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wink killer  作者: 優月 朔風
第6章 少女の秘密と謎
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第49話 月明かりと

 目を覚ます。

 ゆっくりと、呼吸をする感覚がある。


 ああ、やっぱり。

 思った通りだった。

 私は今生きている――「人間」として。


 コンクリートの壁に血のようなものが飛び散っている。

 趣味の悪いところだ。

 あたりを見回してみてもそうだ。明かりもない、薄暗い空間全体に広がるのは、臭いの強すぎるペンキと血の匂い。


 (でもまあ、あの部屋よりは幾分かマシかしら)


 蝋燭の炎だけが照らすあの空間を思い出して、私の身体が一瞬震える。

 が、やっと抜け出すことのできた今――それも昔のことのように思えて、ふと笑いが込み上げてきた。


 立ち上がろうとする私が身体を動かそうとすると、全身を固定する縄がギシリ、と音を立てた。


 (――ああ、そういえば「私」は、縄で縛られてたんだっけ)


 薄暗い部屋の中に、ぼんやりと緑色の光が輝き、縄を包み込む。

 すると、縄がぼろぼろと崩れ落ちていった。


 「ふぅん……このエネルギー、人間の身体のままでも使えるのね」


 私はゆっくりと立ち上がり、あたりを見渡した。


 「さて、あの女……どこに行ったのかしら」


 壁沿いを伝い、地上へ上がる階段を探す。

 その途中で、幾度か固い陶器のようなものにつまずいた。


 (……本当、趣味悪い女)


