059 ベル
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ベルは無言で歩き続ける。人のいない方向を選んで進み、ついに誰もいない小さな空間を見つけて足を止めた。
「……どこから話したものかな」
「どこからでもいいよ。ベルが話したところからでいい」
ルシードの言葉に、ベルはいつもの豪快な笑い方ではなく、小さく儚げに笑う。
「そうか。では、私の生まれからだな。実を言うと、私は人間ではない……のかもしれない」
「え?」
あまりにも唐突な発言に、ルシードは理解が追いつかない。ベルはどこからどう見ても人間だ。体の成長は操れるようだが、見た目も、触れた感覚も、ルシードには人間としか思えない。
「これは想像にすぎないが、おそらく私はあの方に生み出された存在なのだ。理由はわからない。だが、私が物心ついた時には……あの方は一人だった。王族は自分だけだと、あの方は私に教えてくれた。それで寂しさを感じたのか……いや、まさかな。きっといつもの気まぐれか、退屈していたのだ。そうして私を作り――役割を与えた。私にとっては辛い役割だったが、それでも私は頑張ったよ。魔法はすぐに身につけることができたが、あの方に認めてもらいたくて本を読み漁り、教えを請い、色々なことにも手を出した」
人の産まれ方を知らないルシードでさえ、哀愁を感じさせるベルの声は心に痛い。
「だが、十年が過ぎ、百年が過ぎても、私はあの方の足元にも及ばなかった。逆に強くなればなるほど、遠のくのを感じたのだ。あの方は何も言わなかったが、私はそれが逆に怖かった」
ベルは空を見つめ、今にも泣き出しそうだ。それでもルシードはベルを止めず、ただ話を聞く。
「そして、私は逃げ出したんだ。このままでは捨てられると思った。だから、そうなる前にと。……逃げてたどり着いたのがレーヴェだ。前にも少し話したが、あのころはまだ小さな村だった。しかし、それでも居心地の良い場所だった。当然、そのころから女しか住めない土地だったが、女だけでは生き辛い世の中だったこともあり、私はその女たちに生活の知恵を与え、呪文を使う魔法を広め、ほんの少しの手助けもした。それから更に百年ほどが経ち……気がつけば賢者と呼ばれ、もてはやされていた」
当時のことを思い出しているのだろう、儚い笑みを浮かべ、懐かしむようにベルは語る。
「更に百年が経ち、二百年が経ち……今まで数多くの者に慕われた。弟子になりたいと言う者もあとを絶たなかった。……しかし、私は弟子を取らなかった。取る気にはなれなかったのだ。あの方と同じになってしまうのでは……と、私が教えることで、絶望を与えてしまうのではないか……とな。お前に教えてしまったのは舞い上がってしまったんだろうな。自分で勝手につけた名だったが、過去の過ち……いや、これは今は関係ないが、それを消せると考えてしまった。あの方の接触がないことからも、私のことなど忘れてしまったのだと思い込み、街を出ようとした。そしてあの方に出会ってしまい……役割を思い出してしまった」
その時、空から白い雪が舞い降りた。ベルは両手を広げ、空を仰ぎ見る。
きっとベルはその役割を果たそうとしているんだと、ルシードには想像できた。
「私は役割を果たすよ――あの方の『私を殺せる存在になれ』と言った言葉通りに。今の私では勝てる見込みすらない。また一から鍛え直しになるが、あの方はお前の名を聞いた。ならば、いずれ必ず現れる。お前があの方と会ってしまったのは、私が逃げ出した責任でもある。私があのまま、あの方のもとにいれば、今日はなかったかもしれない。だから私が――」
「それは困るな」
ベルはもしもの話を持ち出すが、ルシードはそれでは困る。
「……何?」
「ベルが逃げ出してくれなかったら、今日はなかったかもしれない。でも、そうなると俺は今も魔法を覚えていないことになる。……それはいいさ。呪文を使う魔法だろうと、他の誰かに教えてもらえたかもしれない。だけど、他の誰かを探している間に、イングリッドたちにも会えなくなり、魔法を使えないことから冒険者にもなれず、ベアトリクスさんにも会えなかったことになる」
「その程度の――」
「それに、ベルとは会えなかった」
「――ッ」
