表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
護誓散華  作者: くじゃく
蕾に刺す毒
71/220

二十三 情報交換(3)

 瞼を開くと朧気に浮かぶ橙色が広がっていた。

 (ここは……どこだ……?)

 宁麗文はゆっくりと瞬きを数回して剣を磨くように視界をはっきりとさせていく。そこには至るところに炎が広がっていて、どこもかしこも焦げた臭いが鼻についていた。宁麗文は自分は傍観者だと言わんばかりに呆然と立ち尽くす。

 どうして自分がここにいるのかも分からない。ここがどこなのかすらも分からない。ふと右手に何かを握っていることに気付いて目を向ける。そこにはおびただしい量の血に塗れた祓邪があった。彼はそれを見て視界を揺らす。

 (なんでっ──!?)

 途端に息を詰まらせて祓邪を投げ飛ばし、膝から崩れ落ちて苦しさから胸を押さえる。片手で地面を掴んでいると、視界が徐々に赤くなり、頬に何かが伝って地面に零れた。生温さに手を伸ばすと赤い血が指先を染める。それは自分自身の血だった。

 「はぁっ……はぁっ……!?」

 息を荒らげながら戸惑う彼は唾を飲み込んで地面に額を擦りつける。頭の中で炎が浮かび上がって、そこに数人の影が映った。それぞれの姿形は見覚えがあった。喉を裂き、首を撥ね、腸を引きずり下ろし、心の臓を強く貫いた、大事な彼らは全員自分が殺してしまった。

 宁麗文はそれを掻き消すように地面に額を擦りつけながら頭を振る。息苦しさがまた強くなり、喉の奥がひりつくような感覚がして咳き込んだ。喉の粘膜が乾いて切れて血の味が口の中に広がる。

 地面を掴む手に力を入れ、震える膝にも力を入れる。ゆっくりと両腕をぶら下げながら立ち上がり、溢れ出た脂汗を左腕で全て拭い、額の汚れも拭う。その腕には宁浩然からもらったはずの腕輪がなかった。その代わりと言わんばかりに、その左手首には大きい切り傷があって血にまみれていた。

 宁麗文は今にも倒れそうな身体で祓邪を取りに足を引きずる。脂汗はまだ出ていて、彼の身体の重さに拍車を掛ける。祓邪を手に取った彼は刃を自分の胸に向けた。

 (私は)

 血の涙は止まらない。

 (私はどうすれば、よかったのかな)

 自問自答をしても答えは返ってこない。

 彼の心は既に嵐に呑まれてしまったかのように、濁流に飲まれてしまったかのように渦巻いてしまっていた。もう何も分からない、これの直前まで何をしていたのかすらも忘れた。

 また咳き込んで祓邪に血を掛けてしまう。掛かっていない、よく磨かれた刃に自分の顔が映り込む。それは一生を掛けても見たことのない恐ろしい表情だった。それを見てまた血の涙を流す。宁麗文はもはや、自分が何者なのかも分からなくなってしまっていた。

 宁麗文は小さく鼻で笑う。それは自分自身に対する嘲笑だ。

 何も成し遂げられなかった。家訓に背いた。こんな人間はこの世に存在してはならない。二度と転生できないように殺さなければならない。

 小さく声が聴こえる。私を呼ぶ声だ。宁麗文はそれを聴こうとしない。聴く耳さえも持ちたくなかった。

 胸に切っ先をつける。

 声が聴こえる。

 振り向けば、炎の遠くに誰かがいた。

 ああ、愛しいあの人だ。あの人が私をずっと呼ぶ。

 聴こえる。聴かない。聴きたくない。聴こえない。

 宁麗文は浅く笑いながら瞼をゆっくりと閉じ、そして祓邪で自分の胸を貫いた。

 

 頭を軽く叩かれた衝撃で宁麗文は身体を大きく震わせた。一度瞼を閉じて開くと、目の前は壁だった。横目で天井を見上げ、そしてゆっくり広げると玥が立っていた。

 「あんた、どんだけ寝てるの? もう仕事の時間だよ」

 「……あぇ……?」

 宁麗文は玥に背を向けながら上半身を起こす。玥に向き直ると彼女は眉を上げて宁麗文のこめかみを指で優しく拭った。少し引き攣っている感覚がしていると思っていたが、どうやら寝ながら泣いていたようだった。

 「なんか嫌な夢でも見た?」

 宁麗文は一度瞬きをして玥を見上げ、また一度瞬きをして瞼を俯かせる。先程の業火にまみれた様子は夢だったようだ。宁麗文は安心して息を吐く。

 「多分、そうみたいです」

 「そっか。それより、もう客が来てるよ。あんまり待たせたら婆さんに怒られるから早く行きな」

 彼女の言葉に我に返って寝台から降りる。覚醒した彼に玥は笑って「まあ、楽しんでおいで」と部屋を出ていった。

 (きっと肖寧だ)

 宁麗文は顔を両手で軽く叩いて引き締めて部屋を出て、桜綾に部屋を案内されてから戸を開ける。そこにはやはり肖子涵が昨日と同じように寝台に座っていた。肖子涵が彼に気付いて顔を上げる。宁麗文はにっこりと口角を上げて後ろ手で戸を閉めた。

 「どうだった?」

 宁麗文も彼の隣に座って横を向く。肖子涵は頷いて口を開いた。

 「まだ不確かだが、先にあなたの聞いたことから聞かせてほしい」

 「分かった」

 宁麗文は頷いて話を続ける。

 「遊郭の最初の被害は門に入ってすぐのところだった。そこは五、六年ほど前に遭って、そこから不定期に各店舗から被害者が出てる。私が聞いた子によれば最近起こったのは四ヶ月前だって」

