↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
wink killer  作者: 優月 朔風
第6章 少女の秘密と謎
50/96

第48話 とけ合う

 気がつけば、私は暗闇の中にいた。


 「ここは……? 私は……」


 右腕の傷を見て、私は思い出した。


 「そっか……私は、死んだんだ」


 暗闇の中を歩いていると、不思議と心地よかった。

 今の私は何の痛みも苦痛も感じなかった。

 まるでベッドの上で寝ているような気分だった。


 突然、私の目の前に一つの扉が浮かび上がる。

 新しくペンキで塗られたかのような白い木製の扉を開けると、中には細い廊下が続いていた。


 廊下には真っ赤な絨毯が敷かれ、窓のない壁には代わりに絵が何枚も並んでいた。

 廊下の先は真っ暗な闇で、蝋燭の明かりだけが自分の周りを照らしていた。


 私は廊下を進んでいった。


 私は壁に掛けられた絵を覗き込んだ。

 絵に描かれていたのは、自分の過去だった。


 手前に並んでいるのは、死ぬ前の監禁されていた自分。

 次に、永美を殺した時の自分が描かれていた。


 廊下を奥に進むにつれ、時が遡っていく。

 私が最初に殺した彼の姿を見て、私は胸が苦しくなるのを感じた。


 すべてはここから始まったのだ。

 堀口祐太が私を殺そうとしなければ。

 彼と出会っていなければ。

 こうはならなかったかもしれない。


 永美は私を、憎まなかったかもしれない。

 私は永美を、殺さずに済んだかもしれない。


 そして理解した。

 所詮は起こってしまったことしか存在しない現実の中で、結局はもがきながら生きていくしかなかった、自分達のことを。


 ――きっと、皆苦しんでいたのは同じだったんだ。

 この世界で正しいのは何か分からなくなって、自分の「より正しい」と信じる道を選んで、必死に前に進んできた。


 そうやって生きてきた――お互いに、傷つけあって。


 「でも……もう、私は誰も傷つけずに済む」


 暗い廊下を進んでいきながら、小さく呟いた。

 私の声は響くこともなく、閉塞した空間の中でむなしく消えていった。


 暗闇が続いていく。

 廊下の先は終わりが見えなくて、次第に不安が募っていった。


 ふと立ち止まって後ろを振り返ってみた。


 後ろには――何もなかった。


 そこで部屋が途切れているかのように、すぐ後ろには廊下も何もなく、ひたすら闇が広がっていた。

 後ろには戻れない――私は前に向き直り、過去を遡っていった。


 永遠と続く暗闇。

 先の見えない廊下を進んでいく中、他の気配は全く感じられなかった。


 このまま私は、ずっとここにいるのだろうか――そう考えると、急に怖くてたまらなくなった。

 他の気配のない、音のない空間。

 蝋燭の揺らめく炎がひどく不気味に感じられた。

 その時、私は初めて“死”の恐怖を感じた。


 死んだらミタのように死神になるのかもしれない、と思っていた。

 何かに生まれ変わるのかもしれない、と思っていた。


 けど、私はそうじゃないのかもしれない。

 ずっとこのまま、この空間で、独りきりだとしたら――。


 過去を描く絵画は続いていく。

 私は恐怖を紛らわすため、ひたすら前に進んだ。


 やがて、絵画は私の生まれた時の様子をうつし――廊下の先には再び、暗闇が広がっていた。



 終わりだ。


 このままここで独りきりで過ごさなければならないのだろうか。

 死んだ私は、この先どうなるのだろうか。


 終わりの見えない孤独に恐怖を感じながら、私は静かに泣いていた。

 ずっと、ずっとこのままなのかもしれない。誰にも会えぬまま――


 その瞬間、廊下の暗闇の奥に一つ、蝋燭の明かりがポッと浮かび上がった。

 蝋燭の明かりが、廊下の先のもう一つの扉を照らし出す。


 元々は白かったのだろう――古びて随分と色の濁った、木の扉。

 中から奇妙な気配がした。

 入ってはいけない気がしてならなかった。

 それでも私が引き返さずにその扉を開けたのは、後ろの廊下は既に消え退路がなかったということの他に、もう一つ理由があった。


 それは、単なる好奇心だった。


 錆びついて濁った金属製の取っ手をひねり、手前に引く。

 長い年月の間開かれていなかったのだろう――古びた扉がキイィ、と音を立てて軋んだ。


 扉を開けると、そこには小さな部屋があった。

 薄暗い中に蝋燭が一つだけ灯り、炎がゆらゆらと揺れている。

 部屋の壁に一つだけ、絵画が飾られていた。


 一枚だけ、壁に掛けられたその絵は、部屋に入った瞬間、今まで見てきたものとはまったく別のものだと分かった。

 そして何故だか、不気味な雰囲気を放つその絵画に奇妙にも強い好奇心をそそられた私は、その絵画に吸い込まれるように歩み寄った。


 ひとりでに扉の閉まる音がするのにも気づかず、私はその絵に見入っていた。

 見慣れない絵だった。

 どこかのお城の中だろうか、一面に白い大理石が敷き詰められたような広い部屋。

 その中で向かい合う二人の人物がいる。


 一人は真っ白な服を全身にまとっている。金色に輝く長い髪の中から優しそうな顔が覗く。

 もう一人は黒いコートを羽織った人物だ。フードをかぶっているのでよく見えないが、奇妙なことに、私の視線はその人物へと注がれていた。


 すると突然、絵画が静かに動き出した。

 が、私は驚くこともなく、その絵画を――黒いコートの人物をじっと見つめていた。


 金髪の人物が穏やかな表情を浮かべている。一方で、フードをかぶっている方の人物は激高し涙を流しているようだった。その人物の握る拳がわなわなと震え始めたとき、不思議にも、同じようにして私の掌が震えていた。


