008 最後の食卓
◆
「サロメ、しっかりおし!」
アマンダが叫び、サロメの頬を叩いた。
「え? ア、アマンダさん? わ、私……」
「大丈夫かい? 怪我は?」
「あ、だ、大丈夫です」
アマンダの声でやっと我を取り戻したサロメは、気の抜けた返事をする。
「ほら、立てるかい? ニコラ! ロージー! サロメを連れて、アンガスとニックスを診てやんな!」
アマンダはサロメを立たせ、ニコラとロージーに指示を出す。
サロメは少し怯えた目でルシードを見て、小さくお辞儀、ニコラとロージーに支えられ、入り口へと歩いて行った。
「あんたたちもボロボロじゃないか? どこか痛むかい?」
「左肩は痛むけど……大丈夫です」
「へへっ、俺はまだまだいけるね!」
ラウルのやせ我慢に、アマンダは笑っている時ではないと、軽く、それでも優しく頭を小突いた。
「無理すんじゃないよ、すぐに傷薬を塗ってやるから家に来な。ルシードは……あ、あんた血まみれじゃないか! どっか怪我してるのかい!?」
ルシードの姿に気づいたアマンダは、慌ててルシードに駆け寄る。
目を覚ましたところでサロメが人質に取られている姿を目にしたのだ。そちらに注意が行くあまり、ルシードの姿は目に入っていなかったようである。
「へへっ、大丈夫、大丈夫! 怪我なんかしてねーよな!? すごかったんだぜ、ルシ兄! あいつらを次々と斬ってったんだから! それより、あんな戦い方いつの間に覚えたんだよ!」
「うん、僕も見てた。すごいよルシ兄は……まるでテオじいみたいだった!」
一緒に走って来たカルロとラウルが笑いながら声をかけてくれるが、カルロから出たテオの名前に、ルシードの胸が痛む。
「……うん、大丈夫。全部……返り血だから」
自然と声が小さくなった。
「あんた……」
何かを察したのか、アマンダはルシードを胸に抱き寄せる。
「あんたがやってくれたんだね。本当に怪我はないかい?」
「ア、アマンダさん服に血が! 大丈夫! 怪我はないから!」
ルシードはアマンダをはねのけようとするが、更に強い力で抱きしめられる。
「そんな細かいことはいいんだよ。……それより、本当によくやったよあんたは。何も悪いことなんかじゃない。気にしないでいいんだ」
アマンダの言葉に、ルシードは押しのける手から力が抜けてしまう。
「すぐに湯を沸かしてやるから、全員風呂に入ってから帰んな。血もそうだが、土まみれだよ」
「ごめんなさい、僕は先にクララを呼びに行かないと。村のみんなに隠れるよう伝えてもらったんです。もう大丈夫だと、伝えに行かないと」
そこでカルロがクララのことを思い出し、口にする。先程決意した気持ちを、すぐにでもクララに伝えたかったのだ。
「あんた、肩は大丈夫かい?」
「痛みますが、動く分には大丈夫です」
「そうか、無理だと思ったら誰かに伝えて、私の家に来るんだよ」
「はい」
「俺も行こうか?」
「ラウルが一番ひどい状態だよ、アマンダさんに傷薬塗ってもらった方がいい」
ラウルも行くと言うが、カルロには何度も蹴り飛ばされたラウルの怪我が、一番ひどく思えた。見るだけで全身打ち身だらけだとわかる。
「そうだ。あんたはこっちだよ」
カルロについて行こうとするラウルの首根っこを、アマンダが掴む。
カルロは右手を振り、村の奥へと歩いて行った。
「さ、ルシードも行くよ」
カルロを見送り、アマンダが家に来るよう言うが、ルシードにはまだやらなければいけないことがあった。なかなか切り出せないでいたが、言わなければならない。
「待って」
今度はアマンダを押しのける。
「小屋に……小屋にテオじいの…………」
ルシードは最後まで言葉が出ない。
しかし、アマンダはそれだけで察したのか、
