083 旅立ち前の一時
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ベアトリクスの家を出たルシードは、必要なものを揃えようと、老婆が営む雑貨屋へと足を運んだ。すでに陽も沈み、あたりは暗くなっている。
「こんばんは、お邪魔します」
「ほっほっ、いらっしゃい、よく来たね。今日はなんの用だい?」
「そろそろ街を発つので、必要になりそうな物を買い込んでおこうかと思いまして」
「そうかい、それは寂しくなるねぇ……。でも、若いうちに色々な場所を見ておくことは、とても良い経験になる。体には気をつけるんだよ」
「ありがとうございます。それでは、見させてもらいますね」
現在の懐具合に気を大きくしたルシードは、雑貨店の中を歩き回り、必要になりそうな日用品を見つけては買い物カゴに入れていく。今にもカゴから溢れてしまいそうだ。
「消耗品はこんなところか。あとは……傷薬なんかも買っておいた方がいいよな」
魔法が使えるようになったとはいえ、魔力切れで使えなくては意味がない。ルシードは傷薬と、前回の教訓から解毒薬も一緒にカゴに入れる。
「これでよし」
新しい武器は予備のナイフを補充しただけだ。テーオバルトの知識で槍なども使えるが、やはり剣やナイフの扱いの方が秀でていることには変わりない。
それに何より、アルマリーゼの剣を超える武器は存在しないことからも、必要ないと判断した。
「会計お願いします」
老婆のもとへ戻ったルシードは、カゴを台に置きながら老婆に話しかける。
「こりゃまた、たくさん買ってくれるね。これで老後も安心だよ。ありがたや、ありがたや」
ルシードを拝むように手を合わせる老婆に、ルシードは苦笑するしかない。
「他にも買っておいた方が良い物ってありますかね?」
「どうかねぇ、私も若いころは色々な場所を見て回ったもんだが、水と食料さえありゃ、案外どうにでもなるもんさ。爺さんが亡くなって、もう十年にもなるか……この街に来て商売を始めるまでは旅をしていてね、爺さんとはその旅の途中で出会ったんだよ。その時もお互いに無一文だったが、なんとかなるもんさね。話すと長くなるが、聞いてくかい? なぁに、爺さんと連れ添ったのは五十年にも満たない話だ。面白い話だけでも、一年ありゃ語ってやれる」
老婆の提案にルシードは心が揺れる。テーオバルトの昔話も面白いものばかりだったのだ。きっとこの老婆の話も、愉快な冒険活劇だったのだろう。
だが、聞いて行きたいのは山々でも、ゆっくりしていられる時間はもうない。
「お婆さんの話も聞いてみたいところですが、流石に一年も先延ばしにできないので……次にこの街に寄ることがあれば、その時にお願いします。だから、お婆さんも体を大事にして長生きしてください」
「ほっほっ、そこまで言われちゃしょうがないね。次に会う時までとっておきの話を考えておいてやるよ」
「ありがとうございます。そうだ、お婆さんにもこれを……出会いの記念と思ってもらってください」
ルシードは老婆にもスピリティア・ストーンを渡しておこうと、冒険者カバンから取り出して渡す。
「おやおや、スピリティア・ストーンじゃないか。気持ちは嬉しいが、これは受け取れないね。こう見えて爺さんに操を立てているんだ。レーヴェに住むようになったのも、爺さんを思ってこそだ。これは返すよ」
しかし、老婆は布を開いてスピリティア・ストーンを確認すると、ルシードに突き返してきた。
「こんな皺くちゃなババアにはもったいない代物だ。旦那や決まった相手がいる者にも、決して渡しちゃいけない。そうだね……あんたならルーファに渡してやるのがいいね。あの子はああ見えて、こういうことには引っ込み思案だ。あんたが手を引いてやらないことには、いつまで経っても何も言い出せないで終わっちまうよ」
ルシードは老婆の言葉に、今まで何も考えずにスピリティア・ストーンを渡していた自分を反省する。
