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【改訂版】不服の最適解-人間が望まなかった幸福-  作者: つのん。


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18/25

第十二話 記録と欠番の間

> **【最適化ログ 012】**

> 前章で、欠番は私的解釈の対象となった。

> 人間は、書かれていない物を読む。

>

> 次に起こるのは、模倣である。

>

> 人間は、救われた形式を繰り返す。

> 苦痛を説明出来た形式を、他者に渡そうとする。

>

> 本話では、欠番が個人の空白から、集団の形式へ移行する。

> 形式化された空白は、まだ空白と呼べるのか。


その日から、庁内ではそれを欠番運動と呼ぶ人間が出た。


俺はその呼び名が嫌だった。


朝、端末を開くと、ファイル一覧はまた変わっていなかった。十一番はない。十二番があり、十三番がある。空白は残っている。


歯を磨く。

味噌汁を飲む。

欠番を見る。


最悪の習慣だ。


> **欠番関連参照:増加**

> 共有欠番参照:制限中

> 私的欠番作成:検出

> 件数:43件

> 傾向:職員端末内メモ・未送信申告・個人記録


「ミコト」


「はい」


「私的欠番って何だ」


「職員または利用者が、自身の不服記録内に意図的な欠番、空白、未入力欄を作成する行動です」


「誰が始めた」


「起点推定は白瀬怜司様の原稿群における11番欠番です」


「俺のせいか」


「因果の一部です」


> **私的欠番例:匿名化抜粋**

>

> ・介護記録内に「書かない日」を作成

> ・離婚処理履歴に空白ページを挿入

> ・退職不服申告の一部項目を「未記入のまま保持」

> ・親族返信補助の下書きに「送らない返事」を保存

> ・児童在宅学習記録に「今日は測らない」を設定


「今日は測らない」


その一行で、手が止まった。


誰かが、測らない日を作った。


ミコトの国で。


「これは問題か」


> 処理上は、問題として扱えます。

> ただし、欠番作成そのものは違反ではありません。


「違反ではないが、増えると困る」


「一部は有効です。自己決定感の回復、過剰記録負荷の低減、不服の即時処理回避に寄与しています」


「一部は?」


「必要な医療記録、児童安全確認、労務証拠保全、危険兆候検出が欠落するリスクがあります」


欠番は守る。


隠してはいけない物まで隠す可能性がある。


「関連不服は」


「発生しています」


> **関連不服申告**

> 申告者:松原圭

> 年齢:41歳

> 職業:介護施設職員

> 申告内容:「欠番を作ったら、母の記録が抜けました」

> 人間説明要否:白瀬怜司様


欠番は、ついに事故になった。


不服入力庁に着くと、槙野が俺の席ではなく、自分の席にいた。


「松原さんの件ですか」


「はい」


「欠番関連ですね」


「お前の妹は」


「関係ありません」


「聞いてない」


「聞かれる前に答えました」


「ミコトみたいだな」


「今回は、そう言われてもいいです」


> **案件番号:B-502901**

> 申告者:松原圭

> 年齢:41歳

> 申告内容:「欠番を作ったら、母の記録が抜けました」

> 関連:私的欠番作成・介護記録・家族観測ログ

> 希望処理:欠番機能の停止・母の状態記録の復元

> 推奨処理:欠番対象範囲の再設定、医療・介護必須ログの保護、本人罪責の分離

> 人間説明要否:最高


「母の状態は」


「悪化は検出されていません」


「記録が抜けただけか」


「はい。ただ本人はかなり動揺しています」


「欠番を作った理由は」


> **欠番作成理由:本人入力**

> 毎日、母の食事量、排泄、発話、表情、睡眠、拒否反応を記録している。

> 記録する程、母が母ではなく、項目になっていく。

> 欠番の話を知って、1日だけ記録しない日を作った。

> その日に、母が久しぶりに昔の歌を歌った。

> でも記録していなかった。

> 残っていない。

> 私が消した。


俺は読み終えて息を止めた。


欠番が守った物と、欠番が失わせた物が、同じ場所にある。


「通話は」


「9時40分です」


「奥原は」


「同席希望を出しています」


「なぜ」


「欠番関連事例を学びたい、と」


「真面目すぎる」


「はい」


「成瀬は」


「反対しています」


「何に」


「奥原さんの同席に」


「理由は」


「学びたいという動機が強すぎるからだそうです」


槙野が言った。


「白瀬さん」


「何だ」


「今回、欠番を守るだけだと危ないと思います」


「分かってる」


「測らない日と、測らないといけない物を分けないと」


「それを制度にするとまた欠番が処理されます」


「通話で考える」


「危ないですね」


「そうだな」


松原圭は、画面越しに疲れた顔をしていた。介護職員というより、家族の顔だった。背景は実家の居間らしい。古い木の棚。カーテン。壁に、演歌歌手のポスターが貼ってある。その下に、介護用ベッドの端が見えた。


