028 エピローグ
◆
ルシードが村に戻った時には、すでに戦闘は終わっていた。
村と森とを隔てる柵の向こうからは、村人たちの歓声が聞こえてくる。
「兄さん、やりましたね!」
「はい、みんな無事でよかった。村の家屋は少し壊れてしまいましたが、人に被害がなかったようで何よりです」
できるだけ村に被害を与えまいと、森に近いところで戦ったのかもしれない。テオたちの声が、柵の向こう側から聞こえてくる。
みんな無事。その言葉に、ルシードは大きく安堵した。もし、ルシードが魔物を呼び込んだのなら、一人では対処できなかったのだ。テオたちがいてくれて本当に助かった、とルシードは心から感謝する。
「うん、ルシードさんたちにも、早く知らせてあげなきゃですね」
「そうですね。ルシードたちは宿泊所に戻っているでしょうか。早く僕たちの無事を伝えて、安心させてあげましょう」
シャルニアとテオの、急にいなくなったルシードを気遣う声に、ルシードは嬉しく思い、テオたちにはなんと説明したものかと考える――
「……兄さんもシャルも、どうしてルシードさんのことを気にかけるんですか!? あの人は逃げたんですよ!? 私には兄さんたちがわかりません! 彼が言ってた『危険だと思ったらすぐに引け』、『逃げることは悪いことじゃない』、『生きていれば次がある』、どれも私たちではなく、自分に言った言葉だったんです……どうして、どうして私はあんな人のことを……」
が、そこでセフィーリアの声が泣いているように聞こえ、ルシードは出るに出られなくなる。
少しは仲良くなったつもりでいたが、かなり失望させてしまったようだ。
「……姉さん」
「きっと、ルシードにも理由があったんですよ。彼は目の前の苦難から逃げるような人間ではないと、僕は信じています」
「それでも……それでも、私は……」
テオは若き日の英雄レナードとテーオバルトの話を思い出しているのだろうか。それで、出会って間もないルシードを庇っているのかもしれない。
「テオさん、ありがとう、ありがとう。よく村を守ってくださった! おかげでみんな無事ですじゃ。なんとお礼を言っていいやら……本当にありがとう」
そこへ、村人の一人が割って入った。
「頭を上げてください。僕は当然のことをしたまでです。みんな無事、それで良いではありませんか。僕はそれだけで十分です」
その声は優しく、ルシードの胸に響く。テオは見返りを求めず、本当に村人の無事だけを求めたのだ。
ルシードはその事実に、テオは物語の主人公のような青年だと感じた。正しい選択をし、正しい道を行く。やはりテオこそが英雄に相応しいのだと、思い知らされたようだった。
ルシードはそこで空を見上げ、今更ながらに気づく。
空には白い灯があった。セフィーリアの魔法により、作り出された灯だ。村の内側は白い光で照らされ、ルシードがいる村の外側は影になり、光が当たらない。
光と影。ルシードにはこの構図こそが、すべてを物語っている気がした。
《戻ったわよ》
テオたちの会話は続いていたが、ルシードはアルマリーゼの声へと意識を向ける。彼女は今回もどうやったのか、すでにルシードの影の中にいるようだった。
(……ありがとう、助かったよ)
《どういたしまして。……それで、どうかしたの? テオたちは柵の向こう側みたいだけれど、戻らないの?》
(……ああ、テオたちとはここで別れる)
ルシードは思う。
テオの輝かしい物語には、たとえ脇役であっても、俺は必要ない、と。
そして、テオに必要なのは――
《……急ね》
アルマリーゼだ。
(ごめん。……俺は、一人で行くよ。アルマはここで、テオたちと一緒に行ってくれ)
彼女は――精霊であるアルマリーゼには、テオとともに行動して欲しい、とルシードは思った。
テオは英雄になるべく、必要なものを揃えている。ただ、一つ足りないものがあるとすれば……テオに聖剣を授けてくれる精霊の存在だ。そして今ここに、その精霊がいる。
《……それも悪くない提案だけれど、あなたと行くわ。あなたをこのまま行かせると、途中で行き倒れになりそうですもの》
(……ごめん)
本当はここでアルマリーゼとも別れるべきだと感じていた。それなのに、ルシードは彼女の言葉に甘えることしかできず、言葉が続かない。
《……張り合いがないわね。あなたのせいで魔物が来たと思っているならお門違いよ。あなたがいなくても、森の奥から逃げてきたレゾナンスウルフが村に来た可能性は高いわ。当然、そのあとのトライホーン・ビートルもね》
(……かもね)
ルシードの声に、覇気はない。
「――仕方ないわね」
次の瞬間、ルシードは暖かいものに包まれた。
うなだれ、座り込んでしまっていたルシードは、いつしか影から現れたアルマリーゼに両目を手で覆われ、背後から抱き寄せられていた。
