第41話 雨の日の放課後
今日は雨が激しい。
黒く淀んだ雲が時折雷を落とす、悪天候。
私は外の景色を眺めながら、何だかつられて気分も重たくなってきた。
「何か浮かない顔だけど、なんか嫌なことでもあった?」
後ろの席から花が私に話しかけてくる。
私は何でもない、と笑って誤魔化しながら、再び窓の外を眺めた。
お昼頃から突然振り出した雨。
天気予報では一日中晴れだと言っていたのに、とんだ誤報だ。
教室内には、外の景色を見ながら今日の帰りを嘆く生徒が多数いた。
私は奇跡的に持ちあわせていた(実際には、鞄から取り出すのが面倒でそのままにしていた)折り畳み傘を眺めながらひとまず安堵するものの、教室内のジメジメとした空気感に、再びどんよりとした重怠い気分に陥った。
昨日の夜――それは突然のことだった。
ミタが意識を失った。
今までこんなことなんてなかったのに。
部屋に戻った私が見た光景は、カーペットに倒れているミタの姿だった。
何度も声をかけた。しかし、彼が目を覚ます気配は一向になかった。
そんな彼を部屋に置いて今学校にいる私が、彼のことを心配してないと言ったら嘘になる。
本当は、今でも叫び出したいくらい心の中が不安でいっぱいだ。
本当は、彼が目を覚ますまでずっと、そばに居てあげたかった。
本当は、学校が終わってからすぐに彼の元へ飛んで行きたかった。
それでも、今日の放課後は、彼を置いてでも行かなければならないところがある。
永美との約束――今日の放課後、私は彼女と会うことになっている。
それも、今朝、彼女の方から持ち掛けてくれた約束だ。
彼女としっかり話をするチャンス。
これまで心を開いてくれなかった彼女が、初めて、私の方に歩み寄ろうとしてくれているのかもしれないのだ。
それに、この約束を破ったら、もう二度と永美は私に心を開いてくれないかもしれない。
それでも――灰色の空を眺めていると、不吉な予感がしてならなかった。
それに何だか、背後から不吉なものが近づいてくるような感覚がするのだ。
そう、それは今にも私に襲い掛かろうとしている。
この感覚は、一体――。
そんなことを考えていた次の瞬間。
突如、背後から異様な殺気めいたものが私を襲う。
私がその方を振り向こうとすると、その途端――視界が真っ黒な闇に包まれ、私の両目を何か温かいものが覆った。
「あはは、だーれだ」
……はあ、そういうことか。
張りつめていた緊張が一気にほどけ、思わず安堵と呆れの混じったようなため息がこぼれる。
殺気の正体は、これだったか。
「はいはい、どうしたの、花」
私に手で目隠しした犯人を見やると、そこには意外な人物が立っていた。
「ぶぶー、実は満咲だったのでした!」
そう言って後ろの席でしたり顔をするのは花で、その横で遠慮がちに手を引っ込めるのは満咲。
――そうか。この二人……グルか。
「いつも私がやるって思ったら大間違いだよ? 未玖」
私を出し抜いてやった、とでも言わんばかりの、勝ち誇った笑みを浮かべる花。
「ずるいよ、声は花だったじゃん」
「でも、本当の犯人は満咲だもん。ね、満咲?」
「そ、そうだね。花ちゃん」
満咲は苦笑してから、「でも、未玖がぼーっとしてるからだよ」と言って私にほがらかな笑顔を向けた。
ああ、何か温かいなあ。
外の天気が最悪で、教室の中がこんなにジメジメしていて、私の気分がどんなに落ち込んでいようとも、二人の笑顔が私のそんな気分を吹き飛ばしてくれるんだ。
そう、二人はいつも私を励ましてくれた。
私が弟を失って、ひとりで塞ぎ込んでいたときも――。
「ありがとね、二人とも」
「急にどうしたんだ」と驚く花に対し、私は「何でもないよ」と笑ってはぐらかす。
二人といると、私は自然と笑顔になれる。
それが友達なんだ。
それが、本当の……
「未玖、何か隠してるでしょ」
「……花?」
花が私の目を見ている。
真剣な表情だった。
「未玖って顔に出るからさ、分かりやすいんだよ」
花が小さく笑う。
「な……何のこと?」
花がたまに見せる真剣な表情には、いつも何か深い意味があった。
一体、何を言おうとしているのだろう。
「私聞いちゃったんだよ」
私はごくり、と唾を呑み込んだ。
「未玖さ、今日……永美に呼び出されてるんでしょ」
どうして花がその事を。
様々な思考が駆け巡る中、私は言葉を返せずにいた。
すると、花は笑いながら「あいつ、未玖と二人っきりでデートでもする気かよ」と言って私の肩を叩く。
が、しばらくして「って、冗談にしては悪すぎるか」と小さく呟いた。
「で、行くの、未玖?」
花が真剣な顔つきに戻る。
私が小さく頷くと、花は「そっか」と小声で呟いていた。
