いやすまほう
どこかから、冷たい音がしている。
妙に湿っている、湿度の高い音だ。
耳は自然とその音を聴こう、聴こうとして、意識が身体に舞い戻ってくる。
目を瞑ったまま、目を覚ます。
ぴちょん、ぴちょんと、水の滴る音を認識した。
軽く身動ぎをすると、またどこから冷たい音がする。
先程の水の滴る音とは真逆の、渇いた音だ。
また少し体を揺らすと、自分の両腕の動きがその音を立てているようだ。
じゃらじゃらと、細い鎖の擦れる音だと認識する。
ゆっくりと目を開ける。
瞼を半分持ち上げて、自分が何者かを思い出した。
もう半分を持ち上げ切って、ツバキは目だけで辺りを見回した。
薄暗い部屋だ。
いくつかの松明に照らされ、赤っぽく映されるその部屋は、その色に暖かさを帯びていない。
どうやら石を積んで作られたその部屋は、いつか映画で見た地下牢や拷問部屋などの部屋に似ていた。
部屋の大体を見回したツバキは、自分の身体に意識を集中して凡そを把握した。
どうやら自分は捕らわれているらしい。
膝立ちのような姿勢で前屈みになり頭を垂れているが、開いた両腕が後方斜め上に引っ張られていて、身体が倒れることはない。
目覚めと同時に聞いた鎖の音は腕から聞こえていたし、手首には何やら冷たく硬い感触もある。
それらを総合的に考えて、捕らわれている。
そう判断したツバキの頭だったが、なにやらぼんやりしていてあまり危機感が襲ってこなかった。
なぜこんなにも頭がぼんやりしているのだろうと、ツバキは少しずつ思い出そうとする。
なんか、頭がスッキリしないな。
貧血みたいな感じだ。
そういえば結構、血塗れになったっけ。
頭ズキズキするしなぁ。
確か、大暴れしたんだっけ。
村が襲われて、、、
「鉢割れにゃんこ!」
急速に記憶が舞い戻ってくる。
最後に見た光景を、はっきりと思い出した。
鼓動が速くなる。
今、自分はとんでもない状況に陥っている。
やっと理解したツバキは、顔を上げた。
顔を上げたツバキの正面には、その部屋には似合わない立派な椅子が据えられていて、何者かが座っている。
背もたれにもたれ、足を組み、ゆったりと構えツバキを眺めているようだ。
椅子の向こうで揺れる松明の灯りが逆光になり、ぼんやりとしたその姿をツバキは見つめる。
じっと目を凝らし、やっと見えた。
「なんだぁ?
意識のねぇ間に俺はSMクラブにでも来たのかよ?」
その姿を軽口粧し、ツバキはそう表現する。
椅子に座っていたのは、ボンデージ姿で鞭を持つ艶めかしい表情の女性だった。
お得意の悪態で軽口を吐き捨てたツバキだったが、もとより良くなかった状況が、いよいよ本格的に不味い状況だと内心焦り始めていた。
この部屋には、ツバキとこの女しかいない。
意識を失う前、ツバキと一緒に居たはずの女性は見当たらず、そのことがツバキを焦らせる要因になっていた。
「鉢割れにゃんこはどこ行ったよ?」
その問いかけに、当然応えはない。
椅子から立ち上がった女が、冷たい笑みを顔に貼り付けてツバキに歩み寄ってきた。
女が徐ろにツバキの髪を掴み、吐息が顔にかかるほどの距離まで自身の顔を近付け、ジッとツバキの目を見つめる。
「拷問でもして俺からなんか聞き出そうってか?
