第80話
「クレマの街を襲った魔族たち、急におかしくなったんだって」
「え?」
カネラ王子が前方を見つめたまま言った。
「それまで普通に生活してたのに、一部の魔物の血の濃い者たちがいきなり『これから人間の街を襲いに行くぞ』って」
「どういうこと?」
「わからないけど、なんとなくわかるかも」
「どっちだよ」
私を抱えてくれているメリーの小さなツッコミが聞こえた。
「うん、僕にもわかる」
そう続けたのはエルだった。
彼と手を繋いでいるローサが不思議そうにその横顔を見つめる。
「これは本気でマズイかもしれないな」
「え?」
「場所なんて聞く必要なかったかも。――ほら、あそこだ」
カネラ王子が指差した先には一際高い岩山群が聳えていた。
その上空に向かって飛んでいくカネラ王子に私たちはついて行く。そして。
――え?
その岩山を超えた先、丁度谷間にあたる場所には地面が無かった。
あるのは、虚ろな穴。
地獄の底、いや、『魔界』にまで続いていそうな真っ暗な闇がぽっかりと口を開けていた。
(これが、竜の洞……?)
吸い込まれそうな闇に、思わずごくりと喉が鳴ってしまった。
てっきり魔族たちの集落にあったような横穴だと思っていた。まさかこんな、落ちたら一巻の終わりみたいな“穴”だったなんて……。
カネラ王子がその穴を見下ろしながら神妙な顔つきで言う。
「これが原因だよ。魔族たちがおかしくなったのって。ほら、呼ばれてる気がするって俺最初に言ったでしょ。ここからヤバイのが全部漏れ出してる」
「ヤバイのって……」
「ごめんなさい、コハルさま」
「メリー?」
か細い声が聞こえて見上げれば、その顔が真っ青になっていて驚く。
「ちょっと、一度降りるのです……」
「だ、大丈夫!?」
メリーはふらつきながらも近くの岩山に私を降ろしてくれて、たちまち元の可愛らしい姿に戻ってしまった。
「メリー?」
先ほどとは逆に私が抱っこすると、メリーはくったりと私の腕に身を預けた。
「ごめんなさい、なんか、急に力が出なくなったのです……」
「れべるあっぷしたと言っても、この魔の気配はキツイだろうね」
すぐ傍にローサと共に降り立ったエルが言った。
魔の気配? そう聞こうとして、エルから手を離したローサが急にがくりとその場に膝をついて驚く。
「ローサ!?」
「――な、なんですか、これは……全身の力が吸い取られていくような」
つい先ほどまでなんでもなかった彼女まで青い顔をしていて。
「コハル様は、平気なのですか?」
「う、うん」
闇を恐ろしいとは感じたけれど、ローサやメリーの言う力が出なくなるようなことは特にない。
「さすがは聖女様といったところかな。間違いない。ここに竜帝くんはいるよ」
「!」
「しかも最悪なことに、魔王も間違いなくここにいる」
「!?」
皆がその闇の洞を見下ろし息を呑んだ。
(ここに、リューと魔王が……ってことは、やっぱり――)
「ごめんね、コハル。僕もここが限界だ」
「え?」
見るとエルが困ったように笑っていた。
そして、どんなに暑くても涼しい顔をしていた彼の額に玉のような汗が浮いていることに気付く。
そうだ、妖精にとって魔物の存在は毒のようなものだという。なんでも出来そうなエルだってメリーと同じ妖精のひとりなのだ。
「でも、まだ7年前ほどの力は感じられない。今ならまだ間に合うかもしれない。……これを」
差し出されたのはあの翡翠のブローチだ。いや、それよりも少し大きく更に美しく輝いて見える。
「これは今メリーが持っているものより僕に近い石。これを身につけていれば僕にも見えるし、これを通して癒しの魔法も使えると思う」
「ありがとうエル。すごく心強い」
私はメリーをエルに預けて、新たな『妖精の瞳』をしっかりと胸元に取り付けた。
「となると、俺と聖女サマで行くしかないってことか」
カネラ王子がそう言って私の前に降り立って、ぎくりとする。
(そっか、あと飛べるのはカネラ王子しか……)
さすがに何の道具もなしにこの底の見えない洞穴へひとり降りていくのは無理だ。
まだ彼の手を見るとあの夜のことを思い出して恐怖を感じるけれど、今はそんなことを言っている場合ではない。
「お待ちください。わたくしも参ります」
ローサが剣を支えによろよろと立ち上がり、私とカネラ王子との間に立ちはだかった。
「いや無理でしょ」
「あなたとコハル様がふたりきりなど、冗談ではありません」
すさまじい形相で睨まれたカネラ王子が困ったように続ける。
「信用ないなぁ。さすがにこんなトコじゃ何もしないし、っていうか、これから竜帝に会いにいくのに何か出来るわけないでしょ。ここで大人しく待ってなって」
ローサの気持ちは嬉しいけれど、ここはカネラ王子の意見に同意だ。
「ローサ、」
そう彼女に声を掛けたときだった。唐突に、バサリという大きな羽音とともに視界に影が出来た。
――え?
振り仰いで、大きく目を見開く。
そこにいたのは、リュー。
間違いなく、ずっと捜していた<リュークレウス竜帝陛下>だった。