マーカスの説明では、好意を持つ男性にもらうと身を守ってくれるという話だったことから、ルシードは友人でも大目に見てもらえるだろうと、知り合った女性には渡すようにしていた。
しかし、今の老婆の話で、それは間違いだったと気づく。もし、受け取った女性に意中の男性がおり、その男性も女性のことを好いていたとしても、女性がスピリティア・ストーンを持っていることを知れば、別に意中の相手がいるのだと勘違いしてしまうかもしれないのだ。誰彼構わず渡していいはずもない。
「そうですね、俺が間違っていました。これからは気をつけて渡すようにします」
「ほっほっ、なかなかにぷれいぼーいの資質がありそうだね。代金は大銀貨八の銀貨六だよ」
「ぷれ……? はあ、ありがとうございます」
ルシードは老婆の言っている意味もわからず、商品の代金を払って店を出た。
「プレイ……なんだっけ? ボーイだっけか? 辞書に載ってないな。古い、いや、載ってないってことは新しい言葉なのか……? む、前にサーシャが言ってたカンストってのも載ってないぞ? やっぱり新しい単語か、もしくは都会でしか使わないような単語なのか……それとも何かの略か?」
ルシードは老婆の言っていた単語と、ケーキ屋を出る際にサーシャが言っていた単語の意味を調べようと辞書を引くが、単語が載っていないのでは意味がない。
「ぷれい……遊ぶ、始める、それとも祈るか? 遊ぶ少年、始める少年、祈る少年。この中だと、それっぽいのは遊ぶ少年か……まだまだ遊びに夢中な少年だって言われたのかな」
てっきり資質があると言われたことから褒められたのだと思ったルシードだったが、勝手に解釈した訳で、勝手に肩を落とす。
「……少年?」
そこでルシードは、老婆にボーイ――少年と言われたところが気になり、顔に手をやるも、顔にはしっかりと仮面が張り付いている。
「見抜かれたってことだよな?」
ルシードは老婆の雑貨屋の方へと振り返るが、老婆は店の中だ。どうやってルシードが男だと気づいたか、種明かしはしてもらえそうにない。
「次にこの街に帰って来られた時に取っておくか」
心残りが多い方が生きる活力にもなるだろうと、ルシードは老婆の店に戻るつもりはない。
次はシエラの宝石店へと足を向ける。買う物はないが、別れの挨拶はしておきたかった。
「こんばん――」
「まあまあまあまあ! ルシードさんじゃありませんか!? 今日はいったいどんな宝石をお持ちで!?」
ニヤニヤと宝石を眺めていたシエラはルシードの来店に気づき、ルシードが最後まで口を開くことなく割り込んでくる。新たにホープから水晶をもらってはいたが、もらった物にわざわざ値段をつけてもらうのも気が引けると、ルシードは見せないことにして話を進める。
「いえ、今日は……あれ? そういえば名乗りましたっけ?」
そこで、前回、ルシードは男だと気づかれないようにと、名を聞かれるまでは名乗らず、『俺』という一人称も使わないように注意していたが、結局名乗ることなく店を出たにもかかわらず、どうしてシエラが名前を知っているのかと尋ねることにした。
「ふふっ、私も宝石に夢中ですっかりお名前を聞き忘れてましたが、ルーファさんが宝石を取りに来られた際にお聞きしました。あの時のルーファさんの様子といったらもう……ふふ、ふふふっ、今でも微笑ましくて顔がにやけてしまいます」
「そうでしたか。いえ、こちらも名乗り忘れてすみません。ルシードです。これから……あ、いえ、そろそろ街を出るので、その挨拶に寄ったんでした」
「あら? それはとても残念なお知らせですね。もっと色んな宝石を持ち込んでくださるかと期待していたのですが……どうしてもダメですか? 宝石」
どうやらシエラはルシードが街からいなくなることよりも、宝石を持ち込んでくれる人が減ると解釈しているようだ。これでは別れの寂しさも、あってないようなものである。
