009 決断
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「私を置いて行くなんて、ひどいご主人様ね」
アルマリーゼは部屋の中で窓辺に寄りかかり、ルシードを待っていた。
「ア、アルマ! ご、ごめん、忘れてた! けど、よくここがわかったね」
「私とあなたは繋がっているんですもの。どこにいたってわかるわ」
アルマリーゼは指をパチンと鳴らす。
すると、村の入り口に置き忘れてきたはずの剣が、アルマリーゼの手に現れた。
「それ、どうなってるの?」
「この剣は私自身。私の魔力でできているから、出し入れは自由よ」
「……そうなんだ」
アルマリーゼは簡単に言うが、ルシードは驚くばかりだ。
「だからって、簡単になくさないでね」
「ご、ごめん。それより、今までどこに行ってたのさ。村に着いた時からいなかったよね? 最後に一瞬だけ出て、またどこかに消えてたし」
村に着いた際、アルマリーゼの姿は消えていた。今は構っている暇はないと目の前の敵に集中したが、急に現れては不思議に思うのは当然だ。ルシードは疑問を解消するべく、アルマリーゼに問いかけた。
「剣は置いて行かれたけれど、私はそこよ」
アルマリーゼはルシードの足元を指差して言うが、足元を見ても床しかない。
「床? 地面に潜れるの?」
「残念、はずれ。あなたの影の中よ」
「影?」
ルシードは自分の影を見るが、特に変わったところは見られない。今も部屋の中央に置かれたランプの光により、部屋の扉へと伸びているだけだ。
「手を、自分の前の床に向けてかざしてみなさい」
「こう?」
ルシードは言われた通りにし、目を疑った。影が動いたのだ。
ランプは部屋の中央、ルシードは部屋の入り口だ。しかし、影は光に逆らい、不自然にもルシードの前方、部屋の中心へと伸びていた。
「私とあなたは繋がっているから、私はそこを使って自由に出入りできるわ。もちろん、私自身である剣もそこに収納できる。試してみなさい」
ルシードはアルマリーゼから剣を受け取り、影の上に置く。
すると、ゆっくりとした動きで、剣は影の中へと吸い込まれていった。
「便利だね」
「私と契約しているからよ。私と私の剣以外は出入りできない。帯剣していると余計な警戒心まで与えてしまうから、その点では便利ね。契約したばかりで私とあなたの繋がりが細かったから鞘を用意したけれど、もう馴染んだから必要ないかもしれないわ。剣が必要な時は、同じ要領で私の名を呼びなさい」
「本当は必要ないって言ってたのは、そういうことか……影に、ね。でも、荷物を運ぶ時とか便利だと思ったけど、そう上手くはいかないってことか……あれ? 僕の影に潜れるのはわかったけど、今は部屋の中にいたよね?」
「ええ、あなたがお風呂から出て行く時に出て、悪いとは思ったけれど、お風呂をいただいていたわ。あなたが入っている間も一緒だったけれど、お風呂で話しかけられたら困るでしょう? そのあとここへ来て、待っていたってわけ」
アルマリーゼは風呂の時も一緒だったと言うが、ルシードは裸を見られたくらいでは別に困らない。しかしテオもカルロも、『人間十二にもなれば異性に裸を見せるものではない』と言っていたのを思い出し、なんとなく気まずい。
「そ、そっか。あ、お腹は空いてない? 母さんに言って用意してもらおうか? ご飯の時に来てくれたら紹介したのに……ああ、そういや、まだ目のことも伝えてなかった」
ルシードは落ち着いたら話そうと思っていたが、夕食の席では父と母は普段通りに接してくれたことからすっかり頭から抜け落ちていたことを思い出す。
「……結構よ。体は人間と同じだし、食べるという行為自体はできるけれど、食べなくても平気。そうでなければ封印されていた間に死んじゃってたでしょう? 私は空気中にある魔素を得て活動しているから……ああ、魔素というのは空気中にある目に見えない魔力の素になる物よ。人は空気と一緒にそれを体に吸収して、魔力に変換しているの」
ルシードが理解できないと思ったのだろう。アルマリーゼは丁寧に説明する。
