026 魔獣襲来
◆
村の西側へ着くと、何が起こったかは一目瞭然だった。
昆虫だ。全高三メートルはあろうかという大きな昆虫が、柵を越えてそこにいた。
頭に三本の長い角、硬そうな装甲の外骨格に覆われ、その六本の脚は、後ろ脚だけが異様に太い。
「なんだ!? あれが魔獣なのか!?」
「このサイズ……まず間違いないでしょう。皆さん、下がってください! 僕たちが来たからには大丈夫! すぐに村の東側へと、慌てず避難してください! 誰かいないかの確認も忘れないで!」
テオは周囲に逃げ惑う村人へと呼びかけている。
その間にも聞こえる音。ギチギチギチギチ。
頭にある三本の角、その角は可動するのか、擦り合わせる時に、森の奥から聞こえてきた音とまったく同じ音を出していた。
「あの音、間違いない!」
魔獣はルシードたちに気づいていないのか、村人を追おうと動き出している。
ルシードは懐から投げナイフを取り出し、投擲する。
避けようともしない魔獣に、ナイフが刺さるかと思われた瞬間――弾かれた。
「くっ、硬い!」
「ですが、こちらに注意を向けることができました。僕が前へ出ます。ルシードは――」
「兄さん! ルシードさん! お待たせしました!」
そこへセフィーリアがシャルニアを連れて現れた。アルマリーゼの姿はない。
「セフィ、いいところに来てくれました。あいつの相手を僕たちでします。装甲が硬いので注意してください!」
「はい!」
「待って! あの魔獣、ギルドの図鑑で見たことがある。確か名前は……トライホーン・ビートル。危険度は――Bだよ。それも多数での討伐推奨、即時殲滅が重要って書いてあったはず」
「B!? この国でBなんて、滅多に見ないわよ!」
シャルニアの記憶に間違いがなければ、今回の戦いは厳しいものとなる。
テオの冒険者ランクはD、セフィーリアとシャルニアでさえCだ。推奨されている人数がいかほどのものかも問題だが、ルシードは三人の上をいく魔獣を相手に、正面切って戦えるのか、少し不安だ。
「……それでも、やるしかありません。僕たちが力を合わせれば、たとえ格上でもやれるはずです! 今夜は曇っているせいで星の光が届きません。セフィが聖魔法で灯を作ってください。そのあとは僕とセフィで前衛を。セフィとシャルは魔法での攻撃も試してください、何か突破口が見つかるかもしれません。ルシードはあまり接近せず、攻撃のチャンスの時だけ攻めるようにしてください」
テオの指示に全員が頷く。
「では、いきます!」
テオが先陣を切り、トライホーン・ビートルへ駆ける。すでに仙気術を使っているのか、その動きは速い。
一瞬にしてテオはトライホーン・ビートルへ接近し、手にした剣で斬りつける――が、装甲に阻まれ、傷をつけることさえできない。
「聖なる光よ、集いて矢と成し、我が敵を貫け!」
セフィーリアが叫ぶ。左手の親指を上に立て、人差し指でトライホーン・ビートルを指差すと同時、その左手には白く光る弓が現れた。
次に右手でその弓を引き絞る動作をすると、右手に白い矢が現れ、セフィーリアはその矢を放つ。
一条の光となって、白い矢はトライホーン・ビートルへと吸い込まれていく。装甲に当たった白い矢は――弾けて消えた。
「ダメ! 魔力抵抗が高くて通らない!」
そこで初めて、こちらを敵と認識したのか、トライホーン・ビートルが動いた。側まで来ていたテオへと前進、狙いを定めて角を突き出す――が、テオは難なく躱す。
どうやらトライホーン・ビートルの動きはそれほど速くはないようだ、とルシードは分析する。一撃は重そうだが、今の速度ならテオたちでも十分戦えそうだ、と。
「シャル! 動きは遅いですが、突進は厄介です。風魔法で前方から圧力をかけ、突進力を削いでください」
「はい! ……吹きすさぶ風よ、目に見えぬ楔となりて、彼の者を縛れ!」
テオがシャルニアに魔法での援護を求め、シャルニアはそれに応えた。
ルシードも戦闘に参加するために剣を呼び出そうとするが――
《まずいわね》
頭に直接響いたアルマリーゼの声に、その動きを止まる。
セフィーリアたちと合流した時に姿は見えなかったはずだが、すでにルシードの影の中にいるようだ。
ルシードはアルマリーゼに伝えようと、心で念じる。
(アルマ? どうした? 何がまずい?)