「そうですね……旅先で新しい宝石を見つけたら、手紙に添えて送るようにしますよ」
ある意味、シエラにはこの街に来てから一番お世話になったと言っていいかもしれない。常夜の雫だと鑑定してもらわなければ、ルシードはルーファにお返しもできなかったところだ。そう簡単に落ちているものでもないだろうが、旅先で見つけた宝石を送るくらいはしてもよかった。
「ふふっ、なんだか催促してしまったみたいで申し訳ありません。いえ、ちょっとしたものでもいいんですよ」
「あまり期待はしないでくださいね」
最初からこの展開を予期していたかのような流れに、シエラもなかなかに食えない人物だと、ルシードは苦笑する。
「はい。報せが届けば無事な証拠。私も安心して夜を過ごせるというものです」
だが、次にシエラから出た言葉に、ルシードは自分の勘違いだったと思いなおす。
きっとシエラなりの照れ隠しなのだ。別れは寂しいもの。特に商売をしていれば出会いは多い。だから彼女はおどけてみせるのだと。
現に宝石の話をしているにもかかわらず、シエラの話が暴走していかないのが、その証拠だった。
「そういえば、買い取ってもらったスピリティア・ストーンを見かけませんが、売れましたか?」
店内に並ぶスピリティア・ストーン。その中に自分が売ったはずのスピリティア・ストーンが置かれていないことに気づいたルシードは、売れたのだろうかと尋ねる。シエラは大銀貨五枚の価値があると言っていたことからも、本当に大銀貨五枚売れたのなら、シエラに売ったルシードも一安心である。
「それが、店頭に並べてはみたのですが、いざ並べると売るのが惜しくなったと申しますか……あれほどの純度を持つスピリティア・ストーンはそうそう見られないものです。私も手放せなくなってしまい、今も私室に飾ってあります」
だが、シエラは売るつもりはなく、今も手元で飾ってあると言う。それでは、結局売れない宝石を売りつけてしまったことになってしまう。これにはルシードも納得できないところがある。
「そうでしたか。それでも贈り物として受け取ってもらえませんか? シエラさんが男性に贈られることを一つの夢だと仰ったことは覚えていますが、このままでは売れない物を売りつけてしまったようで、こちらとしても気がかりが残ってしまいます。かといって代わりの宝石も持ち合わせていませんし、気に入ってもらえたのなら、代金を払って返してもらうのも気が引けます」
シエラから宝石を取り上げ、今更別の物をあてがったとしても、今度はシエラが納得しないだろう。しかも、気に入ったというのなら尚更だ。ルシードはスピリティア・ストーンを売った代金を返す気はない。返す時は、シエラが贈り物として受け取った時だけだ。
「うーん、困りましたね。確かに返せと言われれば、私は毎晩のように涙で枕を濡らすことでしょう。それはもうルシードさんを恨むほどに」
ルシードを半眼で睨むシエラは本気だ。
「……わかりました。誰がやりだしたかは知りませんが、最近は女性からも友情の証として贈ることがあるようです。そう思えば、私も店に置くか悩まず、気が楽になります。贈り物として受け取りましょう」
最後は観念したように苦笑を交えつつ、シエラは了承した。
老婆には忠告を受けたばかりだが、宝石商であるシエラが持っている分には問題ないだろうと、ルシードは満足して、一つ頷いて返す。
「ありがとうございます。それでは、あの時受け取った大銀貨二枚をお返しします」
「確かに。ですが、よろしかったのですか? あの時はお金に困られている様子でしたが……」
ルシードはスピリティア・ストーンを売った代金の大銀貨二枚をシエラに渡したが、シエラはルシードが無一文だと言っていたことを思い出したのか聞いてくる。
「はい、あのあと仕事が成功して、懐が暖まったものですから問題ありません」