 肖子涵の瞼が微かに伏せる。

 「それで現場には戸も窓も開けられてない。完全な密室で妓女と客だけが消えてる。当然目撃者も見つかってない。それで、思ったんだけどさ」

 「なんだ?」

 「これ、邪祟だよね」

 宁麗文の言葉に肖子涵は「そうだな」と答える。

 「どういう状況下で連れ去ったのかは定かではないが、俺の方でも少なからず収穫はあった」

 宁麗文は瞼を微かに上げる。

 「実際に未遂に終わった男がいて、彼は正気に戻れずにうわ言を続けていたそうだ」

 「未遂? そんなことあるのか?」

 肖子涵は頷く。

 「彼は情事後に妓女から一時的に離れ、戻った際に目撃したらしい。……しかし、肝心の瞬間は覚えていないと言う」

 「そんなの、誰から聞いたんだよ。彼からか?」

 宁麗文の問いに首を横に振った。

 「部屋の前で倒れているのを他の妓女が見つけて、その時はまだ正気は残っていたらしい。直前までの出来事を妓女に話して、それが他の男に伝わった」

 「噂話ってことか……でもそれでもありがたいな」

 それが真実なのかは定かではないが、もしそれがそうだとなればこの件は邪祟による被害となるだろう。

 「とにかく、これを邪祟の仕業だとしよう。でも、それだとどうやって連れ去ったんだ? 密室なんだからどうにもならないだろ」

 「いや」

 肖子涵は宁麗文の話を切って顎を天井に上げる。宁麗文は瞼を瞬かせてから天井を見上げた。

 「これの可能性もある」

 「天井?」

 二人は天井からお互いの顔に向いた。

 「大体の遊郭では下階は閨房けいぼう、上階は各妓女の部屋だと聞いている」

 肖子涵の口から『閨房』という言葉が出てきて一瞬気まずくなったが、それを聞いて宁麗文は頭の中で一つの可能性を出した。

 「もしかして、犯人は妓女の中にいる?」

 「そうかもしれない」

 「でも、それだったらおかしくないか? もし妓女の数が少ない遊郭だったら誰がやったのかもすぐに分かってしまうし、そのけい……閨房の上に誰が住んでるのかも分かる。ましてや今じゃまともに経営できてるのはうちを含めて数軒しかないんだし、他の遊郭にだって人数が少ないかもしれない。今のこの状況だと犯人はすぐに割れるよ」

 「前はどの遊郭にも多くの妓女がいた。そして、上階にある部屋も数人は住めるだろう」

 「あっ……」

 宁麗文は現在自分が滞在している部屋の広さを思い出した。確かに、あの部屋は二人ほどの住める部屋だった。それが角部屋だとして、上階に伸びる部屋に空き部屋は点在していた。もしかしたらその中にも三人以上もの住める部屋もあったかもしれない。

 「だが、最近は妓女の数が減った。宁巴も聞いただろうが、自害や逃走によって遊郭の経営も立ち回らなくなっている」

 「そっか、人が減ると邪祟も動けない……最後の被害だって四ヶ月前でそこからは一回も起こってない……」

 宁麗文は俯いて顎を二本の指で支えながらぶつぶつと独り言を呟く。肖子涵は彼の様子に何も言わないまま見つめていた。

 「もし、動けるとしたら夜の間だよな。邪祟は主に夜の間は活発になるから、それを狙ってる。それで天井からだとすると……でも、そうしたら床と天井を破らなくちゃならない。叶青の言うことが正しければ部屋には突き抜けられた天井はなかった……そうなればどうやって犯行に及んだんだ……?」

 宁麗文は顔を上げて肖子涵を見た。

 「肖寧、君はこれについてどう思う?」

 「どう、とは?」

 「なんでもいい。邪祟がやりそうな犯行内容とか、被害に遭った妓女の詳しい特徴とか。君の考えを聴かせてほしい」

 肖子涵は顔を宁麗文から背けて戸を見つめる。

 「俺が思うに、その邪祟は自分一人で犯行に及んでいない。おそらく、人ではない何かを使役していると考えられる」

 「使役?」

 肖子涵は宁麗文に顔を向けて頷いた。そして彼の耳にそっと口を寄せる。

 「虫だ」

 宁麗文は目を見開いて肖子涵の顔を見る。彼は宁麗文の驚いた顔を見て身を離した。

 「なっ……んで、虫?」

 「虫なら隙間に入り込める」

 「鼠じゃなくて?」

 肖子涵は首を横に振った。

 「婆さんに聞いたが、鼠を呼び寄せないように対策を取っていると。そうなれば確実になるのは虫になる」

 (どういう対策してるんだよ、あの人……)

 宁麗文はどのような方法で鼠を追い払っているのか分からない桜綾と、よくそれを彼女に聞いたなと肖子涵に呆れながら頬を引き攣らせる。すぐに頭を振って俯きながら「そっか」と返した。

 「でも、これはただの憶測にすぎない。まだ情報は揃ってないし、まだ集めなきゃいけないな」

 「ああ」

 宁麗文は気を弛めて顔を上げる。肖子涵の顔を見て、特に唇を見てそれまで思い出していなかったあの口付けを思い出して、すぐに身を引いて彼に背を向けて敷布に顔を埋めた。

 (うわあああああああ! 気まずーい!)

 一気に熱くなった全身を冷ますまでに彼の顔がまともに見れなくなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