「このまま目を閉じて」
今のルシードには振りほどく力も、逆らう気力もない。言われた通り、目を瞑る。
「――心配はいらない、あなたは大丈夫。あなたは私の言うことにだけ、耳を傾けていればいいの」
「ああ、わかっている。俺は大丈夫だ」
アルマリーゼはルシードを元気づけようとしてくれているのだろう。それならば、たとえ虚勢であっても、応えなければならない。
「そう。良い子ね。……なら、テオたちのことは忘れなさい。村を出たら少し休んで、明日になったら、今日あったことはすべて忘れましょう。そして、旅を続ける……いいわね?」
アルマリーゼはルシードの耳元に優しく語りかけ、その甘く囁く声に、誘惑されてしまいたいと、ルシードは思わずにいられない。
「……ごめん。忘れることはできない」
だが、それはできない相談だ。テオたちのことを忘れるなんてことは、ルシードにはできそうもなかった。そうする必要もない、と。
ルシードは結果的にテオたちと別れる道を選んだが、決してテオたちに出会ったことは悪いことではなかったのだ。すでにルシードにとってかけがえのないものとなっており、忘れるわけにはいかない。
「――ッ! どうして……あなた……」
ルシードは弾かれるようにして離れたアルマリーゼへと振り返る。ルシードが断ると思っていなかったのだろうか、少し狼狽して見える。
「……いえ、わかったわ。あなたがそう言うのなら、そうしましょう」
「ああ、ありがとう。俺はもう大丈夫だ。ここで立ち止まっている場合じゃない」
そう。テオはルシードの希望になってくれたのだ。ルシードは自分が夢描いた英雄を、テオに託した。それを忘れてしまっていたなら、ルシードはもう動けなかったかもしれない。だが、それを思い出すことができた。
ならば立ち止まってなどいられない。ルシードは自分の成すべきことを成そうと立ち上がる。アルマリーゼを英雄レナードのもとへ届けるのだ。そうすればおのずと、あるべきものは、あるべき場所へと収まるはずだと信じて。
「……それじゃあ、私は宿泊所に置いた荷物を取りに行ってくるわ。あなたは村の外にいなさい。顔を合わせたくはないでしょう? 私一人なら影に隠れることもできるから、彼らと会うこともないわ。ついでに村を出る時に足場にしたナイフも回収しといてあげる」
「頼む。詳しい場所は――」
「必要ないわ。私の影と、あなたの影は繋がっている。影を通って直接移動できるのよ。私たちは精霊の抜け道と呼んでいるわ」
アルマリーゼの言葉を聞き、ルシードは離れていたはずなのに、瞬時に影の中に現れた意味を知る。
「そうか、それで……ああ、忘れるところだった。最後にもう一つやっておかないと……。アルマ、シャルのカバンを渡してくれ」
ルシードはアルマリーゼからシャルニアの冒険者カバンを受けとり、紙とペンを念じると、出て来てくれた。入れた本人でなくても中身を取り出せたのは、ルシードにとって僥倖だった。
ルシードは紙にペンを走らせる。
シャルニアの冒険者カバンの中には、トライホーン・ビートルのメスと、その子どもたち、更にはレゾナンスウルフの死体が入っているのだ。そのことをテオとセフィーリアに知られるわけにはいかない。そのことを隠すように、シャルニアへと手紙をしたためる。
テオには、今回は自分たちだけの力で解決できたと思っていて欲しいのだ。シャルニアにはどうしてもバレてしまうが、シャルニアならば口止めすれば聞いてくれるだろうと信じて書く。
トライホーン・ビートルの死体をテオたちには内緒で処理すること、そのことを黙っておくようにとお願いする内容をしたため、最後にこのことは先の五つの約束より大事だと付け加える。これをシャルニア宛の手紙として冒険者カバンの中には入れず、小さく折りたたんで、冒険者カバンの口元に挟み込む。これでシャルニアが冒険者カバンを使おうとすれば、手紙に気づいてくれるはずだ。
ルシードはアルマリーゼにシャルニアの冒険者カバンを手渡す。
「これをシャルの部屋に戻しておいてくれ」
「わかったわ。それじゃあ、またあとで落ち合いましょう」
「ああ」
アルマリーゼは直接西側の柵を越えるわけにも行かず、南側へと飛んでいく。
それを見送り、ルシードも歩き出す。
「テオたちと出会ってまだ一日も経っていないのに、今日は色々ありすぎたな。……少し、疲れた」
それでも足は止めない。
星を見たくて空を見上げるが、空には雲が広がり、星空は見えなかった。
ルシードはふと思う。
俺はまた、判断を間違ったのではないか? ここでアルマと別れるべきだったのでは? 自分でアルマを届けるというのも、ただの自己満足では?
