619.沈黙王女は語り、
カン、カン、カン。
「ご苦労様です。……プライド達は、もう中に?」
規則的に杖を突きながら、護衛と共にレオンは病室の前に訪れた。
もう身体だけで言えば杖が無くても問題なく歩けるが、治癒を早める為にもなるべく負担は最小限に減らしたかった。救護棟内の移動を医者から許された彼は、またいつものようにヴァルの部屋へと訪れる。
今の時間ならそろそろプライド達もいる頃かなと思いながら足を運べば、予想通りに扉の向こうからは女性の声がくぐもりながらも聞こえてきた。
何を話しているかはわからないが、早速自分も加えてもらおうと自ら扉へノックを鳴らしてドアノブに手を掛ける。プライドから、レオンは自分が話し中でも構わず通して良いと騎士達にもレオンにも伝えていた。更には既に連日となったレオンの来訪に、ヴァルも返事をするのが面倒だからと返事も待たずに入るのを許していた。正確にはヴァルが無視しようと帰れと扉の向こうから突っ撥ねようとも結局は部屋に入ってくる為、ヴァルの方が諦めた。
そして今回もレオンはいつものように扉を開ける。今日はセドリックが帰国する日だったが、自分は見送りすることはできなかった。
昨日、既に挨拶は済ませたが、プライドに見送りの話だけでも聞こうかなと今から話題を考え
「レオンと復縁もあったかもね。」
カラァンッ……。
扉を開けた途端、飛び込んできたプライドの台詞にレオンは杖を手から零した。
ちょうど爆弾発言が飛んだ直後だった為、一気に静まり返った空間に恐ろしく杖が床に転がる音が響いた。
その音にプライドは目を丸くして振り返り、扉の前にいた元婚約者に思わず顔を引きつらせた。
「レオッ……!」とそこまでは出て、止まる。顔色が青くなっていくプライドに反して、レオンはぽかんとした顔のままみるみる内に頬から紅潮していく。尋常ではない空気を感じ取り、レオンが閉める前に部屋の外に控えたアネモネの騎士が一度部屋を覗き込んで安全を確認し、その後に扉を閉じた。
レオンは言葉も出ないままプライドからその周りへと視線を浮かす。ティアラが口を開けたまままん丸の目でレオンへ振り返る。「あ」の口のまま固まる彼女が途中で思い出したように両手で口を塞いでいた。
ヴァルが既に頭が重そうに顔を鷲掴み、俯いている。ケメトとセフェクは首を捻りながらレオンの方へ顔を向けたが、本人達も疑問に思っているような表情からは今の状況は何も察せない。アーサーとカラム、ステイルだけがプライドとレオンを恐る恐る見比べていた。その反応にやっとレオンは、さっきの言葉が聞き間違いではないと確信を持つ。
「プライド。…………今、のは……?」
ぽかんとした口のまま、赤らむ顔を隠す余裕もなく扉の前から彼女に問いかける。その途端、プライドが「あ……ああいえ!そのっ‼︎」とレオンに身体ごと向き直った後に狼狽えた。
よりによってとんでもないタイミングで話を聞かれてしまったと流石のプライドも焦る。どうしよう……と助けを求めるように視線を彷徨わせるが、目が合う相手は何処にもいなかった。大丈夫、順序立てて言えばきっと怒らないで貰える筈‼︎と心の中で自分に言い聞かせながらプライドは
「主が王位継承権失った後どうするつもりだったかって話よ。レオンは主と復縁したい?」
セフェクからの小爆弾に、今度こそレオンの顔色がぼわっ……と赤らみ蒸気した。
杖を失ったままフラつくレオンに、真っ青になったプライドが「レオン⁈」と叫び椅子から飛び上がって駆け寄った。「違う!違うから!ごめんなさい‼︎」と謝り叫ぶプライドと、それに紛れながらもセフェクの言葉に続こうとケメトが「ヴァルも」と言ったところで問答無用でヴァルに口を塞がれた。
プライドが拾った杖をレオンに手渡し、背中に腕を回して支えながらいつものようにレオンの席へ彼を促した。いつもレオンやプライド達が訪れる為、片付けられずにベッドの横に置きっ放しにされた椅子に腰掛けながら、レオンは発熱する頭に言葉が思いつかなかった。瞬きも忘れてマネキンのようになってしまったレオンに、プライドは「変なこと言ってごめんなさい‼︎」と再び謝りながら改めて言い聞かせるように話の最初から説明を始めた。
