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ガブリエル ―― それは何だ?

俺は催眠にかけられたのかもしれない。


あいつの瞳は大きく開いていた。


そして、瞬きをした瞬間。


俺はここにいた。


サッカースタジアムの真ん中に。


そして、目の前にはあの少年。


「見える?」


そう聞かれた。


俺は答えなかった。


ただ周囲を見回す。


右側の観客席には、水色の旗が一本ずつ並んでいる。


その向こう側は見えない。


左側には同じ旗。


だが色は赤と黒の縞模様だった。


不思議な光景だ。


俺のパーカーは青。


一方で、あの少年は赤と黒のサッカーユニフォームを着ていた。


背番号はゼロ。


「今の聞いてた?」


少年は再び俺の注意を自分へ向けさせる。


「ああ、見えている」


だが、なぜ見えているのかは分からない。


「で、さっきのどうだった?」


たぶん四人の大人との試合のことだろう。


俺はあれが好きだった。


今でも心臓が高鳴っている。


自然と小さく笑みがこぼれた。


その目をまっすぐ見ながら。


「俺は……嫌いだったな」


笑顔のままそう言う。


すると、少年の顔が困惑に変わった。


こいつの自尊心を無駄に膨らませたくなかった。


俺も昔、それで苦しんだことがある。


同じ思いはしてほしくない。


だが――


少年は笑い返した。


今度は俺の方が表情を変える番だった。


「さっきの試合は悪かったな。まだ準備運動だった」


そう言って体を伸ばし始める。


スタジアムの中央にはボールが一つ。


少年はそちらを見る。


それから俺へ振り返った。


眉を二度だけ素早く動かし、ボールへ視線を向けろと合図する。


その時だった。


大型ビジョンが目に入る。


俺の名前。


片方には――カエル 0ゴール。


もう片方には――ガブリエル。


そうか。


こいつの名前はガブリエルというのか。


ガブリエルは今にも走り出しそうな姿勢を取る。


俺と勝負する気だ。


「この世界で一番好きなものを見せてやる」


振り返ることなくそう言った。


ならば俺も。


自分の情熱を見せなければならない。


こうして始まった。


~~~


ガブリエルはボールへ向かって駆け出した。


俺も追いかける。


ガブリエルはボールを足元に収める。


俺はすぐ後ろにいた。


守備はいない。


ガブリエルはそのまま俺のゴールへ向かう。


足が重かった。


まるで何かに引っ張られているみたいに。


俺たちの距離はどんどん開いていく。


追いつけない。


そう分かっていた。


俺は右へ回る。


ゴール前に来るガブリエルを先回りするために。


両腕を広げる。


ゴールを塞ぐ壁のように。


ガブリエルは俺の正面で止まった。


ゴールまではあと少し。


ガブリエルはボールを軽く前へ転がす。


ゆっくりと。


嫌な予感がした。


この技はさっき見た。


行くべきか。


それとも守るべきか。


くそ……


いつもそうだ。


勝負どころになると怖くなる。


死ぬような感覚。


期待に応えられないかもしれないという恐怖。


だが、あいつは違う。


ガブリエルはじっと俺を見ていた。


鋭い目で。


俺を見据えていた。


――決めた。


俺は前へ出る。


ガブリエルはそれを待っていた。


ボールを引く。


俺の股を通り抜けた。


ガブリエルはそのまま横を抜ける。


そして――シュート。


時間が遅くなる。


ネットが揺れる。


観客席の旗が大きく波打つ。


ゴール!!


ガブリエルが先制点を決めた。


赤と黒の旗が歓声と共に揺れる。


ガブリエルは叫びながら俺の方へ走ってきた。


まるで野蛮人だ。


俺は黙ったままだった。


息を切らしながら。


あいつは分かっていない。


俺はあいつじゃない。


怖いんだ。


あいつは周りなんて気にしていない。


歓声も。


観客も。


何もかも。


ガブリエルはその場に座り込む。


そしてぼんやりと空を見上げた。


本当に何なんだ、こいつは。


「おい、叫ぶのをやめてこっちに来い」


ガブリエルはようやくこちらを見る。


そして近づいてきた。


「何だよ。負けるのには慣れてると思ってた」


「それじゃない。よく考えたら……ここはどこなんだ?」


ガブリエルは辺りを見回した。


頭を掻く。


「正直、俺にも分からない。すごく試合に集中すると、たまにここが見えるんだ」


「ここは……何かを思い出す」


「お前も見たことがあるのか?」


「似たような記憶ならある」


思い出す。


二十五歳の頃だ。


狭い川だった。


広い場所じゃ練習にならないと思った。


コーチの言いつけを破って、その有名な川へ行った。


川には岩が多かった。


流れも荒い。


少しでもミスをすれば事故になる。


だが俺は、それが自分を強くすると信じていた。


そして間違いに気づいた。


ボートを操れない。


川の流れに従うしかなかった。


自分で進んでいる感覚なんてない。


だからだろうか。


あの感覚がやってきた。


その後のことはよく覚えていない。


ただ、川の景色が変わったことだけは覚えている。


岸は消えていた。


残っていたのは川の流れだけ。


