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護誓散華  作者: くじゃく
晴れの行方
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十九 これからのこと(1)

 宁麗文と秦麗孝は胸の上を裂かれた秦雪玲を見てしまう。秦雪玲は自分から出た血を見た。

 自分の血を見ている間に、あの楽しかった日々を思い出した。

 秦雪玲は傷口が酸素に触られて痛む胸と梅の花のような赤を見る。その奥に青を通り過ぎて白になった秦麗孝を見る。

 (なんて、顔をしているの)

 赤がぼやけるその後ろに幼い頃の秦麗孝が泣きそうな顔で自分の傷ついた指先を握る。秦雪玲が羊の毛を刈るハサミの先で怪我をした時だった。

 「姉ちゃん、ごめんなさい」

 「なんで?」

 「ぼくがハサミを適当に置いちゃったせいで、姉ちゃんが怪我しちゃった」

 まだ髪の毛が背中まで伸びていて、秦雪玲が三つ編みを覚えたてのせいだっただろう、少しだけボサボサになった髪を震わせる。秦雪玲は今にも泣きそうな弟の前で苦笑う。

 「そんなこと言わないで。わたしが気を付けなかっただけよ」

 「でも……」

 秦雪玲は笑いながら息を小さく吐く。秦麗孝はとうとうその場で泣き出した。

 「もう、小麗ったら。あなた、男の子なのに情けないわよ」

 秦麗孝は頭を強く振る。肩を震わせて、姉の血が出ている指を握る。ぐずぐずと鼻をすすっては涙を土砂降りのように流して、まるで自分がこの傷を受けたかのように見える。秦雪玲はその泣きまくってぐちゃぐちゃな顔になってしまっている弟にまた笑った。

 「そんな、わたしが死ぬわけじゃないのに。小麗は本当に大袈裟ね」

 「だって、だって……」

 「もう。お父さんとお母さんが見たらしょうもないって怒られるわよ? 小麗はそれでもいいの?」

 はっ、と秦麗孝が顔を上げて彼女を見る。深い青色にまた涙が零れ落ちた。

 「やだ」

 「でしょう? だから泣かないの。でも、怪我しちゃったから、お医者さんに見せてこなきゃ。着いてきてくれる?」

 彼女の言葉に秦麗孝は懸命に何度も首を縦に振る。秦雪玲はそれを見て声に出して笑った。

 一つ瞬いて、ぼんやりとした白を見る。

 (あなたに編んだ三つ編み、綺麗にできてよかった)

 幼い頃に母がよく二人に三つ編みをしていた。秦雪玲は簡単そうに見えるそれを編んでみたいと母にねだってやり方を教えてもらった。

 簡単そうに見えたそれは実は難しかった。けれど彼女はめげずに練習した。自分で自分の髪を編んで上手くできたその後に秦麗孝の髪を編んだ。

 「ごめんなさい、上手く編めなくて」

 自分でやる分には問題はないが、人に編むのはそうたやすいことではなかったらしい。秦雪玲は自分の不器用さに両手で顔を覆って、情けなさに己を恥じて度々落ち込んでいた。しかしそれに秦麗孝が首を横に振ってにこにこと彼女に笑う。

 「姉ちゃんが上手くなるまで、ずっと付き合うよ」

 そしてボロボロでくちゃくちゃになってしまった三つ編みを両手で前に流す。

 「それにおれ、姉ちゃんに編んでもらうの大好きだよ。姉ちゃんじゃなきゃやだ」

 秦雪玲はそれに瞬いて、そしておかしそうに噴き出す。

 「お母さんに編んでもらうのは嫌なの?」

 「嫌じゃないけど、姉ちゃんがいい」

 「あは、小麗って、どれだけわたしのことが好きなのよ」

 きゃらきゃらと笑う彼女に釣られて秦麗孝も笑う。

 この時間が好きだった。だから私がお嫁さんに行く前までもこうしていられると当たり前のように思っていた。

 (ねえ、小麗。私が行っちゃ嫌って言ってたけど。私の花嫁姿は見たかったでしょう?)

 秦雪玲の瞼の裏に走馬灯が走る。生まれ育った場所。大好きな牛と羊たち。大好きな蒼茫亭の皆。大好きな両親、大好きな従兄弟。

 そして、大好きな、小麗。収まりきれないほどの愛している弟。

 (後悔してばっかりだったけど。けど、幸せだったのよ)

 秦雪玲はまた、自分の血を見た。

 

 「姉ちゃん!」

 秦麗孝はすぐに秦雪玲を抱え、宁麗文は引き抜いた男の腰刀を祓邪で弾き飛ばしてそのまま胸を強く蹴る。

 (甘かったか!)

