1. 夜の公園
蒸し暑い夏の夜。夏美は、重いバッグのストラップが食い込むのを感じながら歩いていた。
最近残業続きで、帰りはいつも21時近くになってしまう。これから家に帰って、夕飯の準備をして、寝るだけ。
これから夕食を作っていたら22時になっちゃうな。コンビニのお惣菜で済まそうか。夏美は、これからコンビニに寄って、家に帰ってからのことを想像していた。
結婚して四年。みんなに祝福されたウェディングドレス。夢にまで見たはずの結婚生活。
だが現実は違っていた。
毎日、残業で疲れ果てて、散らかり放題の部屋、洗濯に追われて食事の用意もままならない。すれ違いの生活。同じ家に住んでいるただの同居人。
たまに食事の時間が一緒になっても、俊哉は「うん」とか「ああ」しか言わない。
食事が終わるとすぐ自室にこもってパソコンに向き合っていた。
いつも夏美は一人残り、リビングには静寂と孤独だけが漂っている。
「結婚って、こんなに寂しいんだね……」
誰に話しかけるわけでもなく、ぽつりと呟くのが日常になっていた。
「共働きだとそんなもんよ」
「旦那は空気みたいなものよ」
「亭主元気で留守が良いって」
職場のおねえさま方はそう言うが、夏美が描いていた結婚生活とは程遠いイメージだった。
質素だけど家庭的な食卓。
朝一緒に飲むコーヒー。
二人でリビングで交わす他愛もない話。
共感して共に笑い合ったり、憤慨したり。
そして週末どこに出かけようかと話す。
一緒に散歩して、街のおしゃれなカフェに入る。
「子供でもいれば違ったのかな?」
最近独り言が増えた。だって話す相手がいないから。
ーー倦怠期ってやつ?
心の中で繰り返す言葉は、もう慣れた嘆きになっていた。
家に帰ったところで、景色はモノクローム。夜よりも沈んで見える。
今日は、職場で些細なミスを上司に厳しく指摘され、さらに疲れていた。残業が長引いたのもそのためだ。
「アイツ、妙なところで細いんだよ!」
いつもならまっすぐ帰宅し、疲れた体に鞭打って夕食の支度を始める時間だが、今日は違った。
コンビニでお惣菜を数品買って、冷えた缶ビールにも手を伸ばした。夏美だって飲み会とか行くが、自分のためにコンビニでビールを買うなんて初めてだった。
店員さんに変な目で見られないかな? こんな夜遅くにお惣菜とビールを買う女なんて、寂しい女って思われているだろうな。
お惣菜とビールをコンビニ袋に入れてもらい、ぶらぶらと夜道を歩いていた。
コンビニから家に帰る道すがら、ちょっと広めの公園があった。公園の街灯がチカチカと点滅し、ジジジッと不快な音を立てる。
街灯の下にあるベンチを見つけて、腰を下ろした。
ねっとりとまとわりつくような夜の空気の中、きゅっとプルタブを開ける音。シュワシュワと弾ける液体を、一気に喉に流し込む。
ささやかな反抗。
ーーこんな程度で反抗なんて笑っちゃう……。誰に対して? 俊哉? 仕事?……それとも自分?
ーー私の人生、これからもそうなのかな?
変わり映えのない毎日。変化もなく、このまま年を取っていくだけ。想像しただけで身震いがした。
この退屈な日々から、もっとエキサイティングな人生を送りたかったという漠然とした夢が、ビールの泡のように弾けては消える。
もっとドラマチックで、映画みたいな生活。こんな退屈な日常からはかけ離れた、もっとキラキラした人生……。
もうそんな人生望めないよね。
そんなことを思いながら、地面をぼんやりと見ていると、誰かの足が視界に入ってきた。ほっそりとした足首に、くたびれたスニーカーを素足で履いている。
「おねーさん、一緒に飲まない?」
半分ほど飲んだ頃、声を掛けられた。
声の方を見ると、そこには夏美と同い年くらいだろうか、しかし夏美とはまるで違う世界の住人に見える女性がいた。
金色に染められたロングヘア。点滅しかけた街灯が、鮮やかな金髪を人工的な色に染め上げていた。
ラフなTシャツにショートパンツという出で立ち。シャツの裾からお腹が見えそうだ。
そして、こちらを射抜くような、強い眼差し。
それが、冬香だった。
<つづく>




