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護誓散華  作者: くじゃく
晴れの行方
58/227

十九 これからのこと(2)

 「ぐ、ぁ──!」

 宁麗文は目の前で血飛沫を上げるものを見た。

 ザクッと斬れたのは、漢沐熙の右手首。

 秦麗孝は怒りに任せてしまったせいで力を強く込めていた。それが、漢沐熙の手首を骨ごと切断してしまったのだ。秦麗孝は驚きで息を止め、漢沐熙はその場で崩れ落ちる。痛みで悶え苦しむ漢沐熙にそれを見下ろす秦麗孝は顔を白くし、戸惑いと混乱で剣を落とした。

 「お……お前……なんで……」

 痛みに脂汗をかき顔を顰めながら彼を見上げる漢沐熙は無理やり口元を上げる。秦麗孝は首を横に振って一歩退き、足がもつれてその場で尻もちをついた。宁麗文は動けなかった足に力を込めて彼らの元へ向かう。漢沐熙の斬れた右手首と握り締めていた剣は秦麗孝の左に落ちていた。秦麗孝は今にも死にそうな顔で落ちた彼を見つめる。漢沐熙は顔を青ざめる宁麗文に顔を向けた。

 「漢沐熙、君」

 「大丈夫だ。それより、もう応援が来た」

 宁麗文は後ろを振り返る。後ろから数人の門弟たちがこちらへ向かって来ていた。宁麗文はもう一度漢沐熙を見る。彼は青白くなっていく顔で微笑んだ。

 「姉さんを、頼むよ」

 

 その後は秦氏の門弟たちが窃盗犯たちをまとめて牢獄へと連れて行った。ひと足先に宁麗文は秦雪玲を抱えたまま歩いて秦氏の邸宅へ戻る。すぐに秦夫人が寄って冷たくなった娘を見て口を両手で押さえながら泣き始めた。宁麗文はただただ何も言わないでいた。

 草原に転がった漢沐熙は秦峰風に起こされて門弟たちに預ける。剣を握り締めている手を拾い上げて剣と離した。それを片手で持ったまま秦麗孝を引っ張り上げて立たせる。

 「……父さん……俺……」

 秦峰風は青白い顔の、涙の跡が強く残っている秦麗孝の頭をあやすように軽く叩いた。

 「何も言うな」

 秦峰風は瞼を伏せる。

 「家に帰ろう」

 秦麗孝は肩を震わせながら頷いた。

 宁麗文は邸宅の、泊まらせていた部屋で寝台に腰を掛けていた。瞼を伏せたままぼうっと考え込んでいた。

 (まただ。また、守れなかった)

 目の前で秦雪玲が致命傷を負って亡くなってしまったこと。漢沐熙が憤っている秦麗孝の手によって手首を失ったこと。宁麗文は杏華坊で起きたことを思い出して項垂れた頭を抱える。

 ──どうして私は、人を救えない?

 宁麗文は生まれてから家訓を理解していると思っていた。しかし、それは単なる勘違いで、実際は何も成し遂げてすらいなかった。髪を巻き込みながら頭を更に強く抱え込んで、自分に対する不甲斐なさと憤りで心の中で己を侮辱しながら震えていた。何度も何度も、自分を酷い奴だと罵っていく。

