第37話 たとえ嫌われたとしても
ひとまず舞台の前半が終わり、私達は各々休憩に入っていた。
舞台袖が前半の出来具合の感想やちょっとした反省会などで盛り上がり始めた頃、トイレに向かおうと舞台袖を後にしようとした私を引き留めたのは、いつもの人物で――。
「なかなか良い演技だったぞ、未玖。よくあの特訓をこなしただけはあるな!」
「あ、ありがとうございます、花監督……」
「はは、いいってことよ!」
えっと、まず、その口調は「監督」のつもりなのかい。
相変わらずの変な口調とドヤ顔はさておき。
花は得意げに笑ってから、付け加えるようにして続けた。
「ていうかそれより未玖、さっきはなかなか機転のきいたアドリブだったじゃん」
「そ、そうかな……」
「うん、凄かった凄かった。それにしても、あいつが貧血で動けなくなるとこなんて初めて見たよ」
花は「どうせなら、あのままずっと台詞思い出せなかったら面白かったのに、何で自力で思い出しちゃうのかね」と意地の悪そうな笑みを浮かべていた。
私がおろおろしていると、先程まで向こうで男子と談笑していた神峰君が私達に気づき、こちらに向かってきた。
彼は私に微笑みかけると、いつもの笑顔で言った。
「今日はお疲れ様、蒲田さん」
「あ、ありがとう。神峰君も、お疲れ様」
「ちょっと将、あたしにもなんかねぎらいの言葉があってもいいんじゃないの?」
「あ、花ちゃんもお疲れ様です」
「何、そのとってつけたような感じ」
ふてくされたようにそっぽを向く花と、それをなだめる神峰君。
――やっぱり幼馴染だけあって、二人は仲が良いなぁ。
《僕は、君のことが好きだから》
――駄目だよ。私なんか。
私に、そんな資格なんてない……から。
「それにしても、やっぱり今日の蒲田さんは凄い活躍だったと思うよ」
「まぁ、あのアドリブは未玖にしては機転が効いてたと言わざるを得ないよね」
花の失礼な発言に、神峰君は苦笑しながら言葉を続けた。
「そのことじゃなくて、だよ」
「ん? じゃあ何のこと、将?」
「台詞のことだよ。――門田さんに台詞教えてあげたの、蒲田さんだよね」
「ん……え、マジで? どういうこと?」
――やっぱり、神峰君は気づいていたんだ。
そりゃそうだよね。あんなに近くに居たんだもん。
でも、花は気がついてなかった。
それがいい。それでいいんだ。
「門田永美」は、皆の誇るクラスの天才で、
完全無欠の彼女が台詞を忘れるなんてことはない。
それが、皆にとっての真実。
私はそれを覆したくない。だから――
「ううん、私は台詞なんて教えてないよ」
二人は黙って私を見つめていた。
が、しばらくすると、花が「まさかね。そんなわけないもんね」と笑っていた。
「じゃ、私トイレ行ってくるから」
うん、これでいい。
きっとこれが、私が永美にできること。
☆★☆
後半が始まるまであと少し。
トイレに向かう私が廊下を歩いていると、ミタが隣で話しかけてきた。
「そういえば、どうしてあの子の台詞覚えてたの? 正直、君、自分の台詞を覚えるだけで精一杯って感じだったのに」
「うーん……別に覚えてた訳じゃないんだけどね」
「じゃあどうして分かったのさ。あの子の台詞」
「どうして、か……どうしてかな。と、とにかく、何だろ……必死だったから?」
――う~ん、自分でもどうして思い出せたのか、理由が分からん……。
「ふーん」
ミタは腕を組みながら言葉を続ける。
「なんかよく分かんないけど、その記憶力、テストに生かせれば良いのにね」
「…………」
――本当に生かせていたら、いつものテストで苦労はしませんよ。
「多分、火事場の馬鹿力ってやつなんだろうね。……いざって時にしか使えないっていう」
「何だよそれ、随分テキトーな記憶力だな」
「だって……自分でもどうして思い出せたのか分かんないんだから、しょうがないじゃない」
