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wink killer  作者: 優月 朔風
第7章 死神の過去
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第56話 君を……傍で守りたい

  ♪♪


 西日の差し込むうららかな午後の大教室。

 どこか遠くの方から聞こえてくる教授の声をバックグラウンドに、俺は手元の作業に勤しんでいた。


 「ははっ、よっしゃ、進化した」


 手元のゲーム機がピコン、ピコンと「おめでとう」の意を示す。

 俺は小さくガッツポーズをしたのも束の間、教授が黒板消しで黒板を消そうとするので慌ててレジュメに黒板の内容を書き写した。


 (……ふぅ、危なかった)


 大教室の隅、一番後ろの席の右奥に座った俺はホッと一息ついてから、再び手元のゲーム機に視線を移した。


 教授の声は再び遠くなり、俺の意識はゲームの世界へと入り込んでいく。

 自分の操作するキャラクターが、先程の進化の影響かより強くなっているのを実感し、俺の心はいささか高揚していた。


 「今日はこのまま十連勝か? はは、これでやっと三谷(みたに)に勝てそうだ」


 長きに渡る親友との戦いにようやく勝利をもたらすことができそうだ――

 そう意気込んだ瞬間だった。


 「お隣、失礼します」


 “彼女”はそう言うと、俺の真隣の席に座った。


 「……ど、どうぞ」

 ――いや、何でわざわざ俺の隣なんだ?


 授業ももうすぐ終わりそうなタイミングで突如入場してきた彼女は、ポツン、ポツンとしか席の埋まっていない大教室のわざわざ隣の席に鎮座すると、そのまま微動だにせず教授の話を聞いていた。

 しかし彼女は、授業の資料も何も出さず、黒板の内容を書き写すこともしない。

 彼女は地面に対して垂直に椅子に座ったまま、ただひたすらに教授の話を聞いていた。


 「あの……レジュメ、ないんですか? 良ければ俺の……」

 「黙っててください。教授の話が聞こえません」

 「ご、ごめんなさい」


 ピシャリと言い放たれた彼女の言葉に言い返すこともなく、俺の口からは反射的に謝罪の言葉が出ていた。

 ……まあ良いか、気を取り直すとして。

 突然の乱入者のせいで暫くの間手元が止まってしまったが、続きと行こう――そう思い、再び手元の機械に視線を落とした瞬間だった。


 「あ、死んでる!」

 せっかく十連勝のチャンスだったのに……。

 「ちょっと、静かにしてください。私は真面目に授業を受けたいの」

 「ご……ごめんなさい」


 心の中の自分が「君のせいですけど?」と叫んでいたが、反射的に出てきた謝罪の言葉を打ち消すことも面倒くさいので、俺は大人しくゲーム機を鞄の中にしまった。

 それから、黒板消しで消されそうになっている文字を慌ててレジュメに書き写す。

 一方の隣の彼女は、黒板の内容がみるみるうちに消えていくのにも全く意を介さず、相変わらずの姿勢を保ったままだった。


 (君はいったい、何者なんだよ……)


 大学に入学以来初めて出会うタイプの人種を目の前に、もはや驚きや呆れを通り越して笑いが込み上げてきた。

 この調子でまた何かを言われるのも嫌なので、俺は大人しく真面目に授業を聞くことにした。



 それから十数分たった後、大教室に授業終了のチャイムが鳴り響いた。

 久しぶりに集中して(最後の十数分だけではあるが)受けた自分を褒めながら、凝り固まった上半身をほぐすため、座ったまま大きな伸びを一つ。

 荷物をまとめ、外へ出ようとした瞬間――隣の人物の存在を思い出した。


 件の不思議な生真面目少女は、先程までのあの微動だにしない姿勢を保つだけの集中力はそのままに――

 その体勢のまま、スヤスヤと寝息を立てていた。


 (真面目に授業を受けたいんじゃなかったのかよ……)


 俺は呆れつつも、ユラユラと逆円錐形を描くこともなく、背筋をピンと伸ばしたまま眠ることができる彼女に称賛の意を唱えたくなった。

 しかし次の瞬間、絶望的な事実に気がつく。


 大教室の後ろの席は、長机の端が片方壁にくっついており、出口は一か所のみという構造になっている。

 後から来た彼女は当然、出口側の席に座っている。すなわち――


 「閉じ込められたか……」


 一向に揺れ動くことのない、彫刻のように固まった彼女を起こさなければ。

 そう思い、隣の席の彼女に手を伸ばそうとした瞬間――絶望は一転して、希望へと変わった。


 授業中は隣の人間の姿など大して気にすることはない。

 ましてや顔を合わせることなんてないし、初対面の人間の顔を覗き込むことなんてするはずがない。


 だから、今まで彼女の姿をしっかりと捉えることはなかった。

 そのせいで、気がつかなかったのだ――


 胸のあたりまで伸びた真っ直ぐな黒髪が、さらさらと揺れる。

 ぷっくりと膨らんだピンク色の唇が水分を含んでうるうると輝き、色白の肌の上に浮かび上がった頬の紅潮が、見事な乙女らしさを演出していた。

 少し気の強そうな彼女らしいキリリと上がった眉に対し、天使のような柔らかいまつ毛が、光に照らされてキラキラと輝く。


 (可愛い……)