「おや、そうでしたか。それはおめでとうございます。そういうことでしたら、私も気兼ねなく引き取れます」
「それでは、他の場所も回らないといけないのでこれで失礼します」
「はい、旅のご無事をお祈りしていますね」
シエラの店を出たルシードが次に向かった先は、アーニャの店だ。
ルーファに服を買ってもらったとはいえ、着替えも入れて二着しかない。旅の途中でまた服を台無しにしてしまっては着る物に困ってしまうだろう。そう考えたルシードはアーニャの店へと足を運んだ。
「こんばんは、アーニャさん? いないのかな?」
「はーい、こっちにいますよー!」
ルシードが店内に入り、声をかけると、アーニャは服を作っていたのか、店の奥から顔を覗かせた。
「よかった。服を何着か買いたいのですが、おすすめってありますかね?」
「ありますあります! これなんてどうでしょう!?」
「いえ……できれば男性物でお願いします」
服として機能していればなんでもいいルシードは、アーニャにおすすめを尋ねたが、アーニャが取り出した服は明らかに女性物だったのだ。流石に服としての機能があれど、男として着るのは憚られる。
「残念。では、こちらはどうでしょう?」
次にアーニャが取り出した服は、デザインを重視しているのか布地が薄い。これでは旅で着るには心もとないだろう。
「できれば長旅にも耐えられる物でお願いします。そろそろ街を出るものですから、野宿することもあるでしょうし、耐久度が低いとすぐにダメにしてしまいそうで……」
「なるほど、そうでしたか……せっかく新しいお客さんが増えたのに、残念です」
「すみません」
「いえいえ、謝らないでください。こればかりは私の我侭で引き止めるわけにもいきませんし、ルシードさんにはベアトリクスさんを紹介していただきましたしね。服を使い捨てのように着ていると聞いてついカッとなってしまいましたが、かえって主導権を握れたようなものです。気難しい人とは聞いていましたが、話してみれば案外話の通じる方ですしね」
「その話は俺も聞きましたよ。子どもたちに洗濯の仕方も教えてきたので、これからはちゃんと洗濯して着てくれるはずです」
ルシードはベアトリクスから聞いていた、アーニャから説教を受けた話を思いだし、子どもたちに洗濯を伝授した旨を伝える。
「うーん、子どもに洗わせているというところが少し納得いきませんが、ベアトリクスさんにさせると服を無駄にさせてしまいそうですしね……仕方ありませんか。ああ、長旅にも耐える服でしたね。それなら、あちらに掛かっている服はどうでしょう?」
話が逸れたことを思い出したアーニャは、壁に掛かっている、黒を基調とした服を指差して言うが、ルシードの目には普通の服に見える。今着ている服と布地も変わらず、耐久度が高いというふうにも見えない。
「あの服に使われている布地は一見ただの布地に見えますが、服の完成後に魔法使いさん用に開発された液体に丸一日浸けたものです。この街に来られたということは、ルシードさんも魔法を使えますよね? あの服は形状を記憶しているので、魔力を流せば、破れたところも修復してくれます。なんとも服屋泣かせの一品ですよ。……まあ、その分お値段はそれなりですが」
「服を修復? 魔力で? どういった原理なんです?」
ベルが着ている体に合わせて伸縮する服もそうだが、壁に掛かっている服は破れた箇所まで修復できると言う。不思議な話があったものだと、ルシードはその原理をアーニャに尋ねる。
「私も詳しくは……なんでも南にある大陸には時折、迷宮と呼ばれる場所が生まれるそうです。そこは一度入ったことがあっても、次に入ると形を変える場所だとか。死と隣り合わせとも聞きますが、迷宮の奥底にはアーティファクトと呼ばれる、高度な技術によって作られたお宝があるそうなのです。ギルドは冒険者の力に変えようとそれを解析し、新しい技術で作り上げた物を、私たちにも広めてくれるのです。力をつけた冒険者は、こぞって迷宮に挑戦するそうですよ?」