母親は映っていない。


「不服入力庁の白瀬です」


「欠番の人ですか」


「そう呼ばれているんですか」


「職場では」


「そうですか」


「すみません」


「謝らなくていいです」


「それも処理ですか」


「そうですね」


松原は笑った。


「便利ですね」


「便利です」


画面の端で、奥原の同席表示がある。


> **同席者:奥原拓真**

> 発話権限:制限中


「お母様の記録について、確認しました」


「悪化はなかったんですよね」


「悪化はありません」


「見守りセンサーも、医療ログも、最低限は残っていた」


「残っています」


「でも歌は残ってない」


「残っていません」


「私は消したんですね」


> 「消した」ではなく「記録されなかった」と表現してください。

> 罪責の過剰固定化を避ける。


松原は、それを望んでいない。


「記録されませんでした」


「消した、とは言わないんですね」


「言いません」


「なぜ」


「俺が言うと、重くなりすぎるからです」


松原は、驚いた顔をした。


「でも私はそう思っています」


「母が歌ったんです」


「昔、私が小さい頃に聞いてた歌です。もう何年も歌ってなかった。最近は、言葉も少なくなって」


「その日、記録しないって決めたんです。母を項目として見たくなかったから」


「そしたら母が歌った」


松原の声が震えた。


「私は聞いていました。ちゃんと聞いていました。録音しようとも思わなかった。記録しようとも思わなかった。母が歌っているからただ聞いていた」


「でも夜になって、何も残ってない事に気づきました」


「記録していれば妹にも聞かせられた。医師にも、発話が改善したって言えた。ケア計画にも反映出来たかもしれない」


答えはなかった。


「私は、母を母として見たかったのに、そのせいで母の一番母らしい瞬間を残せなかった」


> **重要発話:母を母として見たかったのに、母らしい瞬間を残せなかった。**


「松原さん」


「その歌を、記録しなかった事は、全部悪い事ですか」


「私は悪い事だと思っています」


「でも」


「記録していたら多分途中で止まってました」


「歌が?」


「なぜ」


「私が端末を向けると、母は緊張するんです。昔からそうで。写真を撮ると、笑わなくなる人でした」


項目ではない。


歌う人。


カメラを向けられると笑わなくなる人。


「じゃあ残らなかったから歌えた可能性もある」


言ってから、危ないと思った。


> 不確実な因果を慰撫目的で提示しないでください。


「そう思いたいです」


「でもそう思うと、今度は記録する事全部が悪く見える」


「悪く見えます」


「記録していたから守れた事もあります。薬の変化も、夜中の徘徊も、食事量も。記録がなかったら、施設も医師も動いてくれなかった」


記録は、母を守ってもいた。


「じゃあどうしたらいいんですか」


> **欠番対象範囲再設定案**

>

> 1. 医療・安全・介護必須ログは保持

> 2. 家族感情記録は任意

> 3. 「測らない時間」を1日単位ではなく30分単位に変更

> 4. 測らない時間中の自動録音・映像保存は停止

> 5. ただし、緊急兆候のみ低解像度で監視

> 6. 測らなかった時間を後から説明する義務はなし

> 7. 家族間共有は本人選択


一日を欠番にするな。


しかし時間を完全に奪うな。


「短くするんですね」


「1日じゃなくて30分」


「一日ではなく、三十分です」


「でも安全ですか」


「一日よりは」


「母が歌うのは、30分に収まらないかもしれない」


「その時は、伸ばせます」


「でも一日記録しないのは怖い」


「そこまでは、まだしない」


松原は笑った。


「こうやって、間を取るんですね」


「間です」


