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wink killer  作者: 優月 朔風
第5章 友達
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第35話 悪夢

 父は、今でも事件の犯人を追い続けている。

 でも、警察はとっくに事件を追うことをやめている。


 《捜査の内容についてはいくらお前でも教えらんないな》


 あの事件が起きて以来、父は私に事件のことを話すことをやめた。

 私が聞いても、教えられないと言ってはぐらかすようになった。


 「何かあったのか、永美」

 「……別に」

 「そうか」


 帰宅した父は、リビングでそのまま放心する私を見て心配そうに声をかけてきた。


 もう私には何もない。

 今頼れるのは、父親しかいない。


 未玖は……蒲田未玖はやっぱり、「お人好し」のクソ野郎だった。


 「事件の犯人、私分かったよ」

 「な……何言ってるんだ、永美」


 父が驚いた顔をしていた。


 「未玖に、話を聞いた」

 「…………」


 父は顔を伏せていた。


 「未玖は……堀口裕太のことを知っている」

 「どうしてお前がそんなことを……」

 「私は! ……私は、本当のことを知りたかっただけ」

 「でも、お前はあんなに……」

 「もう、いいから」


 父はうつむいたままだった。


 「もう、いいよ。そういうの……私は、友情で自分の正義を曲げたくない。正しいか正しくないか、それが全てだと思うから」

 「そうか……」


 父は私の頭に手をのせて言った。

 その手がとても大きく、重たく感じた。


 「辛い思いをさせてしまって済まなかった、永美」

 「……どうして父さんが謝るのよ」


 父さんは黙ったままだった。

 私は言葉を続けた。


 「これは父さんのせいなんかじゃない。そもそも全部、こんなことを引き起こしてる人間のせいだから。諸悪の根源は――私達の苦しみの元凶は、あいつだもの」


 父さんは黙っていた。

 しばらくの間沈黙が流れ、そして彼は重たい口調で言ったのだ。


 「……あの子を逮捕することはできないんだ。警察では、証拠を掴むことができない」


 父親はそう言って、私の頭から手を下ろした。

 その無力な父の手を見て、私は気がついた。


 父親に事実を伝えれば、何とかなると思っていた。

 物語の結末が正しい方向に向かうと思っていた。


 ――けれど、現実は違うようだ。


 私達がどれだけ必死にあがこうと、答えは決まっていたのだ。

 何もかも、無意味だった。

 たとえ犯人が誰であると分かろうと、

 たとえ未玖の本性に気がつこうと、すべては何の意味もなさない。


 私達はずっと、彼女の掌の上の存在でしかなかったのだ。


  ☆★☆


 その日の夜見た夢は、酷い悪夢だった。


 その時、ザーザーと雨の降る街の中を、私は歩いていた。

 どこへ向かって歩いていたのかは覚えていない。


 この間、彼氏ができた。

 正義感が強い、とても素敵な人。


 私を孤独から救ってくれた、唯一の存在。

 ――のはずだった。


 「どうして……」


 その時、たまたま街で見かけた彼氏の隣には、同じ歳くらいの可憐な女の子がいた。

 幸せそうに歩く二人の後ろ姿を見た瞬間――私の中で、何かが込み上げてくるのを感じた。


 それは怒りに似た感情でもあり、悲しみに似た感情でもあった。

 落胆に近い感情でもあり、絶望に近い感情でもあった。


 「堀口君……どうして……っ!」


 居ても立ってもいられなくなった私は、咄嗟に彼の背中を掴んだ。

 すると、隣の女の子がこちらを振り向く。


 その子の顔に、私は見覚えがあった――


 「未玖……なん……で……」


 驚いていたのは私だけではなかった。

 彼女もまた、私を見て目を丸くしている。


 「行こう、未玖」


 彼はそう言うと、私の手を払いのける。

 雨が激しく私に降りかかった。


 「堀口君……あの……永美が……私は……」

 「気にしないで、未玖。僕と一緒に行こう」


 いや……嫌だ……。

 待ってよ、二人とも……!