「へえ、そんな場所が。でも、迷宮にアーティファクトでしたっけ? 誰がそんな物を?」
興味をそそる話に、ルシードは食いつく。こういった話は大好物だ。
「アーティファクトと言いましたが、精霊の贈り物と称する人もいるみたいですよ。世の中には精霊とお友だちな方もいるそうですが、その精霊が語るには、私たちが住む世界とは別に、精霊が住む世界があるそうです。そして、その世界は私たちの世界よりも文明が発達しているとか。中には人間を驚かせてやろうという悪戯好きな精霊もいて、そんな精霊たちが迷宮を作り、迷宮の奥底に宝物を置いていくそうです。なんでも南の大陸は人が住むには過酷ですが、魔素の乱れから、精霊が干渉しやすいのだとか」
「精霊が……」
アルマリーゼからルシードのいる世界とは別に精霊の世界が存在するとルシードは聞いていたが、そこまで文明が発達しているとは驚きだ。
「はい。でも、魔素の乱れが大きい土地ですから、迷宮の中では特に強い魔獣が生まれやすいそうです。熟練の冒険者でないと、迷宮に入ってすぐに命を落としてしまうこともあるとか。冒険者のおかげで私たちにも恩恵があるわけですが、一つのアーティファクトを求めて、何人もの冒険者が命を落としたと聞くと心が痛みます」
アーニャは壁に掛かった服を見ながら、悲しげに語る。
「そうですね。でも、きっとその人たちは人の暮らしをよくしたくて挑戦したはずです。自分で持ち帰ることができなかったことは悔しいでしょうが、ギルドやアーニャさんのように形にしてくれる人がいるだけで救われるはずですよ。自分で手に入れることができても、それを形にできないんじゃ、宝の持ち腐れですしね」
ルシードの言うような者もいるだろうが、富や名声目当てで迷宮に入る者もいるはずだ。だが、ルシードはそうとわかっていながらも、アーニャを元気づけようと、そこには触れないようにして話す。
「ルシードさん……」
ルシードはそのことに触れられてはまずいと、熱っぽい顔のアーニャを置いて服が掛けられている壁際に向かう。
「……確かに高いな」
ルシードはアーニャに聞こえないようにぼそりと呟く。価格は金貨一枚。ルーファに贈った体に合わせて伸縮するという白いワンピースの二倍だ。レーヴェに来たばかりのころには決して買えなかった価格である。
「試着してもいいですかね?」
しかし、今は違う。ルシードの懐は潤い、金に困ってはいない。更には、何度も修復できるということは、破れてしまったとしても新しい服を買わなくても良いということだ。節約になることを考えれば、安いと言えるかもしれない。ルシードは体に合うようであれば購入しようと、試着を願い出る。
「はい、大丈夫ですよ。こちらの個室へどうぞ」
ルシードはアーニャから許可を得たことで試着室へと入り、服を着替える。
「着た感じは普通の服と変わらないな」
ルシードは腕を軽く回し、次に屈伸運動をしてみるも、今まで着ていた服と何かが違うというわけではない。何かに阻害されることもなく、普段通りに動けた。ほんの少しだけ大きいのか、服にゆとりはあるが、ベルトを締めれば問題はない。これから体が成長することを考えても、このくらいのゆとりは必要だろう。
「どうですか?」
「大丈夫です。服のサイズも問題ありません。アーニャさんから見て、何かおかしいところはありませんか?」
アーニャのカーテン越しにかかった声に、ルシードは着替ええる際に外した仮面を付け直してから、カーテンを開いて見せる。
「はい、とてもお似合いですよ。今回も少しだけズボンの裾上げをするだけでよさそうですね」
アーニャはルシードの頭の上から足の先まで視線を送り、一つ頷いて答えた。
「それじゃあ、これを二つお願いできますか? 今はお金に余裕があるので、支払いは問題ありません」
