第55話 また、来たのか
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牢獄の奥に捕えられている大罪人の様子を定期的に報告すること――それが、俺が「あの人」から直々に託された仕事だった。
錆び付いた鉄格子の匂いの立ち込める、暗くて細長い廊下の中。
俺は一人、目的の部屋へと向かう。
「……また、来たのか」
目的の人物は、今日も乾いた声でぼそりと呟いた。
痩せこけた身体は寒さに震え、くぼんだ瞳は闇を映していた。
「そんなに私が気になるのか、お前は」
「そこまで悪趣味じゃないさ。仕事だよ、仕事」
「はは、悪趣味か。なかなか言うようになったな、青年」
すっかりボサボサになった長い髪の毛が、笑い声とともに小刻みに揺れる。
本来は美人なのであろう端正な顔立ちも、げっそりと痩せこけて今や老婆のようにすら見える。
「なあ、お前。何で……あんなこと、したんだ」
「……またその質問か。そんなこと聞いて、何になる」
以前、養成学校の授業で習った死神の大罪。そのうちの一つに、死神による人間の転送がある。
本来死神が人間の世界に行くことが容易でない以上、この罪を犯す者などほとんどいるはずがないのだが。
他の牢より一際頑丈に作られた鉄格子の奥で、目前の大罪人は死んだような瞳で呟いた。
「さあな……憎かったんじゃないか。殺したってことは」
俺は大罪人にいつも同じことを聞き、こいつはいつも同じような答えを返す。
いつも同じような――寂しそうな表情を浮かべて。
「そんなことはどうでもいいんだよ、もう」
それからこいつは自嘲するようにして、悲しげに笑うのだ。
「記憶を失った今、私は過去の私のことなど知らない。殺した人間も……今となっては何の感情も抱く事もない」
「……そうか」
宮殿の奥、地下深くに位置するこの牢獄に捕えられる天界の罪人達には、ある共通点がある。
それは――
「罪悪感など、記憶と共に消えてしまった。あるのはただ……自分の罪を悔いることすらできない、虚しさだけなんだよ」
罪人達が皆――罪を犯した記憶と、生きるための気力を失っているということ。
天界の牢獄に入れられる罪人達は皆、自らの罪の記憶を消される。
それがどのような意図をもってなされているのかは分からないが――己の罪の記憶を消され“リセット”された罪人達は、自らが罪人であるという称号を背負いながら、牢獄に閉じ込められるのだ。
「私は大罪人……自らの罪を悔やむことすらできぬ以上――私の存在価値も、生きるための目的も、存在するはずがないだろう」
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「お前はあの時、自分には生きるための目的が存在しないと言ったな」
部屋の窓際でぼんやりと外を眺める大罪人を睨みつけながら、俺は言葉を続けた。
「なら何故、こんなことをした!」
生きるための気力を失っていたはずのお前が。
この世の全てがどうでもいいといった目をしていたお前が。
「何故、牢獄の警備兵を殺し……下界にまで逃げてきたんだ」
わざわざこんな騒ぎを起こしてまで成し遂げたいと思ったことは何なんだ。
お前に、いったい……何が起こったというんだ。
「答えろ! どうしてお前は、あの牢獄から抜け出――」
「――私は罪を思い出したのだ」
奴は寂しそうな表情を浮かべて、小さく微笑んだ。
「傍で支えたい、と思った人間がいたんだ。守りたい、と思った人間がいたんだ。……それを、思い出した」
「な……」
真っ赤な夕陽が部屋の隅々を染めていく。
奴は拳を強く握りしめて言った。
「だから、もう一度ここまで来たんだ。探したんだ。……その人間のことを」
奴はうつむいて、小さく呟いた。
「そして、この部屋に来たとき……思い出したんだ。その人間は――とっくに死んでいた」
自嘲するように、悲しそうに笑いながら。
その笑顔は今にも消え入りそうなくらい、儚く、脆いものだった。
「私が殺してしまったのだ……済まなかったな、高弘」
「……何、言ってるんだよ」
「お前を……守ってやれなかった」
目の前の大罪人は俺を真っ直ぐに見つめて言った。
「お前……何……言ってるんだ……?」
訳が分からなかった。
その言葉がまるで、奴が「高弘」という人間を殺した、と言っているようで。
まるで――俺がその「高弘」なのだと、言っているようで。
「お前が……俺を……? 『高弘』って誰だよ……?」
《なあ、お前。何で……あんなこと、したんだ》
《さあな……憎かったんじゃないか。殺したってことは》
俺は、お前を捕まえるために来たのに。
《おかしいよね……何となく昔は人間だったってことは分かるんだけど……全然、記憶がないんだ。気がついたら『あの人』の前にいた》
「俺は死神だ……死神ミタなんだよ……! 俺は、お前を捕えるために天界から来たんだ……『あの人』の命令で」
「高弘」なんて奴、知る訳ないだろ。
《でもさ……俺は『あの人』がつけてくれたこの名前、嫌いじゃないよ》
《生きてた頃の名前は覚えてないの?》
《……覚えてないな》
俺は死神だ。
そしてお前は、大罪人だ。人間の魂を転送した、大罪人――
「大罪人チサ、つまらぬ戯言で俺を騙そうとしても無駄だ! 俺はもう、お前を逃したりしない」
「そうか……お前も記憶を……」
嫌な予感が全身を駆け巡った。
脳味噌が、これ以上こいつの話を聞いてはいけない、と警告している。
「お……俺は、お前を捕らえる……! それが、俺の使命……『あの人』が俺に命じたんだ……俺はそのために……そのために……!」
俺が下界に来たのも。
そのせいで、蒲田未玖という人間に一生消えない罪悪感を与えてしまったのも。
大罪人チサ――全部お前のせいなんだよ……!
