第17話 事情聴取
下谷観月――彼女は志高い女性警官である。
昔から、誰かを守る仕事がしたかった。
人を守る仕事は沢山あったけれど、それでも、彼女はこの仕事を選んだ。
それは、この仕事が一番、困った人々を助けることができる仕事だと思ったからである。
犯罪を取り締まり、被害にあった人達を心身ともにサポートし、犯罪を抑止するため日々仕事をこなしていく――それが、彼女の理想とする警察官。
何より、被害者の心の痛みを分かってあげることのできる警察官でありたい――そう思って、ここまで仕事をしてきた。
だから、事件に遭って怖い思いをした目の前の子のためにも、彼女は最後まで諦めない。
彼女が再び笑って暮らせる日が来るまで、女性警官――下谷観月は、最後まで彼女のことを支えると決めたのだ。
今目の前に居るのは、今回の事件で身内を失った女の子。
それに、今回の事件は特殊なケースで、犯人は店内で銃を乱射した後何らかの原因で死亡している。
その現場を、この女の子は目の当たりにしている。
一体彼女がどれほど辛い思いをして、今どれだけの不安を抱えているのか――それを想像すると、下谷は胸が痛んだ。
もしもこんな事件が起こっていなければきっと、彼女は今頃幸せに暮らしていたのだろうと思うと、既にこの世にはいない犯人へのやり場のない憤りだけが募ってくる。
それでも、彼女が再び今まで通りの日々を過ごせるようになるまで、下谷は諦めないと決めた。
彼女が今回のことを乗り越えて、再び笑って過ごせるようになること――それが、下谷観月の理想とする結末であり、
その結末へと導くことのできる存在こそが、自分の理想とする警察官であると考えているのである。
☆★☆
弟を死に追いやったのは、あの男のせいだ。
でも、弟を守れなかったのは、私のせいだ。
自分がどうしようもなく頼りない人間であることはわかっていた。
自分がどれだけ無力な人間であるかということも。
それでも私は、誰かを守れるようになったと思い込んでいた。
私は誰かを守れるほどの力を持っているのだと――それが私にできることだと思い込んで、疑うことさえしなかった。
『あなたが誰かを守る? あはは、笑わせないでよ』
冷たい「声」が私を嘲り、そして笑って言った。
『ねぇ、あなたが得た力は何だったの? 人を殺す力なんでしょ? それで誰かを守るって? さすがのお人好しにも無理があるわね』
そう言うと、「声」は『あなたにできることは所詮、人を殺すことなのよ』と言って笑った。
人殺しの力では、誰かを守ることなんてできない。
私が置かれた今のこの状況が現実だというのなら、どうやら現実というものはそう甘くはないらしい。
今でも、先ほど起こった事実を思い返す度に、吐き気と同時に激しい怒りが沸き上がってくるのを感じる。
私は、人を殺した。
《……私、こんな力使わない……使えないよ!》
使うまいと決めていた死神の力。
《この力は、きっと、誰かを守るためにあるんだ。だから、友達を……大切な人を守るために、私は力を使おう》
誰かを守るために使うと決めた力。
けれど――人殺しの力では、人を守ることは出来なかった。
それなら、私は何のために力を使えばいい?
《きっとそれが、――臆病な私の、存在価値だと思うから》
大切な家族を守れなかった私に、存在する価値なんてあるの……?
やっぱり、私は……存在価値のない、ただの臆病な――
『甘えね。そうやって自分を否定して、あなたは自分と――私と、向き合うことから逃げている』
でも、だって私は……所詮私は、誰も守ることができない、ただの人殺しで……
『ただの人殺しにも、いろんな人殺しがあるじゃない。あなたの大切な弟やその他大勢の人を殺した〔あの男〕と、皆の苦しみの元凶となったあの男を殺した〔あなた〕。どちらも同じ〔人殺し〕なのかしらね』
大切な人を殺したあの男と、そんな人間を殺した私。
あの男は、どうでも良い理由で私の大切な弟の命を奪った。
拓也には何の罪もなかった。
確かに拓也は生意気な弟ではあったけれど、誰かのことを傷つけるようなことは何もしたことがなかったし、何より人のことを考えることのできる優しい子だった。
そんな優しい子が……私の弟が、どうして死ななければならなかったのだろう。
あの男は、何の罪もない拓也を――私の大切な弟を殺した。
あの事件で出た死傷者は複数名。そしてその中には、彼の仲間も含まれていた。
無差別殺人。彼の残虐極まりない非道な行いは決して許されるべきものではない。
『だから、弔ってあげたのよね』
私の耳元で、「声」が優しく囁いた。
『あなたにできることは、所詮人を殺すことだものね。だから、弔ってあげたのよね……あの男のせいで亡くなってしまった人達のために』
そうだ。
だから、――私が殺したんだ。
私があの男を転送し、弟を弔うことができたのは――
あの人間を排除し弟の魂を救うことができたのは、私にこの力があったからだ。
人殺しの力では、人を守ることはできない。
けれど――
『あなたは、弟の――他の大勢の亡くなった人達の魂を、救ってあげたのよね』
力がなければ私は、ただのどうしようもない人間だ。
そして、疎ましい現実に対してなすすべもなく、力なく平伏すことしかできなかっただろう。
でも、私は拓也を救うことができた。
あの場にいた人の命を奪っておきながら、人の命を何とも思っていないあの男――諸悪の根源を絶ったことで、おそらく何人もの人が救われたことだろう。
そして、私自身も……。
あの男を殺したことで、沢山の人を救うことができたのだとしたら、
私がしたことは間違っていなかったのかもしれない。
こんな私にもきっとできることがあって、
きっとそれが、神様が私に望んだことなのかもしれない。
《俺がたまたまあそこの路地を歩いていたら、急に君に力を奪い取られたんだよ》
ずっと考えていた。何故私は、ミタの力を奪ってしまったのか。
私という人間が、死神の力を手にしてしまったのか。
そうだ。
きっと、そのためだったんだ。
私が力を得たのは、きっと神様がそう望んだからなんだ。
そしてそれがきっと、私にできること。
きっとこれが、私という臆病な人間の、存在する価値なんだ。
今私の目の前にいる女性警官は、現場に駆けつけたときからずっと変わらず、私に優しく声を掛け続けている。
事情聴取をさせてくれ、と入れられた個室にはご丁寧に花瓶まで添えてあって、何だか色々と細やかな気遣いがなされていた。
それでも物理的に狭い空間であることは否めず、今現在、私はソファに座り、机越しに比較的近距離で彼女と向かい合っている状態である。
彼女は私を最初に見たときと変わらない調子で、私に話しかける。
それは事情聴取という形ではあったが、ほとんどカウンセリングに近いような感じを受けた。
「大丈夫だからね、蒲田未玖さん」
そう言って私を励ます、彼女の優しい声。
私を憐れむような表情。
でも……
それらは今の私にとっては全て、記号でしかない。
きっと優しい性格の持ち主なのだろう。
もしかしたら、私のことを同情してくれているのかもしれない。
しかし、私の心に彼女の声は届かない。
『私は、あなたの味方だから』
彼女の声が、どこか遠くで聞こえてくるような気がした。
私は今、どこに居るんだろう。
周りの景色は真っ白で、自分以外には何も見当たらない。
真っ白な世界。
自分の声だけが空しく響く。
すぐそばにあったものは何もかも全部、遠くの世界に行ってしまったかのように感じた。
「お前は、為すべきことを為した。」
そう、神様から言ってもらえるだけでいい。
他人の情けも、誰かの助けも、もう私には必要ない。
私には、神様がくれたこの力があるから。