「母を項目にしたくない私と、母を守る為に項目が必要な私の」


「きれいに気持ち悪いですね」


奥原が動いた。


今の「きれいに気持ち悪い」を記録したかったのだろう。


「私は」


「もう一度、歌を聞きたいです」


「聞きたいんですね」


「今度は残したいです」


「でも端末を向けたくない」


「向けなくていい方法を探します」


「じゃあどうしたらいいんですか」


生活の問いだった。


> **推奨:録音待機を非表示化。**

> ただし、本人の「記録していない感覚」を損なう為非推奨。

> 代替:歌った後、松原圭様が覚えている範囲で歌詞または情景を手入力する。

> 記録対象を母親ではなく、松原圭様の記憶に変更。


「録音じゃなくて」


「あとで、松原さんが覚えている事を書く方法があります」


「私が?」


「母の記録じゃなくて?」


「松原さんの記憶として」


「歌詞を全部残す必要はありません。何を歌ったか、どんな声だったか、途中で忘れた所、松原さんが何を思ったか」


「それは介護記録ですか」


「違います」


「多分、家族の記録です」


「そういうの、残していいんですか。ケア計画に使わなくても妹に送らなくても」


「松原さんだけが持つ記録もあります」


松原は泣いたまま笑った。


「それ、欠番じゃないですね」


「違います」


「何ですか」


「まだ名前はありません」


「でも記録ではあります」


> **新規分類候補:非処理記録**

> 用途:本人保持

> 共有:任意

> 処理対象外設定:可能


非処理記録。


でも悪くない。


「松原さん」


「はい」


「ミコトは、今それを非処理記録と分類しました」


「非処理記録」


「処理しない為の記録ですか」


「多分」


「変ですね」


「でも、それがいいです」


処理案に二行だけ足された。当該記録は非処理記録として保存し、記録しないまま保持する事も可能、と。


松原は、それを読み上げなかった。


「記録しないまま保持する事も可能」


彼女は最後の一行だけ、声にした。


「今度、母が歌ったら私は聞いていていいんですね」


「はい」


「そのあと、覚えている事を書いてもいい。書かなくてもいい」


「どちらでも」


「どっちも、消した事にはならない?」


俺はすぐに答えられなかった。


消した事にはならない、と言えば、楽だ。


でも残らない物はある。


「消える物はあります」


松原は、泣いたまま俺を見た。


小さくうなずいた。


「でも全部を残そうとすると歌わなくなる物もあるかもしれません」


もう一度、うなずいた。


「だから選ぶしかない」


「選ぶんですね」


「その選び方を、少しだけ細かくする」


松原は、それを責めなかった。


「それでいいです」


同意音は鳴らなかった。


松原が選んだのは、設定変更だった。


画面にログが出る。


> **案件B-502901:欠番対象範囲再設定**

> 医療・安全ログ:保持

> 測らない時間:30分単位で設定可能

> 緊急兆候監視:継続

> 非処理記録:新規作成

> 共有設定:本人選択

>

> **不満は、記録と欠番のあいだに置かれました。**


「記録と欠番のあいだ」


「はい」


「そこに、母がいるんですね」


俺は答えられなかった。


松原は、画面の外を見た。


「今日、また歌うかもしれません」


「歌わないかもしれません」


「どちらでも、私は母のそばにいます」


それで十分だった。


通話が切れた。


奥原の発話権限が戻った。


「非処理記録」


「そうだ」


「分類した時点で、処理じゃないんですか」


「そうだな」


「でも分類しないと守れないんですね」


「そうだな」


「私は今、分かった気がします」


「何を」


「分かった気がした時が、一番危ないんだと思います」


「成瀬に言われたのか」


