愛でなく憎しみですらなく
これで完結です。読んでくださった方ありがとうございます。
水鏡の中を覘き込んでいる女がいる。
長い黒髪にぴったりとした光沢のある黒い衣装をまとった女だ。
水鏡の中に移るのは木下家という家の周辺だ。
かつて優花だった玉響媛は自らの居城にいた。
もともとは最初の玉響媛の親が用意して、優花がなり変った玉響媛がちゃっかり乗り込んだのだ。
居城といってもそれは次元の境目の間のようなものだ。
人が住むという形に作り替えたのは優花の意識だ。
ベッドと水鏡と椅子。それだけがあるがらんとした部屋で、水鏡を覘いていた玉響媛は、すれ違う二人の少女の姿をしばらく見つめていた。
パシャン。掌を水面にたたき込んで水鏡を消す。
この部屋にある家具は何となく優花であった頃の習慣で置いてある。
実際に眠る必要もなく、疲れたから座る必要もない。
そうした人間の生理機能はほとんど働いていない。何かを食べることは可能だが、食べなくても支障はない。
ベッドに腰掛けてみていたものを反芻する。
嬉しそうに出て行った母親と取り残された父親の姿は想定の範囲内だった。そして、高藤茉莉。
戸惑っているようだった。
でも多分いいことなんだろう。明らかに社会生活に不適合を起こしていた。その理由は疑わないこと。
子供の頃のお師匠様とやらの言葉を盲信というレベルで信じ込んでいた。でもそれを覆す実例を見てしまったためそれがぐらついたのだ。
これから自分で考えていかなきゃならない、無意識でそれを感じ取って戸惑っているのだろう。
少しだけだが、優花は高藤茉莉に感謝していた。だからいいことがあってよかったなと思う。
だが、だからこそ、玉響媛は彼女と二度と会うことはない。
そのほうがいいと思った。
優花を探していた、もしかしたら姉と呼んでいた人。彼女を姉と呼んでいたらこんなところにいなかったかもしれない。数回しか会ったことはなかったけれど、それなりに親しみと好意は持っていた。
人に戻ろうと思えば戻ることができた。力をすべて捨てて、人の形を保ち、そして記憶さえ改ざんできた。
ただそうすることに何の魅力も感じなかっただけだ。
そのくせ、今人ならざる生にも指して魅力を感じていない。
成り行き任せでこんなところまで来てしまった。
「玉響媛」
ベッドのわきで、散がいつの間にか来ていた。
「こちらに宣戦布告をしてきたものがいる」
「宣戦布告?」
散が言うには玉響媛のように急に出てきた強大な存在にはよくあることで、ほかの存在が戦いを挑む、殺し合いを望むことは珍しくない。
「我々は寿命があってないようなものだからな、殺し合いも暇つぶしだ」
「なるほど」
玉響媛は散の髪をつかんで引き寄せる。
顔を近づけて、ギリギリで触れ合わない唇。
まじかで見つめ合い互いに笑い合う。
今は傍らにいる。いつか互いに殺し合う時が、あるいは食らいあうときが来るかもしれない。
「殺し合うくらいしか、暇つぶしの方法はないのかね」
「そういう想像力の乏しいやつらが多いのさ」
「なるほど」
こんなもんにあれほどなりたかったのか。そう自らの中でかけらしか残っていない女に語りかける。
ベッドから立ち上がると、玉響媛は城ごと移動させる。
これは城兼船のようなものだ。
もう二度と見ることはないだろうかつての家。そして人間に、心の中でだけ別れを告げた。
ここで補足。優花こと玉響媛は魔物世界で戦ったり地盤固めに専念します。この時点で青金は生まれていません。
麻巳子は月無の影響で微妙に魔物化しています。魔物の子供を妊娠出産を経てかなり魔物化が進行しており、老化速度も停滞して、実年齢はアラフォーですが、肉体年齢は二十代半ばで止まっております。世の中には二十代に見える四十は稀にですが存在するので違和感は持たれておりません。玉響媛は水鏡を通してしか麻巳子を見ていないのでそのことに気づいていません。じかに会えば一発で気がついたはず。
 