本当にこんな記憶力を自在に発揮できるんなら私の才能になるだろうに。
と、今更ながら自分の平凡さを悔やみつつ、
「それでも、こんな私でも永美を助けられたんだから、本当に良かったよ」
その平凡さに、少し安堵しつつ。
「思うんだけどさ、君はどうして台詞教えてあげたこと、二人に言わなかったの」
「…………」
私は少し黙ってから答えた。
「そんなことしたら……永美のプライドが潰れちゃうでしょ」
「へえ。あの子のプライド、か……」
「門田永美」は完璧なままでいい。
そのイメージをわざわざ崩し彼女のプライドを潰すことは、私の願いじゃない。
ミタは少し黙っていたが、しばらくすると納得したように笑って言った。
「それもそれで、君らしいよね」
☆★☆
トイレの後、舞台袖に戻った私がまず目にしたのは、永美の姿だった。
数人の生徒に囲まれる永美の表情は曇ったままだった。
永美の周りにいるのは、本番前に彼女と台詞合わせをしていた子達だった。
「門田さん、本当に体調は大丈夫なの?」
「今は……特にね」
「本当? 永美姐さん滅多にああいうことないからさ、ちょっと心配しちゃったよ」
「…………」
「でもさすが姐さん、あそこからよく立ち直ったよね~。感動して泣きながらお礼言うところとかさ、迫真の演技だったよ」
そう言うと、その生徒は「ね?」と周りの生徒を促していた。
私はとりあえず永美の体調が大丈夫そうであることに安堵し、その場を去ろうとした。
――のだが。
「……未玖」
その瞬間、永美と目が合った。
「え、永美……」
思わずハハ、と愛想笑いを浮かべてしまう私だったが、
その途端、彼女は周りの生徒を押しのけ、私の肩を強く掴んで言った。
「何で……私のことを助けたの」
台詞のこと。
でもそれは、他の皆に知られるわけにはいかないから。
「な……何言ってるの、永美?」
「とぼけないでよ!」
咄嗟に浮かべていた笑みが、彼女の語気を浴びせられてそのままカチリと凍りつく。
私は言葉が出せなかった。
「あんた……何で私に台詞なんか教えたの」
それはとても小さな声で――恐らく、周りの人に聞こえないように言ったのだろう。
彼女は俯いたまま、言葉を続けた。
「ねぇ……あんたは私に、何がしたいの……」
彼女の声が、いつになく弱々しく聞こえた。
彼女のこんな姿を見るのは、今日が初めてだった。
彼女が私に弱みを見せるのは、今日が初めてだった。
私は勇気を出して言った。
「私は、いつも永美に頼ってばっかりだったね」
いつも気丈な永美に憧れて、私はそんな永美に助けてもらうのが当たり前だと思っていて、その場所に安住していた。
だから、見ようとしてこなかった。
その場所が不安定で、いつ崩れてもおかしくないものだったということを。
気づかないふりをしてきた。
本当は彼女が、一人で傷ついていたということを。
「でもね、今度は――」
永美が傷ついているときは、私が助ける。
永美が困っているときは、私が手を差し伸べる。
それがきっと、友達ってことだと思うから。
「……永美が、私を頼る番だよ」
だから、ちゃんと伝えるんだ。
出過ぎたことだってことも分かってる。
正直、永美に嫌われるのは怖い。
それでも、ちゃんと自分の気持ちを伝えなくちゃいけないんだ。
永美の表情が青ざめていくのが見えた。
永美は私を睨みつけてから、その場を去っていった。
私の身体は震えていたが、自分の気持ちをはっきりと彼女に伝えることができ、どこか安堵に似たような気持ちがしていた。
――やっぱり、すぐにはうまくいかないか。
でも、今回は、ちゃんと自分の思いを伝えることができたんだ。
そして、何度でも伝える。
《大丈夫だよ、未玖。きっとうまくいくよ》
そうだよね、満咲。
《また、皆で一緒にお弁当食べよう。私は、未玖を信じてるよ》
ありがとう。
私、諦めないよ。
また、四人で一緒にお弁当を食べよう。




