086 難攻不落の要塞
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時は過ぎ、夜もすっかり明けて訓練場にも明るい陽の光が差し込んでいる。
四人娘は新しく手に入れた無詠唱魔法の感覚を忘れまいとこのまま続けると言い出し、ルシード自身も魔法の練習をかねてそれに付き合ったが、四人娘の勢いは収まる気配がない。時間も忘れるほどに練習に明け暮れ、すでに朝の十時を指し示そうとしていた。ルシードは昨日、レーヴェに戻る馬車の中で眠ったが、四人娘は元気なものだ。
しかし、ルシードはこのあとの予定がある。そろそろ切り上げようと、口を開くことにした。
「そろそろ終わりにしないか? 朝食も食べてないから、いい加減お腹が空いたよ。それに、このあとは荷物を取りに行かないといけないしな」
「え!? もうそんな時間!?」
「ホントだ。やっぱ楽しいことやってっと、時間経つのがはえーな。……あー、ギルドからの報告も受けちまったし、アタシたちも王都に戻らねーといけねぇのか。帰ったら学園……そう考えると憂鬱だぜ」
「むぅ、もっと神様と魔法の練習したかった」
「そうですね。惜しむ気持ちはありますが、続きは王都で、ということにしましょうか。ルシードさんも王都に行かれる予定は変わっていませんよね?」
「ああ、とりあえずはこの領土で一番大きいアニスって街に向かうけど、そのあとは王都だろうな」
ルシードはセラフに尋ねられ、今後の予定を思い出す。現状、英雄レナードがどこにいるかの確認は取れておらず、王都にいるらしいという話が有力だ。アニスに向かい、そこで違う場所にいると聞けば予定は変わってしまうが、そうでなかった場合は王都を目指すつもりでいる。
「へ? アニス? なんで?」
「なんでって……みんなは直接王都に向かうのか?」
現在拠点にしている魔法都市レーヴェから一番近い街はエンバリーだが、昨日その街から帰って来たばかりだ。もう一度寄ってアニスへ向かうよりは、直接アニスに向かった方がいいだろうとルシードは考えたのだが、ルーファは意外そうな顔をして聞き、ルシードも、四人娘はどの街にも寄ることなく、直接王都に向かうのだろうかと、聞き返した。
「そりゃ、アタシらは直接――あ! そうかそうか! お前、これ持ってないんだったな!」
ルーファは何かに気づいたように冒険者カバンへと手を伸ばすと、そこから一つの水晶を取り出し、ルシードに見えるように突き出した。
しかし、ルーファが取り出した水晶はルシードには見覚えがある。と、言うより、すでに持っている物だった。
「いや、それなら持ってるよ。これと同じ物だろ?」
ルシードは冒険者カバンから同じく水晶を取り出してルーファに見せる。
「え!? あ、あれ? なんで持ってんだよ?」
「別れ際にホープがくれたんだけど?」
そう、ルーファが取り出した水晶はホープが別れ際にルシードに贈った物と同じ物だったのだ。ルシードはホープ、そしてルーファが持っていたことから、今、若者の間で流行っているのかと当たりをつける。王都へ行くという話しから水晶の話になったことなど、すっかりどこかに消え失せていた。
「あいつが!? なんで!?」
転移水晶はそれ一つで大金貨一枚だ。ギルドに転移部屋が設置された街に限るが、遠く離れた街から街へと一瞬で移動できることを考えると安いものだと、上位の冒険者は物惜しみするような真似はしない。
だが、他の冒険者に贈るとなれば話は別だ。ルーファには、何故ホープがルシードに贈るような真似をしたのか理解に苦しむ。
「なんでって……なんでだろ?」
「まあまあ、いいじゃありませんか。ルシードさんもアニスに向かったあとは王都へ向かうと仰っていますし、ここからアニスまでは馬車で一日程度です。この領土で一番大きな街ですし、他の街にはない、ちょっと変わった物もあります。ルシードさんが寄ってみたいと思う気持ちも、ルーファにだってわからなくはないでしょう?」
「あー、そういや、レーヴェで開発されたけど、最初に設置されたのはアニスだったな。確か大きな施設もあったし、見学できるのはアニスだけなんだよな。一度見たいって気持ちはわかるぜ。実際、アタシたちもそうだったしさ」
「そうそう! あれには驚いたもんよね! 実験も成功して、王都じゃもうすっかり馴染んじゃったけど、生活が一変したもん! なんでレーヴェじゃいまだに原始的なのかしら?」
「その方が雰囲気が出るからだと私は思う。魔女的に」
話に置いていかれたのはルシードだけだが、せっかく盛り上がっているところを邪魔するのも悪いと、ルシードは話に乗ることにした。
「そうなんだよ。やっぱ王都に行く前に、一度は見ておきたいと思ってさ」
「へへっ、わかってんじゃん!」
ルシードの背中をバシバシと叩くルーファ。ルシードは何もわかっていないが、背中が痛いことだけはわかる。
「ですが、そうなると私たちとはここで一旦お別れですね。寂しくなります」
「何言ってんのよ。それでも二、三日遅れなだけじゃない。またすぐに会えるわよ」