 すると金髪の人物の方が立ち上がり、コートの人物の両肩にポンと手を置いた。

 そのまま、左手でその人物の頭を撫でる。

 フードの中から、涙でにじんだ淡い栗色の瞳が覗いた。


 金髪の人物が微笑み、目の前の人物のフードを外す。

 コートの人物の長髪がさらりと揺れる。

 金髪の人物が口を開いて何かを言い、その瞬間――彼女は驚いたような表情のまま、固まった。


 金髪の人物の右手が、その手に握った剣が、彼女の心臓を貫いていた。


 彼女の苦しむ表情。

 優しそうな淡い栗色の瞳が、黒く、黒く濁っていく。


 私は絵画の中の彼女から視線を外すことができないまま、同時に自分の胸が激しく痛むのを感じた。

 それは死の直前の痛み――包丁で胸を突き刺されたときの痛みだった。


 彼女の身体から溢れ出る血は、白い大理石を赤く染め上げ、絵画の中を埋め尽くしていく。

 やがて真っ赤な血は額縁の中から零れだしていき、気がつけば、小さな部屋の床全体に広がっていた。


 蝋燭の炎は消え、小さな部屋には剣で貫かれたままの彼女がひとり、泣いていた。

 彼女の呻くような泣き声を聞く者は、私以外に居なかった。


 「あなたも……私と同じように殺されたんだね」


 目の前でしゃがみ込んで泣いている彼女に声を掛ける。

 綺麗だったはずの彼女の栗色の長髪はいまや血に染まり、そのやつれた姿の中に、絵画の中で初めに見た彼女の凛々しい面影はもはや残っていなかった。


 誰にも助けを求めることなく死んでいった彼女。

 暗闇の中、ひとりきりで泣いている彼女。

 そんな彼女の姿が、何故だか、自分と重なって見えた。


 《サミシイ》

 彼女がそう言っている気がした。

 「うん……私もだよ」


 《クルシイ》

 彼女の震える背中が、そう訴えている気がした。

 「私も、苦しい……吐き気がするくらい、苦しくてたまらない」


 孤独に怯え、暗闇の中でひとりきりだった彼女。

 きっと、私もいずれこうなるのかもしれない――そんな気がしてならなかった。


 このままずっと、もしかすると永遠に……この暗闇の中で過ごさなければならないのかもしれない。

 そう考えたとき、全身が震え上がるような恐怖が私を襲った。


 その次の瞬間――私の耳が、背後からの「声」を捉えた。


 「ようやく私と向き合う気になったのかしら」


 その「声」の方を向くと、小さな部屋の奥に、もう一人、彼女がいた。

 絵画の中の彼女と同じ――凛々しい面影を残した、聡明そうな女性。


 「初めまして。――の『私』」


 そう言うと、彼女は優しく微笑んだ。

 彼女の纏った黒いコートがさらりと揺れる。


 「でも可哀そう。あなた、もうこんなにボロボロじゃない……身体も、心も」


 彼女が近づいて私の胸元に触れる。

 その瞬間――胸元の傷口から、血が溢れ出した。


 思わずたじろぐ私を前に、彼女はにっこりと微笑んだままだ。

 しかし、彼女をよく見たとき――

 彼女の黒いコートの内側から、同じようにして赤いものが溢れ出していることに気がついた。


 「まるで私と同じね」


 彼女は優しい声でにっこりと笑って言った。

 しかし――その瞳に、一切の光は灯っていなかった。



 物心ついた時から、彼女の「声」は私の中でずっと聞こえていた。


 《僕は君のことが好きだ……ずっと君を愛する。約束しよう》

 《……「愛」なんて、存在するはずないじゃない》


 初めて堀口君と付き合うことになったとき、聞こえてきた言葉。

 私は、聞こえないフリをした。


 だってその「声」はとても寂しかったから。


 《堀口君……? どうして……っ!》

 《ねぇ? だから言ったのに――「愛」なんて存在しないって》


 堀口君が別の女の子と並んで歩いているのが見えたとき、聞こえてきた言葉。

 私は、聞こえないフリをした。


 だってその「声」はとても悲しかったから。


 《こんな奴、死んじゃえばいいのに》


 私が殺されそうになったとき、大切な人が殺されそうになったとき、聞こえてきた言葉。

 私は、聞こえないフリをした。


 だってその「声」はとても冷たくて、とても残酷だったから。


 その「声」が――私のものだと、思いたくなかったから。



 「あなたは……誰ですか」


 私はうつむいたまま尋ねる。

 すると、先程浮かべた優しい表情のまま、彼女は答えた。