 蹴った後も男が起き上がらないように胸に足を押しつけて懐から拘束符を胸に貼りつける。祓邪を鞘に仕舞ってから双子を見た。秦麗孝は浅黒い肌から段々色がなくなっていく秦雪玲を震えながら抱き締めている。その震えた口からは浅くて弱々しい息を乱していた。

 「姉ちゃん、姉ちゃん……」

 秦雪玲は小さく息をしながら「大丈夫よ」と呟く。秦麗孝は右手で彼女の頭を支え、左手で彼女の傷を覆う。

 「今なら間に合う、漢沐熙が父さんたちを呼んだから。姉ちゃん、だから大丈夫。もう少しで来るから」

 「小麗」

 「ごめん、俺のせいだ。俺が無理に出しゃばったから。姉ちゃん、ごめん。俺が代わりに斬られればよかったのに」

 「小麗」

 秦雪玲は小さく弟の名前を二回呼ぶ。秦麗孝は目元を顰めながら二回目の呼ばれた声で彼女の顔をよく見た。秦雪玲は彼の、傷を覆っていた方の手を握る。

 「あなた、そういうところ、昔から変わってないわね。顔もだって、泣きそうじゃない」

 目を、怪我と彼女の顔と交互に見る秦麗孝に秦雪玲は微かに笑った。

 「小麗」

 秦雪玲は弟の名前を呼んだ。

 「私、小麗のこと。大好きよ」

 その言葉に秦麗孝は目を見開く。顔は段々と青ざめていき、陰りを見せていく。

 「……なんで……? なんで、今……言うんだ……?」

 秦雪玲はまた優しく笑う。彼女の負った傷は段々と深くなっていく。

 「もう、髪の毛。編んであげられないね。一回でも、……あなたの散歩に付き合えばよかったね」

 秦雪玲の顔から更に色が失せていく。秦麗孝は深い青色の双眸から涙を生み出しながら頭を振る。綺麗に整えられた三つ編みを震わせる。

 「泣かないで、小麗。あなた、男の子でしょ。次期、宗主でしょ。泣くなんて。みっともないわ」

 「……姉ちゃん……お願いだから……喋らないで……そんな、顔しないで……」

 秦雪玲は口元を優しく上げた。少し咳をして、先程までは血色がよかった唇から赤い血が噴き出る。それが彼女の顎と秦麗孝の顎を濡らした。

 「笑わないで……なんで、そんな顔するんだよ?」

 「あなたを。安心させる、ためよ」

 傷は更に深くなって、彼女の心臓を突き破ろうとする。それでも尚、秦雪玲はあやすように笑う。秦麗孝は更に息を浅くし始める。

 「姉ちゃん……ダメだ……ダメだって……」

 秦麗孝は目を見開いた。秦雪玲は笑って口を開いた。深い青の双眸が潤んだ。

 「小麗」

 優しく笑う、双子の姉の最期の涙が零れる。

 「ごめんね」

 それは、血に染まって赤く落ちた。

 「愛してる」

 秦雪玲はただ、それだけ呟いて、深い青色から光を消した。彼を握っていた手の力も、温かみもゆっくりと離れていく。

 秦麗孝は涙を零しながら呆然としていた。

 宁麗文は後ろからその様子を見て、視線を下にずらして顔を顰めていた。

 秦麗孝は顔を引き攣らせながら無理やり微笑んで彼女の手を今度は自分から掴む。暖かくて今では彼よりも小さいその手はもう冷えてきている。温もりは感じられていてもそれは握っている自分の温もりだ。

 彼はもう一度最愛の姉を抱き締める。

 「……姉ちゃん、俺さ。……もう、一人で編めるんだよ」

 ぽつり、ぽつりと彼の口から声が出る。その声はいつもとは違った、姉に甘えた声だった。

 「散歩もさ。無理に連れていけばよかった。姉ちゃんが気に入るような場所、見つけたんだ」

 その声は嗚咽を交えて震えていく。秦麗孝は鼻をすすりながら肩を震わせていた。

 「……姉ちゃん……俺もさ……姉ちゃんのこと、好きだよ……大好きだよ……」

 双子の弟の目から流れる涙は顎を伝い、双子の姉の頬に落ちて血と一緒に流れ落ちる。

 「……俺も、愛してる……」

 秦麗孝は秦雪玲の瞼を閉じて最後に強く抱き締め、首元に顔を埋める。

 宁麗文は息を浅く吸って深く吐いた。

 彼に掛ける言葉は見つからないし、掛けても無駄だろう。今更自分がこの二人に介入すれば野暮だろうし、わざわざ特別何かをしてあげられることすらもできない。

 宁麗文が視線を横にずらすと、他のもう一人、秦雪玲を掴んでいた男が額から血を流しながらふらりと立っていた。彼はこめかみに青筋を一本立てており、太い腰刀の鞘を抜いて投げ捨てる。