「そうか、テオさんが……迎えに行かないとね」
優しくルシードに語りかけた。
「……うん」
「え? 何? テオじい? テオじいがどうかしたの?」
そんな二人の様子を不審に思ったラウルが口を開くが、そこに割り入るようにして声が届く。
「お前たち、大丈夫か!?」
村の入り口が騒がしい。
狩りに出ていた男たちが帰って来たのだ。
入り口で話を聞く者。男たちの死体を確認する者。家族の安全を確かめに行く者。
そして――
「大丈夫か?」
ルシードの父だ。
「父さん……うん、僕は大丈夫。けど……」
「ああ、わかってる。小屋の前を通って来た。俺たちは先行して来たが、あとから来る者たちが連れて来てくれる。もうすぐ、着くはずだ」
そこで父は改めてルシードを直視し、
「……入り口で聞いた。お前がやったんだってな。よくやった。よく村を守ってくれた」
そう言ってルシードの頭をガシガシとなでる。
「……え? なんだよ? テオじいがどうしたってんだよ!?」
ラウルは声を振り絞る。ラウルにもなんとなく理解できていた。理解はできていたが、誰かの口から聞くまでは理解したくなかったのだ。
そこに誰かを背負った村の男が帰って来た。
――テオだ。テオを背負っている。
それを見たラウルは、
「嘘だろ? テオじい? テオじいー!」
涙を流しながら駆けて行く。
ラウルは何度もテオの名を呼び、その動かなくなった体に、すがりついて泣いていた。
ルシードは動けない。本当は今すぐラウルと同じように駆け寄りたかったのに、動けなかった。
僕が殺したのだ――僕がテオじいを……。
その体に触れる資格などないと、ルシードは思った。
瞳に涙が溜まったが、流れる前に袖で乱暴に拭う。
「今日は村長の家で寝かせることになる。お前は今日はゆっくり休め、明日会いに行ってあげよう」
父の言葉に、ルシードは何も返せない。
「風呂に入れてやろうとしてたんだが、どうする?」
「いえ、妻も心配してるでしょうし、このまま連れて帰りますよ。風呂は家で入れます」
「そうかい、頼んだよ。私はラウルが落ち着いたら薬を塗ってやらないとね」
アマンダの声は震え、目から涙が流れていた。
当然、アマンダもテオの教え子の一人だ。今すぐ駆け寄りたいはずなのに、気丈に振舞っていた。
アマンダと別れ、ルシードは父と二人きりになる。
「……目は大丈夫か?」
「……目?」
父の言葉がわからず、ルシードは聞き返す。
「いや……大丈夫ならいいんだ。気にするな」
父は気にするなと言ったが、目――その単語にルシードは自分の瞳が黒から赤に変わっていることだと気づく。
カルロ、ラウル、アマンダはルシードが返り血で目の変化に気づかなかったが、父は息子の顔を見た時にすぐに気づいていた。強いショックでルシードの瞳の色が変わったのではないかと思い、ルシードに尋ねたが、視力が落ちたわけではないと安心したのか、それ以上触れようとはしなかった。
しかし、ルシードには精霊と契約したからだとわかっていた。そのことを告げようとしたところで――
「ほれ」
父が片膝をついて屈み、両手を後ろにやる。
「……何?」
ルシードはまたしても父のことがわからず聞き返す。
「おぶってやる」
「……え」
「今日は特別だ」
父なりの優しさなんだろうと、ルシードは思う。
「重いよ?」
「息子の成長を感じられる瞬間だな」
父の冗談も今は嬉しい。
「じゃあ、遠慮なく」
ルシードはその背中に乗る。
「ははっ、なんだ、軽い軽い。いや、俺が力持ちだな。帰ったら母さんもおんぶしてやろう」
「そうだね、きっと喜ぶよ」
「いや、重く感じたらショック受けるしな。止めとくか」
ルシードは笑う。
そこでやっとルシードが笑ったことを確認したのか、
