二十四 嘘吐き(2)
その後は結局二人で横に並んで寝て朝を迎えた。その間も玥の声は響くので、肖子涵はいつもよりも少し分厚めの守霊術を掛けた。別れる時も互いに疲れた顔をして別れ、宁麗文はふらふらと自室に戻って飴を噛んだ。少し寝てから遊郭を出て食事を済ませて翠蘭、妃紗麻、叶青の三人と会話をする。この日の宁麗文はとても疲れた様子でいた。
また一週間が過ぎ、その日は妃紗麻が客からもらった菓子を振舞って玥を除く四人で食べていた。
「それにしても、子麗がうちにきて半月は経ったよね。でも、あなたってずっと同じお客さんばっかりじゃない?」
妃紗麻からの問いに宁麗文はギクッと肩を揺らす。確かに彼の客は肖子涵だけだ。しかし、増やされてしまうと宁麗文は男だと気付かれてしまうし、もしそうとなったら遊郭内で騒ぎが起こるだろう。それは桜綾も懸念しているだろうし、わざわざ事情を話して合わせてくれているのだ。
「……私はあまり人と仲よくできなくて。最初の客でいてくれてる彼としかいたくないの」
顔を俯かせて麻花を食べながら言い訳を述べていると、三人から降り注ぐ視線に気付く。顔を上げれば三人は目を輝かせて彼を見ていた。宁麗文は彼女たちの顔に瞬きをするばかりで戸惑いを隠せない。
「それって、もう運命の人みたいなものじゃない?」
最初に声を上げたのは翠蘭だった。それに応えるように叶青も何度も頷く。
「だって、一番最初のお客さんだけだもんね。子麗って他のお客さんのことは断ってるの?」
「え?」
「絶対断ってるよ! じゃないと説明がつかないもの。一目惚れしちゃったから断ってるの? それともただ単にお客さんの顔と名前を覚えられないから断ってるの?」
妃紗麻は宁麗文にずいっと近付いて興奮気味に問い掛ける。宁麗文は心の中で両手で頭を抱えながら「やらかした!」と後悔する。口元を引き攣らせながら愛想笑いを浮かべるしかなくて何も言えなかった。しかし三人は彼の言葉を待っている。それにとうとう折れて観念して口を開く。
「……そうだよ。一目惚れで……私の好みなの。だから他の人と夜を過ごしたくない。ずっと、永遠にあの人と共にいたいの」
肖子涵をだしにしてつらつらと嘘を述べていて、宁麗文は彼に申し訳ないと思った。これを本人に聞かれたら気持ちが悪いだの軽蔑するだのと言われてしまうだろう。最初の友人にそんな感情を持たれてしまっては宁麗文の心は本当に折れてしまう。
三人は彼の適当な嘘にまた盛り上がり、菓子を多くよこす。宁麗文はなんとも微妙な気持ちで菓子を受け取って食べるしかなかった。
これまで二週間半もこの遊郭に潜入してきていた。大した情報は極わずかでも、二人は必死に推理を組み立てていく。しかしそれでも最終的な判断を下せずにいて、迷宮入りと化しつつあった。
ある日、宁麗文が一人で茶楼で食事をしていた時だった。「遊郭の美人」から続く話が聞こえ、その話に宁麗文は息を潜めるように耳をそばたてる。どうやら昔の事情を知っている男たちが酒のつまみに思い出話を語っているようだ。
「十年前にいたろ。門のすぐ近くの遊郭に。あ、今はもうないんだっけ?」
「ああ、いたなぁ。遊郭もあったけど、そこってもうないしそいつも死んだだろ。それがどうしたんだ?」
「いや……実は最近、その美女に似てる女を見かけたんだよ」
(十年前に死んで……見かけた!?)
