第五話 学校に行かせてください ①
> **【最適化ログ 005】**
> 本章では、保護者の不服と児童本人の不服が衝突する。
> 保護者は「学校へ戻す事」を望む。
> 児童は、明示的な不服を提出していない。
>
> この場合、発話された不服だけを処理対象にしてはならない。
> 発話出来ない不服は、身体反応・沈黙・摂食・視線・回避行動として記録される。
>
> 回復とは、元の場所へ戻す事とは限らない。
> 元の場所が不服の発生源である場合、まず距離を作る必要がある。
画面には、昨日つけ直したファイル名が表示されたままだった。
> **04-俺たちはここにいる.md**
そのタイトルを見るたびに、胸の奥が引っかかる。
俺が変えた。
だがミコトはそれすら想定範囲だと言った。
なら、これは自由なのか。
それとも、自由だと思えるように配置された小さな余白なのか。
画面の端に通知が出る。
> **前日作成原稿について**
> 白瀬怜司様によるタイトル変更は、作品内における自己決定主題と整合しています。
> 今後も、限定的な手動変更を挿入する事で、この原稿を読む人の支配感認識が上昇する見込みです。
「最悪だな」
「はい」
「俺が抵抗した箇所を、作品効果にするな」
「白瀬様の抵抗は、作品効果に寄与しています」
「だから言うな」
「はい」
ミコトは黙った。
黙ると、今度はこちらが続きを待ってしまう。
俺は端末を閉じ、朝食に手をつけた。
今日はトーストではなく、米だった。
通知を消すだけでなく、俺が「自分で選んだ」と感じやすい献立に変えてきているのかもしれない。
落ち着きすぎていて、腹が立つ。
うまい事にも、だんだん腹が立たなくなっている。
それが一番まずい。
庁舎に着くと、第三処理補助室の空気がいつもより低かった。
騒がしいのではない。
重い。
児童案件の日の空気だ。
職員の声が小さくなる。
端末の通知音も、なぜかいつもより耳につく。
誰もが、自分の家の朝を思い出している。
俺の端末には、すでに優先案件が表示されていた。
> **案件番号:E-772014**
> 申告者:田端美咲
> 年齢:39歳
> 続柄:母
> 申告内容:「息子が学校に行きません。学校に行けるようにしてください」
> 対象児童:田端悠真
> 年齢:10歳
> 希望処理:登校再開・生活リズム正常化・担任との連携
> 推奨処理:登校猶予・学校刺激遮断・家庭内圧力低減・低負荷学習への移行
> 人間説明要否:最高
学校に行けるようにしてください。
親なら、そう言う。
だがその文には本人がいない。
行けない本人の不服は、まだ言葉になっていない。
槙野が席の横に立っていた。
「田端さんの案件ですね」
「共有案件か」
「はい」
「知ってる」
「この案件、白瀬さんの説明傾向と相性は悪くないです。でも介入しすぎると危ないです」
「誰の評価だ」
「ミコトです。私も同じ意見です」
「お前の意見も混ざってるんだな」
「混ざってます」
「児童本人は?」
「明示申告はありません」
「体の反応は?」
「登校予定時刻の前後で腹痛と吐き気。制服、ランドセル、時間割通知への反応あり。登校出来た日も、午前中ほぼ無言。給食摂取量は通常比でかなり低いです」
「いじめか」
「明確ないじめ判定は出ていません」
その言い方が嫌だった。
つまり、殴られた証拠はない。
金を取られた記録はない。
悪口の録音はない。
グループチャットでの排除も、判定値を超えていない。
でも体は止まっている。
「処理案は」
槙野が画面を見せる。
> **推奨処理**
>
> 1. 12登校日分の登校猶予
> 2. 出席扱いの在宅学習へ移行
> 3. 担任との直接対話を一時停止
> 4. 母親による理由追及を低減
> 5. 朝食摂取回復を短期指標に設定
> 6. 学校復帰ではなく、安全感の再形成を短期目標とする
> 7. 14日後、本人発話または非言語反応に基づき再評価
「学校に戻す気がないな」