……
「ところで。……お聞きしても宜しいでしょうか、プライド。」
ヴァルとの依頼の話がひと段落ついた後、数秒だけの沈黙にすぐステイルが新しい話題を投げ掛けた。
なにかしら?と問うプライドに、ステイルは一度だけ顔の筋肉に力を込めて顰めた。それから口の中を飲み込んだ後に少し低めた声で続ける。
「先程、母上との話し合いの時のことなのですが……。」
ぎくっ!と、プライドの肩が激しく上下した。
同時にティアラもぴくりと肩を震わせ、身体を硬ばらせる。あまりにもわかりやすい二人の反応にカラムとアーサー、そしてヴァル達も気になるように視線を向けた。
な……なにかしら……?とさっきよりもかなり戸惑い気味なプライドは口端が痙攣した。
まさかステイルに限って女王であるローザ達に口止めされた内容を近衛騎士やヴァル達の前で話すとは思えない。ティアラの予知能力に関しても王配業務に関してもここで話題にはしない筈!と思いながらも、重々しいその声にプライドは嫌な予感が拭えない。
ティアラからしても自分の予知能力がいつからか、今まで何故黙っていたのかなど本当はプライドもステイルも話したいことは山のようにあるのだろうと思いながらも敢えて黙っていた。ラジヤ帝国との邂逅まで厳戒体制の今は、城内の行くところで必ず騎士や衛兵が付いてくる。彼らにも口外するわけにはいかない今、ティアラはプライドに、プライドはティアラに、ステイルは二人に聞きたいことを全て堪えているのが現状だった。
全て尋ねられる時がして、それはラジヤ帝国の厳戒体制が済み、ティアラの予知能力と王妹としての確立が公表されてからなのだから。
だからこそステイルも言葉は選ぶ。この場で話しても〝公式には問題ない範囲〟で、聞きたくて仕方がなかった疑問のみをプライドへ投げかける。
「……プライドは、王位継承権をいつから放棄するつもりだったのでしょうか。」
ガキンッ。と一瞬でプライドが引き攣った表情ごと固まった。
アーサーとカラムが息を飲み、ケメトとセフェクがええっ⁈と声を合わせる中、ティアラが「に……兄様っ……」と慌てるようにステイルの裾へ手を伸ばした。
くいっと引っ張られ、撤回を促されるがそれでもステイルはプライドから目を離さない。アーサーが「どォいう意味だ⁈」と思わずステイルに駆け寄り肩を掴めば説明するように口を開いた。
「あまりにもあの時、初めから決めていたかのように落ち着いておられたので。結果としては白紙となりましたが、母上にプライドは王位継承権を捨てて国を去ると仰いましたよね。」
ゴフッ‼︎と、今度は咳き込む音がどこからともなく響いた。
プライドもステイルの言葉に未だ表情筋が引き攣ったまま元に戻らない。ええと……の言葉も出ずに顔色だけが変わっていく。さっきまでステイルを止めようとしてくれたティアラまでその問いは気になるらしくステイルの袖から手を離した。更には背後からアーサーとカラムらしき熱い視線を感じて視線すら彷徨わせられない。ステイルの漆黒の瞳を見つめ返したまま、冷や汗が頬を伝った。
「正気に戻られた時ですか。それとももっと前に、でしょうか。プライドは十年前から予知をしていたと仰っていましたが。」
『私も十年前に今回のことを予知してからずっと許される範囲はティアラに女王の公務も教えてきました』
女王であるローザを前に、プライドはそう言い放った。
話の流れで追及こそされなかったが、ステイルは忘れていなかった。本来ならばプライドに二人きりで尋ねるのも夜中に特殊能力を使えば不可能ではない。だが、どうしても早くプライドに尋ねたかった。出来ることなら自分だけではなく、近衛としてアーサーが傍にいる間にちゃんと。
プライドからすれば公開処刑同然だったが、もう逃げられない。暗い影を落としながら真剣に尋ねるステイルにも、顔を強張らせながらもステイルの隣から真っ直ぐ眼差しを向けてくるアーサーにも、そして隣で「お姉様……」と悲しげな声を漏らすティアラにも〝言えない〟よりも〝偽りたくない〟の方が強くなる。