《テオたちは知らないみたいだけれど、トライホーン・ビートルはオスとメスがペアで生まれることがあるの。メスはオスに魔力を送り、オスは強化される。あそこにいる個体はオスね。シャルニアはBランクと言ったけれど、通常のオスのサイズは普段、もう少し小さいはずよ。それがシャルニアの言うところのBランク。あの個体はB+かA-ほどの力はありそうね。オスが強化されていることから考えても、メスがどこかにいるはず。……気をつけなさい。メスはオスよりも強い。それに苦戦するとわかれば、卵も産むわ。シャルニアが多数推奨、即時殲滅と言ったのも、おそらくこれが原因よ。すぐに倒してしまわないとメスが子どもを生み、その子どもが成虫になれば、オスと同じ強さまで成長する。早くメスを見つけ出さないとまずいわ》
ルシードはアルマリーゼの声に驚愕する。
(あいつより強いだって!? 冗談だろ!? 一体でも苦労してるって言うのに、まだ強いやつがいるって言うのか!?)
《冗談ですませられるほど簡単だったらよかったのだけれど、トライホーン・ビートルはオスが先行して道を作り、メスがあとから来る。もし先にオスを倒してしまうと、メスは激昂して更に凶暴になるわよ。……それにしても、普段は森の奥でレゾナンスウルフなんかの弱い個体だけを狙って生息しているのに、森が途切れる村にまで来るなんて珍しいわね》
アルマリーゼの言葉に、ルシードは一つの考えが浮かぶ。
(森の奥に生息しているレゾナンスウルフを狙って? ……まさか!?)
ルシードは走り出す。このまま西へ直進して、目の前のトライホーン・ビートルに感づかれ、追われては困ると南へ走る。
「ルシードさん――? どこへ行くんですか!? ルシードさん!?」
背後から聞こえるセフィーリアの呼び止める声にも答えず走る。
《――ルシード?》
(俺のせいだ! あの時なんとしてでもレゾナンスウルフを処理しておくべきだった! 俺が倒したレゾナンスウルフを放置したから、この村までやって来たんだ! 普段は森の奥から動かないんだろ? トライホーン・ビートルはレゾナンスウルフを追って村の近くまで来た。俺が放置したレゾナンスウルフを食べたあと、村があることに気づいてこっちにやって来たと考えると辻褄が合う! オスも村から引き離したいところだけど、メスと合流されると厄介だ。オスはテオたちに任せて、俺がメスを相手にする!)
《そう言うんじゃないかと思っていたわ。……気をつけなさい。今のあなたの実力じゃ、私の剣でもトライホーン・ビートルの装甲は貫けないかもしれない》
ルシードはアルマリーゼの忠告を耳に、テオたちが戦っている位置から死角になる場所で西側へと移動、丸太の柵へとやって来た。丸太の柵は五メートル。跳躍で越えられる高さではない。
だが、ルシードは懐からナイフを三本取り出すと、目一杯の力で西側の丸太へと投擲。丸太へと等間隔に突き刺さったのを確認し、それを足場にして、村の外側へと飛び出した。
着地と同時、周囲を見渡すが、トライホーン・ビートルのメスは――見えない。
ルシードのいる場所の北側には、おそらくはオスがなぎ倒したであろう木が何本も転がっているのが見えるだけだ。
《おそらくあの先にいるでしょうね。オスが道を作り、メスはその道を通ってくるわ》
(なら、あの道を行こう。メスと出会うはずだ)
ルシードはトライホーン・ビートルのオスが作った道を駆ける。
◇
テオとセフィーリアは剣撃を幾度となく繰り出すが、そのどれもが硬い装甲に阻まれ、傷をつけることさえできないでいた。
「くっ! やはり剣は通らないか!」
「兄さん! ルシードさんがどこかへ行ったまま戻って来ません! もしかして逃げ――」
「セフィ! そのことは忘れて、今はこいつに集中してください。……それに、たとえそうだったとしても、僕は責めません。今日出会ったばかりだとはいえ、僕は彼がそんな人物ではないと感じました。彼なら何か理由があったのだと思いますし、力不足で戦えないと思ったのなら、この場にいない方が僕たちも戦いやすい」
「それはそうですが……いえ、すみません。今は目の前の敵に集中します」
「はい。しかし、何か弱点さえあれば……」
「――弱点?」
そこで今まで離れた位置から風魔法で援護していたシャルニアが、何かを思い出したように言葉を発する。
「シャル?」
「弱点! そうだ、確か夜行性だから熱に弱いって書いてあった! 体温をあげてやれば、装甲が柔らかくなるよ!」
「よく思い出してくれました、シャル!」
