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国王の執務室に通されたジークは、形式どおり膝をついて頭を下げた。
「楽にせよ。」
ジークは国王に促されて、顔を上げる。
そこで国王から告げられた言葉は信じられないものだった。
「ジーク、お前とラークスター家長女であるカンナの婚姻契約は本日付で破棄された。」
「は……?なっ…何故ですか?」
元々国王自身が選んで結んだ2人の婚姻だ。
2人の幸せを願いこそすれ、まさかこんな悲劇を招くことになろうとは思いもしなかった。
「理由など、必要あるまいよ。」
のらりくらりと詰問するジークをかわし、国王は頑なに理由を話さない。
「どうか……お願いいたします。カンナと話をさせてください。」
「…それを許可するのは、私ではない。ラークスター侯爵に願い出るしかあるまい。」
「わかりました。では、御前を失礼いたします。」
最低限の礼だけ取ると、ジークは踵を返した。
「待ちなさい。」
国王に呼び止められ、今すぐ駆け出したい気持ちをぐっとこらえて、振り向き、再度膝をついた。
「今更、ラークスター家の娘と何を話すのだ?そなたにとっては、道端の石同然の存在だったと聞いておる。」
ジークは、父に話した内容を国王がなぜ知っているのかと驚くと同時に、一貴族の夫婦間の問題にまで国王が口をはさんで来ることに最近感じてきた違和感が確信へと変わっていった。
「ご無礼を承知でお聞きします。私の預かり知らぬところで、何が起きているのでしょうか?陛下、どうかお教えください。」
「私の質問に答えよ。ジーク。今更、カンナと何を話すつもりなのだ?」
しばらく沈黙した後、ジークは呟いた。
「……愛しているのです。」
声には後悔が滲んでいる。
「本当は、もうずいぶん前から…カンナを愛していたのです。どんなに冷たく突き放しても、常に無償の愛で私に接してくれました。
それなのに私はっ…。
どうしても素直になれず、私の発する棘のある言葉に傷つく彼女を見て、まだ愛されていると確認せずにはいられなかったのです……。」
ジークから、カンナを愛しているという言葉が出るとは思っていなかった国王はしばらく瞠目したあと、ため息をついて、ジークを見据えた。
「そうか……しかし、許してもらえるとは到底思えん。彼女の気持ちもだが、ラークスター家の意向としても許しはしないだろう。」
「許していただけるまで、何度でも謝罪します!!!」
ジークは立ち上がり、吠えるように言い放つ。
「…謝って済む段階はとうに超えておる。」
「どういうことですか?」
「ラークスター侯爵家について、知っていることはあるか?」
「はい……父親である現侯爵は、軍務大臣を拝命されています。また、兄のアレックスは魔術師長を拝命しています。」
「そうだな。それは彼らの表の顔だ。」
「表の…顔?」
「彼らは神に愛されている。あの一族の魔力は異常だ。彼らの気分一つで、国は簡単に滅ぼせる。」
「まさか…。」
「本当のことだ。ただ、彼らに国を乗っ取る、滅ぼすという邪心がないだけのこと。裏では国家間の調整役をしている。この国が平和なのは、彼らの力に因るところが大きい。」
気安く話していたアレ ックスやカンナが、ひどく遠い存在のような気がして、血の気が引く。
「……100年に1度門を開くのですら、ラークスター家以外の人間には不可能。そして、今回のように周期に沿わない界渡りができるのは、当代一の魔力の持ち主だけだ。」
二人の間に沈黙が訪れる。
「今回、聖女を召還したのは、お前のためだ。」
「えっ?」
何を言われているのかわからず、唖然とするジークに、噛んで含めるようにして、話して聞かせた。
「界渡りの術者が、聖女を想い続けるお前のために、聖女を再召喚したいと申し出たのだ。」
言葉もなく、立ち尽くす。
「……そんな、個人的な理由でユーリを…?」
「今回の召還については、聖女と界渡りの術者の間で事前に調整を行ったと聞いておる。それができてしまうのがあの一族だ。」
よく、分からない。この件とカンナがどう関係するのだろうか?ユーリに会った私が許せないということなのか?
ジークは何を見落としているのか必死になって考えるが、混乱した頭では何も答えを出せない。
「周期に沿わない界渡りの術は、術者をひどく蝕む。魔力をすべて失い、対価として足りなければ四肢を内蔵を精神を持って行かれる。……今回の術者もいまだ昏睡状態だ。」
脳裏に、丘の上の血だまりに倒れた赤い刺繍の魔術師が浮かんだ。
「そんなことっ!!望んでなどっ!!!!」
騎士としてどんな時も民の命を護ってきた。
それなのに。
自分の戯れ言のせいでこの国の民が…死ぬ?
