9.幸せになる権利
「ふふ、ありがとう。あなたも、本当にお利口さんなのね」
『そんなことは、ないですけど……』
「王太子殿下を探すために、たくさん走ってくれたのでしょう? 疲れて倒れてしまっているのではないかって、ずっと心配していたの」
『心配……僕のことを? 心配してくれていたんですか……?』
どこか信じられないものを見るような、でも同時に信じたいって思いながら見上げてるように見えるクロに、セレーナが気づいてるのかは分からないけど。でも、いつもと同じすっごく優しい顔で笑って、同じく優しい声で話しかけ続けてくれるんだ。
「あなたさえよければ、今日こそお礼をさせてもらえないかしら? 飼い主の方がいらっしゃるのなら、もちろんその方も一緒に」
『その……僕に、ご主人様はいません……』
でもセレーナの言葉に返すクロは、どこか悲しそうで。
ニンゲンの家には入らないって言ってたけど、もしかしたらホントはニンゲンと一緒に暮らしたいのかもって、ボクの首輪を見せた時に少しだけ思ったんだ。だからセレーナに会ってさえくれれば、もしかしたらクロの気持ちも変わるかもしれないって。
けど、違ったのかな? こんなに悲しそうな顔して、耳も尻尾も垂れちゃってるのは、ボクの考えが間違ってたから? だから、クロにイヤな思いをさせちゃってる?
どうすればいいのか分からなくて、セレーナとクロの顔を交互に見てたボクだけど。
「お嬢様、少しよろしいでしょうか?」
「えぇ。どうしたの?」
さっき路地裏に入る前に、セレーナに言われてどっかに行ってたニンゲンが帰ってきたみたい。それに対応するためにセレーナもスッと立ち上がって、その場で話を聞いてくれた。
そのニンゲンが、教えてくれたんだ。ボクがずっと疑問に思ってたことも、クロがなんでこんな悲しそうな顔してるのかの理由も。
「どうやらそちらの黒い犬の飼い主は、存在していないようでした」
「まぁ! こんなにも賢い子なのに……。いったい、どういうことかしら?」
「それが、ある日突然この場所に現れたらしいのですが、当時は野良として生きてきたにしては毛並みが整いすぎていたそうなのです」
「つまり……迷い犬か、あるいは――」
「意図的にこの場所に捨てられたか、ですね」
その瞬間、クロの体が小さく反応したのを、ボクは見逃さなかった。
そう、つまり。ホントはクロは、野良なんかじゃなかったんだ。ボクと会うより前は、ニンゲンと一緒に暮らしてた。だから、他のニンゲンの家には入らないようにしてたんだ。
(そういえばフィリベルトを探しに行くって時に、ハンカチは引き出しの中とかだから開けられないって、クロ言ってたかも)
あの時は緊急事態だったし急いでたから、全然気にしてなかったけど。あれってニンゲンと暮らしたことがなかったら、知ってるはずないことだもんね。
ってことは。
『クロ、もしかして……迎えが来るの、ずっと待ってたの?』
『……うん。迎えになんて、来るはずないの、分かってたんだけどね。僕みたいな体の大きなイヌは、もういらないんだって言われたからさ』
『そんなの、そのニンゲンの勝手じゃん! 先に裏切ったのは向こうなんだから、もうクロが待つ必要なんてないよ!』
ニンゲンの身勝手のせいで、クロがつらい思いをする必要なんてないはずなのに! 幸せになる権利はあるはずなのに!
ボクは、くやしくて悲しくて。でもだからこそ、やっぱりどうしても一緒にお家で暮らしたいって思ったから。
『セレーナ! クロをお家に連れて帰ろう! ボク、クロと一緒に遊んだりごはん食べたりしたいんだ!』
『ルシェ……』
ずっとずっと、ボクが望んでたことだから。もしかしたら今なら、セレーナに伝わるんじゃないかって思って。
だって前にセレーナだって、クロのこと迎えに行こうと思ってるって言ってくれたもん。だからきっとセレーナだって、今同じこと考えてくれてるはず。それにそうじゃなかったら、今ここまで来てないもんね。
ボクの言葉をちゃんと理解してもらえないって分かってても、必死にアピールし続ける。だってそうじゃなきゃ、気づいてすらもらえないんだから。
「ルシェ、あなた……もしかして、私と同じ気持ちでいてくれているの?」
『ボクはずっと前から、クロにはセレーナに会ってほしいって思ってたんだ。そしたら絶対、一緒のお家で暮らしたいってクロも思ってくれるって信じてたから』
「……そう。やっぱりあなたも、そう思うわよね」
立ち上がってたセレーナが、もう一回しゃがんでボクに目線を合わせながら、頭を優しく撫でてくれる。
ボクの言いたいことが、全部ちゃんと伝わったわけじゃないと思う。でもきっとセレーナなら、ホントに大事なことは分かってくれてるはずだから。
その証拠に。
「ねぇ。あなた、ルシェのお友達なのでしょう? ルシェもこう言っているし、今現在飼い主がいないのであれば、私のお家にいらっしゃいな」
セレーナはクロに向かって、そう言ってくれたんだ。