「ベルには色々なことを教えてもらったよ。他の誰かじゃダメなんだ。イングリッドたちに魔法を教えることはできなかったし、ベアトリクスさんの依頼だって解決できなかった。ベルじゃなきゃダメだったんだ。だから、ベルが責任を感じる必要なんてないんだ」
ベルの語るもしもがあったなら、ルシードがレーヴェに来て出会った人たち……今名を上げなかった人たちとも出会わなかったかもしれない。それに何より、ベルとは出会えなかった。ルシードにとって、それはとても悲しいことだ。
「お前がそう言ってくれることは嬉しいが、私だって何も感じずに生きていられるほど――」
「わかった。じゃあ、こうしよう。責任を感じてるって言うなら、俺の言うことも聞いてくれ」
このままでは平行線だ。ルシードは話題を変える必要があった。
「……言ってみろ。聞くだけは聞いてやる。行動に移すかどうかは、内容次第だ」
ベルもそれがわかっているのか、ルシードの話に乗る。
「まず一つ、その話し方を止めろ。いつもみたいに馬鹿笑いしながら、馬鹿なことを口走っていればいい」
「お、お前……馬鹿って、私が馬鹿みたいな言い方をするな。私はこれでも――」
「これでも賢者……だろ?」
ベルはむっとした表情になり、口を尖らせる。ルシードは良い感じになってきたと内心で笑う。
「『何者にもなれなかった』なんて嘆く必要なんかない。今じゃレーヴェに住む人たち、みんなが知ってる。もうベルはなれたじゃないか……何者かに」
真に何者にもなれないのはルシード自身だった。
殺して、奪う……そんな力で何者かになろうなどと、おこがましい。本来、誰かが座るべき椅子に、横から入り込んでいるようなものだ。
たとえ何者になれなかったとしても、何かになろうと足掻けるだけ、ルシードは羨ましく思う。
「あの少女にとっての何かになれなかったのは、ベルには悲しいことなんだろうけど……誰だって、何かになろうと精一杯生きてる。ベルはレーヴェの街で賢者になれた。それでいいじゃないか。今更過去のしがらみに捕らわれて、別の何かになろうとしないでくれ。……それに、俺は今のベルより、お爺さんみたいな喋り方で、楽しく笑ってるベルの方が好きなんだ」
ルシードは本心を口にする。今のベルは儚く、今にも消えてしまいそうで、好きになれそうにない。
「――わかった……わかったよ。お主が言うなら、治そうではないか。これでいいんじゃろ?」
ベルは大きな溜め息をつくと、諦めたように口調を戻す。
「ああ、それじゃあ、二つ目だ。二つ目はベルの役割だ。役割のことは……今は忘れろ」
「……ルシード。お主、ワシの話を聞いとったのか?」
「聞いてたさ。けど、ベルでは勝てない。もちろん俺も。きっと、あの少女は誰も勝てない存在だ」
「……それでも、ワシはやらねばならん」
「わかってる。言っただろ? 今はって」
「……どういう意味じゃ? ワシはあまり頭が良くな……ともかく、ワシにもわかるように話せ」
ベルはルシードの言いたいことがわからないのだろう。考えた素振りを見せながらも、ルシードをジト目で睨みながら言う。
「わかったよ、そう睨むなって……ちゃんと話す。そうだな、わかりやすく言うと、アルマも言ってただろ? あの少女は魔王だって。自分で名乗っているわけじゃないらしいけど、純粋な魔族で、しかも王族だ。魔王って呼んでも、差し障りはない」
「……うむ。実のところ、ワシもあの方の名前を知らん。名乗ったことは一度としてなく、ワシからは恐れ多くて、名前を尋ねるような真似もせなんだ。時折訪ねて来る者たちもおったが、その者たちも知らぬ様子でな……。そこで困り果てた誰かが魔王様と呼んだが、あの方は否定をせんかった。その話がどこからか広まり、いつからか魔王という呼び名が定着したというわけじゃ」
ベルの返答に、ルシードは頷く。少女が魔王でなくては困るのだ。
「知っているか? 魔王ってのはいつの時代も……いや、俺の読んだ本ではだけど、いつだって、魔王は勇者が倒すものだ」
「……そうだな。そういった物語は昔から多い。ワシも読んだことがある。だが、それがどうした? ワシがその勇者になってやろうと言うのだ。何も問題はあるまい?」
ベルはぶすっとして言うが、ルシードが言いたい点はそこではない。
「そうだね。どんな本でも、最後は勇者が魔王を倒す。でも……いつだって、勇者は一人で魔王を倒しにはいかない。どこかに一人で魔王を倒しに行く勇者もいるかもしれないけど、それでも仲間を集め、旅をして力をつけ、魔王にたどり着く勇者が多いんだ」
