第87話
ふと気が付くと、私はまた闇の中にいた。
(ここは……?)
何も見えない。
でも先ほどとは違って不安はない。嫌な感じもしない。
どこかで誰かの押し殺したような泣き声が聞こえる。
その声には、とても聞き覚えがあった。
(リュー、皇子……?)
――そのとき。
月明かりだろうか、優しい光がさして見覚えのある部屋の風景が目の前に広がった。
そこは竜の城の、あの狭い塔の部屋。
その中で、ベッドに突っ伏して泣く彼の姿があった。
震えているその背中に近づいて私は声を掛ける。
「リュー」
その背中がびくりと跳ねて彼がこちらを振り返った。
それはまだあどけなさの残る、おそらくは5年前のリュー皇子。
子供でもない、大人でもない、私の知らないリューだ。
信じられないものを見るように、その金の瞳が大きく見開かれていく。
「コハル……?」
そんな彼に、私は笑顔で頷く。
「はい。リューを迎えに来ました」
そして私は彼に手を差し伸べる。
「一緒に帰りましょう、リュー」
「帰る……?」
「はい。竜の帝国へ。竜の城へ一緒に帰りましょう」
でも彼は首を横に振り、再び顔を伏せてしまった。
「……帰れない」
「なぜ?」
「俺ではダメなんだ」
「ダメ?」
「俺は、父上みたいな立派な竜帝にはなれない」
それは、初めて聞く彼の本音だった。
「母上も、父上もいなくなってしまった。竜人族は、俺ひとりになってしまった」
ぽつりぽつりと零れていく、彼の本当の心。
「なのに俺は、こんなにも弱い。こんな俺は、やはり竜帝にも、コハルにも、相応しくない」
――ああ、そうか。
リューはずっと不安だったんだ。
お父さんを亡くしてから、きっとずっと不安でいっぱいだったんだ。
いつもの態度を見ていると忘れそうになるけれど、彼は私よりもずっと年下で。
その若さで一国の王となったのだ。不安がなかったはずがない。
「リューは弱くなんてないです」
「……」
「リュー、私と一緒に戦ってくれたじゃないですか。私、あのときすっごく心強かったです」
「あれは……あのときは、コハルがいたから」
「はい。私がいます」
「え……?」
リューが再び私の方を見てくれた。
彼の前に膝を着いて、潤んだ綺麗な金の瞳をまっすぐに見返す。
「私が一緒にいます。私が、竜帝妃として一緒にリューを支えます」
「コハルが、一緒に……?」
「はい!」
頷いて私は続ける。
「それに、私だけじゃないです。みんなだって一緒です」
「みんな?」
「メリーやローサ、それに竜の城に帰ればセレストさんたちお城の皆がいます。大臣たちも力になってくれますし、竜の帝国の皆がリューを支えてくれます」
「竜の帝国の、皆が……」
「はい。それに、他の国の王様たちだって、きっと何かあったら絶対にリューの力になってくれるはずです」
「……そうだろうか」
「はい!」
そして、私はとびきりの笑顔で言う。
「リューは全然ひとりなんかじゃないです!」
その金の瞳が大きく揺らめくのを見て、私は立ち上がる。
「だから、一緒に帰りましょう。リュー」
もう一度、彼に手を差し出す。
すると彼は先ほどよりも確かに強い眼差しで私の手を見つめ、そしてしっかりとその手を握ってくれた。
――!
その瞬間、世界はまばゆい光で溢れた。
一際大きな咆哮が聞こえて、私はハっと目を開ける。
――今のは……?
でもそのとき、リューが勢いよく頭を振り上げた。
その拍子に、私の手は彼から離れた。
そのまま私の身体は落下していく。
まるでスローモーションを見ているようだった。
皆の悲鳴が聞こえて、メリーが急いでこちらに飛んでくるのが見える。
でもきっと間に合わない。
このまま地面に叩きつけられたら無事ではいられないだろう。
覚悟を決めた、そのときだった。
「――っ!」
私を優しく受け止めてくれたのは、大きな手だった。
ひんやりとした、でもあたたかい竜の手。
顔を上げると、私を見下ろす大きな優しい金の瞳があった。
「リュー?」
―― コハル ――
その大きな口が少しだけ開いて、いつもの彼の優しい声が聞こえた気がした。
彼が戻ってきてくれたのだとわかって、私は、私を守ってくれたその大きな手を力いっぱい抱きしめた。
『 馬鹿な! 完全に余の傀儡となっていたはず! 』
「まぁなんというか、愛の力ってやつじゃないかな?」
魔王の絶叫とエルのそんな楽しそうな声が聞こえてきて、まだ終わっていないのだと私は気を引き締めた。
リューの手のひらの上でしっかりと立ち上がり、赤い眼をした魔物を睨み据える。
「魔王。あんただけは絶対に許さない」




