第62話
彼は今、何と言っただろう。
――聖女サマを手に入れるには、こうする他なかった……?
その言葉の意味を頭が理解する前にカネラ王子は再び口を開いた。
「だって、まさか聖女サマが竜帝妃になるなんて思わなかったし。でも正式にはまだなんだよね。ならさ、『砂漠の王妃』でも良くない?」
彼は一体、何を言っているのだろう。
(砂漠の王妃……?)
伸びてきた彼の手が私の髪に触れる。
「王がね、言うんだよ。聖女サマが竜帝妃になるなんて冗談じゃない。どんな脅威になるかわかったものじゃないって」
髪をいじられながら、私はセレストさんの話を思い出していた。
私が竜帝妃になると知り、どの国も騒ぎになっているだろうという話。
「それでね、聖女サマを竜帝から奪ってみせたらお前を……俺を、次の『砂漠の王』に考えてやってもいいって言うんだ」
「……っ!?」
(じゃあ、カネラ王子は自分が王になりたくてこんなことを……?)
カネラ王子は第三王子で、三番目の王位継承者。
ふたりのお兄さんがいる限り、おそらく彼は王にはなれない。
(そのために私を利用しようと……?)
そこまで考えてハっとする。
――だとしたら。
私はゆっくりと震える唇を開く。
「じゃあ、魔族の話は……?」
――敵方に魔族がいたと申す者がおります。
数日前の、彼の言葉が蘇る。
――だから聖女サマ。砂漠の国を助けてもらえないですか?
だから私は今こうして砂漠の国にいるのだ。
「そう言えば、聖女サマならついて来てくれるかなって」
私の髪を指に絡ませながら、彼はなんでもないことのようにさらりと答えた。
一番聞きたくなかった答えに、目の奥が熱くなる。
……悔しい。
まんまと彼の思惑通りに私は動いてしまったのだ。
身体の自由がきいたなら、今すぐにでも彼の手を払ってその頬に平手打ちを喰らわせてやりたかった。
「……皆はどこです?」
口から出た声が、自分でも驚くほどに低い。
もし彼の言葉が真実なら、彼の目的が本当に私なのだとしたら、リューやローサ、メリーは彼にとって邪魔な存在ということになる。
眠りに落ちる前に見た、目を閉じて動かなくなった彼らの姿。
考えうる最悪な答えが浮かんで、でも彼はその問いにも軽い口調で答えた。
「あー、まだあの場で寝てるんじゃないかな。どうだろう。誰かがどこかに移しちゃったかな」
「……っ」
そんなふざけた答えに私が強く睨み上げていると彼は首を傾げた。
「やっぱり怒っちゃった? でも全部が全部嘘ってわけじゃないよ。魔族がいるのは本当だし」
そう言うと彼は私の髪から手を離し、徐にベッドから立ち上がった。
月明かりが逆光となって彼の表情がまた見えなくなって――次の瞬間、バサっという大きな羽音が部屋に響いた。
――!?
私は目をいっぱいに見開く。
カネラ王子の背に突如、禍々しい翼が現れたからだ。
同じ翼でもリューのそれとは似て非なる――あれは7年前に嫌と言うほどに見た『魔物』の翼だ。
「俺が、魔族だから」
魔族……?
そう、声に出したつもりだった。
でも喉がカラカラに乾いて、それは声になっていなかった。
そんな私を見て、彼は小さく笑ったようだった。
「俺は、一応この国の王子ってことになってるけど、王と魔族の母の間に出来た子なんだ」
「!」
彼はもう一度ベッドに腰を下ろして私を見下ろした。
そのとき彼の瞳が血のように真っ赤に染まっていることに気付く。
「だから、これまで王宮の中でも不遇の扱いを受けてきた。仕方のないことだと受け入れてきたし、別にどうでもいいと思ってた。……でもね」
冷たい指先で頬をなぞられてぞくりとする。
「聖女サマに出会って、全く関係のないこの世界のために命を懸ける姿を見ていて、その考えが変わった。俺も、聖女サマが美しいと言ったこの国のために、何かをしたいと思うようになった」
それは船の上でも少し聞いた話だ。
私の行動が彼を変えたのだとしたら純粋に嬉しい。
けれど、ならなんで……そう訊こうとして、彼は続けた。
「でもね、それでも、どうしても自分のこの血が足かせになるんだ。どう頑張っても、他の兄弟には並べない。……認めて、もらえない」
彼の赤い瞳が伏せられて、そのときふいに、王都で人々に囲まれ微笑む彼の姿が浮かんだ。
あれが、彼がこの国のために頑張ったという証なのだとしたら――。
「そんなときに、聖女サマがこの世界に戻ってきたって情報が飛び込んできた。嬉しかったなぁ」
「カネラ王子……」
「これはチャンスだって思ったんだ」
「……っ」
チャンス。その言葉にギリと奥歯を噛む。
「だから聖女サマ、俺のものになってよ」
頬に冷たくて大きな手が添えられて、その顔がゆっくりと近づいてくる。
「……私の力、知ってますよね?」
その声は格好悪く震えてしまっていたけれど、彼の動きはぴたりと止まった。
「知ってるよ。きっと俺なんて一発で消し炭だよね。……でも、俺は聖女サマが優しいことも知ってる」
そうして彼はもう一度笑った。
「聖女サマは俺を殺せない」