ルシードは英雄レナードにも仲間がいたことを知っている。テーオバルトやアルマリーゼ、他にもたくさんの仲間たちの名を心に刻み、忘れたことはない。
「止めを刺すのは勇者の一撃だ。だけど、仲間がいなければそれもできない。ベルがあの少女に言われたのは、『私を殺せる存在になれ』だったよね? でも、一人で……とは言われていない。相手は自分でも魔王だとわかっている。なら、勇者に仲間を連れて来るなとは言わないだろう?」
ルシードの言葉に、ベルは唖然とした表情になり――
「クハハハハ! 魔王は勇者だけで倒すものではない、か……ワシにもわかりやすい、良い答えじゃ! お主の言う通り、あの方は一人でやれとは言わなかった」
腹を抱えて笑った。
ルシードはベルがやっと笑ってくれたことに嬉しく思うが、まだ伝えねばならないことがある。
「加えて言えば、ベルがやる必要もないといったところかな。ベルが育て、その者が倒してもいいさ。あの少女がベルを捜さなかったのは、仲間を集めるために旅に出たと考えたのかもしれないね。それで……何百年だっけ? 俺には想像もつかない時間だけど、気を長くして待った」
「……あの方の期待を裏切ってしまったかな?」
「それでもいいと思うよ。何百年も待つくらいだ。小さなことを気にするようにも見えなかったし、また何百年でも待ってくれるよ。人は失敗から学んで生きてる。ここからやり直したっていいさ。でも……」
「……でも?」
「俺がいつか死ぬまでは、忘れておいてくれないか? 俺が死ぬより先に、ベルがどこかで死んだとは聞きたくないんだ。俺は人間だし、百年も生きない。あと五十年か……まあ、ベルにしてもたいした時間じゃないだろ? 俺が初めての弟子だって言うなら、それくらいは甘やかしてくれよ」
「……そうだな。ワシもお主に、ワシの死を知られるのは忍びない。だが、それでもあの方は来るぞ? 気まぐれな方だ。明日にでも来るやもしれん」
ルシードはもう会うことがないかもしれないと思っていたが、他ならぬベルが言うのだ。ならば、いつか来るのだろう。
しかし、ルシードにも思うところがある。
「俺には一つ気になっていることがあるんだ。ベルはあの少女のもとを去る時は、まだ賢者と呼ばれてなかったんだろ?」
「うむ」
「だけど、今はベルが賢者だってことを知っていた。興味のないものには干渉しないんだよね? だとしたら、ベルが家を出た時に追わなかったって聞いたけど、実はこっそりとベルのことを見てたんじゃないかな? そして幸せそうにしているベルを見て、会いに行けなくなってしまった。それに、俺にとっては大きな街でも、魔王と呼ばれる少女がこんな田舎街で得られる物があるとは思えない。今までベルはレーヴェから一度も外に出たことがないみたいだし、案外、ベルがレーヴェを出たことに、何かあったんじゃないかと急いで様子を見に来たんじゃないかな?」
「まさか……」
ありえない、そう続けようとしたベルは、否定したくなくて口を噤む。
「『私を殺せる存在になれ』……か。そのままの意味でも取れそうだけど、あの子は一人で生きてきたんだろ? 実は人付き合いが苦手なんじゃないかな。あの恐怖心を与える謎の重圧も、その表れな気がする。たぶん、一定以上のレベルにある人間を遠ざけようとしている感じだったけど、心の奥底では寂しく思っているんだと思う。本当は、ベルに『自分と並び立つ存在になれ』って言いたかったんだ……。きっと、寂しくてベルを作った……でも、急に言葉を紡ごうとして、失敗してしまった。俺はそう思いたいよ」
ルシードの目には、少女がベルに向ける目は優しいものに見えたのだ。魔王と呼ばれる少女には似つかわしくないほどに。
それに、ベルは生まれてからずっとあの少女の側にいたのだ。本当はあの少女のことが好きなのだろう。ベルが幼い姿を選ぶのも、そのころに少女によって手を引かれた過去があったからなのかもしれない。
だからこそ、ベルは少女のもとを去ったのだと、ルシードは推測する。ベルは役目を果たしたくなかった。だから逃げたのだと。
それなのに、今日は自分たちを守ろうとあの少女の前に立ちはだかってくれたのだ。ルシードはそんなベルに何も返せずに終わりたくはない。ここはどんな嘘をついてでも、ベルと少女を戦わせるわけにはいかなかった。
「……そうだといいな」