「よし、眠たくなったら寝ていいぞ。家に着いたら起こしてやる」
父は安堵し、普段よりも優しい声でルシードに語りかけた。
「うん、ありがとう。でも大丈夫、寝ないよ」
ルシードは父の大きな背中へと体を預ける。
自分も大きくなったと思っていたが、父の背中はその何倍も大きく感じた。
父の背に乗り、家までの道のりを少し移動したところで、ルシードは人影を発見する。
「父さん、少し回り道して帰ろう」
「ん? おっ、そうだな、邪魔しちゃ悪い」
お互いに小声で話し、そこにいた人物らに気づかれないようにして道を変える。
影は二つ、カルロとクララが寄り添い、抱きしめ合っていたのだ。
それを見て、ルシードは嬉しく思う。
「いやー、俺も若いころを思い出すなー。よく母さんを連れ出して、星を見に行ったりしたもんだ。お前もそうだろ?」
「ちょっと。人が感慨に耽ってるのに、痛いとこ突かないでよ。知ってる? 感慨に耽る」
「ぐっ、あ、あれだろ? 勘が良いに老けるってのは、勘の良いお前は、あの二人の気持ちにいち早く気づいたが、二人を引っつけるのに苦労して老いた感じになったってことだ。……それよりも腹が減ったな! 早く帰って飯だ、飯」
ルシードは父の答えが見当違いだと知りながらも、自分の気持ちと微妙に合ってることに苛立ったのか、突っ込まない。
「……そうだね、お腹が空いたよ。早く母さんのご飯が食べたい」
「ははっ、ならちょっと急ぐか」
父はルシードを背負い直すと小走りになり、家までの道を急ぐ。
ルシードはカルロとクララに思いを巡らせる。
ああ見えてカルロは意外と奥手だ。応援するにも色々と苦労したのを忘れるはずもない。
さっきカルロがいた時に、テオのことを言えなかったのは結果的に良かったのだろう。
きっとテオのことを知っていればタイミングがずれてしまい、最悪カルロとクララが一緒になるのことはなかったかもしれない。
あの二人なら、このあと知ったとしても、お互いを支え合ってやっていけるに違いないと、心から思った。
◆
家に着き、ルシードは父の背中から降りる。流石に背負われたまま母に会うのは恥ずかしかった。
「ただいまー!」
「おかえりなさい、さっきここにもカルロ君が来てくれて、色々と聞いたわ。大変だったみたいね」
父が扉を開くと、母が出迎えてくれた。カルロからすでに盗賊が来たという話は聞いているようだったが、その顔は普段通りだ。
「ああ、だがルシードがよくやってくれた」
「ただいま、母さん」
「……おかえり、ルシード。カルロ君から、見ても驚くなって聞いてたけれど、本当にひどい格好ね」
母は話を続けながらも、父に目配せする。きっとルシードの目に気づいたのだ。父にそれとなく確認し、父も言葉にはせず、ただ頷いた。
それだけで母は問題ないとわかったのか、触れようとはしない。
「早くお風呂に入った方がいいわ。沸かしてあるから、先に入ってらっしゃい」
二人が触れないのならば、今すぐ話す必要はないと思い、ルシードも触れない。今は母の言うように、体を洗いたかった。落ち着いた時にでもゆっくり話す方がいいと判断したのだ。
「そうだな……一人で入れるか?」
「そうね。久しぶりにお母さんと一緒に入る?」
「やめてよ。子どもじゃない。大丈夫だよ」
いつもの冗談で、子どもだから一人で入れるか? と二人が言ったわけでないのは、すぐにわかったが、いつもと同じ言葉で、ルシードも笑って返す。上手く笑えたはずだ。
「そうか。父さんは親父たちのところに行って簡単に話してくる。せっかくの家族団欒に押しかけられちゃ敵わんからな。何かあったら母さんに言うんだぞ」
「うん」
父は別の家で暮らす祖父たちのもとへ行くと言い、ルシードはそれに頷き、風呂場へと向かう。
