第82話
私のせいだ。
私が油断したから皆が……。
全部、私のせいだ……!
「離して! 離してください、リュー!」
「危ないぞコハル、落ちたらどうするんだ」
自分の酷い声の方が場違いなのではと錯覚するほどの落ち着いた声音。
涙でぐちゃぐちゃになった視界の向こうに見えるのは、なんの罪悪感も感じられない優しい笑顔。
でも、違う。この人はリューだけど、リューじゃない。
「魔王……あなたなのね!」
情けないほどに自分の声が低く震えていた。
あの悍ましい黒い炎は忘れもしない。魔王が散々使っていた魔法の炎だ。
でも彼は目を瞬いて軽く笑いながら首を傾げた。
「何を言っているんだ? 魔王などどこにいる」
「……っ」
……もう、迷っている暇はない。
この人を、リューをなんとしても止めなくてはならない。
これ以上犠牲が出てしまう前に。これ以上彼が誰かを傷つけてしまう前に。
私が、彼を止めなくてはならない。
「ごめんなさい、リュー。少し我慢してください。絶対に助けますから」
「コハル?」
今の感情の昂ぶりは聖女の力を発揮するのに十分だ。
魔王への怒り、そして己への怒りでざわざわと自分の髪が蠢いているのがわかる。
でも、そのときだった。
《 やめておけ、聖女よ 》
「!?」
笑いを含んだ低い声が、どこからか響いてきた。
「魔王……っ!」
間違いない。この人を小馬鹿にしたような笑い声は7年前に相対した『魔王』のものだ。
姿は見えないけれど、恐ろしいくらいに整った美しい顔が脳裏に蘇った。
その胸糞悪い声が続ける。
《 聖女の力を使ったとて、こやつが死ぬだけ 》
「なっ!?」
「コハル? どうした」
私を抱えているリューがきょとんとした顔で私を見ていた。
「……この声が、聞こえていないんですか?」
「声?」
その眼は嘘をついているようには見えない。
《 こやつに余の声は聞こえておらん 》
「っ、あなたが、あんたが操っているからでしょう!?」
聖女の力でリューが死ぬなんてハッタリに決まっている。
そうだ。魔王はこちらの弱点をうまく突いて心を惑わすことを得意としていた。
耳を貸してはいけない。
《 ククッ、余は操ってなどおらん。全てこやつ自身の意志よ 》
「嘘!」
嘘に決まっている。リューの意志なわけがない。
リューが、自らの意志であんなことをするわけがない。
《 嘘ではない。むしろ余を喚んだのはこやつの方よ。余はそれに応えてやっただけ 》
「そんなわけ……リューがあんたのことを喚ぶわけがない!」
リューが魔王を喚ぶなんてありえない。
だって魔王は、リューが大好きだったお父さんを操って死に追いやった張本人。
そんな魔王をリューが喚ぶわけがない……!
なのに魔王は可笑しそうに続けた。
《 最初はこやつの父が死んだときよ。凄まじい負の魔力によって余に掛けられた封印に綻びが出来た 》
「!?」
セレストさんが話していた。
5年前、お父さんが亡くなってから彼は10日間も塔に引きこもっていたと。
(そんな前から、魔王は復活しかけていたってこと……?)
ギリと奥歯を噛む。
《 可哀想にのう。ずうっと泣いておったわ。そして、ずうっとオマエの名を呼んでおった 》
「私の……?」
《 コハル、コハル、コハルと、煩いくらいに何度もな 》
「コハル……?」
リューが不思議そうに目を瞬く。
――私は5年前のリューを知らない。
でも、まだ皇子だった頃の彼が、塔のあの狭い部屋の中でひとり私の名を呼んで泣いている姿を想像したら、たまらなかった。
《 オマエがこやつの傍にいてやれば、こんなことにはなっていなかっただろうになぁ? 》
「……っ! あんたが……そもそも全部あんたのせいじゃない!」
癇に障るクツクツとした嗤い声が穴の中に響き渡る。
《 聖女よ。よもや、こやつの父が死んだのは余のせいだとでも思っておるのではあるまいな 》
「は?」
《 こやつら竜人族も所詮は竜の血を引く魔族よ 》
それは、最近リューから聞いて知った事実だ。
少し驚いたけれど、それだけ。
魔族だって、リューはリューだ。
「だから何だっていうの?」
《 わからんか? その魔族が。聖女の力をまともに受けて平気であると思うか? 》
「……え?」
自分の口から気の抜けたような声が漏れた。
《 ハッタリだと思うなら、今こやつに聖女の力を使ってみるといい 》
魔王の笑い声が響く中、私は目の前のリューにゆっくりと視線を合わせる。
リューは未だに私を心配そうに見つめていて。
「コハル?」
……7年前、私はリューのお父さんを魔王から救うために聖女の力を使った。
聖女の力なら救えると信じて。躊躇いなく、リューの目の前でお父さんに聖女の力をぶつけた。
(じゃあ、リューのお父さんが亡くなったのは、私のせい……?)
――私が、リューのお父さんを、死に追いやった?
「……うっ」
ぐらりと眩暈がして、同時に胃液がせり上がってくるような気持ち悪さを覚えて口を押さえる。
目に先ほどとは違う涙が滲む。
(そんな……)
《 クックッ、出来ぬか。そうであろうなぁ。聖女ともあろう者が、愛する者を殺せるわけがないものなぁ? 》
魔王の嗤い声が煩いくらいに頭に響いていた。