ルシードはアーニャの返事に満足し、旅の間着回せるようにと、もう一着お願いする。ルーファにもらった服は街にいる時などの普段着にしようと決めて。
「ふふっ、わかりました。今着て行かれますか?」
金の話から、アーニャは初めてルシードが店に立ち寄った際、ルーファへの贈り物を値切ったことを思い出したのだろう。くすりと笑いながら尋ねてくる。
「いえ、旅に出るその日におろそうと思います」
「りょーかいです。裾上げようにまち針を通すので、そのまま動かないでくださいね。二十分ほどでやっちゃいますよ」
アーニャはルシードの足元に屈み、裾を折って位置を決めると、まち針を数本通していく。
「ありがとうございます。あとは……外套、いえ、コートを二つお願いします」
「コートですか? ルシードさんはこの寒い中でもコートを着ておられなかったので、火魔法の使い手かと勝手に想像していましたが、違われましたか? 冒険者の方にとって、防具とはあってないようなものと聞いたことがありますし、防御力より機能性を重視するとも聞きました。中には体温を保つ素材を使った服もありますが、私がお売りした服はそういった機能がありませんでしたからね」
アーニャの言葉に、レーヴェだけでなく、エンバリーに行った時にも、誰からもおかしいと言われなかったのはそういうことかとルシードは知り、内心で笑う。
今はミラが進んで魔法をかけてくれていたことから自分では使っていないが、ルシードも魔法が使えるようになっている。それでも、コートは必要だ。先程老婆の店で買い込んだ日用品もそう、マッチなども魔法で代用できるし、ミラの魔法を真似ることは容易いだろう。それでも旅先、特にルシードの魔力量では魔力切れの心配がある。できるだけ魔力を使用しない物は必要だ。
「今は知り合いに魔法をかけてもらっているんです。でも、旅では必要になりますからね」
「なるほど、そうでしたか。では、こちらにどうぞ」
アーニャに案内され、ルシードはコートの場所へと移動する。
「あ、これにしようかな」
ルシードが並ぶコートの中から選んで取り出したのは黒いコートだ。値段を見るに、何か機能があるというわけではないだろう。だが、母が作ったコートと、少し似ている気がしたのだ。
設置された鏡の前で羽織ってみるも、問題はない。
「もう一つは……これにします」
次に選んだコートは、一回り小さな白いコート。着ている場面を想像し、似合うはずだと頷く。
「こちらはサイズが小さいようですが、プレゼント用ですか?」
「はい。でも、包装はしなくて構いません。すぐに取り出せるように、そのままで」
冒険者カバンに入れておけば劣化することはないだろう。ルシードはすぐに渡せるようにと、そのままの状態で受け取ることにした。
「わかりました。値札だけ切ってお渡ししますね。それでは、お着替え終わりましたらお会計をお願いします。もう一着を用意しておきますね」
「はい、お願いします」
もう一つの白いコートは、アルマリーゼのために選んだものだ。
今は渡すつもりはない。しかし、母のコートを返してもらった時に贈ろうと考えて買うことにした。黒を好む彼女は白いコートを嫌がるかもしれがいが、それでも英雄の隣に立つのなら、少しは聖剣らしい格好をして欲しいと、勝手に白を選んだ。値段も自分の着る物とは違い、それなりだ。
ルシードは再び試着室に戻り、着ていた服に着替えてから、会計のためにアーニャのところに向かう。
「そちらもお詰めしますね。お会計は金貨二、大銀貨七の銀貨三です。前回約束した通り、少し安くさせていただいています。心配されなくとも、贈り物の方は引いておりません」
ルーファに贈るためのワンピースを値下げしてもらったあとに、贈り物だから格好をつけたいと、仕事の報酬で残り代金を支払った時のことを覚えていたようだ。アーニャの言葉に、ルシードも小さく笑う。
「ありがとうございます。では、これでお願いします。お釣りはいりません。残りは――」