「それでも寂しいものは寂しい。神様、王都に着いたらすぐに連絡して。王都のギルドに伝言を残すか、学園に来てくれれば、すぐに会いに行くから」
「ああ、そうさせてもらうよ」
彼女たちには王都を案内してもらう約束をしているのだ。ルシードは是非とも王都に無事たどり着き、実現したいものだと考える。
「そうと決まれば、私たちも帰る準備をしないとね」
「俺もアニスまでの馬車を準備してもらわないとな……ギルドを出る前に、リリーさんにお願いしておくか」
「なんだか急にバタバタしてきたな」
「すっかり魔法の練習で時間を潰しちゃったしね」
「でも、それだけの成果はあったということです。本当にルシードさんには感謝しきれません」
「ふっふっふ、今からクラスメイトの驚く顔が目に浮かぶ」
四人娘とはそこで別れ、ルシードは訓練場を出て、リリーのいる受付へと向かう。アルマリーゼとベルは一向に休憩しようともしない五人に呆れ、いつの間にやらどこかへ消えていたようだ。
「おはようございます、リリーさん」
リリーが受付に座っていることを確認したルシードは、すでに十時を回っているが、これでいいだろうと、リリーに挨拶した。
「おはようございます、ルシードさん。昨夜はお疲れ様でした。ずっと訓練場に居座っている冒険者がいると、夜勤の者から聞いて驚きましたよ」
「すみません。みんな熱が入ったようで、時間も忘れてしまいました」
「いえいえ、いいんですよ。稀に魔道具を求めてこの街に来られる冒険者の方もいますが、訓練場はいつも閑古鳥が鳴いていますしね」
「そう言ってもらえると助かります。それと、実は一つお願いがありまして、二人が乗れるアニスまでの馬車を手配してもらえませんか? 呼び寄せるとなると、時間がかかりますかね?」
「ふふっ、それはタイミングがいいですね。今朝、アニスから荷物を運んで来られた行商人の方がおられます。お二人とのことでしたらスペースにも問題はないでしょうし、よろしければ私の方で話を通しておきますよ。今夜引き返すと仰っていたので、もうしばらくは時間に余裕があると思います。いつもなら十八時過ぎから、遅くても十九時までにはこの街を出て行かれるはずですので、それまでにこの街の入り口でお待ちください。商人の方は冒険者が同乗しているというだけで安心だと仰る方も多いので、断られることはないでしょう」
渡りに船とはこのことか。乗るのは馬車だが、ルシードは幸運とばかりにお願いすることにした。
「それは助かります。それでは、お願いできますか?」
「了解しました。今度はアニスまでお出掛けですか?」
「いえ、そろそろ旅を再開しようかと思いまして……今日でこの街とはお別れです」
いつものように陽気に聞いたリリーだが、ルシードの返事でほんの少し表情が曇る。ギルドの受付は出会いと別れが多いが、五年経った今でも慣れるものではなかった。
「……そうですか。それは寂しくなりますね」
「……すみません」
「そんな顔をしないでください。まるで今生の別れみたいじゃないですか」
「顔? ……あれ? 俺の表情がわかるんですか?」
リリーの言葉で表情を読み取られたと思ったルシードは、つけている仮面が外れているのかと思い、顔に手をやるが、仮面は顔にしっかりと張りついたままだった。
「ふふっ、私ほどの受付にもなれば、仮面越しだろうと相手の表情を読み取るなど造作もないことです」
「へえー、それはすごいですね」
椅子に座ったまま背筋を伸ばし、腰に両手を当てて胸を誇らしげに張るリリーに、ルシードは嘆声をもらす。
「あ、いえ、今のは冗談なので信じられると困ります。私の願望を口にしたのに、ルシードさんったら当たったみたいに言うんですもの。ちょっとベテランっぽく振舞ってみました」
「ふふっ、そうでしたか。でも、リリーさんならすぐにベテランになれますよ。俺はそう信じていますし、最初に出会えた受付がリリーさんでよかったって思っていますからね」
「ありがとうございます。私も頑張りますね」
ルシードの軽口にも、リリーは柔和な笑顔で、余裕を持って答える。この街では見られない光景だが、ギルドの受付は女性が担当することになっており、受付嬢を目当てにやって来る冒険者もいないわけではない。そこでギルドの受付講習では、しっかりと対処できる者にしか立つ資格はないとされているのだ。それはもう、『受付嬢』と書いて『難攻不落の要塞』と読まれるほどである。
それに、相手は自分よりも五歳年下の少年だ。ルシードの素行からも、リリーを恋愛の対象にした様子は一度として感じたことはない。リリーが大人の対応をするのは当然だ。
「それに、今回は別れを悲しんでばかりもいられませんしね」
とはいえ、実際に男性との出会いがないこの街での独り身は、少々寂しいものがある。学生時代は勉学に励み、休日は女友達との付き合いに振り回され、ギルドに就職してからも、研修期間中は覚えることの多さに恋愛が入る隙間さえなかったリリーは、このまま話を続けると、逆にリリーが何かを期待して待っているのではないかと思われるかもしれないと、話題を変えることにした。
「今回はルシードさんのおかげで、この街から新しい冒険者たちが生まれましたからね。あの子たちを導き、守るためにも、立ち止まってなんていられません」