 叫ぶ私の声は届かず、彼は未玖のことだけを見ていた。


 「だって、僕達はこんなに愛し合っているじゃないか」


 そう言って彼が未玖に優しく微笑みかけた時、胸が張り裂けそうな思いになった。


 「待って……堀口君……」

 お願い。私を、捨てないで。


 「待ってよ……お願い……」

 もう独りは嫌なの……。


 「永美……」

 ふとこちらを振り返った未玖は、今にも泣き出しそうな顔をして言った。


 「永美……ごめんね……私、知らなかったの……。でも私、やっぱり……彼のこと、本当に愛しているから……」


 その瞬間、私の耳にはザーザーと激しく降る雨音しか聞こえなくなった。


 理解したのだ。


 問いただしたところで、きっと何も変わらないのだろう。

 彼との関係が以前のように戻ることなど、もうないのだ。


 ――私は、彼に捨てられたのだ。


 「未玖は……悪くないじゃない」


 そんな私にできることは、あのとき見た二人の幸せを願って、私自身が身を引くことぐらいだった。


 《だって、僕達はこんなに愛し合っているじゃないか》


 それしか、私にはできなかった。

 だって――邪魔者は、私だけだったのだから。


 やり場のない悔しさと悲しみで、涙が溢れて溢れて止まらなかった。

 だって。だって。だって。


 私には、こうするしかないじゃない。

 堀口君に選んでもらえなかった私は、こうするしか――


 「ああ、そっか……やっぱり私は、最初から孤独だった」


 雨音しかない空間の中で、私の声だけが空しく響き渡った。


 次の瞬間、世界がぐらぐらと揺らめき、足元が崩れだした。

 崩壊する世界の中で、私は真っ逆さまに暗闇へと落ちていく。


 目の前を、賑やかな笑い声が通り過ぎていった。


 それは、かつての友人達の声。

 今は無き、友人達の声。


 気がつけば私には、頼れる友人は一人としていなくなっていた。

 気がつけば私は、学校の屋上でひとり、お弁当を食べていた。


 すると、誰かの足音が聞こえた。

 未玖と、もう一人、同じクラスの男子生徒の姿が見えた。


 「やっぱり蒲田さんは、優しい人だ」

 「何で私なんかを……そんな風に見てくれるの」


 男子生徒は照れくさそうにはにかんで言った。


 「ずっと、そう思ってたんだ。僕は、君のことが好きだから」

 「神峰君……」


 次の瞬間、未玖は笑顔を浮かべて答えた。

 その言葉を――私は信じることができなかった。


 「いいよ。私も神峰君のこと、好きだし」


 (未玖……?)


 黒紫の雲が、空一帯を覆っていく。

 足元がぐにゃりと歪み、視界が霞んでぼやけていく。


 《だって、僕達はこんなに愛し合っているじゃないか》

 「神峰君……キス、しよっか」

 (冗談はやめてよ、未玖……)                遠くの方で、雷が轟いた。

 「えっ、でも誰かに見られたら……」

 《永美……ごめんね……私、知らなかったの……。でも私、やっぱり……彼のこと、本当に愛しているから……》

 「大丈夫だよ、誰もいないし。ね?」

 「う……うん」

 (冗談……なのよね……?)                 空を覆う雲が、酷く澱んで見えた。

 「ねえ……神峰君、もしかして、初めてなの?」

 「えっ、そんなこと……ないよ」

 《未玖は……悪くないじゃない》

 「ふふ……やっぱり、照れてるもん。可愛い」

 「……もう、蒲田さん……」

 (やめて……やめてよ……)                 私の頭の中に、不気味な音が響き渡る。

 《だって、僕達はこんなに愛し合っているじゃないか》

 《でも私、やっぱり……彼のこと、本当に愛しているから……》

 「あなた達は……本気で愛し合っているんじゃなかったの……」

 《僕は、あの子と一緒に行くんだ》

 「堀口君は……あなたを愛しているのに……!」


 重なる二人。

 その二人に、私の叫び声は届かなかった。


 「答えてよ……未玖……」


 世界が不気味な色に包まれていく。


 「あなたにとって、堀口君は……私は、何だったのよ……」


 どんなに叫んでも、私の声は届かなかった。


 「僕と一緒に行こう、蒲田さん」


 男子生徒が、かつて私を捨てた堀口君と同じ言葉を、未玖に掛ける。


 「…………」


 未玖は、少しの間黙っていた。

 ――しかし次の瞬間、未玖の口から出た言葉に、私は耳を疑った。


 「あーあ、やっぱりつまんないの」

 「……そういうの私、面倒くさいから嫌いなんだよね」


 その瞬間、男子生徒が――倒れた。


 (あれ……なんで……)


 目の前の光景が、信じられなかった。

 何が起きているのか理解できないまま、気がつけば、蒲田未玖はこちらに向かって歩いてきた。


 「永美、どうしてこんなところで……一人でお弁当を食べているの?」

 “彼女はいつも通りの笑顔を浮かべていた。”


 「……何しに来たの」

 「ここは、その……寒いと思って」

 “彼女はいつも通りの笑顔を浮かべていた。”


 「あのね、永美がいないと……私は寂しいよ」

 “彼女はいつも通りの笑顔を浮かべていた。”