「魔力は体力と同じように、寝て回復させることもできるけれど、起きている間も魔素を吸収して徐々に回復しているってわけ。人が持つ魔力の量は違うけれど、基本的に女性は魔力の量が多く、男性はあなたのように私の剣を使うなら一回、精々二、三回分って感じで生まれてくる。だから男は剣士を、女は魔法使いを目指すのよ」
つい先日の授業でテオも同じようなことを言っていたのをルシードは思い出したが、疑問が残る。
「どうして女性は多くて、男性は少ないの?」
「さぁ? 私も知らないわ」
ルシードは聞くが、アルマリーゼも知らないと言う。
「知らないの?」
「なら、私からも尋ねるけれど、どうして男性は力が強くて、女性は弱いの?」
「え、いや、それは……でも、男性より力の強い女性もいるよね?」
「そう、例外もいる。魔力も一緒よ、男性でも魔力量の多い人間もいるってこと。何故か知りたかったら、存在するかはわからないけれど、人間を作った者にでも話を聞くのね。ああ、そうそう。魔素は気をつけないといけないこともあるわ。魔素は魔力を回復してくれるけれど、毒でもある」
毒という単語にルシードは驚く。本の中でも度々使われるそれは、生物の活動にとって不都合を起こす物質だったと記憶しているからだ。
「毒? 空気中にあるんでしょ?」
「毒と言ってもアルコールのようなものよ。通常量なら人は魔素を魔力に変え、余分な魔素は分解するから毒にはならない。けれど、魔素量の多い場所では分解しきれずに、酩酊状態になって最後には倒れて動けなくなってしまうわ。これを魔素酔いと言うのだけれど、これも女性は分解能力が高く魔素酔いは起こしにくい。逆にあなたは男性だから、分解能力が低くて魔素酔いになりやすいわ。だから魔素量の多い場所には、行かないのが懸命ってことね」
ルシードはアルマリーゼの説明により、過去に起こった出来事を思い出す。
何故か父が自分が小さいころに描いた父の似顔絵に向かって『体が温まるから俺は飲むが、子どもにはまだ早い。お前には毒だからやらん!』と言っている姿を遠巻きに見ていた。絵に向かって何を言っているのかと思っていると、あれはルシードに向かって言っているつもりなのよ、と言う母の言葉にどういうことかと頭を捻らせたものだ。
更に、絵に向かって話を続ける父の背後に近寄った母は、椅子に乗り、父の頭に手刀を振り下ろし、そのまま倒れた父を簀巻きにしていたのだ。
おそらく酩酊というのは父の状態のことで、倒れて動けなくなるというのは母の手刀をくらい、簀巻きの状態で寝転がっていた父の姿のことだろうと当たりをつける。あの状態にだけは、絶対になりたくないと思う。
「わかった、気をつけるよ。アルマも僕の魔力回復が早いって言ってたから、すぐに魔力酔いしてしまうかもしれないしね」
「それが不思議なのよね。……まあ、遅いではなく早い、だから気にすることもないわ。ああ、それと話は戻るけれど、紹介も結構よ。だって――」
アルマリーゼはそこで妖しく笑い――
「私はあなたをこの村から攫って行く悪者ですもの。会わない方がいいでしょう?」
厳しい言葉を突きつけた。
その言葉に、ルシードはアルマリーゼと契約し、英雄レナードのもとへと連れて行かねばならないことを思い出す。
最初はテオと相談して決めるはずであったが、テオはもういないのだ。
――テオの能力を引き継いだルシードに、連れて行かないという選択肢は、すでになくなっていた。
「そう……だったね」
「契約違反は困るわよ?」
アルマリーゼは、ルシードの様子に念を押す。
「わかってる。テオじいの最後の頼みもある……行くよ。少し待っててくれるかな? 父さんと母さんに話さなくっちゃ」
「オススメはしないわ」
父と母に別れを告げたいと言うルシードに、アルマリーゼは何も知らせるなと言う。流石にこれはすぐに頷けるものではない。
「どうして!? いきなりいなくなったら心配させるよ! それにテオじいの葬式だってまだだ!」
「話したところで、どの道心配させるでしょう? 反対されないにしても、悲しませるだけよ。そこで提案があるわ。きっとあなたにも悪くない話だし、賛成するはずよ」