「それは俺からもお願いします。ここで成長を見守ることができないのは残念ですが、俺にもやらなければならないことがあるので……それだけが心残りです」
「はい、私に任せてください。必ずや立派な冒険者にしてみせますよ」
リリーの言葉に、ルシードは肩の荷を一つ下ろした気持ちになる。リリーがしっかりと見てくれるなら安心だ。ギルドからの依頼だと、無理難題を押し付けられることはないだろう。
リリーにはお世話になった。これからも弟子の子どもたちで更にお世話になることだろう。ルシードは、リリーにもスピリティア・ストーンを渡しておきたかったが、その前に聞いておかねばならないと口にする。
「……ところで、リリーさんは好きな男性とかっていますか?」
老婆に決まった相手がいる女性に渡してはいけないと言われたルシードは、まずは探りを入れてから渡そうと考えたのだ。
「……はい?」
しかし、ルシードの言葉があまりにも突拍子がないことから、リリーはしっかりと聞き取れていたにもかかわらず、聞き間違いではないかと疑問を口にした。
「リリーさんは、好きな男性はいませんか? もちろん、この街に男性がいないことは知った上で聞いています。ほら、遠距離恋愛って言うんですかね? 離れた場所に好きな男性とかいないのかな? と思いまして」
「…………はい?」
聞こえてはいる。聞こえてはいるが、今の流れからどうしてそんな話になっているのか、リリーは理解が追いつかない。
「ですから――」
「い、いえっ、聞こえてはいるんですよ!? でも、その、えーっと、なんと言いますか……好きな男性はいませんですよ?」
リリーは講習で受けた内容を思い出そうとするも、いきなりの展開に思考が乱れ、言葉遣いまでおかしくなってしまった自分に、なおも混乱する。もしかして年下が好みだったのだろうか、と意味もなく自問自答を繰り返すだけだ。
「そうですか。それはよかった」
いったい、何がよかったと言うのだろうか。リリーの頭は冷静になろうとすればするほど混乱する一方で、ルシードはそんなリリーに気づいていないのか、冒険者カバンから一つの布包みを取り出して、リリーの前に置いた。
「よければもらってください。その……お守りになればと思いまして」
ルシードと布包みを見比べていたリリーは、意を決して布包みを開き、あまりの衝撃に固まる。
年下の少年が自分に? いったい、どこでフラグが? 先程までそんな素振りは微塵たりとも見せなかったではないか……リリーは講習で受けた『冒険者からは何ももらってはいけない』という注意点など、どこかに消え失せてしまう。
「わ、わわわわわ、わたっ、私にですか!?」
「はい、リリーさんに。あとは……そうだ、ギルド長さんってどうなんですかね?」
一方、急に取り乱したリリーを不審に思うも、ルシードは約束の時間も迫っていると話を進めることにした。ギルド長であるメリッサにもこれから迷惑をかけるだろう。相手がいないのであれば、お守りになればとギルド長の名前を出したが――
「ギ、ギルド長!? ダ、ダメ! いけません! ギルド長はもうお歳ですし、今も別れた旦那さんに未練があるに決まっています! だから、わ、わたっ、私が受け取ります!」
ルシードの気持ちを知らないリリーは、まさかのギルド長と天秤にかけられ、自分が受け取らないのであればギルド長に渡そうとしているのではないかと焦り、根も葉もないことを口にした。
「そうですか。では、それはリリーさんにお渡しします」
そんな過去があったとはいざ知らず、ギルド長に直接聞いてしまっていたら悲しい思いをさせるところだったかもしれないと、ルシードはリリーに感謝する。
「は、はいっ! お受けします!」
しかし、リリーの返事を受け、ルシードは、やはり先程からリリーの様子がおかしいと訝しむ。
少々言葉遣いがおかしいとは思っていたが、『お受けします』とはどうしたことか。合っているようで微妙に間違っているような……いつものリリーから感じる余裕も感じられず、顔の赤さから熱でもあるのではないかと疑うが、そこでリリーの後ろ、ルシードたちの会話が聞こえるはずもない場所、ギルドの職員たちが働く姿の一番奥で、一人、リリーをじっと見つめる人物がいることにルシードは気づいた。
受付から十数メートルは距離があり、更には前面をガラスで遮られているものの、見通しのよい席で、まるで睨んでいるかのような視線だが、きっと視線の人物であるギルド長――メリッサもリリーの体調が悪いことを知り、リリーの様子を見ているのだと思ったルシードは、自分が休むように諭すよりも、上司であるギルド長から休むように指示された方がいいだろうと、早々に切り上げ、あとを任せてギルドを去ることにする。
「では、俺はそろそろ失礼します。リリーさんも体に気をつけてください」
「はい、ルシードさんもお元気で……必ず、必ず戻って来てくださいね」
ルシードに返事はない。ただ小さく頷き、背を向けてギルドを出る。
その背中を熱い瞳で見送ったリリーは、ルシードがギルドから去ると同時、静かに背後に立つメリッサに気づかないのであった。