しばらくの間、沈黙が流れる。
満咲は黙ったまま、私のことを見つめていた。
次に口を開いたのは、花だった。
「未玖、今までトイレとか言ってさ、本当は永美と話してたんでしょ」
「…………」
「図星、って感じだね」
――さすが、花だ。
やっぱり私なんかの嘘、全部見抜かれてたんだ。
「あいつとは関わるな、ってあれほど言ったのにね」
「ごめん……」
花はあ~あ、とため息をつきながら、「まぁしょうがないか」と呟く。
呆れた顔で私を見ながら、ふいに花が笑った。
「まぁ、未玖ってそういうヤツだよね」
花の示すニュアンスがどういう意味なのかを理解できないまま、私に花からの質問が飛んできた。
「未玖はさ、本当は永美のことどう思ってるの」
花は少し俯いて言った。
満咲は一層真剣な表情で、私のことを見つめている。
永美のこと……
そんなの、決まっている。
いつも私の目の前に居てくれたのは、満咲と、花と……
「永美は大事な友達だから……また皆で、一緒に過ごせるようになりたい。それが、私の願いだよ」
諦めたくない。
最後まで、頑張ってみせる。
たとえ永美に嫌われたとしても、何度でも、自分にできることをやりきる。
私の言葉を聞いた花は顔を上げると、ふいに吹っ切れたように、「やっぱ、未玖って面白いわ」と言って笑いだした。
――な、何だと。真面目に答えたのに、失礼な!
何がだ。一体何がどう面白いっていうんだ。
「いやいや、なんかさ、未玖って一見気弱そうに見えてさ、肝だけは据わってるっていうか」
君は私を褒めたいのかい? それとも、けなしたいのかい?
「でもさ、そういうあんたの真っ直ぐなところ、あたしは好きだよ」
花の言葉が、その笑顔が、素直にとても温かく感じた。
満咲は黙っていたけれど、その優しい表情が、私の心を和ませてくれるのが分かる。
「やっぱりさ、あたしらはあんたの味方だから」
「……?」
「永美に何言われても、気にしないでさ。あんたが泣きそうになったら、あたしらのこと頼っていいんだからね」
「花……満咲……」
ありがとう、二人とも。
私、今度こそ永美を説得してみせるよ。
今度こそ――。
☆★☆
放課後。
話があるから付き合ってほしい、と言われていた私は、永美の元へと向かった。
校舎の裏口。そこが、永美に指定された場所だった。
滅多に人も通らない裏口に雨除けの設備があるはずもなく、悪天候の中、私は傘を差しながら目的地へと向かう。
そして、ようやく目的地に辿り着いたとき、永美は既にそこに居た。
だが、彼女の様子はいつもとは違っていて――
「永美?」
彼女は傘もささないまま、その場所に立っていた。
一体何があったというのだろう。
傘を忘れたのだろうか。
彼女が? そんなはずはない。
なら一体、どうして……
「どうしたの、永美! 傘は……」
「要らない……そんなもの」
「え……永美……?」
彼女は俯いたままだった。
「私に傘なんて必要ない……そんなもの、邪魔なだけだから」
彼女から、いつもの覇気が感じられなかった。
「何言ってるの、永美?」
「…………」
彼女は黙ったままだった。
「と、とにかく、風邪ひいちゃうから! 私のに入ろ、ね?」
「…………」
明かにおかしい。いつもの永美じゃない。
とりあえず私の傘を差しだすと、永美は小さく呟いた。
「そう……ありがとう、未玖」
彼女は静かに言葉を続けた。
「ちょっと、着いてきてくれる? そこで話をしよう」
彼女は笑っていた。
久しぶりに見た彼女の笑顔。
でも、彼女が私に向けたその笑顔は昔とはまるで違くて、
私はただひたすら――嫌な予感がするのに、気がつかないふりをしていた。
裏口から学校を出て、人通りのない通りを永美についていく。
学校の表側とは全く雰囲気の違う静かな通りには、人の気配が全くなくて、何だか寒気がするのを感じた。
すっかり日も暮れた放課後。
山道のように暗い道を、無言の永美の背中を追いながら、歩いていく。
次第に違和感が募っていった。
「永美……? どうしてこんなところを……?」
彼女の返事はない。
ますます、私の嫌な予感が増していく。
私達を包み込む静かな空間に、雨音だけが響く。
雨の日独特の生暖かい風が、不気味に感じられた。
黙々と歩いていく永美。
しかしその瞬間、彼女がふいに振り返って私に言った。
「ここでいいよ。ちょうど……人もいないし」
「永美……?」
「じゃあ……早速、本題に入ろっか」
彼女は傘の下でうつむいていた顔を上げる。
私が傘を持つ手を少し上にあげると、彼女は小さく呟いた。
「未玖はさ――今まで何人、殺してきたの?」