 その「陶器」達のくぼんだ目がこちらを見てくるのを無視するようにして、私は階段を探した。


 階段を見つけると、私は地上に上がっていった。

 階段を上がった先にはリビングがあった。

 ドアを開けて見ると、どうやら彼女はソファの上に座り、優雅なティータイムを過ごしていたようだった。


 私は、絵の具や中の綿が飛び散ったソファを見て、どこか懐かしい気がした。


 「あなた……なんで……っ!」


 私を見て驚く彼女の顔が青ざめていく。

 慌てて思わず立ち上がった彼女の姿が、何だか可笑しかった。


 「なんで……生きてるのよ……?!」


 彼女が私の胸元に視線を移した。

 私の歩いてきたあとに、まるで目印のように血が垂れた跡があった。

 どうやら傷口が開いてしまっていたらしい。

 今更になって胸と右腕から痛みが襲ってきた。


 ……ふふ。


 それにしてもこの女、なんて可笑しな表情なのかしら。

 面白くて可笑しくて――


 ……反吐が出るわ。


 「あなたが下手糞に胸を刺したお陰で、『私』は死んだと勘違いしてたみたいだけど」

 「な……」

 「でも可哀そう。実はまだそんなに死んでなかった」


 私はそう言って彼女の前で「微笑んで」みせる。

 するとその女は目を大きく見開きながら、ポカンと口を開き――実に滑稽な表情を浮かべていた。


 私の身体に刻まれた幾つかの傷口に、緑色の光が集まっていく。

 どこからともなくやってきた血が、細胞が、組織が、私の傷口を塞いでいく。


 「あなたは、あなただけの自由を求めると言った……」


 彼女は開いた口を塞ぐことができないといった表情のまま固まっていた。

 右手に持っていた紅茶のカップが彼女の手から零れ落ち、地面に落ちてパリンと音を立てて割れた。

 中に入っていた液体がカーペットにじわじわと広がり、シミになっていく。


 「それなら、私は……」


 あいつに殺されてからずっと、私はあの暗闇の中にいた。

 暗闇の中で彷徨い、孤独に怯え、ただひたすら心に浮かんでいたのは、恐怖と――


 「この憂いが晴れれば、それでいい」


 ――どこにぶつけることもできない怒りと、


 《モウ キミニ ヨウハ ナイ》


 どうしようもない絶望だった。


 丸眼鏡の女は咄嗟に台所の包丁を掴み、こちらを睨んでいる。

 彼女の周囲を、澱んだ黒い空気が包み込んでいるのが見えた。


 「この目ではっきりと分かる――私にはもう、あなたの『悪意』が見える」


 ああ。やっと見えた。やっと分かった。

 これが私の求めてきた『正義』や『愛』とかいう幻の、本当の姿だった。


 ――私はもう、そんなものに騙されない。

 そんなものに、すがったりしない。



 『――ミツケタ』


 どこか遠くの方で、どこか懐かしい声が聞こえた気がした。


  ☆★☆


 外は夜で、相変わらず澄んだ空だった。

 あたりに人の気配はなく、私は今が夜中であることを推測した。


 この家に初めて来たときと同じような景色があたりに広がっていた。

 違うのは――ここの景色から、この家は消えてなくなるということだけ。


 「下界の空はこんなに綺麗なのね……久しぶりに見た気がするわ」


 冷たい風が、私の肌に当たった。

 月明かりが私の顔を照らした。


 私の脳裏に、今まで「私」が手に掛けてきた人達の死にゆく姿が浮かんでいった。


 「誰かのための力、なんて綺麗事」

 「あなただって、本当はずっと解ってたんでしょ」


 自分の両手を見つめる。

 涙の枯れ果てた瞳に、傷一つない右腕が映った。


 「どんな綺麗事を並べたところで、人殺しは所詮人殺し。結局あなたは、この力を自分のために使っていただけ」


 《――それにもし何かあったとしても、その力があれば安心でしょ?》

 この力を渡した死神が言っていた言葉が、私の頭に浮かんだ。


 「ふふ。彼の言う通りじゃない」


 友達のため。家族のため。大切な人のため。

 同じように苦しむ誰かのため。

 ――そんなの嘘。


 「結局は全部、何もかもが――自分のためだったのにね」


 ――あなたは人殺しを正当化しようとしていただけ。


 もう、止めにしよう。


 《何度選択を間違えたって、何度それを繰り返したって、私達は少しずつ前に進めるはずよ》

 《だからきっと――その先に「正しい未来」があるのだと、私は信じているわ》


 くだらない『正義』や『愛』を追い求めるのは。


 難しく考えすぎていた。

 世界は……このゲームは、思ったより単純だ。


 私は吐き捨てるようにして呟く。


 「そんなもの……存在するはずなかったのにね」


 《どうして……っ! 私は……あなたをずっと、信じていたのに……!》


 既に塞がったはずの胸の傷跡が疼く。

 絶望が私を呑み込んでいく。


 「私達は、この傷から逃れることはできない――永遠に」


 月が黒い雲に隠れていく。

 やがて月明かりは消え、あたりを炎の光だけが照らしていた。


 《ここはどこなの……真っ暗で、何も見えない》

 《お願い……誰か、私を助けて……私を独りにしないで……》


 あの闇に閉じ込められてから、どれだけの年月が経っただろう。

 長い長い、長過ぎる時間の中で、私にできたことは、自分の過去を映した「絵画」を眺めることだけだった。


 《助け……てよ……》


 ひたすら自分の「絵画」と向き合ううちに、私は深い絶望に呑み込まれていった。


 《そうよね……。誰も……助けにくるはずないじゃない……》

 《だって私は……もう死んでいるのだから……》


 長過ぎる時が経過する中、私の心は次第に周囲の闇と同化していった。


 《『正義』なんて、『愛』なんて存在しなかったのよ》


 「ああ、可哀そうな私達」


 《『神』なんて存在しなかった》


 「私はもう、騙されない。そんなものにすがったりしない」


 背後で燃え盛る炎は、もといた空間を呑み込み、あっという間に家全体を包み込んでいった。


 「私はもう、幻を――その裏にある『悪意』を、見抜くことができるのだから」


 焼き払われたその地があげる炎はまるで地獄の業火のようだった。

 最後の断末魔かのごとく大きく炎を上げる家を後にして、私はうめくような低い声で呟く。


 「教えてあげる――絶望を」

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