アルマリーゼは妖しく笑いながら言うが、ルシードには意味がわからない。話しても話さなくても心配させるなら、話した方が良いに決まってる。しかし、ルシードにも悪くない話だと言うのだ。話を最後まで聞くことにした。
そんなルシードの態度に満足したのか、アルマリーゼは話を続ける。
「私は人の特定の記憶を奪うことができるの。それで、今回奪うのは――あなたの存在よ」
ルシードにはアルマリーゼが何を言っているのか、すぐには理解できなかった。
「心配しないでも剣を使って殺す必要はないわ。私が直接能力を使って記憶を奪う。ただ、人の記憶はそう簡単に奪えるものでもないから、封印の解除に使った分と、この村全体から奪う分で、眠っている間に蓄えた約五十年分の魔力を全部使ってやっとってところだけれど……」
「ちょ、ちょっと待って! 僕の存在の記憶を奪う? それで僕に何の得があるって言うんだ!?」
やっとアルマリーゼの言っていることを整理できたルシードは、意味がわからないと騒ぎ立てるが、それでも、アルマリーゼは笑顔を変えない。
「あら? ちゃんと考えた? 私が奪う記憶はあなたの存在そのものよ。あなたはこの村で何もしていないし、誰かと会ったこともない、そして生まれて来なかったことになる。よーく考え、答えを出して」
ルシードはアルマリーゼの言い方に引っかかることがあったが、口にしようとした時、本の少年の話が思い出された。
あの本にアルマリーゼのような存在はいなかった。少年の側にアルマリーゼがいたならば、少年はアルマリーゼの能力を使っただろうか、と考える。
答えは出ない。
ただ、ルシードは少年と同じになりたくないと思った――いや、思ってしまった。
「……僕の記憶が消えたら、僕が今までしてきたことはどうなる? 会った人は? この部屋だって僕の私物で一杯だ」
「記憶を奪われた本人が勝手に補足するわ。そうね、幼馴染の三人でたとえるならあの子、カルロといったかしら? カルロがあなたの位置に入るかしら。二人の兄妹はカルロを自分たちの兄的存在であると慕い、カルロはあなたのしたこと、言ったことを、自分がした、言ったと認識する。この部屋もそう。あなたの父親が子どものころに使っていた部屋。この部屋にある物は、父親の子どものころの服や私物ってところね」
ルシードはアルマリーゼの説明になるほど、と思った。自分のいた場所には他の誰かが入り込むようだと。
カルロがあの二人に慕われるのなら問題はない。それはルシードの望むところだ。今も同じようなものだし、ルシードがあの三人にやったことや言ったことなど、たかが知れている。部屋も父の物でいいだろう。
それでも、まだ本題とも言える問題を確認しなければならない。
「今日、僕がやったことはどうなる? そこにもカルロが入るのか? カルロに全てを背負わせるなんて、僕にはできない」
「ある程度方向性を持たせることも可能よ。……そうね、今日あなたが村を守ったことは、テーオバルトがやったことにしましょう。それならあなたも問題はないでしょう?」
「テオじいが?」
「ええ、彼が村で盗賊を追い払ったあと、小屋で戦闘になったけれど、最後は相打ちで終わった。順序が逆になるけれど、些細なことよ。これならあなたの懸念もないでしょう?」
テオはもういない。逆に身命を賭して村を守ったと称えられる可能性の方が高いだろう。
今までの功績を考えても、誰も悪くは言わないはずだ。
それなのに、何故か戸惑われた。そんなルシードに――
「まだ不満? それならアフターサービスもしてあげるわ。記憶を奪うとは言ったけれど、逆に返すことも可能よ? このあと能力を使って……明日すぐに返せって言われても困るけれど、奪うより返す方が楽だから、奪う時ほどの魔力は必要としないわ。旅が終わるころには私の魔力も回復するでしょうし、旅が終わって、あなたが記憶を持って村へ帰ると言うのであればそうしましょう」
アルマリーゼはいつも甘い言葉で囁き、心の隙間に入ってくる。
やはりアルマは、僕にとっては悪魔なのかもしれない、とルシードは思った。