「まあ、そうは言っても、俺の魂を抜き取りに来るかもしれないな。でも、その時はベルみたいに誑かして、また見逃してもらうさ」
ルシードは思う。
自分は英雄にはなれなかったのだ。逆に魔王の配下にしてもらって、四天王でも目指してみるのも悪くはない。最後に英雄に討たれるのであれば最高だ、と。
できれば友人になって、楽しくやれればいいというのが、ルシードの本心ではあるが……。
「クハハ! なるほどな、お主が言うと説得力があるわ。ワシも誑かされた……か。確かにワシはお主に誑かされたと言っても過言ではないな。その言葉が一番よく合う。そしてお主なら、あの方相手でもやってのけてしまうのではないかと、どこか期待してしまっているワシがいる」
ルシードの言葉に返事をしながらも、ベルは腹を抱えて大笑いした。目には涙まで見える。
その姿を見たルシードは、何かがおかしいと考える。ベルが笑うことはいいのだが、ちょっと笑いすぎだと思ったのだ。
変なことでも口走ってしまっただろうか、と考えたところで、悲しくて泣いているよりかはよっぽどいいと、考えることをやめた。
そして、ベルはひとしきり笑い、
「よかろう。他ならぬお主の頼みだ。お主が生きている限り、甘やかしてやろうではないか。そうじゃな……もし、お主が生きている間にあの方が現れなかったら、ワシの役割を本当に忘れてしまうのもいい。あの方が現れたとして、お主が天寿をまっとうした場合もな。……逆に、お主があの方に殺されることがあれば、ワシは必ずあの方を討つ……それでよかろう?」
ルシードの望む以上の言葉をくれた。
ベルの言葉を聞いたルシードも満足し、あとは自分があの少女にさえ殺されなければいいと考える。ベルに比べれば、自分の命など安いものだ、と。最悪の場合、自決したとしてもベルに文句を言わせるつもりはない。
「ああ、それでいい。ありがとう、ベル」
だが、まだその時ではない。今はただ、礼を言うのみ。
「それじゃあ、みんなのところに戻ろうか。正直、俺からしたらあの少女のことよりも、このあとの依頼の方が大事だ。今から世界を滅ぼすなんて言われない限り、相手にしたいとは思わないよ」
「クハハ! その通りじゃな! ワシも本を読んだ。せっかく仕入れた知識は無駄にできん。必ずやワシが怪盗を捕まえてみせようぞ!」
ルシードはベルを伴って歩く。もうベルは大丈夫だ。いつものように笑っている。むしろ今回の依頼内容を忘れ、助手ではなく、自分が探偵になろうとしていることの方が心配だった。
◆
ルシードたちが広場に戻り、他のメンバーたちと合流しようとするが、セラフしかいないではないか。
ルシードは疑問に思いながらも歩み寄ると、セラフはルシードたちに気づくと同時、頭を下げた。
「申し訳ありません! 少し目を離した隙に、アルマリーゼさんを見失ってしまいまして……今、他の三人が捜しています」
セラフの言葉に、ルシードは溜め息を一つつく。どうしてこれからという時に問題ばかり起こるのか……。
ルシードが周囲を見渡すと、アルマリーゼを捜しているのだろう、他のメンバーが広場に散らばって捜している姿が目に入る。他の場所を捜さず、まだ広場にいるということは、アルマリーゼがいなくなってすぐということだ。
「わかった。俺が捜しに行くよ。セラフとベルは他の三人が広場から移動する前に合流して待っててくれ。遅くなるようなら、先に依頼主の待つ館に行ってくれて構わない」
「お一人で大丈夫ですか?」
「クハハ、行かせてやれ。姿を消したということは、追われたくないということだ。全員で追えば意地になって帰ろうとせん。だが、追って欲しいと思う一人が来てくれた場合は話が別じゃ」
「流石ベル、わかってるじゃないか」
「う、うむ。ワシも経験者じゃからな」
ベルにとって追って欲しいと思う一人とは、あの少女のことだろうかと、ルシードは当たりをつけるが、今は確認している時間はない。
ルシードは目に魔力を流し、自分の体を見下ろす。
すると、ルシードは自分の体から一本の魔力が出ているのが見てとれた。
ルシードとアルマリーゼは契約で繋がれているのだ。この魔力を追えば、自ずとアルマリーゼにたどり着ける。
ルシードは目を瞑って集中し、魔力の先を追う。
アルマリーゼは――いた。歩いているようだが、もたもたしていると行ってしまうかもしれない。
ルシードは足に力を入れて走り出す。向かうは街の入り口だ。




