第15話
その後、違うメイドさんが先ほどの花を部屋まで届けてくれた。
メリーは私たちの様子を見て色々と察したのだろう、置かれた花瓶からおずおずと花を引き抜き私たちには見えないよう後ろを向いてもそもそと口に入れていた。
それを見て、後でメリーと一緒にアマリーに会いに行こうと思った。
「聖女コハル様、この度はおめでとうございます!」
「なんとお美しい。さすがは陛下がお選びになったお方ですなぁ!」
「お初にお目にかかります。聖女コハル様。わたくし、この竜の国で――」
遅れて出席した大臣たちとの談話の間も先ほどのことで頭がいっぱいで、何か話しかけられても曖昧な返答しか出来なかった。
リューの隣の豪華な椅子に座り、ただずっと出来る限りの笑顔を浮かべていた。
一時間程だったろうか、大臣たちが帰っていき謁見の間の扉が閉まってすぐに私は立ち上がった。
――今この場はふたりきり。セレストさんの姿もない。
私が前に立つと、リューはきょとんとした顔でこちらを見上げた。
「どうしたコハル、疲れたか?」
「いえ。あの、先ほどの件ですが」
「先ほど?」
彼が軽く首を傾げる。
「お花を運んでくれたメイドさんの件です」
「ああ、そうだ。コハルは平気だったのか? 身体が冷えては良くないからな」
「私のことはどうでもいいです!」
つい語気が強めになってしまった。
案の定リューは驚いたようで目を丸くした。
私は気持ちを落ち着けてから続ける。
「すみません。……さっきも言いましたが、彼女は何も悪くないんです。私がお願いしたお花を急いで届けようとしてくれただけで。まさかそんな優しい彼女を、咎めたり罰したりなんてしませんよね……?」
祈るような気持ちで穏やかに訊ねる。
だが、リューは難しい顔をした。
「使用人たちのことは全てセレストに任せているからな。しかし、あのような失態をあいつが許すとは思えないが」
ローサと同じようなことを口にした彼に驚く。
「なら、リューからセレストさんに言ってください! 先ほどの件は不問にしようと」
「だが不問となると、他の者への示しがつかなくなる」
「示しって……」
リューのその言葉を聞いて私は衝撃を受ける。
(示しをつけるために、アマリーに罰を与えるってこと……?)
――瞬間、責任を取らされひとり会社をクビになった自分とアマリーが重なった。
そんな私にリューは不機嫌そうに続ける。
「もしあのとき花瓶が落ちて割れていたら、コハルが傷ついていたかもしれないんだぞ」
「もしそうなっていたとしても傷なんてすぐに治ります!」
「そういう問題ではない!」
「そういう問題です!」
強く言われて私も強く言い返す。
はじめて、彼に憤りを感じていた。
――そして、このとき私は自分がこの世界で『聖女』と呼ばれる特別な存在であることをすっかり失念していた。
「彼女は、私のために純粋な善意で動いてくれたんです……」
自分の声がやけに低く聞こえた。
ざわざわと自分の髪がうごめいているのが視界の端に見えたけれど、気にならなかった。
リューの顔が、さっと青ざめる。
「お、落ち着けコハル!」
焦るように椅子から立ち上がった彼が私に向かって両手を広げる。
でも私はその衝動を抑えられなかった。
「そんな彼女を咎めたり罰したりしたら、私は即刻この城から出ていきます!」
「なっ!?」
ドーン!! と、リューの声を打ち消す凄まじい雷鳴が城内に響き渡った。
そして直後、私の視界は闇に閉ざされた――。
「――ル……コハル! おい、コハル!」
何度も名を呼ばれ身体を揺すられゆっくりと目を開けると、心配そうな顔がこちらを覗き込んでいた。
まだ幼さを残した丸みを帯びた輪郭、そして大きな金の瞳。
「リュー、皇子……?」
その名を口にすると、彼はホっと安堵した顔をした。
「急に倒れるから、驚いたぞ」
「あ……すみません」
起き上がろうとするが、力が入らなかった。
私は彼を見上げて苦笑する。
「聖女の力を使うと、いつもこうなってしまうんです。時間が経てば回復するので大丈夫です」
「そう、なのか……」
彼は掠れた声で小さく呟き、それから周囲を見渡した。
「まあ、これだけの威力だ。そうなってもおかしくはないな」
私も首を回し、でもすぐそこに黒こげになった大きな塊が見えて急いで目を閉じた。
――きっと今、私たちの周りにはたくさんの魔物たちの死骸が転がっているのだろう。
つい先ほど、森を抜けたところで私たちは魔物たちの急襲に遭い、私はこの聖女の力を使った。
こうなってしまうのはわかっていたから極力使いたくはなかったけれど。
私がこの世界で手にした『聖女の力』は威力は凄まじいがその分こんな反動がある。
おそらく私の身体がその大きな力についていけないのだろうとティーアは言った。
この場にメリーがいてくれれば癒しの力ですぐに回復出来るのだけれど……。
「すまない」
「え?」
ぽつりと小さく謝罪の言葉が聞こえて私は目を開く。
「俺に、もっと力があれば……」
彼の小さな両手が膝の上で強く握られているのを見て、私は微笑む。
「ありがとうございます、皇子」
「え?」
「さっき、私を守ろうとしてくれましたよね」
聖女の力を使う直前、彼は私の前に出て迫りくる魔物たちに毅然と立ち向かおうとした。
私よりも小さな身体で、私のことを精一杯守ろうとしてくれたのだ。
「すごく格好良かったです」
そう言うと、彼の頬がほんのり赤く染まった気がした。
でもその後ぷいっとそっぽを向いてしまうと、彼はいつもの調子で言ったのだ。
「当然だろう! 俺を誰だと思っているんだ!」
「未来の竜帝陛下ですもんね」
「そうだ! 俺は父上のような立派な竜帝になるんだからな!」
そんないつもの彼を見てほっとした私はもう一度ゆっくりと目を閉じた……。
――そんなこともあったなぁと懐かしく思いながら、私は重い瞼を上げていく。
「コハル……?」
するとあの時のように、心配そうな顔がこちらを覗き込んでいた。
あの頃よりもずっと大人びた、でも同じ金の色。
「リュー……?」
「目が覚めたか」
ほっと安堵した顔もあの頃と変わっていなくて。
(えっと、私どうしたんだっけ……?)
あの時は地面に寝ていて高い空が見えたけれど、今見えるのは豪華な作りの天蓋で自分がベッドに寝かされているのだとわかった。
「すまない」
「え?」
あの時のように、彼が謝罪の言葉を口にした。