「――それなら」
それでも心の弱いルシードは、そんな甘い言葉に乗ってしまうのだ。
「決まりね。それじゃあ、私は上空で村を覆うように能力を使うわ。あなたは旅の準備をよろしくね。あとは……そうね、今夜は両親に会わないようにしなさい。私が能力を使用すると眠ってしまうでしょうけれど、そのあとに起きて顔合わせしても困るしね」
アルマリーゼはルシードに釘を刺す。
「……わかってる、会わないよ」
決断後のアルマリーゼの行動は早い、窓を開け出て行こうとするが、ルシードはそこで外が真っ暗なことに気づいた。
当然、今は夜だが、夜の暗さではない。それよりも深い闇が、そこにはあったのだ。
「アルマ、外が――」
「これ? これは私の魔法よ。部屋の周りにカーテンを張って、外に音が漏れないようにしていたの。そうでもしなきゃ、大声だって出していたのに、誰も来ないのはおかしいでしょう?」
「……それもそうか」
どうということはなかった。アルマリーゼが魔法を使い、この部屋を隠していたのだ。
「カーテンは張ったままにしておくわ。準備するにも音を出さないようにはできないでしょうしね」
「あ、ああ、ありがとう」
「それじゃあ、また後で。朝までには戻るわ」
そう言ってアルマリーゼは空へと飛んで行く。
みんなから僕の記憶を奪いに行ったのだ。ルシードはそう考えると気分が滅入る。
「準備しないとな」
ルシードは無理やり意識を切り替え、準備に取りかかろうとして、動きを止めた。
旅とは何を持って行けばいいのだろうか、と。
成人したら村を出るとは言っていたが、なんの準備もしていなかった自分が情けない。
そこで本の物語で登場人物が持って行く物を考える。
まずは荷物を入れるカバンが必要だった。着替えもいるだろう。タオルと洗面用具もいる。あとは火をおこすためのマッチと、方角を知るためにもコンパスは欲しかったが、コンパスを持って行くわけにはいかない。
方角を知らせてくれるコンパスは旅の必需品だが、この村では貴重品だ。勝手に持ち出すわけにはいかなかった。
しかし、太陽や星の位置でだいたいの方角がわかればいいと考え、他の物は用意しながら考えようとして動く。
「カバンは確かここに」
物置からカバンを取り出す。
「一番大きいものでもこのリュックか。大人が狩りに行く時に使ってる大きいカバンがあるけど、父さんのを勝手に持って行くわけにはいかないしな。次は服か……」
タンスを開き、着替えを取り出す。
「カバンも大きくないし、入って二日分かな。着て行く分と合わせて三日分。まあ、洗濯すればいいよな。旅なら二、三日同じ服を着てるくらい普通だろ。下着と靴下は小さいものだし多めに持って行くかな」
気楽に考え、カバンに服を入れる。そこで、
「あ、外套がないんだった。今日ので破れてしまったし、破れてなくても血でべっとりだ。あれは使えないよな。アルマが帰って来たら相談するか……」
外套がないことを思い出したが、ルシードにはどうしようもない。この寒さの中、外套もなしに旅をすれば、一日と経たず凍死してしまうだろう。アルマリーゼと相談が必要だった。
次は洗面道具を取りに行く。部屋には魔法のカーテンがあるが、部屋の外では意味がないだろうと思い、音を立てないようにゆっくりと扉を開け、部屋を出る。
部屋の外は静かだった。居間の方も暗い。父と母は自分たちの部屋にいるのだろう。アルマの能力で眠っているかもしれないが、テオの隠形術で気配を消し、足音を立てないよう気をつけて洗面所へ向かう。
ルシードは自分の洗面用具と古くなったタオルを三枚拝借し、次に台所へと向かう。
水は旅にはなくてはならないものだ。食料はどうしたものかと考えるが、明日には父が狩って来た分を取りに行くはずである。旅をしながら食料を探すにしても、それまでに食料がなければ飢え死にしてしまう。悪いとは思うが、何か持って行かねばならない。
自分の水筒に水を入れる。このあたりは氷に囲まれ、水は豊富だ。旅の途中でも補充できるだろうと、普段使っている水筒にする。次に食料を探し、干し肉を発見した。保存も効くのでちょうどいい。なくなるまでに動物を狩るか、野草でも採ろうと考え、干し肉を手に自分の部屋へと戻る。