「偉いわ、シャル。私と兄さんで引き続きあいつの相手をするから、その間に火をおこして風魔法に乗せてあいつに攻撃を!」
「はい!」
そこで腰に手を伸ばしたシャルニアは、冒険者カバンをルシードに預けたままであったことを思い出す。
周囲にはこの場を照らすためにセフィーリアが作り出した聖魔法の球体があるが、熱を発するようなものではなく、近くの家の外灯用ランプでは油の量が心もとない。魔獣を直接燃やすためには、大量の油が欲しかった。
「ご、ごめん、姉さん! 冒険者カバンを置いてきちゃって……」
セフィーリアがルシードのことを逃げたと思っているからか、これ以上ルシードのせいにしたくないシャルニアは嘘をつく。
「ッ! わかった。私が火をおこす。兄さん!」
「はい、僕一人でも大丈夫です」
セフィーリアが冒険者カバンから油の瓶を取り出し、蓋を開けたところで、トライホーン・ビートルが急遽セフィーリアへと狙いを変えた。
「なんだ――知能がある? いや、油の匂いを嫌っているのか。セフィ! そちらに向かいます、気をつけて!」
また突進を繰り出すかと思われたトライホーン・ビートルの――上翅が開く。
「まさか――いけない、セフィ!」
テオの声が届くよりも先にトライホーン・ビートルが飛んだ。いや、飛ぶと言うより跳ねたと言った方が正確だろうか。うしろ脚に力を溜め、跳ねた次の瞬間、セフィーリアは目の前にトライホーン・ビートルの角が迫るのを見た。
◆
トライホーン・ビートルのオスが作った道を進み、テオたちが戦っている音も届かない距離に、その姿はあった。その角はオスのそれよりは小さいが、体のサイズは倍近い。
「でかい。五メートルはあるんじゃないのか!?」
《その分動きは遅いけれど、装甲の硬さはレゾナンスウルフ程度じゃ、集団になったところで傷一つ付けられないでしょうね》
「それであの時、戦って敗走していた三匹に出会ったってことか。……仲間がやられたから共鳴能力で呼ぶこともできなかったんだな。ところで、アルマはあの魔獣を知っているようだけど、弱点とか知らないか?」
《戦ったと言っても、一度だけよ。どうしてもその道を通らなければならなかった一度限り。だから、弱点は知らないわ。その時の私は、今とは比べ物にならない魔力を持っていたから、一太刀で致命傷を与えることができた。それができるかどうかは、あなた次第ね》
「わかりやすい答えだ。とりあえず力押しでやってみよう」
ルシードはトライホーン・ビートルのメスと対峙しているが、トライホーン・ビートルは動かない。
まずは直接斬ってダメージを与えられるか確認しようと影に手をかざし、剣を呼び出す。現れた柄を握り、剣を引き抜いた。
ルシードはトライホーン・ビートルの正面から横へと移動し、様子を見る。
その動きに、トライホーン・ビートルも方向転換しようとしているが、やはりその動きは鈍い。
ここでルシードは一つの疑問が浮かぶ。レゾナンスウルフは獣の姿をしていることからも、それなりの速さを持っていた。それを防御力が高いとはいえ、この鈍重な動きでどうやってレゾナンスウルフを仕留めたのかがわからない。
注意を払い、もう一度横へ移動して斬りかかる。狙いは脚だ。
剣で斬りつける――が、刃は通らず、小さな傷をつけただけで、あっさりと弾かれた。
トライホーン・ビートルは攻撃された脚を動かしてルシードへと伸ばすが、ルシードは余裕を持って回避する。
「ダメか! ……でも、脚の動きは遅い。掴まれたら厄介だが、十分躱せる」
ルシードは一度距離を取り、小さく息を吐き出す。
今度は野盗の頭、ヴィーノを倒した時のように剣先に魔力を集中させた。次の狙いも脚だ。
「これで――どうだッ!」
突き出した剣はトライホーン・ビートルの脚へと刺さりはしたが、ほんの数センチ食い込んだだけだ。ヴィーノの剣を貫いた攻撃でも、切断するには至らない。
再び動く脚を、ルシードは回避して離れる。
「……これでもダメなのかよ」
《高ランクの魔獣の強度は、そう簡単に貫けるものではないわ。それに、私も村を出る時に消耗しているのよ? 同じ私の剣でも、あの時ほどの力はないと思いなさい》
ルシードは誰に言うでもなく愚痴ったが、丁寧にもアルマリーゼは答えてくれる。彼女はミレット村を出る際に、村人からルシードの記憶を奪うために力を使い、魔力を消耗しているのだ。現状の力でヴィーノの剣を貫こうとしても、できないだろう。
「ギ、ギギギィ」
「鳴き声――なのか?」