「俺はお前を捕らえて、使命を果たす……! そして、あの子を守るって決めたんだよ……!」
「『あの子』……。そうか、やはりな。私の推測は正しかった」
「な……」
大罪人は、しばらくの間黙っていた。
その表情は苦悶に歪み、俺に告げるべき言葉を躊躇っているかのようだった。
窓の外から差し込む夕陽の光はより一層赤みを増し、真っ赤な絵の具のような光が、すっかり埃まみれになった部屋中を染めていく。
よく見れば、この部屋はどこかおかしい。
この家。住んでいるのは老夫婦たった二人。
だがこの部屋には、勉強机のようなものがある。
昔この部屋に住んでいた子供のものと考えるにしても、この状態でそのままにしておくだろうか。
壁には落書きのようなメモが貼ってあり、文房具やプリントが散らばったままの状態だ。
片づけることもなく、あたりに張り巡らされた蜘蛛の巣や埃を取り除くこともせずに。
まるで、この部屋に住んでいた人間の痕跡をそのまま残しているかのような――
「ここは、お前の部屋だ。お前が人間だった頃の」
大罪人は悲しげな表情で告げた。
「そして、私はお前に憑いていた死神だ。高弘」
「な……に訳分かんないこと言ってるんだよ……お前」
俺は崩れるようにしてその場で座り込んだ。
「お前は……大罪人だろ……? 人間を転送した、大罪人なんだろ……」
「お前を守ってやれなくて済まなかった。お前を苦しめて、済まなかった……。そして今、私はまたお前を苦しめようとしている」
「な……」
《俺はお前を捕らえて、使命を果たす……! そして、あの子を守るって決めたんだよ……!》
《『あの子』……。そうか、やはりな。私の推測は正しかった》
嫌な予感がしてたまらなかった。
《傍で支えたい、と思った人間がいたんだ。守りたい、と思った人間がいたんだ。……それを、思い出した》
《お前を守ってやれなくて済まなかった。お前を苦しめて、済まなかった……》
頭の奥でパズルのピースがカチリ、カチリ……とはまっていく音がする。
《守りたい、と思った人間がいたんだ》
《あの子を守るって決めたんだよ……!》
《私はお前に憑いていた死神だ。高弘》
大罪人チサと死神ミタが重なって思えてならなかった。
それはまるで、俺達が――「同じことを繰り返している」とでも言うかのようで。
「お前は思い出す必要がある。自らの罪の記憶を――人間としての記憶を」
「人間としての記憶……俺の、罪……?」
割れるような痛みが頭を支配していく。
これ以上こいつの話を聞いてはいけない、そう本能が叫んでいるのに、
「その様子だと、あの女には会えていないようだな」
「あの女……?」
俺の身体は、その場で動くことができなかった。
「忘れたのか?」
全身に鳴り響く危険信号を無視して、俺はその言葉の続きを求めてしまった。
その時、俺の身体を支配していたのは――
「人間だったお前が最も愛し、そして」
忘れてしまった自分の罪と向き合わなければならないという、使命感だった。
嫌な予感の正体と――「同じことを繰り返している」可能性と向き合わなければならないという、使命感だった。
「……殺した女だ」
その瞬間、周りの世界が遠のいていく感覚がした。
引き裂かれるような痛みが頭を襲い、突如、脳の奥に閃くものを感じたかと思えば、目前に鮮やかな映像が蘇った。
「私達は、悲劇を繰り返している――大切な者を失う『連鎖』に巻き込まれているんだ」
遠くの方で、大罪人チサの言葉が響いていた。
割れるような痛みと共に広がった映像は、自分の過去の記憶を映し出すかのように、鮮明な音と感触をもって流れ始めた。




