」
ジャンの顔を覗きこんだアメリアの赤い髪は、ほぼ正中にあがった日光によって透け、降りそそぐ光に暖かな色味を生み出していた。
赤と青のコントラストが、暗がりを見つめていたジャンにはやけにまぶしく感じた。
(なんで、今、アイツのこと……)
無駄に強張っていた体から力が抜けていく。自分は一体何を考えていたのだろうか。
先ほどの高揚感とは別の、不安や恐怖から来ているであろう心臓の高鳴りに焦燥する。
ジャンの葛藤を知る由もないアメリアは首をかしげる。
(もしかして、声をかけてしまったせいで起こしてしまったのかしら?)
視線をさ迷わせながら浅い息を繰り返すジャンを居眠りしていたと解釈したらしい。
だとしたら申し訳ないな、と思いつつ、アメリアは用件を伝えるべく口を開いた。
「ジャン様、面貸して下さらない?」
にっこりとジャンへ笑いかけると、ツインドリルが首の動きと共に大きく揺れる。
ジャンはまばたきを繰り返すだけでアメリアの言葉を処理しきれず動けなかった。
数秒後「は?」と低い声を上げて我に返ると、先ほどまで考えていたことなどすっかり忘れていた。