 「永美が何を思っているのかは私には分からないけど、その……私は、永美の味方でいたいから」


 “彼女はいつも通りの『笑顔』を浮かべていた。”


 《あーあ、やっぱりつまんないの》

 《……そういうの私、面倒くさいから嫌いなんだよね》


 ――先程の未玖の言葉が、頭から離れない。


 「何……演技してるの……?」

 私の喉から、震えた声が漏れ出す。


 「演技じゃないよ? 永美」

 「じゃあ、あの男の子はどうしたの……堀口君は、どうしたのよ……!」


 抑えていた感情があふれ出し、涙が止まらなかった。

 不自然にキョトン、と小首を傾げる未玖に、私は泣きながら叫んだ。


 「だってあなた達は……私を差し置いて、あれだけ愛し合っていたじゃない……!」

 「愛……。『愛』、ねぇ……」


 泣きながら喚く私の前で、未玖は至って冷静な顔で呟いていた。


 しかし次の瞬間、世界のすべての音が止み――

 私の耳元で彼女の囁く声が聞こえたとき、私の全身に凍り付くような寒気が走った。



 「そんなもの、この世に存在するわけないじゃない」



 (……え……?)

 すると、彼女はハア、ため息をついて言った。


 「愛してる、だの、僕と一緒に行こう、だの、人間って本当に面倒くさいよね」


 彼女の姿が、黒紫の不気味な空に重なって見えた。


 「だからね……殺しちゃった」


 「連続殺人犯」はそう言うと、突然私の前でお腹を抱え――笑いを堪えて言った。


 「でもね、永美は面白いから好きだよ?」

 「何……言ってるの……?」

 「必死で頑張って強くあろうとしてるの、とても滑稽で素敵」

 「や……やめてよ……」

 「自分は天才だから? 周りがレッテルを貼って遠ざかる? はは、笑わせないでよ」

 「やめて……お願い……!」

 「他人にレッテルを貼って心を閉ざして。周囲から遠ざかっているのは、いつだって――あなたなのにね?」


 「連続殺人犯」は顔に「笑顔」を貼り付ける。

 いつもの彼女の笑顔が、私を見下して嘲り笑っていた。


 「どうして……そんな簡単に人が殺せるんだ……」


 人の大切なものを奪っておいて、平然と笑っている。

 蒲田未玖は――この女は、私を見下して、わらっている。


 「あんたは……人の命を何だと思ってるんだ……!」


 その瞬間、わらっていた彼女の「笑顔」が消えた。


 彼女の瞳は輝きを失い、黒く、黒く濁っていく。

 栗色の髪の毛が、赤黒い血に染まっていく。


 「別に……何とも思ってないけど?」


 彼女の濁った瞳が、自分を捉えた。

 その瞬間、私は底知れぬ恐怖を感じた。


 (…………!)


 彼女の瞳には、何も映っていなかったのだ。

 躊躇いも、哀れみも。

 そこにあったのは、ただひたすらの――闇だった。


 ――私も、殺される。


 本能が「死」の恐怖を感じ、一瞬恐怖に身を震わせたが、

 彼女の笑い声ではっと我に返り、その恐怖は屈辱へと変わった。


 「私が何であなたを殺さないか教えてあげる」

 「連続殺人犯」はニコリ、と不気味な笑みを浮かべて言った。


 「あなたがね、私をとっても楽しませてくれるから」

 「そうだね、ゲームの一番の醍醐味と言ってもいい」


 世界が、ぐにゃりと曲がっていき、

 不協和音が、脳内で響き始める。


 「どんな困難も、プライドが高いあなたは必死に強く乗り越えようとする」「とても素敵。そんなあなたが必死に、登れるはずもない壁を登ろうとして落ちていくのを見ていると、とても滑稽で……ゾクゾクしちゃう」バランスの崩れた音達が、私の頭の中でぐわんぐわんと鳴り渡った。「水槽の中の金魚達が必死になって外の世界に出ようともがいて、やっと出られたと思ったら、息が苦しくて死んでしまう――それを眺めている感覚に近いかしら」


 その瞬間、ピタリと不協和音が鳴り止んだ。


 「そんな金魚達の先導を切って進む――あなたのような駒がいてくれるから、私はこのゲームをより楽しむことができるの」


 彼女の不気味に微笑むのを見て、私の背筋に戦慄が走る。

 そして、目の前の蒲田未玖という「連続殺人犯(プレイヤー)」は、私という「被害者(ゲームの駒)」を眺めながら――

 恍惚とした表情を浮かべ、囁くように呟いた。


 「もっと楽しませてよ……永ー美ちゃん」

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