――その疑問に、答える声はない。
「……テオ。どうか、君は道を誤らないでくれ」
見えない星に、心からの願いを込めた。
◇
テオはそこまですることはないと断ったが、村長が祝いの席を準備するとのことで、今は準備が終わるのを待っていた。
セフィーリアはルシードのこともあり、元気がない。シャルニアはルシードのことを気にかけているようだが、セフィーリアの手前、口には出せないでいるようだ。
テオは座っていた椅子から立ち上がり、準備ができるまで世話をしてくれていた女性に断りを入れ、部屋を出る。向かう先は宿泊所。
姿を消した理由はどうであれ、祝いの席にはルシードも参加して欲しかったのだ。そこでならセフィーリアの誤解を解くことも、仲直りすることもできるかもしれないと思って。
そして、ルシードは酒が飲めるだろうか、と考える。テオはあまり強くない方だが、一度はルシードと飲んでみたかった。
そう考えている間にも宿泊所へと到着し、肩を落とす。宿泊所には灯が点いていない。ここにはいないだろうが、確認の意味も込めて建物に入る。建物の中は冷えきっており、人の気配はなかった。
次にルシードの部屋へ向かい、ドアをノックするが、これも返事はなかった。アルマリーゼの部屋も同様だ。
再びルシードの部屋へと戻り、テオは悪いと思いながらもドアノブを回すと、鍵もかかっておらず、すんなり開いた。
ドアが開ききると、呼びかける必要もないことがわかる。部屋の中は片付いており、ルシードの荷物もない。
「――出て行ってしまったんですね」
テオはルシードが本当に逃げて出て行ったのだろうかと考え、頭を振る。
今日会ったばかりだというのに、テオにはルシードがそんな人物ではないという確信があった。
英雄の子として生まれたテオは、英雄と呼ばれる父に憧れを抱き、冒険者になったが、そう上手くはいかなかった。
表にこそ出さなかったが、妹たちにも先を越され、自分の道を見失っていたのだ。
そんなテオにとって、ルシードとの会話は実りあるものばかりだった。テオのことを、ルシードは想像した通りの英雄像だと言ってくれたのは、最大の喜びだったと言っても過言ではない。その言葉を、信じたかった。
果てには、人を傷つけることを迷っていたテオにも、ルシードは道を示してくれたという点も大きいだろうか。テオに、もう迷いはなかった。
――テオは、再び英雄を目指す決意をする。
ルシードと出会ったこの村を、始まり地にしようと心に決めて。
そこでテオは、ルシードとアルマリーゼに思いを馳せる。
今にして思えば不思議な人たちだった、と。テオだけでなく、妹たちにも何かを与えてくれたように感じたのだ。その中でも、シャルニアの変化は劇的だった。セフィーリアも今は無理だとしても、きっと立ち上がってくれるとテオは信じる。
それは、ルシードとともにいたアルマリーゼもそうだ。
テオは最初、アルマリーゼの黒ずくめの容姿と雰囲気に警戒を抱いたが、話してみると意外と親しみやすい女性で、妹たちとも友人になってくれたことを感謝した。人は見た目で判断してはいけないという良い例だと思い、次に会った時は謝らなければいけないと、今は心の中で謝る。
『次に会った時』その言葉で、テオは再びルシードへと思いを寄せる。
「また、会えますよね……?」
懐から一本のナイフを取り出して、テオが呟く。それは、ルシードが最初に投擲した投げナイフだ。
ルシードも英雄を目指していた。ならばきっと会えるはずだと、今は信じる。
テオは妹たちのところへ戻ろうとナイフを仕舞い、ドアノブを掴み、ドアを閉める前に――
「僕は負けませんよ」
誰もいない部屋へと宣言し、その場をあとにした。