ルシードを完全に敵対生物と定めたのか、トライホーン・ビートルが鳴いたと思われた次の瞬間、トライホーン・ビートルの上翅が開き、中から薄い翅が現れる。
「嘘だろ!? この巨体で飛ぶのか!?」
《気をつけて、あいつの脚に魔力が集まっているわ》
脚に魔力。ルシードはその言葉に危機感を覚える。ルシードはトライホーン・ビートルの直線上にいる。翅を広げ、飛ぶとなると当然――正面だ。
ルシードは足に力を込め、横に飛んだ。
その一瞬あとにトライホーン・ビートルの巨体が横を通り過ぎ、何本もの木をなぎ倒す。
「くっ! これが動きの速いレゾナンスウルフを仕留めた技ってことか。速さが今までの比じゃない。アルマの忠告がなければ食らってた」
《ええ、今のは危なかったわ。回避するのが一瞬でも遅かったら、当たっていたわね。テオたちは大丈夫かしら……》
「テオたちも気がかりだが、今はこいつに集中しよう。きっと大丈夫だ」
ルシードはアルマリーゼの声に少しの心配が頭をよぎったが、テオたちならば大丈夫と信じる。
《そうね。今は信じるしかない。それに、こいつらはオスメス同時に生まれることはあるけれど、その場合、メスが本体となるわ。先にこいつを倒せれば、向こうのオスが魔力供給を断たれて弱体化するはずよ》
「それを聞いたからには頑張らないとな。――アルマ、剣は手放してもすぐに再生成できるか?」
「もちろん、可能よ。何か手を思いついたの?」
「倒せるほどじゃあないけどね。……まずは機動力を奪う。あいつが脚に魔力を溜めたら教えてくれ。次に合図したら、剣の生成を」
《わかったわ》
ルシードはトライホーン・ビートルの横へと回り込み、一本の手頃な木を、背にして立つ。
トライホーン・ビートルはゆっくりとルシードへと向きを変え、上翅を水平に広げた。
《脚に魔力が集まり出したわ!》
アルマリーゼの声に呼応するかのように、トライホーン・ビートルは脚に溜めた魔力を糧に、ルシードへと跳び出す。
それに合わせ、ルシードは手に持った剣を地面につき立てると、剣の柄頭を足場に、木の枝目がけて跳躍。
ルシードは太い木の枝に着地し、すぐさま自分目がけて突進してくるトライホーン・ビートルを飛び越すように前へ飛び出した。
「剣を!」
ルシードの声とともに、木の根元に突き刺さっていた剣が消え、右手に闇色の光が集まり、剣が再生成される。
すでにトライホーン・ビートルはルシードの真下だ。ルシードは再び剣の切っ先に魔力を集中し、トライホーン・ビートルが木に当たり、速度の落ちた瞬間に上翅の中から現れた薄い翅へと剣を投擲する。
剣は何に阻まれることもなく薄い翅を貫き、翅が破れたことで推進力を失ったトライホーン・ビートルは、一回転して転がった。
ルシードは倒れる木の下敷きにならない位置へと着地する。
《ふふっ、なるほどね》
「あいつの上翅の中の翅は薄かったからな。簡単に破れると思ったんだ」
ルシードはトライホーン・ビートルの薄翅を貫通し、地面に突き刺さった剣を抜いて、再び構える。
「問題はあいつの装甲をどうやって攻略するかだな。……上翅を開いたところが柔らかいかと体も狙ったけど、流石にそう上手く当たってはくれなかった。もうあいつは飛べないだろうけど、薄翅だけが破れたのは、幸か不幸か判断できないな」
《そうね。……やれやれ、もう動くみたいよ。休ませてはくれないみたいね》
トライホーン・ビートルは転がった状態から起き上がり、再びルシードへと向きを変えるが、その様子がおかしいことに気づく。トライホーン・ビートルの脚、六本あったうちの一本が千切れてなくなっていたのだ。
「脚が――千切れてる? どうして……」
《今の衝撃で千切れたのかしら?》
「まさか、そんな簡単に千切れるなら苦労は……そうか! 関節だ! 関節部分は装甲で覆われていない。関節部分は動かすために、硬い装甲で覆われていないんだ! そうとわかれば決まりだ。あいつの脚での攻撃に合わせて、関節部分を斬る」
《悪くない案ね、そうしましょう》
ルシードは剣を構え直し、脚を狙いやすいよう、横へと回り込む。
しかしトライホーン・ビートルはルシードが回り込んだにもかかわらず、動かない。今までとは違った行動に注意深く観察すると、すぐに原因がわかった。
脚が一本なくなったから動けないのではない。トライホーン・ビートルの後方に、いくつのも丸い物体が転がっていたのだ。
「なんだ……?」
《いけない、卵だわ! 子が産まれる!》
ルシードがアルマリーゼの言葉の意味を理解したその時、最初の卵がひび割れていた――。