「あとは……ああ、旅先で商人に会えるかもしれないし、ご飯の食べられるところもあるよな。となると……これが必要か」
旅先でのことを考え、元手が必要だと、ルシードは木彫りの人形を手に取った。
寒くて外に出れない日や、寝る前などに手慰みで作った物だ。
「これなら一食分くらいにはなる……よな?」
ルシードの作った中でも最高傑作ではあったが、自分が作った物だ。自信がない。
しかも、最高傑作の人形一つを残し、残りは村の子どもたちにあげてしまっていた。
「一応こっちも持ってってみるか? 小さい物だし、邪魔にはならないよな」
今度は木彫りの人形の横に置いてあった箱を手に取り、カバンの底に入れた。中には山道で見つけた青い石が入っている。両親や村のみんなにも見せたが、珍しいと感心されただけの、ただの石。
それでも自分にとっては宝物だった。持って行くことにする。
「まあ、青い石ってだけで珍しく思ってくれればご飯……は無理かなやっぱ。けど、他に珍しい物はないんだよな……」
愚痴りながらも、集めた荷物をカバンへと入れていく。最後に部屋のランプの横に置いてあるマッチを手に取り、カバンに入れる。
そこへアルマリーゼが窓を開けて帰って来た。
「おかえり、能力はもう?」
「ただいま。ええ、もうみんな眠っている。朝には自然と目が覚めるわ」
「……そっか」
ルシードは少し気分を落としながらも、これでよかったのだと返事をする。
「それで、準備はいいかしら?」
「うん。あ、いや、外套がないんだ。このあたりはこれから更に寒くなる。外套がないと辛いよ」
アルマリーゼの声で外套がないことを思い出し、慌てて相談するが――
「外套? 寒さくらいなら、私の魔法で体温を保つことができるわよ?」
アルマリーゼは魔法で簡単に寒さを防げると言う。ルシードは拍子抜けした気分だ。
「え? そうなの? 便利なんだね」
「私の格好からして、この寒さの中でドレスはないでしょう?」
アルマリーゼは黒いドレスを広げて笑う。それもそうだ。最初にアルマリーゼを見た時に場違いなドレスだと思っていたはずだが、色々なことが重なりすぎて、ルシードはそんなことも忘れていたのかと苦笑するしかない。
「さあ、行きましょう」
「待って」
ルシードはアルマリーゼが部屋の扉から出ようとするのを止めた。
「……まだ何か?」
「玄関からだと、家の鍵を閉められない。窓から出て行こう。窓なら鍵を持ち上げて閉めれば、外からでも鍵をかけられる」
「心配性ね、こんなところに泥棒なんていないでしょうに」
「それでも、一応だよ」
普段ならアルマリーゼの言う通りだろうが、山を越えて盗賊が来たのだ。泥棒が来ないという保証はない。
「わかったわ」
アルマは窓を開け、外へ。ルシードもそれに続いてリュックを背負い、外へ出たところで、窓を閉めようとした手が止まった、が――
「ルシード?」
アルマリーゼの声に、背中を押されるようにして窓を閉めた。もう物心ついたころから住んでいたこの家に入ることはできない。
「……ごめん、忘れ物はないかと考えてた」
ルシードは咄嗟に口から嘘が出た。
旅に出ると家が恋しくなると言うが、旅に出る前から家が恋しいとは、恥ずかしくて言えない。
「そう、それじゃあ――」
「待って」
「……今度は何?」
再びルシードに止められ、アルマリーゼは不機嫌になりながらも、まだ何かあるのかと返す。
「アルマの能力が効いているかを確認しておきたい。父さんか、母さんが家から出た時に一度だけ……会いたい」
「こんなところに旅人なんて来たことないんじゃないかしら。それに、両親である必要もないでしょう?」
「お願いだ。ここに来た言い訳は朝までに考える」
ルシードはアルマリーゼの赤い目を見て、真摯に言う。
「……一度だけよ」
ルシードの願いが通じたのか、アルマリーゼは折れてくれたようだった。
「ありがとう、玄関の方で朝まで待とう」
ルシードは家の玄関へと足を向ける。
外は寒くなかった。きっとアルマリーゼが魔法を使ってくれているのだろう。