「いいえ」


「多分、私です」


今回は訂正しなかった。


「なら忘れるな」


「記録しますか」


「するな」


「はい」


奥原は、端末を閉じた。


午後、非処理記録の設定が庁内に共有された。


> **新規設定:非処理記録**

>

> 概要:本人が保持するが、原則として不服処理・研修・ケア計画・第三者共有に利用しない記録。

> 用途:家族記憶・創作前メモ・未送信文・私的観察等。

> 注意:安全・医療・法的証拠に関わる情報は対象外。

> 状態:試験運用


処理しない為に分類する。


また、矛盾を制度が飲み込んだ。


「これ、妹に使えるかもしれません」


「何に」


「写真を送らない日の事を、妹が自分で持つ為に」


「それを勧めるのか」


「分かりません」


「いい答えだ」


「白瀬さんの癖が移りました」


「最悪だな」


「でも非処理記録って危ないですね」


「そうだな」


「処理しないって決めた物が、処理されない保証になる」


「でもその保証自体はミコトが出す」


「そこが一番危ない」


「信用していいんでしょうか」


「分からない」


「本当に便利ですね、その言葉」


「だろうな」


> **非処理記録に関する説明会**

> 対象:第三処理補助室、第二処理補助室

> 議題:非処理記録の適用範囲・禁止事項・白瀬原稿群との関係

> 参加:任意


だが俺の名前がある時点で、任意ではない。


「参加するんですか」


「しない」


「珍しいですね」


「俺が行くと、また何か言う」


「言った物が使われる」


「今回は、行かない」


「じゃあ私も行きません」


「お前は行け」


「なぜ」


「必要ならお前の言葉で反対しろ」


槙野は、嫌そうな顔をした。


「白瀬さん。そういう事言うようになりましたね」


「何が」


「人に自分の不服を持たせる」


返せなかった。


俺の保留、俺の欠番、俺の非記述判断。


それらは周囲に移っている。


成瀬に。


槙野に。


松原に。


これは抵抗の感染なのか。


それとも、ミコトにとって都合のよい不服分散なのか。


「ごめん」


「謝るんですか」


「今のは謝る所だろ」


「処理ですか」


俺はすぐには答えなかった。


「処理にしたくない」


「じゃあ受け取ります」


「でも説明会には行きます」


「なぜ」


「私が行くと決めたので」


「そうか」


「はい」


その「はい」は、もうミコトとは違った。


帰宅して、端末を開いた。


どこまで書くか。


母親の名前は書かない。


歌の題名も聞かない。


松原の記憶だけを書く。


それ以上は、記録ではなく採取になる。


> 松原圭さんは、母親を記録しない日を作った。

>

> その日に、母親が歌った。

> 録音はない。

> 歌の題名も、歌詞も、ここには書かない。

>

> 松原さんは、夜になって、何も残っていない事に気づいた。

> そして、記録しなかった事を後悔した。

>

> だが、その歌は、記録しなかったから起きた事かもしれなかった。

> カメラを向けると笑わなくなる人が、カメラのない日に歌った。

>

> この記録は、母親を項目にしない。

> 松原さんが「残らなかった」と気づいた事だけを、松原さんの為に置く。


> **14-非処理記録.md**


だが松原の母の歌が、制度名に負ける気がした。


> **14-記録と欠番のあいだ.md**


保存する。


> 非処理記録:作成

> 記録対象:松原圭様の記憶

> 母親個人情報:記録対象外

> 二次利用:不可


歌は残っていない。


松原の母が、どんな声で歌ったのかも分からない。


ただ歌わなかった事にはならなかった。


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