別になんでも話してやるけどなぁ、何言ったって理解できねぇだろ。」
ジッと見つめ返し、否、メンチ切り返しながらツバキが嘯くが、女は表現すら変えない。
「俺どっちかって言うとSなんだよね。
いい加減、髪離せよクソビッチ。」
ツバキが吐き捨てて、手を振りほどこうと首を軽く振る。
ツバキのその抵抗に対し、女は相変わらずの冷たい笑みのままツバキの頬を、鞭を握ったまま裏拳で殴り付けた。
身動きできないまま頬を強かに殴りつけられ、視界が歪むような感覚に襲われ、耳鳴りがする。
歯を食いしばり視界が戻るのを待っていると、女はまた顔を近付け、ジッとツバキの目を見つめてきた。
上下関係を弁えろと言いたげなその表情に、身動きの取れないツバキはなんとか抵抗しようと、
「ヒステリーで殴られちゃかなわねぇんだよ。
文句あんなら、ママに礼儀教え直してもらって出直せクソビッチ。
ぺっ。」
悪態と一緒に、顔に唾を吐いた。
女はツバキの髪を離し、頬にかかったそれに触れる。
すると、冷たい笑みを貼り付けた顔がようやく表情を変えた。
気の強そうな綺麗な顔立ちに貼り付けられていた冷たい笑みは、目が細められ、口角が上がり、光悦の表情とも思えるような、ニタァっとした禍々しい笑顔に変わる。
「てめぇ、真性のいっちゃってる奴だな。」
鼻で笑いながらツバキがそう言い切るか、言い切らないかのタイミングで鋭く弾けるような音が響いた。
女が手に持った鞭で、ツバキの頬を振り抜いていた。
ツバキは頬に強烈な熱を感じ、それを誤魔化すように笑ってみせるが間髪入れずに二発、三発と鞭をで打たれ表情が歪む。
唾液に血が混ざる味がする。
ポタポタと、床に何かが滴る音がするが、それが何かなど考えたくもない。
鞭打ちが刑罰や拷問になる理由がわかった気がしたツバキだが、それでもここで心を折るわけにはいかない。
「鉢割れにゃんこどこやったよ?
俺を助けてくれたアイツどこやったか、言ってみろよ。
アイツになんかしたってんなら、てめぇ、殺すぞ。
あ゛ぁぁ!?」
先程と同じ問いを繰り返す。
自分を救ってくれた人の顔が頭を過り、心を掻き毟る。
応えは返って来ないとわかっていても、叫んでいた。
女を睨みつけるツバキ。
ツバキを禍々しい笑顔で眺める女。
その女が鞭を振り上げ、与えられるであろう痛みに覚悟を決めツバキが叫ぶ。
「かかってこいやぁ!!」
しかし、バタンっ!と大きな音と共に扉が開け放たれ、差し込む光とそこに現れた人物によって鞭は空を切った。
「生きとったんか鉢割れぇ!!」
そこには、ミニスカートから薄手の白いワンピースに着替えた、ツバキの探し求めたその人が立っていた。
どうやら走って来たのか、息を切らして立ち、二人を交互に見る。
そしてボンデージ姿の女に詰め寄っていった。
ツバキを指差しながら、ボンデージ姿の女に何かを捲し立てる。
みるみるうちにボンデージ姿の女の表情が情けないものに変わり、終いには叱られる子供のようにあたふたし始める。
その一部始終を見ながら、ツバキは状況を飲み込めずにポカンと口を開ける。
泣きそうな表情をしながらボンデージ姿の女が走り寄ってくると、あたふたと慌てながら鎖に繋がれたツバキの手の拘束を外した。
拘束の外された手首をツバキが摩っていると、ワンピースの裾を翻しながら駆け寄ってきた女性はツバキの頭を抱き寄せた。
頬から滴る血が、綺麗な純白のワンピースを赤く汚すが、御構い無しにツバキの頭を、自分の胸に強く抱き寄せる。
「おっ、、、おぅ?」
状況は相変わらず飲み込めないが、どうやらとても心配されていたらしいと、何かを必死に伝えようとする涙声でツバキは気付き、
「大丈夫。
大丈夫だ。」
そう言いながら、軽く背中を叩いた。
そんなやり取りをしていると、執事服に身を包んだ初老の男性が部屋に入って来て、女性に何かを伝えた。
ハッとしたようにツバキを離すと、恥ずかしげに頬を赤く染め、ツバキから目を逸らした。
そして、両手をツバキにかざすと、優しい青が掌を包んでいく。
限界を超えたツバキの身体を癒した優しい光だ。
優しい青を纏った掌をツバキの頬にかざすと、鞭で打たれた傷がじわりじわりと治っていく。
そのまま頭の傷に手をかざし、最後に右脚の傷が治された。
大きな傷が全て治されると、あまりに不思議な光景に自分がボーっとしていたことにツバキは気付く。
「あっ、ありがとう?」
理解できないが魔法で治療されたのだろうと、ツバキがお礼を言うと、女性が優しく微笑んだ。
その微笑みを見た瞬間、不安に掻き毟られた心の傷が癒えるのを感じた。




