二十七 巣立ち(4)
北武へ向かうには大きく流れる河を通らなければならない。流れは穏やかだが幅が広いので、ゆっくり移動していると服が水を吸ってまともに動けなくなる。しかも見晴らしがよく見渡す限り橋の一架も見つからない。
宁麗文が周りに舟を探してまわって肖子涵も続いて探しながら着いていく。程なくしてやっと一艘の舟も人も見つけた。話を聞くところどうやらこの辺りで魚を釣っている行人らしい。
「北武に行きたい? 今から乗っても門の前に着くのは夕暮れ頃になっちまうぞ」
行人の言葉に宁麗文は首を横に振った。
「私たちは野宿に慣れています。それに北武には知り合いがいるので、早く会いたいんです」
多少の嘘を混じえて行人に説得をする。実のところ、北武汪氏には汪仔空という次期宗主がいて、宁麗文も何度も彼を見たことがある。とは言うものの、会話はしたことがないので、彼がどんな性格をしているのかまでは分からない。行人は「それなら、まあ」と説得に乗って二人を舟に乗せて河を渡った。
「そういや、あんたらどこのもんだ? 旅人にしちゃあ身なりが綺麗すぎる。もしかして道長様か?」
宁麗文と肖子涵は互いに見合わせてから前を向いて、肖子涵が「そうです」と答える。それに彼は驚いて瞬きをした。
「っちゅうことはあの断袖の二人組か!? おらぁなんて奴らを乗せちまって……」
「違います! 私と肖寧は友人です!!」
宁麗文はすぐさま反論し、行人は気圧されて情けない声を出した。
「さっきも断袖だって言われたし、もうなんなんだよ。私たちは絶対そうじゃないからな!?」
「は、はあ」
「だからなんでそんな顔するんだよ!? 私が間違ってるのか!?」
宁麗文は声を裏返して顔を青ざめながら頭を抱えて、呆れている肖子涵と困っている行人をそれぞれ見る。二人のなんとも言えない表情に彼は更に焦りだした。
「肖寧、君もなんとか言えよ!? なんで言わないんだ!?」
「そんなこと言えば言うほどあんたが断袖だって思われるぜ……」
行人も次第に呆れ始めながら舟を漕ぐ。宁麗文は抱えたままの頭を手でもみくちゃにまわしながら「なんでだあああ!?」と広い河の中心で叫んだ。
夕暮れにやや差し掛かった頃に宁麗文と肖子涵を乗せた舟は北武へ向かう道の端に着いた。二人は行人に拱手して別れて、彼はまた元の道へと帰っていった。もみくちゃにまわしまくってボサボサになった宁麗文は髪飾りを外してそれを手に持ったまま歩き始める。内心落胆した心持ちで泣きかけながら歩を進める彼に肖子涵はどう声を掛ければいいか分からず、とりあえずと彼の髪をゆっくりと丁寧に整えていく。
「なあ、肖寧……」
「なんだ」
「私たち、友人だよな……?」
立ち止まって泣きかけの顔で肖子涵を見上げる宁麗文は眉を顰めていて泣くのを我慢するように下唇を噛んでいる。肖子涵はその表情を見てぐっと堪えながらも瞼を閉じて何も言わなかった。宁麗文はそれにまた頭をゴンッと殴られるような衝撃を受けて、その場で蹲って小さく泣き出した。肖子涵は更に困ってしまって彼の前で片膝をついて彼の肩に触れる。
「友人だ。だから立ってくれ」
「だったらすぐに言えよお。私だけかと思っただろ……バカやろう……」
膝に顔を埋めながらぐすぐす泣きじゃくる宁麗文は髪飾りを持っていない手で拳を作って肖子涵の肩を突く。力のないその拳は何度も彼を殴っていて、肖子涵は瞬いたまま黙ってしまった。宁麗文はそのうち殴るのをやめて顔を上げて鼻水をすする。肖子涵は困った顔のまま「すまない」と呟いて彼を立たせた。
宁麗文が手の甲で目元を擦って涙の跡を消すところを見て、いたたまれなくなった肖子涵は彼の手を掴んで下ろして代わりに自分の指で優しく拭う。宁麗文は唖然としながら、「さっきもやってもらったな」と思い返しては恥ずかしくなって顔を赤くしてしまう。
「ひっ……一人でもできるから……」
鼻をすすりながら言う彼に肖子涵は瞼を伏せたまま何も言わない。すりすりと頬を親指で撫でてから手を下ろした。
「君、お節介が過ぎるよな。四年前に私が言ったこと、覚えてないのか?」
「覚えている」
「ならなんで触るんだよ?」
ずびずびと鼻声になりながら問う宁麗文に肖子涵は少し言葉に迷ってから口を開いた。
「俺がやりたいから」
意外な言葉に宁麗文は瞬きをして、戸惑いよりおかしさが込み上げてきて笑ってしまった。肖子涵はその表情に瞬くばかりで何も言えなかった。宁麗文は今度は笑いすぎてできた涙を指で拭ってから「そっか」と呟く。
「じゃあ、私が泣きまくって暴れても、君はそんな私も慰めてくれるんだな?」
「ああ」
「私が怒った時も?」
「する」
「……私が、誰かを殺した時も?」
その言葉に肖子涵は小さく息を吸った。宁麗文はやらかしたと両手を胸の前で横に振りながら「冗談、冗談だよ」と慌てる。
「そんなことしないよ。誰かを殺すなんてことしたくないし、しないから。安心してくれ」
「……ああ」
気難しそうな顔をする彼に苦笑いを浮かべながら先を急かす。また歩き出して野宿の場所を探しながら、宁麗文は髪飾りを袖口に入れて懐から扇子を取り出して扇ぐ。歩いて体力も消耗してきて、おまけに体温が上がって汗が出ている。宁麗文は自然からの風を受けながらもまだ物足りないと感じて扇子でずっと扇いでいた。肖子涵を横目で見ると、彼は平然としたまま汗をかかずに前を向いていた。
「肖寧」
「なんだ」
肖子涵は宁麗文に顔を向ける。宁麗文は扇子を彼に向けて風を送った。肖子涵は驚いて立ち止まって風を受ける。小さく口を開けてぽかんと呆然としている彼に宁麗文は口元を上げた。
「涼しい?」
「ああ」
「君、そんな分厚い外衣なんて着てたらいつか熱で倒れちゃうだろ。だから今のうちに涼しくさせたくなっちゃって。余計なお世話だった?」
肖子涵は目を細めて首を横に振る。瞼を伏せてまた宁麗文の手から生まれる風を顔で受けていた。
その時、微かな風の音の中から銀の音が聴こえる。肖子涵は彼の腰を掴んで自分に寄らせ、左手で廓偲を引き抜いてその音を防いだ。ギインッと奏でる二つの金属の音の向こうを確かめる。そこには一人の男が立っていた。宁麗文は彼の顔を見て驚き、男も二人の顔を見て驚いた。
「なっ、し、肖子涵!? それに、宁麗文も……」
彼の声を聞いて二人は更に驚いた。
「汪……汪仔空!?」
宁麗文は驚愕したまま続けて口に出す。目の前にいる彼は北武汪氏の次期宗主である汪仔空だ。しかし、彼は二人より、次期宗主の誰よりも違うものを持っていた。
「君っ──女の人だったのか!?」




