第41話
その後お医者さんが診てくれたけれど特にこれといった悪いところは見つからず、環境の変化による疲れが出たのだろうと診断された。
お医者さんが寝室を出ていき二人きりになるとリューはふぅと溜息を吐いた。
やっぱりお医者さんを呼ぶほどじゃなかったのにと思ったけれど、彼の深刻そうな顔を見たら言えなかった。
「あの、心配おかけしました」
「……」
ベッド脇の椅子に腰掛けた彼にそう声をかけたけれど返事がなくて。
「リュー?」
「……この世界は、辛いか?」
「え?」
思ってもいなかった言葉に小さく声が漏れた。
「コハルがこの世界に馴染もうと懸命に努力してくれているのは知っている。とても嬉しく思っている。……だが、もしこの世界での生活が辛かったなら、向こうの世界に戻ってもいいんだぞ」
その力ない声を聞いて目を見開く。
するとそんな私の反応を見てリューは慌てたように続けた。
「あ、いや、勿論、本当は戻って欲しくなんてない。ずっとこの世界に、俺の傍に居て欲しい。……だが、コハルに辛い思いをさせてまでここに居て欲しいとは思わない」
そうして彼は膝の上で強く拳を握った。
リューは多分、私が先日塔の部屋で言ったことを気にしているのだろう。
でも私は全く別のことを考えていた。
(やっぱり、聖殿を破壊したのはリューじゃない)
もしリューだったならこの場で「戻ってもいい」なんて言葉が出るはずない。
と、リューは良いことを思いついたという顔で私を見た。
「そうだ。例えば、こちらの生活に慣れるまでこちらと向こうの世界を行き来するというのはどうだろうか」
「そんなの、ティーアが困ってしまいますよ……っ」
苦笑しながら、先ほどローサの前では堪えた涙がとうとう零れてしまった。
リューがぎょっとした顔で椅子から立ち上がる。
「ど、どうした。どこか痛むのか? それともまた俺が何か気に障ることを言ってしまったか?」
酷く慌てた様子のリューに私はぶんぶんと首を振る。
「違うんです。……ごめんなさい。私、リューに隠していたことがあります」
「隠していたこと?」
(隠していたこと、少しでも疑ってしまったこと、ちゃんと謝らないと……)
リューではなかったという確信が持てた今、安堵と共に残ったのは酷い罪悪感だ。
涙を拭って、私は続ける。
「私、向こうの世界に帰れなくなってしまったんです」
するとリューは瞬間呆けた顔をしてから眉を寄せた。
「どういうことだ?」
「実は、この間届いたティーアからの手紙に、何者かに聖殿が破壊されて私を向こうの世界に帰せなくなってしまったと書いてあって」
「聖殿が……? いや、しかし、手紙は読めなかったのでは」
「実はあの手紙、魔法の手紙で……内容がティーアの声で聞こえてきたんです。嘘をついてすみません」
頭を下げて謝罪する。
「俺に届いた手紙にはそんなこと一言も書いてなかったが……そうか、それで……。だが、聖殿をまた修復すればいいのではないか?」
「修復しても、もう一度私の居た世界と繋がるかどうかわからないそうです」
「そういう、ものなのか……」
リューは難しい顔をして、そして訊ねた。
「それで、なぜそのことを俺に黙っていたんだ?」
「それは……すみません。私、リューを疑ってしまいました」
正直に告白する。
「俺を?」
「リューだけじゃなくて、私、この世界で出会った人たち皆を疑ってしまって……」
言いながら、また涙があふれてくる。
「聖女の力が欲しい誰かが、私を向こうの世界に帰したくなくてそんな酷いことをしたんじゃないかって、そんなことを考えてしまって……ごめんなさい、私最低なんです」
涙が止まらなくなってしまって顔を覆う。
泣いたって許されるわけじゃないのに。自己嫌悪で消えてしまいたかった。
リューだって自分が疑われたと知って嫌な気持ちになったに違いない。怒っているかもしれない。いや、怒って当然だ。
怖くて、顔が上げられなかった。
なのに――。
「コハルは何も悪くない」
「……っ」
ふわりと温もりに包まれて驚く。
リューは私の頭を優しく撫でながら穏やかな声で続けた。
「誰だって、二度と故郷に帰れないとなったら不安にもなるだろう。コハルの場合、世界が異なるのだから尚更だ。疑心暗鬼にもなる」
「……怒って、ないんですか? 私、リューを疑ってしまったのに」
「怒ってはいないが、不満には思っているぞ」
見ればリューはまたあの不貞腐れたような顔をしていて。
「疑ったことをじゃない。コハルがこんなにも不安になっていることを、俺に話してくれなかったことをだ」
「リュー……」
「これからはなんでも話して欲しい。俺の知らないところでコハルが苦しんでいるのは、嫌だ」
抱きしめる腕に力がこもって、また涙が滲んだ。
――あぁ、この人はなんて優しくて、大きくて、あたたかいのだろう。
こんなに綺麗な人を私は疑ってしまったのだ。
「はい……本当に、すみませんでした」
もう一度謝罪して、私は彼の胸の中で後悔と安堵の涙を流したのだった。