脱衣場で服を脱ぐ、外套は破れ、血だらけだ。もう着ることはできないだろう。
風呂場に入り、桶でお湯を掬い、頭からかぶる。頭と体を洗い、手を見た。
体についた血は想像していたよりも簡単に落ちたが、村を襲った男たちの血だ。何も感じることはなかった。
「僕、ちゃんとやれたかな? テオじい……」
答えてくれる人は、もういない。
◆
急いで戻ったのだろう。ルシードは途中から母に代わって薪をくべていた父に礼を言い、風呂からあがって用意されていた服を着て戻る。
「ご飯の用意ができてるわよ。今日はシチュー、お父さんがザックさんに荷物を預けたままなので、お肉は少なめです」
「しょ、しょうがないだろ。急いでてそれどころじゃなかったんだ」
母は笑っているが、目元が赤い。きっと父からテオのことを聞いたのだろう。それでも、表に出さないようにしているようだった。
「肉がなくても母さんのシチューは好きだよ」
「お母さん、シチューの回数増やしちゃう!」
「毎日三食シチューだけは止めてくれよ」
「失礼な。ならお父さんはニガイ菜三食ね」
「ぐっ」
本気の目だった。
ルシードはそんな母に触れまいと席に着く。母がよそってくれたシチューがあり、一口食べる。
今日ほど美味しいと感じた日もないだろう。ふいに左目から一粒の涙が流れてしまった。
今夜寝る時まで涙は流すなと言われたのに、またテオの言いつけを守れなかった自分を、ルシードは恥ずかしく思う。
「ははっ、母さんのシチューは泣くほど美味いからな! その気持ちはよくわかるぞ」
「味の分かる息子で、お母さん嬉しいわ」
二人はいつも通りを努めて振舞っているようだった。
それに習い、ルシードもいつも通りに振舞う。
「そうだね、美味しいよ」
その後もいつも通り、たわいない話をした。父の狩りでの活躍、母の世間話。
決して今日のことには触れず、話を進める。その気持ちが嬉しい。
だからこそ、悲しかった。
ルシードは今日、人を殺した。村を襲った悪人だ――後悔はしてないが、思うところもある。
この村は、村で一つの家族のようなものだった。村全体で助け合って生きてきたし、ケンカはあっても、誰かを殺したなど、ルシードの知る限りでは、一度もなかった。
そんな時、村で起きないような内容は、本に書かれた情報を鵜呑みにする。
ルシードは本が好きだ。英雄レナード物語はもちろんのこと、大人がたまに手に入れて来る本も読ませてもらったことがある。
その中の一つに少年が人を殺す話があった。少年は話の序盤で友人を助けるために人を殺したが、正当防衛を認められ、罰を受けない。しかし、少年は今まで友人だと思ってた者や、近所の住人から、影で人殺しと呼ばれることとなる。
最初は自分だけであったが、次第に被害は家族にも及び、遂には助けた友人からも距離を取られ、家族からも、家を出て行けと言われるのだ。
ルシードは、父と母はきっと優しいままだと信じている。
だが、サロメの怯えた表情が頭をよぎる。サロメは言わないかもしれない。しかし、他の誰かは言うかもしれない。村の人間をそんなふうに考える自分に、嫌気が差した。
あの本は上巻だけで下巻はなかったそうで、結局あの本の続きは読めていない。あの少年は幸せになれたのだろうか……。
今すぐにでもあの本の続きが読みたいと、ルシードは思った。
そのあとは何事もなく食事を終え、父が言う。
「今日は疲れただろうし、ゆっくり休みなさい。父さんも母さんも家にいる。気分が悪くなったりしたら言うんだぞ」
「うん、ありがとう」
ルシードは礼を言って自分の部屋に戻った。
扉を閉めると――
「私を置いて行くなんて、ひどいご主人様ね」
そこには部屋の中で窓に寄りかかったアルマリーゼが、ルシードを待っていた。