水面に映る自分が見えた。


瞳は大きく開いていた。


制御できないと思った。


だが違った。


初めて川を支配した。


荒れ狂う川を。


ガブリエルの見せた状態は、それとよく似ている。


あれは幸福感だったのだろうか。


分からない。


「でも、何でもできるような感覚はもうない」


ガブリエルは考え込むように俺を見る。


「やっぱり能力じゃないな」


「どういう意味だ?」


ガブリエルは背を向ける。


口笛を吹き始めた。


「別に」


なぜ俺は、もうあれを感じられないんだ。


なぜ漕ぎたくないんだ。


考えるだけで怖くなる。


失敗するかもしれない。


負けるかもしれない。


だが、あいつは違う。


俺の年齢であれだけの才能があったなら、きっと不安でたまらなかったはずだ。


周りは間違いなく期待する。


「どうして怖くないんだ?」


「怖い? 何が? サッカーのことか?」


「ああ。お前くらいの年なら、どこかのクラブに入っていてもおかしくない」


「クラブって何の話だ? 俺は近所でボール蹴ってるだけだぞ」


「あり得ない。じゃあ、どうしてそんなに上手いんだ」


「ここがあるからだよ。ただ好きなことに集中してるだけ」


「サッカー選手になりたいのか?」


「たぶん違う」


これだけの才能がありながら、何もしようと思わない。


そんなの死んでいるのと同じだ。


「なら、ご両親と話をしてみるのはどうだ?」


「うーん……」


ガブリエルは露骨に嫌そうな顔をした。


「無理だな」


「なぜだ?」


「ちょっと家から遠いんだ」


「どこに住んでいる?」


「フランス」


フランス?


ここはドイツだぞ。


家出か?


迷子か?


親は必死に探しているはずだ。


「お前は俺と来い」


「行かない」


「行くんだ」


「行かない。ブラジル人をヨーロッパで信用するなって教わった」


何なんだこいつは。


どうやってここまで来たんだ。


しかも冬も近い。


「お前は来る」


「だから行かない。それより先に見せろよ」


「何をだ?」


「お前が隠してるものだ」


その言葉に。


昔の自分が浮かんだ。


もっと元気だった頃。


もっと楽しそうだった頃。


まるで死んでしまったみたいに。


「お前には分からない。俺はお前みたいに問題から逃げたりしない」


「違うな」


ガブリエルは即答した。


「お前は逃げてない」


「隠してるだけだ」


嘘だ。


何も分かっていない。


何かに人生を捧げて。


最後にはそれが好きじゃなくなる。


そんな気持ちを。


「お前さ」


ガブリエルが言う。


「全部嫌いなんじゃないか?」


もう聞きたくなかった。


俺は歩き出した。


あいつの声を無視して。


出口へ向かう。


「お前の好きなものを見せろ!」


聞こえない。


もう乗せられない。


……


――くそ。


乗せられた。


【ガブリエル視点】


そうして、あの男は闇の中へ消えていった。


変なやつだった。


何かを隠している。


それだけは分かる。


なのに、どうして見せようとしないんだ?


俺は芝生の上に座り、空を見上げた。


そして呟く。


「くそ……見たかったのにな」


あいつが何を持っているのか。


その時だった。


出口の方から音が聞こえる。


何かを引きずる音だ。


暗くてよく見えない。


だが音だけは近づいてくる。


やがて男の姿が現れた。


笑っている。


けれど、こちらへは来ない。


フィールドの隅へ向かって歩いていく。


そして何かを引きずっていた。


オレンジ色の細長い物体。


男はコーナーへ着くと、そのままコーナーフラッグを蹴り飛ばした。


旗が折れる。


そして遠くから俺を見る。


大きな声で言った。


「ありがとう、ガブリエル」


カエルは軽く頭を下げる。


「お前のおかげで、今から俺がこの世界で一番愛しているものを見せよう」


その時ようやく分かった。


あいつが運んでいたもの。


反対側のコーナーフラッグと一緒にあったのは――


救助用の担架だった。


なぜだろう。


背筋がぞくりとした。


あの男はさっきまでと違う。


自信があった。


堂々としていた。


俺が見たかったのは、こっちのカエルだ。


カエルが近づいてくる。


俺たちはセンターラインを挟んで向かい合った。


「じゃあ見せてくれるんだな!」


俺は叫ぶ。


「お前がどれだけ夢中になれるのかを!」


だがカエルは片手を上げた。


まるで落ち着けと言うように。


「焦るな。まだ準備ができていない」


そう言うと、担架を地面に置く。


その上に腰を下ろした。


そして折れたコーナーフラッグを両手で握る。


……


待て。


まさか。


こいつ――


漕ぐつもりか?


「ぷっ……」


駄目だ。


我慢できない。


あんな真面目な顔で担架に座られたら。


「ははははは!」


思わず吹き出した。


するとカエルが言う。


「驕りは破滅を招く」


そういうことか。


急に自信満々になったな。


俺は笑いながら立ち上がる。


そして答えた。


「じゃあ、始めようか」


~~~

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