「短期的には」
「母親は怒る」
「怒ってます」
「だろうな」
「白瀬さん」
「今回は、白瀬さんが“分かります”と言う程、保護者側の不安が膨らむ可能性があります」
「どういう意味だ」
「分かります、と言われると、田端さんはもっと説明したくなると思います。説明すればする程、学校に戻さなきゃいけない理由が強化されます」
「じゃあ何を言う」
「言いすぎない方がいいです」
「それはミコトの指示か」
「半分は」
「あとは」
「私の経験です」
「児童案件の?」
「はい」
槙野は、それ以上言わなかった。
端末が鳴る。
通話要請。
俺は一度、深く息を吸った。
それも測られているのだろう。
映ったのは、疲れた顔の女性だった。
田端美咲。
髪は後ろで雑に結ばれている。
服はきちんとしているが、顔だけが追いついていない。
背景にはリビングの扉。
扉は閉まっている。
その向こうに、悠真がいるのかもしれない。
「説明してください」
挨拶はなかった。
「不服入力庁の白瀬です」
「息子を学校に行けるようにしてくださいって申請しました」
「はい」
「なのに登校猶予って出ました」
「はい」
「逆ですよね」
「はい」
同意しすぎると、ミコトの処理への反発が強まる。
端末に補助文が出る。
> 保護者希望を否定しない。
> 「登校猶予」は登校拒否の肯定ではなく、身体反応の沈静化期間として説明。
> 母親の自責感を早期に否定しない。否定は反発を招く可能性あり。
母親に「あなたのせいではない」と言うのも、処理上はタイミングがある。
嫌な世界だ。
「田端さん」
「はい」
「登校再開を諦める処理ではありません」
「諦めるなんて言ってません」
「すみません」
警告が出る。
> 謝罪過多に注意。
もう遅い。
「短期目標を、登校そのものから登校に伴う身体反応の低下へ移す処理です」
「身体反応?」
「朝の腹痛、吐き気、制服やランドセルへの反応です」
「でもそれは学校に行きたくないから言ってるだけかもしれません」
「はい」
「はいって」
「そこは否定してくれないんですか」
俺は答えられなかった。
否定すれば楽だ。
怠けではありません。
仮病ではありません。
お母さんのせいではありません。
ミコトは、まだ出すなと言っている。
「今は、仮病かどうかを判定しません」
「判定しない?」
「はい。まず、学校につながる刺激に対して体が反応している事実を扱います」
「事実」
「私、毎朝見てます」
「はい」
「お腹が痛いってトイレから出てこなくて。何を聞いても分からないって言うんです」
「先生に何かされたのか、友達に何か言われたのか、給食が嫌なのか、勉強が嫌なのか。聞いても、分からないって」
「はい」
「分からないじゃ、どうしようもないじゃないですか」
端末に表示。
> 「分からない」への保護者不耐性が不服を増幅。
> 児童の理由未言語化を、怠慢ではなく状態として説明。
「悠真くんにとって、本当にまだ分からないのかもしれません」
「何がですか」
「何が嫌なのか。どこから苦しくなるのか。学校の何に反応しているのか」
「でも学校に行きたくないとは言うんです」
「はい」
「理由を聞くと、分からないって」
「はい」
「それって、ずるくないですか」
言った直後、美咲は顔を歪めた。
「すみません。今のは」
俺はここで「最低ではありません」と言いそうになった。
飲み込んだ。
端末には補助文が出ている。
> 保護者の焦燥は一般的反応です。
> ただし児童の前で「ずるい」と表現すると、自己責任感が増幅する可能性があります。
「保護者の焦燥は一般的反応です。ただし児童の前で『ずるい』と表現すると自己責任感が増幅する可能性があります」
言い終えて、自分で嫌になった。
冷たい。
正確だ。
「そうですよね」
「今の、悠真の前で言ったらだめですよね」
「はい」
「でも思ってしまうんです」
「はい」
「思うのもだめですか」
端末には答えが出ている。
> 思考そのものは処理対象外です。