そんなことは認められない。
ひどい後悔の念が胸を渦巻き、足元から崩れていきそうな感覚に襲われる。
「落ち着きなさい。」
「しかしっ!!!!」
「ジークっ!!己の過ちを認めるのだ!!」
ぐっと唇を噛んだまま立ちすくむジークが落ち着くのを待って、国王は言葉を続けた。
「ジーク。お前の幸せを一番望んでくれているのは誰だ?」
「私の……幸せ?」
脳裏に浮かんだのは、他の誰でもないカンナだ。
「カンナ……。」
会いたい。
離縁など、耐えられない。
脱力し、両手を地面についた拍子に丘で拾った腕輪が床に転がった。
ふと、結婚したときに、ラークスター侯爵から言われた言葉を思い出した。
『カンナは右腕に腕輪を嵌めています。あれは、彼女の魔力が暴走しないように必要なものですので、決して外さないように、ご理解いただきたい。』
自分で制御もできないないのかと呆れながら、オブラートに包んでそう尋ねると、侯爵は『あれの魔力は私ですら制御などできまいよ』といって笑っていた。
当時はただの冗談だと思っていたし、実際に彼女が腕輪をしているのを見たのは、結婚式の時だけだった。
「……?」
ラークスター家の長女。
侯爵でも抑えられないほどの魔力。
欠けていたパズルのピースがはまる。
自分に注がれ続ける愛情。
ゼラニウムの花で赤く染めた刺繍糸。
― めまいがする。
赤い糸で刺繍が施されたローブ。
アレックスより小さな術者。
考えるな、やめろと叫ぶ声が頭の中で反響する。
くぐもった呻き声。
焼けただれた右腕。
丘の上に散った真っ赤な血。
― やめてくれ。
ローブからこぼれた蜂蜜色の髪。
血だまりに残された腕輪。
― 嫌だ。やめてくれ。
いまだ昏睡状態の術者。
― カンナ。
― カンナ。
― 殺してくれ。私を。
どうやって城から出たのか覚えていない。
気が付いた時には、ラークスター家の前にいた。
--*--
ラークスター家のドアを激しく叩く。
中から現れたのは、疲れた表情のアレックスだった。
「カンナはっ!?」
「ジーク様、落ち着いてください。申し訳ございませんが、いくら公爵令息のあなたであっても通すわけには行かないのです。それが彼女の希望です。」
「カンナっ!!聞こえているのだろう!? カンナーっ!!!!」
大声で何度も彼女の名を呼ぶ。
姿を見せて、ジークの考えたシナリオは間違っていると証明してくれ。
「アレックスっ。頼む。一目で良いんだ。会わせてくれ。彼女以上に大切なものなど……私にはないんだ。」
「ジーク様……界渡りのこと、お聞きになったのですね?」
うなずくジークをじっと見つめ、アレックスが諭すように話した。
「行動には、責任が付き纏います。罪を犯したら、罰を受けます。カンナは理から外れた大きな力を使いました。その代償は払わねばなりません。」
「あなた様は理の外にいる『最愛の聖女様』に会う機会に恵まれたのです。何も失わずにいられるとお思いですか?」
アレックスの顔に表情が無い。
「私にできることは……何かないの か?」
「……お引き取りください。」
「……アレックス……。」
邸内が騒がしくなる。
「アレックス様っ!!!お嬢様が!!!!」
駆け寄る侍女にうなずくと、アレックスはジークに向けて右手を掲げた。
「お引き取りを。」
アレックスも魔術でカンナの治療に当たっているのだ。これ以上邪魔立てはできない。
自分に向けられた彼の右手に魔力が集中するのを察して、ジークは口を開いた。
「せめてっ……せめてこれをカンナに。」
握りしめていたのは、アメジストの指輪と聖女からもらったエメラルドのペンダントだった。
アレックスが魔力を散らして、渋々受け取ったのを確認すると、ジークは踵を返してラークスター家を出て行った。
--*--
ジークは、誰もいない丘の上に膝をつき、組んだ両手を額に当てて神に祈っている。
訃報が届くのが恐ろしくて、自邸にはいられない。
辺りは真っ暗で、星が恐ろしいほど輝いている。
ジークの嗚咽に混じって、懺悔の言葉と、カンナの快癒を願う言葉が途切れ途切れに聞こえてくる。
--*--
朝日が昇るころ、ラークスター家から訃報が届いた。
ラークスター家の魔力に関することは国家機密であるため、彼女の死は王家と公爵家のみに知らされ、葬儀は親族のみで執り行うこととなった。