 それはまさに、俺の好みの顔立ちで。

 一目惚れ、とはこのことを言うのだろう――初めての感覚に、俺は小さな感動を覚えた。


 (しかし、よく寝てるな……)


 スヤスヤ、と寝息を立てる彼女は、俺がどんなに覗き込んでも一向に起きる気配がなかった。


 「あの……」


 肩をゆすってみても、彼女は一向に起きようとしない。

 むしろ、むにゃあ、と小さな声を上げてさらに深い眠りへと入ろうとする始末であった。


 (まあ、無理に起こしても可哀そうだしなぁ)


 可愛い彼女を少しでも長い時間目に留めていることができる――これは逆に好都合なのだ。

 高鳴る気持ちを抑えながら、一人こっそりとニヤついた笑みを浮かべていたとき――


 隣にいた彼女の瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。


 その涙を見た瞬間、俺の中で、何故だか強い想いが込み上げてきた。

 それは恋人が愛する人に対して抱くような、父親が娘に対して抱くような、優しくて温かい、包み込むような――


 (君を……傍で守りたい)


 ある種の使命感に似た、心の奥底から感じる決意だった。

 その感覚を、どこかで覚えていたような気がした。


 (あれ、何で……俺……)


 それが何故か、どこで感じたものなのかを探ろうとして記憶の糸を辿ってみたものの、どうも思い当たる節がない。

 頭をひねる俺の横で、件の彼女はようやく目を覚ましたのか――鬼のような形相の俺を見て、驚いたように目を見開いていた。


 「あ……あの……おはよう、ございます……はは」


 誤魔化すようにして笑う俺を一瞥してから、彼女は大きく伸びを一つ。

 それから、外に出ようとしている俺の様子を見て状況を理解したのか、「……どうぞ」と小さく呟いて通るスペースを空けてくれた。


 (どうする……このまま別れたら、もう二度と彼女に会えないかもしれない)


 彼女の後ろを通る際、ふわりとした甘い香りが俺の鼻をくすぐった。

 どうにかして彼女との繋がりを作らなければ――俺は焦る心を抑えながら、彼女と接点を作る方法を模索する。


 一方、自分が寝ている間に授業が終わってしまったことを理解した様子の彼女は、小さく肩を落として俺に声を掛けた。


 「私は……どのくらい寝ていましたか」


 彼女はパッチリと開かれた目をこちらに向けながら、コクリ、と首を傾げて俺に問う。

 とりあえず会話を繋げることができただけではなく、それが向こう側からなされたことに感動しつつ、その愛らしい仕草に悶える心を抑えながら、必死に冷静さを取り繕って答える。


 「じゅ……十分くらい……かな?」

 「……ほとんど寝てた……」

 「だ、大丈夫! 今日のところ、あんまり試験に出ないと思うよ、多分!」

 「……せっかく頑張って来たのに……」


 試験直前にのみ一生懸命出ようとする学生は一定数存在する。

 おそらく、彼女もそのうちの一人なのだろう。

 とは言っても、彼女のように微動だにせず授業を受けようとする真面目なのか不真面目なのか曖昧なケースは稀だろうが……。


 「授業……あんまり来られないの?」

 「……うん」

 「サークルが忙しいとか?」

 「……アルバイトがいっぱい入ってて、あまり授業に出られなくて……」


 彼女は今にも泣き出しそうな表情を浮かべながら、「もう単位がヤバいかもしれない」と呟いた。

 その表情を見た瞬間、締め付けるような使命感が俺を奮い立たせた。


 (俺が、力にならなきゃ)


 思い立った俺は、咄嗟に鞄の中から資料を取り出し、泣き出しそうな彼女に手渡す。

 彼女の力になれるだけでなく、彼女との接点を作るきっかけにもなる――

 まさに一石二鳥の作戦に、俺の心は幾分か高揚していた。


 「それ、俺のレジュメとノートだから!」


 困惑した表情でこちらを見つめる視線をよそに、気恥ずかしくなった俺は捨て台詞のように「次来るときに返してくれればいいから!」と付け加えてから、教室を後にした。

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