 「バカな真似してくれたな!? 最初からこのアマを犯せばよかったじゃねえか!」

 その言葉に秦麗孝の頭がぴくりと動いた。そして顔を男に向けて深い青色の双眸が強く睨みつける。

 「……宁麗文」

 宁麗文は突然名前を呼ばれて驚く。秦麗孝は彼を見ず、男を見上げて低い声で続ける。

 「姉ちゃんを安全な場所に連れていってくれないか」

 「え、あ、うん」

 宁麗文は慌てて二人の元へ行き、秦麗孝から秦雪玲を受け取って横に抱える。ずっしりとした重みが可馨を思い出してきつく瞼を閉じた。息を吐いてから彼からゆっくりと離れる。その頃に漢沐熙が応援を呼び終えて戻ってきた。

 「お、おい。なんであいつが立ってる? ……なんで、あんたは姉さんを……え……?」

 漢沐熙も彼女の胸の傷に気付き、ぐったりと動かないのを見て呆然とする。宁麗文は彼の顔を見て頭を小さく振った。漢沐熙は顔を青ざめて顰める。

 「お前、俺の姉ちゃんを犯すって言ったか?」

 秦麗孝の黒い声が聞こえた。漢沐熙と宁麗文は我に返って彼を見る。

 「姉ちゃんはな。三日後に結婚を控えていたんだ。こんな大事な時になんてもんをよこしやがった!?」

 「秦麗孝!」

 漢沐熙が彼の名前を呼ぶ。秦麗孝は涙を垂れ下げながら剣の柄に指を伸ばす。漢沐熙は躊躇いもなく宁麗文から離れた。

 「死ね!」

 秦麗孝が言い放ってすぐに剣を抜いた途端、漢沐熙の剣が男と秦麗孝の間を滑り込むように挟む!

 秦麗孝は目を見開き、男は驚き固まり、漢沐熙は焦っていた。二人の交えた刃からは一瞬だけ火花が散った。

 「バカお前、落ち着けよ! もう応援は来るんだ、こいつらだって捕まる。だから剣を納めろ!」

 漢沐熙の声に秦麗孝は目を強く細めて睨みつける。

 「捕まるって? 捕まえて何をするんだ? 尋問か? そんなもん甘っちょろいんだよ。こいつらは姉ちゃんを殺した、こんな奴らには死を与えられるべきだろ!」

 「甘っちょろいって……お前、おかしくなったのか!?」

 驚きに声を裏返す漢沐熙の後ろにいた男は腰刀を構える。彼はそれに気付き、剣をもう片手に持ち替えて顎に拳を喰らわせる!

 男は顎を揺らしてそのまま崩れ落ちた。漢沐熙は剣を両手で持ち直して秦麗孝を押さえる。ギチギチと刃同士が重なり合い、今にも両方の剣が折れそうな勢いだ。

 「漢沐熙、今すぐそこを退け。でないと俺はお前を殺すしかなくなる」

 「嫌だね。俺が退いたらこいつを殺すんだろ。いいのか? こいつらは罪人だ。どうして窃盗なんかしたのかも理由も問い質される。けど、今ここでお前が殺したらどうなる? お前も罪に問われるんだよ!」

 「だからなんだ!? 姉ちゃんを殺したこいつらを殺すのは罪なのか!? 姉ちゃんを殺された、だから俺はこいつらを殺す。どう見たって復讐だろ!」

 「黙れよ! 落ち着けって言ってるのが聞こえないのか!?」

 漢沐熙の怒鳴り声が秦麗孝を更に押え込む。秦麗孝は再びこめかみと額に青筋を立て、奥歯を噛み締めた。

 宁麗文はその間、どうすることもできずに呆然とするしかない。今ここで秦雪玲を安全な場所に置いてしまっては二人を止めることができない。しかし、止めるには秦雪玲を降ろすしかない。宁麗文は途方に暮れてしまって何もできなかった。

 痺れを切らせた漢沐熙は目を細めて刃を上から押しつけて秦麗孝の剣を下げる。秦麗孝はそれに抗うが、彼の方が一枚上手で段々と下ろされていった。

 「いいか。お前には信じられないかもしれないが、これは現実なんだ。直に伯父さんたちが来る。それまでに俺たちは窃盗犯たちをまとめて置いておく。頼むから怒りを抑えて協力してくれ」

 秦麗孝は噛み締めた歯から獣のように息を荒らげるが、漢沐熙の言葉で段々と怒りを収めていく。瞼を伏せながら「分かった」とだけ言って剣を下ろした。漢沐熙は一息ついて剣を下ろす。彼が秦麗孝から少し離れた途端、秦麗孝は目を見開く!

 「あっ!」

 宁麗文が声を漏らしたのを漢沐熙が聴き、今にもぐったりと倒れている男に剣を振り下ろさんとするのも見る。

 「やめろ!」

 漢沐熙は咄嗟に剣を受け流そうと横に伸ばす。秦麗孝の剣先が下に向く。そのまま振り下ろした、その先は。

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