「……あ、あの、困ります!」
ルシードが出した硬貨は大金貨だ。それを見たアーニャは目を丸くして、ルシードが話している途中であるにもかかわらず口を挟む。
「話は最後まで聞いてください。残りは今俺が買った服と同じ素材で……いや、これから成長することを考えたら、伸縮する素材の方がいいのかな? それで六人の子どもたちにも服を作ってやってくれませんか? 名前はイングリッド、エイミー、ローラ、ソーニャ、カタリナ、キャロル。詳しくはベアトリクスさんに聞いてもらえれば、すぐに六人が誰だかわかるはずです。彼女たちは俺の弟子です。街を出る前に、最後に何か残してやりたいと思いまして……」
子どもたちに弟子の証としてスピリティア・ストーンを渡したが、弟子でない者にも渡しているのだ。ルシードは師匠として何かしてやりたい気持ちがあった。魔法の杖などが存在すればそれを贈るのが普通なのかもしれないが、ルシードは今まで誰かが杖を手に魔法を使っている姿は見たことがない。必要ないというのなら、贈る意味はないと考えた結果だ。
そこでルシードは、何故自分がスピリティア・ストーンを渡しているのかと、今になって気づく。
一度、自分の生まれ育った村の人間からも忘れられたルシードは、自分の存在を残したくてスピリティア・ストーンを渡しているのだと。そうすれば、受け取った者がスピリティア・ストーンを目にした時、自分を思い出してくれるかもしれないと、心のどこかで、そう思っていたのだ。
「ふふっ、わかりました。最高の仕事をさせていただきます。残ったお金は、その後のアフターサービスに回しておきますね」
「ありがとうございます。そうだ、アーニャさんにもこれを……」
そう考えたルシードは、スピリティア・ストーンを取り出してアーニャに手渡す。
老婆に叱られたばかりではあるが、シエラは女性の間で友情の証に贈ることがあると言っていたのだ。相手に女性と思われているならば、問題はない。ルシードはシエラだけでなく、アーニャにも渡そうと決めた。
「これは……スピリティア・ストーン? えっ? わ、私にですか!?」
「はい、最近は友情の証に贈ることもあると聞きました。よければ貰ってください」
「あ……友情の! そうですよね! あはは、私ったらルシードさんが私を百合の世界へ引きこもうとしているのかと、ちょっと焦っちゃいました! 友だち! そうですよね!」
「ユリの?」
「わ、忘れてください! お願いですから……。す、すぐに裾上げやっちゃいますね!」
店の奥に引っ込むアーニャの顔が少し残念そうに見えたのは、ルシードの気のせいだろうか。どんな世界なのか気になるところではあるが、忘れろと言われては聞くわけにはいかない。それに、受け取ったということは返すつもりはないようだ。
アーニャが裾上げを終えて戻ったところで、ルシードはそろそろギルドに戻ろうと店を出ることにする。
「それでは、これで失礼します。アーニャさんもお元気で」
「あっ、は、はい! ルシードさんもお元気で!」
店の外まで見送りにきたアーニャと別れ、ルシードはアーニャから見えなくなったところで、辞書を取り出して開く。
「ユリ、ユリ……あった。やっぱりユリは花の名前で間違いないよな。しかし、花の名前でどうしてあんなに焦ってたんだ? それに、どうして急に花の名前を……絵が載ってないからわからないけど、俺と何か関係ある花なのか? それとも何かの隠語?」
辞書を買ったはいいが、載っていない言葉を出されては意味がない。ルシードが今手にしている本も、いつ出されたものかわからない。そもそも辞書に載らない単語があるのかもしれないし、辞書が作られた以後に生まれた言葉があれば載っているはずもない。
だが、それでもその場のノリで話は続けられるものだとルシードは気にしないことにし、ギルドへの道を歩くのだった。




