遭遇
夜の海は、人気がなく、さざなみだけが周囲に響いている。
そんな中、海面から現れた人影がいた。
人影は背負っていた荷物を下ろし、手早く体を拭いて着替える。
そして、財布に入っている写真を、愛しい恋人を見るように眺めた。
「ミドリ、サイトウ……」
そう言って、彼女は微笑む。
その後、英語で彼女はこう宣言した。
「あなたを必ず殺してみせるから」
女性はリュックを背負って歩き始める。
気配を消して、夜の田舎町を。
+++
私こと巴の日常は愉快なものではない。
六時起床。一人で朝食を作り、着替えていたら七時。八時から十五分前に警察署に到着。特務隊待機所に入る。
そして、皆がウノや漫画で盛り上がっている傍ら、隅でスマートフォンを十七時までいじる。
それが終わると、夜勤の人に交代。
私に挨拶をする人は一人もいない。
私は、いないものとして扱われていた。
スキルキャンセラー事件。
私がスキルキャンセルの異能を使って大量殺人を起こした事件だ。
その中で、今の特務隊員達の仲間や知人も大勢死んだ。
(無視で済んでるだけいいほうだよな……)
そう私は思う。
自業自得。そんな言葉が私を支えている。
そもそも、私は一人でいる能力が高い。群れる人間というのを今ひとつ理解できない節がある。
彼女は今、どうしているだろうか、とたまに思う。
私の凶行を止めた彼女。
確か、名前を勇気と言った。
話してみたい気もしたが、彼女の幼馴染を殺した私にそんな資格はないだろう、と思いとどまっている。
私の格好は少し独特だ。
フード付きのマントを好んで使う。
マントの中にはびっしりと防弾チョッキが縫い込まれていて、銃撃に対応している。
その中には計四本のダガーナイフが配置されており、私はそれを二刀同時に操ることで戦士となる。
ダガーナイフには糸がくくりつけられているので回収も簡単だ。
幼少期から、スポーツではなく実戦の訓練で鍛えられてきた。
それが、私の細やかな誇りだ。
それを活かせる日がこないのが、一番なのだろう。
警察寮の自室に戻り、コンビニで買ったコロッケを食べる。
この無為な生活の繰り返しこそが、自分への罰なのではないかと、そう思った。
締め切ったカーテンを開けようかと少し悩む。
(天体観測なんて柄じゃないわな……)
そう考え、思いとどまった。
最後にカーテンを開いたのはいつだろう。思い出せない。最初から開けたことがなかったのかもしれなかった。
翌朝、私は目覚めて、スマートフォンを見た。
七時だ。
寝過ごした。
朝食を抜けばなんとかなるが身だしなみはどうにもならない。
急いで着替えて、外へ飛び出す。
そして、曲がり角で、人と衝突した。
私は咄嗟に手をついたから大丈夫だったが、相手はがどうなったかまではわからない。
(なんだろう、磯の香り……?)
相手は喋り始める。
(しまった、英語だ)
高校中退で特に勉強もしていない私に英語のリスニングで解を出せというのはハードルが高い。
「ソーリー。アイキャントスピークイングリッシュ」
「オウ……」
相手は考え込むような表情になった。
日の当たり方で色を変えるブロンドの髪。色白の肌。深い海のように青い目。そして大きなリュック。外国人旅行客だろうか。
「アキハーバラ!」
相手は両手を上げて、そう言う。
「秋葉原?」
相手は興奮したように何度も頷く。
「イエス! ワタシ、アキバ」
「えーっと、秋葉さん?」
相手はまた考え込むような表情になる。
そして、スマートフォンを取り出し、喋ると、私に向けて突きつけた。
私は秋葉原に行きたいです。と書いてある。
なるほど、翻訳ソフトか。
私もスマートフォンの翻訳機能を使い、返事をする。
『新幹線があるからいいけど、少し遠いですよ。まずは……』
『連れてってください』
相手がスマートフォンを押し出してくる。
(ええええ~)
私は思わず心の中で叫んだ。
時計を見ると、七時四十五分。
どの道、遅刻は確定か。
(たまには、サボるのもいいかもしれない)
そんな風に意識が傾き始めた。
「ワタシ」
彼女が、必死に考えながら喋り始めた。
「ニホンノトモダチ、ホシイ」
友達。
その一言に、心打たれた。
『ちょっと待っててね』
翻訳ソフトを使い、そう伝える。
そして、警察署に電話をかけて、休む旨を伝えた。
+++
二人でバスに乗って移動し、新幹線に乗る。
マント姿は目立つので、私はそれを鞄の中にしまっている。
色々な話を聞いた。
相手の名前はエミリー。日本に憧れていたこと。たまたま、日本人の依頼があって来日したこと。仕事自体は私の住んでいる市で行われるということ。