宁麗文は声を出さずに目を丸くする。
とうの昔に死んだはずの女がいるということは、行方不明者ではないことになる。しかし、最初の被害は五、六年前だ。十年前となると今まで集めた情報が全て覆されることになる。宁麗文は動かしていた箸を止めて茶を飲みながら横目で話を続けて聞く。
「見かけた? どこでだ?」
「最近入ってきたデカい妓女がいる遊郭だよ」
「ブッ!」
思わず茶を噴き出してむせてしまう。「最近入ってきたデカい妓女」というのはおそらく宁麗文のことだろう。他の遊郭にそんな話など全く出てこないので、つまるところ彼しかいない。手の甲で拭いてから聞かれていなかったのかを見ると、男たちは幸い彼に気付いていなかったようだ。胸を撫で下ろして今度は茶を一気飲みした。
「そこにいるのか? お前、中に入ってみたのかよ」
「いや、入ってないさ。外から見たらいたんだよ。俺も嘘だろって思ったんだが、何度見ても同じでさ。幽霊なんじゃないかって思ってるんだ」
話を聞きながら情報を組み立てて整理し直す。遊郭の美人、十年前、死亡……。そこで一つ引っかかり、そして宁麗文という『デカい妓女』のいる遊郭、で意識をはっきりさせた。
(今思ったけど、うちの遊郭にいる美人って。玥さんのことじゃないか!?)
宁麗文は慌てて外に出てどこか日に当たらず人に見つからない場所を探す。そして見つけた場所で数日前に雨が降ってそのまま乾いていなかった泥に指を突っ込んで陣を描く。その上に近くに何かないかを探して小さな石を見つけてその上に乗せる。すぐに瞼を閉じてそれに手をつけた。
「肖寧。今すぐ遊郭の入口の向かい側にある茶楼に来てくれ。分かったことがある」
瞼を開けて手を離すと、陣の中にあった小石はすぐに砕け散った。宁麗文は手を叩いて泥を落として陰から出る。そして遊郭の入口の前にある茶楼に向かって肖子涵を待った。一炷香もしないほどに彼が現れて宁麗文を見つける。
「宁巴。何か見つけたのか」
宁麗文は頷いてまた別の場所へ向かって入った。中に入って奥の卓に座って適当に茶を頼む。周りに聞かれないように小さく口を開いた。
「まず、五、六年前に最初の被害が出たって言ってたよな?」
「ああ」
「あれ、誤情報だった。十年前に起こったんだ」
肖子涵は目を見開いた。宁麗文は唾を飲んで頷く。
「十年前に最初の被害が起きて、そこにいた綺麗な妓女が亡くなった。でも、最近になってその妓女がまた現れたって」
「どこに?」
「うちの遊郭に」
肖子涵は絶句して眉を顰めながら「そうか」とだけ呟く。彼も信じられなかったようだ。宁麗文は溜息をついて頭を振る。
まさか、彼女が死んでいるはずなのに生きていて、宁麗文の潜入している遊郭にいるとは思わなかったのだ。しかし、そうなればなぜ彼女が死んだという情報がまわっていたのだろう?
宁麗文は卓に肘を置いて頭を支える。瞼を閉じてもやはり思い浮かずに唸った。
「なあ、聞きたいんだけど」
「なんだよ」
「あの放火魔って本当に子供だったのか?」
二人で考えごとをしている時にふと声が飛び込む。宁麗文はこれで二回目でどうせ下らないことだろと呆れながら茶器を持ったが、『放火魔』に続く話に顔を少し横に向いてから眉を顰めた。
「何も本当だからそうなったんだろ。十年前の遊郭で起こった事件だろ? お前、最近来たからって知らないままでいるなよ」
飲み相手の男が不服そうな顔で酒をあおる。最初に話した男は首を傾げて盃を小さく円を描くように回していた。
「放火魔……ねえ肖寧、これも十──」
宁麗文が瞼を伏せてから前に顔を向けると、そこに肖子涵の姿はない。瞬きをして辺りを見回すと、なんと彼は話をしている二人の元に来ていた。
(はぁああ!? 何やってんだ!?)