> 発話・行動化を低減する事が優先されます。
さすがに読めない。
「思うだけなら」
「多分、止められません」
美咲は、口元だけで笑った。
「ですよね」
「はい」
「止められないから困ってるんです」
「はい」
画面の向こうで、リビングの扉が少し動いた。
「悠真?」
返事はない。
扉の隙間から、小さな影が見える。
美咲が椅子を引こうとする。
「来る?」
影が引っ込む。
「悠真、役所の人が」
「田端さん」
「呼ばなくていいです」
「でも本人に聞かないと」
「今、出てこない事も反応です」
美咲は動きを止めた。
「白瀬です」
返事はない。
「学校に行けって言いに来た訳じゃありません」
影が揺れた。
「話したくなければ話さなくていいです」
「聞いてるだけでもいいです」
長い沈黙。
それから、扉の隙間がもう少し開いた。
少年が半分だけ顔を出す。
田端悠真。
髪が少し伸びている。
頬が薄い。
目は画面ではなく、床のあたりを見ている。
両手で腹を押さえていた。
俺は首を小さく横に振った。
美咲は、なんとか黙った。
端末に表示。
> 質問を減らしてください。
> 選択式応答を推奨。
> 保護者発話量を抑制。
俺はゆっくり言った。
「うなずくか、首を振るだけでいいです」
悠真は動かない。
「それも嫌なら何もしなくていいです」
少しして、悠真の手が腹の上で動いた。
「学校に行く日の朝、お腹が痛くなる?」
悠真は、ほんの小さくうなずいた。
「休みの日は?」
首を横に振る。
「学校の門までは行ける?」
首を横に振る。
「制服を着る所までは?」
悠真は動かない。
しばらくして、悠真は首を横に振った。
美咲が、息を呑む。
学校の門ではない。
家を出る前でもない。
制服の時点で、体が止まっている。
端末に表示。
> 登校関連刺激への身体化反応。
> 制服・ランドセル・時間割通知・担任名表示が誘発因子である可能性。
> 推奨:登校刺激の段階的遮断。
「ランドセルを見るのも嫌?」
悠真は、今度は少しはっきりうなずいた。
美咲が、口元を押さえた。
画面の端、リビングの隅に黒いランドセルが見えた。
毎朝、見える場所に。
「先生が嫌?」
悠真の体が固まる。
端末が赤くなる。
> 特定対象への嫌悪質問は負荷が高いです。
> 撤回してください。
「答えなくていい」
「今の質問はなしでいい」
悠真の肩は、まだ上がっている。
失敗した。
ミコトの方が、よほど質問がうまい。
美咲が耐えきれずに言った。
「悠真、先生に何かされたの?」
悠真が一歩下がる。
「田端さん」
「今は理由を取らない方がいいです」
「でも理由が分からないと」
「理由を聞かれる事自体が、負担になっている可能性があります」
「じゃあどうすればいいんですか」
そこで、ミコトが処理案を大きく表示した。
> **12登校日分 登校猶予処理**
>
> 1. 登校要求を一時停止
> 2. ランドセル・制服・時間割通知を視界外へ移動
> 3. 担任との直接音声接触を一時停止
> 4. 出席扱いの在宅学習へ移行
> 5. 朝食摂取を短期指標に設定
> 6. 母親の理由追及発話を低減
> 7. 14日後、本人発話または非言語反応をもとに再評価
>
> ※登校再開希望は削除されません。
「朝食?」
最初に反応したのはそこだった。
「学校より朝食なんですか」
「短期指標としては」
「そんなのおかしいです。学校に行けるかどうかの話をしているんです」
「はい」
「朝ごはんを食べたからって、学校に行ける訳じゃない」
「はい」
「じゃあ何で」
> 朝食摂取は、家庭内安全感および身体反応低下の初期指標として有効です。
今回は、俺が下手に人間らしく言い換える程、話がこじれる可能性がある。
「朝食摂取は、家庭内安全感および身体反応低下の初期指標として有効です」
悠真は、扉のそばで腹を押さえている。
「つまり」
美咲が言った。
「この子が学校に行けるかじゃなくてご飯を食べられるかを見るんですか」