強張った口を少しずつ動かし、言い辛そうに一度食い縛ったプライドは、最初掠れるような小声で答え始めた。
「十年前、……予知して……ました。」
自供するかのように敬語で答えるプライドは、それを口にした途端にこの場の空気が張り詰めるのを感じた。
前世のことだけは絶対に言えない。ただ、それ以外の真実は言葉にしようと選びながら口にする。
「十年前、……その、私がフリージア王国を裏切る未来を見て。上手く言えないのだけど、……変えられないものだとわかったの。」
まさかアダム皇太子の特殊能力とまではわからなかったのだけれど。と、わざと苦笑いをして見せたプライドは指先で頬を掻く。
プライドの告白に、誰も何も言わなかった。全員が彼女の言葉を一言も遮るまいと黙し続けている。
「大罪を犯す私よりも、ティアラの方がずっと女王に相応しいと思ったわ。だから、……正気に戻れた時にはもう諦めもついていたの。」
肩を竦め、何かを堪えるように唇を結ぶステイルから目を逸らし、ティアラに向ける。
柔らかな金色の髪をそっと撫でれば、ティアラがぎゅっと細い腕でプライドを抱き締めた。自分と同じように、やはりプライドも既に覚悟を決めていたことがティアラには悲しくて仕方がない。三年ほど前から未来に怯えていた自分と比べ、プライドはその苦しみを十年も背負っていたのだから。ティアラの細い背中に腕を回し、抱き締め返しながらプライドは更に口を開いた。
「ティアラにも女王として必要なことは教えていたから。ティアラなら絶対にフリージア王国を守ってくれると信じていたもの。」
ティアラの温度に溶かされるように柔らかい笑顔を浮かべるプライドに、逆にステイル達は胸が苦しくなった。
あまりにも穏やかに自分の最期を語るプライドに、本当にあの時の己が死を望み笑った姿は彼女だったのだと思い知る。
そのまま全て言い切ったと言わんばかりに口を閉じてしまうプライドに、ステイルは苦々しい顔のまま再び口を開いた。まだ、もう一つ彼の中で痼りは残ってる。
「……だから、当時の行いを貴方は改めたのですか。十年前、予知能力に目覚められてから。」
ステイルの言葉に、プライドはビクッと肩を震わした。
まさかそんなことまで知られていたとは思っていなかった。腕まで強張り唇を絞ったまま、そっと抱き締めていたティアラから身を引いた。顔を上げ、ステイルの発言から恐る恐る全員を見回せば、何もわかっていなさそうな表情をしてるのはケメトとセフェク二人だけだった。
やはり自分があんな状態になったから、周りからも自分が〝元に戻った〟と思われてしまったのだろうかと考える。実際、自分だって予知した十年後の姿を〝性格が歪んだ〟ではなく〝ゲーム通りに戻った自分〟とずっと思い込んでいたのだから。前世を思い出すまでゲーム通り性悪に育っていた自分に戻ったと思われても当然だ。
そう思うと今度は心からの苦笑いになってしまい、後ろ首を摩りながら「そうね……」と言葉を絞り出す。
「予知能力に目覚めたあの時は父上の事故だけでなく色々とその……予知をして。…………国を裏切る以外でも私の未来が本当にどうしようもなさ過ぎて、一気に自分を省みちゃったわ。」
あはは……と枯れた笑いが零れる。
実際は前世の記憶を取り戻したことで倫理観や常識がひっくり返ったことの方が大きい。だが、その事実だけは墓場まで持っていくべく飲み込んだ。そんなことを言えば今度こそ頭がおかしくなったと離れの塔に放り込まれてしまう。
まさか十年以上前の自分の黒歴史までステイル達に知られてしまっていたことに、次第に顔が熱くなってきた。一体どこまで知られているのかと思えば、もしかして今も自分が猫を被っていると思われているのかなと不安になる。少なくとも今はこれが素顔だから‼︎と叫びたいが、そんなことを言っても絶対に言い訳にしか聞こえないと自覚する。
パタパタと熱くなった顔を扇ぎながら「本当に昔はどうしようもなくて……」と無意識に大きめな声が出る。言い訳めいた話し方だと自分で思った瞬間、余計に顔が発熱して誰の目も合わせられなくなった。その時
「…………聞いても、良いっすか……?」