宁麗文は茶器を落としそうになり愕然としたまま固まる。肖子涵に話し掛けられた男二人は唖然とした顔で彼を見上げていた。
「怪しい者ではない。少し調べものをしていて聞きまわっているんだ。先程の話を聞かせてほしい」
それに盃を回していた男は我に返って肖子涵に空いている椅子に促した。彼は男に会釈をしてそのまま座る。
「十年前、門の近くの遊郭に放火事件が起こったんだ。発覚時刻は夜だって。何刻かは知らないんだが、その時に居合わせたのが子供だって」
「子供」
今度は酒をあおっていた男が頷いてから盃に次の酒を注ぐ。
「ああ。そいつはそこにいる妓女にしつこく身請け話を持ち掛けていたんだとよ。だけど妓女は子供には興味がないだろ。だからそいつをずっと突っぱねてたって。それの恨みで焼いたんじゃないかって噂だ」
「その子供は今、どこへ?」
二人は首を横に振った。どちらもその後のことを知らないらしい。
「でももう十年経ってるし生きてるかも分からない。なんだったら琳玩から追放でもされてるんじゃないか?」
「いや、まだいるかもしれないぞ? 次は違う妓女に身請け話を持ち掛けてるかもしれない」
「そうか。もう一つ聞いても?」
酒をあおる男は片眉を上げてからまた酒を呑む。
「他の話で、門の近くの遊郭が被害に遭った事件が四、五年ほど前だと聞いた。その遊郭も知っているか」
二人は首を横に振った。互いに目を合わせて傾げてから「そんな話は聞いたことがない」と口を揃えて言う。
「俺たちが聞いたのは十年前の放火事件と妓女と男が連れ去られる事件しかない。後半のは頻繁に起きてるわけじゃないし、せいぜい指で数えられるぐらいだ。お前も他の話とか聞いたか?」
「いや、その二つしか知らないな」
肖子涵は二人の話を聞いて「感謝する」と律儀に拱手をして宁麗文のいる卓に戻った。宁麗文は茶器を静かに置いて頬をぴくぴくと動かしながら肖子涵の顔を見る。
「……君なぁ……いつもこうやって聞いてるのか……?」
「そうだが?」
「……はあ……」
宁麗文は茶器を置いた手で顔を覆った。しかし、肖子涵のお陰でまた別の情報が揃った。
二人は茶楼から出て、今夜は肖子涵の方でもう少し情報を探ってから来ると告げて別れた。その間の宁麗文は何もすることはなく、かと言って部屋にいると桜綾に何かと言われると思って仕方なくいつもの肖子涵と過ごす部屋に向かう。
(それにしても、今日は静かだな。あの三人も珍しく休みでそれぞれ遊びに行ってるみたいだし。一応営業はしてるけど、玥さんもどこにもいない。茶楼か酒場で酒盛りでもしてるのかな)
宁麗文は少しの心細さを感じながらも部屋に入る。灯りをつけるのも勿体なく感じて消したままにし、肖子涵が来れば起こしてくれるしその時につけようと考えて寝台に寝転がる。仰向けになって再び情報の整理を始めた。
(まず、この事件は邪祟の仕業だとする。それが四、五年……いや、十年前から始まった。そこから不定期に行方不明者が出てきて、最後の行方不明者は四ヶ月前。そしてその十年前には別に放火事件があった。これの犯人は子供で今はどうしているかも分からない。その遊郭には一番綺麗な人がいて、彼女はその遊郭の中で死んだ。でも、最初に聞いた話だとその人は死んでいたはずなのに生きていた。それもここに住んでいる……)
宁麗文は目を細めながら天井を睨む。どうしても信じたくはないが、あの噂を聞けば本当だと思ってしまう自分の浅ましさに腹が立つ。頭を振って別の考えごとをした。
(龔氏はなんでこれを今になって私に任せたんだ? もうちょっと早く依頼すればまだ被害が抑えられるはずなのに……それともこの時じゃないと言えない何かがあったのか?)
どう考えて転んでも今の彼にはただただ依頼された任務を完遂しなければならない。宁麗文は頭を使いすぎてしまったからか、うとうとと眠気が襲ってきた。それが部屋の暗さも相まって頭の中がぼやけてくる。
(肖寧はいつ頃来るんだろう……その前に寝ちゃいそう……)
ぼやけた頭の中で考えながら、宁麗文の瞼は静かに閉じられていった。