 その時に「宁麗文」と呼ぶ声がした。頭から手を離して顔を上げると、戸の向こうに自分より背丈の高い人影が見えた。

 「……秦麗孝?」

 「入っていいか?」

 宁麗文が返事をして秦麗孝が戸を開けて後ろ手で閉める。彼の顔は涙の跡がくっきりと残っていて、疲れた表情を見せていた。

 「ごめんな。お前を巻き込んで」

 最初に口に出したのは謝罪だった。宁麗文は俯いて瞼を伏せて頭を振る。立ち上がって秦麗孝の顔を見上げた。

 「いいよ。むしろ、私こそ……間に入れなくて……」

 秦麗孝は首を横に振る。

 「仕方なかったんだ。あいつとの距離は近かったんだから。お前が入れないのは当然だよ」

 「……でも、秦麗孝……」

 宁麗文は彼の名前を呟く。秦麗孝は頬を引き攣らせながら笑った。宁麗文は彼の顔を見て泣きそうに顔を顰める。

 「無理に笑わなくていいよ。辛いだろ?」

 秦麗孝は目元を歪ませてまた頭を振った。宁麗文は自分より背の高い彼が小さくなっていくような姿を見つめる。

 「お前、秦雪玲さんの後を追おうとか考えてる?」

 息を一瞬だけ詰まらせてすぐに目を逸らして俯く。宁麗文は眉間に皺を寄せて彼の左肩を掴んだ。

 「それだけは絶対にするな。秦雪玲さんはお前を守るために庇ったんだ。今ここでお前が死んだら彼女はどう思う?」

 「……」

 「秦雪玲さんはお前を誰よりも愛してた。お前よりも深く愛してたはず。だからこそ生きてほしいって願ったんだろ」

 秦麗孝は顔を俯かせたまま黙る。彼の掴んだ手を振り払おうとせずに、拳を強く握り締めていた。宁麗文はその拳を見ていた。

 「……あの時、お前を止めた漢沐熙を憎んだか?」

 漢沐熙の名前が出た瞬間に秦麗孝は顔を上げた。引きつっている目尻からまた涙が溜まる。

 「……憎んでない……」

 「なら、何に憎んでる?」

 「俺の……。俺自身に……憎んでる……」

 宁麗文は一つ深い息を吐いた。肩から手を離して小さく笑う。

 「君は優しい人だな」

 宁麗文は眉間を緩めて口元を上げる。秦麗孝は瞬きをして一筋の涙を流した。

 「自分のせいで皆を傷付けた。自分のせいで大切な人を死なせてしまった。そんな後悔があるのは本当に優しい人だけだよ」

 「……宁麗文」

 「うん?」

 秦麗孝は拳を緩めて涙を掌で乱暴に拭う。その表情は最初に会った時とは正反対だった。

 「俺は、優しくなんかないんだ。初めて会った時のこと覚えてるか? ボロボロになってるお前を笑ってたろ。その後も……許してもらうために奢るって言って……」

 宁麗文はおかしくなって噴き出して笑った。青天郷でつきまとっていた時の秦麗孝を思い出して口元をただただ上げる。

 「なんだ、そのことか。いいよ別に。もう最初から許してる。君は私を笑った時から自分を憎んでたのか? そんなことしなくていいのに」

 秦麗孝は目を丸くしながら気の抜けた声を出した。宁麗文は口角を上げて彼の隣に移動して肩に腕を回す。

 「私たち、友人だろ? 友人はこんなことも許してしまうのさ。知ってた?」

 「友、人……」

 「そうだよ。あれ、違った?」

 宁麗文は口元を上げながら秦麗孝の顔を覗き込む。彼はぽかんと口を開けていて、宁麗文はそんな顔にまた笑った。秦麗孝の肩の力が抜け、しかし段々と本当に口元を上げ始める。

 「違わない。俺たち、ダチなんだな」

 宁麗文はそれを聞いて「当たり前だ」と笑った。

 それから宁麗文は簡単に荷物をまとめて秦氏の邸宅を出る。見送りは秦麗孝のみだったが、それでも構わなかった。いつもなら隣に秦雪玲もいたはずだが、彼女はもうどこにもいない。

 宁麗文は瞼を伏せてから開けて、門の近くにいる秦麗孝に手を振った。彼も宁麗文の行動を見て同じように振り返す。宁麗文は目を細めて笑ってから再び歩き出した。

 膳無の門を潜り抜けて道を歩く。ゆっくりと歩いてまた振り返る。そこには秋都漢氏が建てた巨大で堅牢な壁があった。

 膳無はこれから、どうなるのだろう。夕陽に照らされ橙に染まったあの草原はどうなるのだろう。それは住む人々にしか分からない。

 宁麗文はつま先の方向に向いてまた歩き出した。前は下を向いて歩いていたが、今は前を向いて歩く。

 自分に救えない人はいたけれど、それでも進むしかないのだ。

 

 歩いて歩いて、すっかり夜になって宁麗文は野宿をすることになった。一人での野宿は初めてで心細いところではあるが、御剣をするにも体力はないし、どこかへ寄ろうとも土地勘がなく、それに夜というのもあって迷いやすいのでできない。仕方なく適当な場所で火を起こすしかなかった。宁麗文は溜息をついてこれまた適当に狩ったうさぎの肉を焼く。

 「最後に羊肉でも食べておけばよかったな……」

 今から膳無に行くとしてもあの事件の後なのだから門は閉まっているだろうし、今更戻っても宁麗文は何もしてあげられることはない。だから仕方なく一人で野宿をしてこのうさぎの肉を頬張るしかないのだ。

 よく焼けた肉を食べながら夜空を見上げる。星はそれぞれ煌めきを持っていて輝いていた。宁麗文の頬を風が撫でる。森の中の涼しい空気が鼻を掠める。散らばった星屑を見上げたままぼうっとしていると、周りからザクザクと雑草を踏む音が聴こえた。

 (……何かいるのか?)

 宁麗文は咄嗟に火を消して肉を全部飲み込む。立ち上がって祓邪に指を掛けて音の鳴る方向を確かめる。ザクザクと踏む音は近付いてくる。息を潜めて身体をゆっくりと回す。その音が一番近くなったところで彼の目が一気に見開いた。

 (後ろだ!)

 宁麗文は祓邪を抜いて振り返り、鋭い線を描く!

 ガキンッと硬い銀の音が鳴り、そのまま静寂が訪れる。宁麗文は眉を顰めながら相手の顔を目を凝らして見る。

 「おい!? いきなり攻撃を仕掛けるなバカ弟!」

 「え?」

 木々が揺れて風の音と共に漏れた月の光が相手の顔を照らす。そこには頬をぴくつかせて怒っている宁雲嵐が立っていた。

 「あ、兄上? なんでここに?」

 「それはこっちが聞きたい。お前こそどうしてここにいる?」

 二人は互いに剣を納めて瞬きをする。

 「私は膳無から帰る途中だよ」

 「御剣は?」

 「疲れきっててやらなかったんだ。兄上こそ、なんでここにいるんだよ」

 宁雲嵐は薄い目で宁麗文を見る。まるで「いつもそうじゃねえか」と言わんばかりの表情で腕を組んだ。

 「怨詛浄化の帰りだよ。ついでに膳無に寄ってお前を連れて帰ろうとしたんだ。まあ、手間が省けたからいいか」

 「どちみち連れて帰るつもりだったのか……」

 宁麗文は眉をぴくぴくと動かしながらげんなりと呆れる。宁雲嵐は溜息をついて宁麗文の肩に手を置いた。

 「今から膳無に行くのは無理か」

 そう問い掛ける宁雲嵐の顔は静かだった。宁麗文は彼の顔を見て、すぐに視線を下にする。弟の表情なんて、考えることなんて既に気付いているのだろう。宁雲嵐は宁麗文の肩を何度も軽く叩いた。

 「帰ろうか」

 宁麗文は俯きかけた顔を上げて彼の顔を見る。特に言うことはなかった。

 「うん」

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