「はー、なるほどー」
翻訳ソフトを使っても、時々妙な翻訳の仕方をするので、単語を拾っていって意味を導き出したりする。
中々に疲れる。
「トモエノ、ショクギョウハ、ナンデスカ?」
エミリーは本を見ながら、慎重に話しかけてくる。
「アイムジャパニーズポリス」
「ポリス……ポリス……」
そう言いながら、エミリーは本の頁をめくる。
「ケイサツ!」
「イエス!」
「イエーイ!」
「イエーイ!」
なにがイエーイなのかわからないがハイタッチする。
そろそろ、思い始めていた。
(この子、私には合わんわ……)
『で、エミリーは秋葉原の他には何処へ行きたいの?』
「ディズニーシー!」
『ディズニーは千葉だよ』
「ホワイ?」
エミリーが戸惑うような表情になり、ホームページを開く。
そしてたどたどしい日本語で言った。
「トキョ、ディズニー、ランド」
『千葉だよ』
「オウ……」
私は駅の売店で売っていたタピオカミルクティーのストローに口をつける。
甘い味が、口の中に広がった。
+++
ジェットコースターみたいな一日だった。
エミリーは次から次へと目的地を変え、一日中歩きっぱなしだった。
男はつらいよの帝釈天を見たいと言い出したり、スカイツリーに行きたいと言い出したり。
そのたびに行き方を調べるのは私だ。
(外国の人って皆こうガンガンくるのかなあ……)
横目でちらりとエミリーを見る。
(いや、この人が特殊なんだよな)
そう思い、苦笑した。
「ドウシタ? トモエ」
『エミリーは大胆だなって』
「ダイタンジャナキャ、イマノシゴトデキナイ」
『ふうん、なんの仕事?』
エミリーは顎に人差し指を当ててしばらく考え込むと、微笑んで言った。
「トップシークレット」
話す気はなしか。なら、いいか、と私は興味を失った。
その時のことだった。
川のように流れている人混みが、そのスペースだけ開いていく。
「離れろ! ガキを殺すぞ!」
一人の男が子供の首にナイフを突きつけて喚いている。
私は、気配を消した。
「ヒトリ、ムリ。ワタシ、テツダウ」
声をかけられて、驚いた。
エミリーも完全に気配を消していたのだ。私に気取られぬレベルで。
戸惑いつつ、答える。
『相手の気を引くことはできる?』
「カンタン」
そう言うと、エミリーは歩いていった。
「ハイ! ジャパニーズ」
そう言って、エミリーはスマートフォンの翻訳ソフトに向かって喋る。
そして、出てきた文章を相手に突きつけた。
「なんだ? なに書いてあるんだ?」
エミリーはまたしても英語で答える。
「わかった、スマートフォンの画面が見える位置まで近づけ」
男のナイフを持った手が、子供から離れる。
(好機!)
私は男の背後からダガーナイフを投じた。それは見事に、彼のナイフを持った手に深々と突き刺さっていた。ナイフが、地面に落ちる。
同時に、エミリーが行った顎への肘打ちが決まる。
男は脳震盪を起こしたらしく、地面に座り込んだ。
そこに、周囲で見守っていた人々が飛び込んでくる。
男の子は、結局無事確保された。
私は糸を引っ張ってダガーナイフを回収すると、その場を後にする。
「トモエ!」
エミリーが追いついてくる。
そして、スマートフォンの翻訳機能を使って話しかけてきた。
『なんで逃げるの? あの場の主役はあなただ』
私も翻訳機能を使って返す。
『柄じゃないのよ、そういうの』
罪を犯した私が賞賛されることが許されるだろうか。そんな思いがある。
「トモエハ、カワリモノネ」
エミリーはそう言って苦笑する。そして、スマートフォンになにやら話しかけて、私に見せた。
『私は好きだよ、シャイガール』
(いや、面倒くさかっただけだって)
そんな本音を言ったら落胆させそうなので、心の中にしまっておいた。
『それにしても、あなた何者? 体術も気配の消し方も人並み外れてるわね』
『人外を相手にしていたらそうもなります』
そう言って、エミリーは微笑んだ。
(どういう意味だ……?)
冗談だ、と一笑に付すことはできなかった。
あの体術、あの気配の消し方、それは実際に死線を乗り越えてきた人間のそれだ。
『ありがとう。またね、巴』
そう表示させて、エミリーは駆け去って行った。まるで、都合の悪い部分を見られたとでも言いたげに。
「おい、友達が欲しいんじゃなかったんかい」
私は思わずぼやく。エミリーの電話番号を登録する準備は十分だったというのに。
巴十七歳。スマートフォンには同僚の電話番号しか入っていなかった。
第一話 完
というわけで、この章は巴が主人公です。
次回『抹殺指令』