 「そうね……つまり、私は『あなた』であり、『あなたじゃない』ということ」


 彼女の被った黒いフードの中から、血のこびりついた髪の毛が覗いた。

 私と同じ、栗色の――


 「あなたが物心ついた時から、あなたのことをずっと見てきた」


 《この力で、誰かの気持ちを救うことができるなら》

 「『この力は誰かのためにある?』」


 《大切な人が皆……どうか、いつか皆が幸せになれる日が来ますように》

 「『皆が幸せになれますように?』」


 彼女はにっこりと微笑んだ。


 「なんて滑稽なの」


 その瞳が、笑っていなかった。


 「あなたが必死に、登れるはずもない壁を登ろうとして落ちていくのを見ているのは、とても素敵だったわ」

 「水槽の中の金魚達が必死になって外の世界に出ようともがいて、やっと出られたと思ったら、息が苦しくて死んでしまう――それを眺めている感覚に近いかしら」


 ふと、彼女の顔から「微笑み」が剥がれ落ちる。


 「そんなあなたが必死に求めていたもの――」


 《それは、私の進むべき道――私の、やるべきこと》

 《私はこの殺人鬼を殺すことで、同じように苦しむ他の人達を救い、正義を全うしよう》


 「『正義』なんて」


 《また……皆で一緒に、ご飯を食べよう》

 《あんたのこと、信じられなくてごめん。怖がったりしてごめん》

 《――何で気がついちゃうのかしらね。今、私が――あんたを殺そうとしたこと》


 「『友情』なんて」


 《僕は君のことが好きだ……ずっと君を愛する。約束しよう》

 《堀口君を――私の彼氏を殺したのは、あんたか》


 「『愛』なんて」


 その声は、とても寂しくて、


 「そんなもの……あるはずなかったのにね」


 ふと浮かべた彼女の表情は、とても――悲しそうだった。


 「あなたは騙された。騙されて殺されたのよ」


 部屋の壁の絵画が、死の間際の監禁されていた自分を映した。

 私を欺き、痛めつけ、苦しめた――丸眼鏡の彼女が、不気味に微笑んでいる。

 それを見た瞬間、私の全身が震え出した。


 「可哀そう。友達も、家族も失った。ずっと傍にいてくれた死神にも見捨てられた。『愛』に飢えたあなたの弱みに付け込んであなたを苦しめた、最低な女」


 そう言うと、彼女は私の頬に触れた。


 「友達にも、家族にも。『正義』、『友情』、『愛』……あるはずもない幻を見せられて、死んでしまったあなた」


 彼女の手が首筋へと延び、そのまま彼女は私の耳元で囁いた。


 「幻の裏にある『悪意』を見抜けていたら、あなたがこんなに苦しむことはなかった」

 「あ……くい……?」

 「そうよ。それこそが、幻の本当の姿。あなたや私が必死に求めてきた幻の、ね」


 彼女は小さく微笑んだ。

 その声がとても、悲しそうだった。


 「あなたも私と同じ。あるはずもない幻にすがって、同じように騙されて――殺された」


 部屋の奥の絵画が、再び黒コートの彼女を映していた。

 心臓を貫かれ、彼女の黒いコートの中から、どくどくと赤黒いものが溢れ出していく。


 『モウ キミニ ヨウハ ナイ』


 絵画の中の金髪の人物が、口角を上げて呟いた。

 その瞬間、優しそうな彼女の瞳が、柔らかな彼女の髪が……闇のように黒い、血の色に染まっていく。


 「あなたが必死に前を向こうとしてきたこと、苦しんできたこと……ずっと見てきた私なら分かるわ」


 彼女の手が、私の頬を優しく撫でる。


 「可愛そう、可哀そうね。寂しいのね。苦しいのね」


 たくさん人を傷つけてきた。

 もう、誰も傷つけずに済むのなら。


 「でも……もう、大丈夫」


 私に存在する価値がないというのなら。

 私は――消えてしまいたい。


 優しく微笑む彼女の瞳が、私を捉えていた。

 絵画の中にいた頃のような、以前の彼女の澄んでいた栗色の瞳は黒く濁り、その瞳は深い、深い闇を映していた。

 一瞬、全身が恐怖に包まれたが、何故だか心のどこかで、彼女に親近感を覚えていた。


 「……私が、あなたの代わりに『生きて』あげる」


 彼女が私に手を差し伸べる。

 その手を私は躊躇うことなくとった。

 このまま、消えてしまえるような気がしたから。


 ――この闇からも。この世界からも。


 彼女の腕が私を引き寄せた。

 すると、私の意識は次第に闇の中に溶けていき――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。