そして響かせる。
「ハリソン!正面だ!」
プライドを確保した時点で、ロドニーも改めて声を張る。
相手の位置を三人に知らせれば、アランとエリック、カラムも眼前からハリソンへと視線を向けた。ハリソンすらも読めない気配の先へ全員が同時に武器を振るうが、その全てが虚空を斬り貫いた。手応えは無く、ロドニーの目には騎士四人の剣が全て透明の人物の身体を裂いているように見えた。ただの透明化の特殊能力者であれば、首も手足も落ちている筈だった。
しかし侵入者は何食わぬ動きで姿勢を低め標的へと飛び込むように手を伸ばす。騎士達が守ろうとした見知らぬ女性になど興味はなく、最初から狙っていた最高額奴隷へ触れられた。
〝透過〟の特殊能力者ティペットの手によって、気を失った奴隷は無抵抗のまま姿を消した。
ミシェルの姿が消えた瞬間、しまったと騎士の誰もが目を見張った。透明化した侵入者を相手に、プライドを狙っているとしか考えられなかった。だからこそできた瞬時の対応でもあったが、引き換えにミシェルへの対応が遅れた。
それでも、高速の特殊能力を持つハリソンはミシェルが消えた瞬間にその居た場所へ叩きつけるような鋭さで手を付いた。たとえ姿は見えなくなろうとも、実体さえあれば掴める。たとえ保護対象者の骨を折ろうとも、このまま連れてかれるよりは遙かに良い。しかし、ハリソンの高速の手はミシェルに触れることはなくただ床に付くだけだった。ロドニーの目には、ハリソンの手がミシェルであろう存在を貫いているように見えた。
「ッまだ両者ともその場に存在を確認!!〝透過〟の特殊能力!!ティペット・セトスと思われます!!!」
まだミシェルも消えたわけではない。そして触れることすら叶わないことから考えても透過の特殊能力で間違いないと、そこから導き出せる危険人物の名を高らかに周知する。ロドニーの警告に、地下室全体に緊張が走り出す。
硬直したプライドも、間近な距離で響かされたロドニーの声に肩が上下する。たったそれだけの彼女の動作にアーサーは「動かないでくださいッ」と彼女を抱き締める腕を強め、見えない先へと眼光を強めた。まだ、ティペットが人質の為にミシェルを拘束したのか、ミシェル本人を狙ったのか確証はない。
逃がすな!騎士団長に報告を!と騎士達が違いに連携を取り合う中、ティペットの動きはゆっくりだった。透過した以上、自分と標的を脅かす者は何もない。気を失ったミシェルから手を離さないように留意しつつ、彼の両腋に腕を通し引きずり始める。ずるり、ずるりとミシェルの身体と衣服が床にこすれる音だけがアラン達にも薄く聞き取れた。
すぐ目の前にいるというのに攻撃が届かないことに、アランは剥き出しになるほど歯を強く食い縛った。いくら拳を振るおうとも、透過した相手には何も届かない。カラムが「通信兵!温度感知の騎士を集めろ!!」と捕まえることはできずとも追跡へと切り替えるべく声を荒げた。
「ティペットは九時の方向へと保護対象者を引き摺っております!!壁を抜けるつもりです!!!」
「壁の向こうに……ッ!!」
ロドニーの報告に、エリックも言いかけた口を途中で止め、歯噛みする。
九時の報告、今自分達がいる位置で最も近い位置にある壁にティペットが逃走を図っている。ならば壁の向こう側に回り込めと指示を飛ばそうとしたが、不可能だとすぐに気付く。ここは地上ではない、壁の向こうにあるのは地下そのものだ。その先を行けるのは、透過の特殊能力者以外いない。
「行かせるな!!」と誰とも無く騎士が叫んだが、その方法も手段もない。透過の特殊能力者に触れることは不可能、そして唯一の弱点である温度感知の特殊能力者にさえも
無機物と重なった存在は、温度感知ができなくなる。
ロドニー自身、透過の特殊能力者に会うのはティペットが初めてだが、ティペットを危険人物として共有された際にその情報も共有されていた。
フリージア王国の特殊能力についての文献による研究結果と事例は博識な者であれば知っている。温度感知の特殊能力が認識できるのはあくまで〝温度〟のみ。
無機物と同一物になった透過の特殊能力者の温度は無機物と同一になり認識できなくなった。だからこそ、ティペットの特殊能力の透過が判明した時点でプライドだけでなく女王ローザも王族全員が彼女とアダムの生存の可能性に頷いた。たとえ温度感知の騎士が監視しようとも、たとえ洞窟や地下通路を総動員で捜索させようともその壁と一体になられればもう認識できず、発見は叶わない。
壁の向こうへ行かれれば、彼女達を追う方法はなくなる。
「ティペッ……ティペット!!ティペット待って!!!お願い連れて行かないで!!!!」
震える唇と歯で、見えない彼女に向かいプライドが堪らず声を上げた。姿を消していようとも、自分の声そのものを発することがどれほど危険なのかはわかっている。だからこそ、今の今まで声が出なかった。しかしこのままミシェルを連れて行かれるのを黙って見過ごせるわけがない。
手を伸ばすプライドに「駄目です!!」とアーサーはその手を重ね無理にでも下ろさせる。届かないとわかっていても、彼女がほんの数センチでもティペットに近付くことすら見逃せず奥歯を噛み締めた。アーサーの制止を受けても、プライドもまた止まれない。「ティペット!!」と唯一届く声で彼女に呼びかける。真っ白になりかける頭と瞬きも忘れた目で呼びかける。いっそ自分の存在を名乗れば、標的を変えてくれるんじゃないかと本気で考える。
「ティペット!聞いて!!お願い!!その子には待っている家族がいるの!!」
ずるり、ずるりと引き摺るティペットは聞く耳も持たない。主人と違い、自分自身はプライドに何の執着もない。甲高く騒ぎ女性の声など聞き飽きた彼女には、今更聞き分ける気もなかった。
「家族」と今更な命乞い文句を聞かされてもどうでもいい。そんなこと知っている上で、自分は目の前の奴隷を主人の音へと連れて行く。
「貴方は操られています!!アダムに!!お願い目を覚まして!!!ティペット!本当の貴方はそんなことできる人間ではない筈です!!」
そんな言葉、通じるわけがないとプライド自身が一番わかっている。それでも、言わずにはいられない。
通信兵が映像を送るべき先に送り、地図を持ってきている騎士がカラムへと見せに走る。この方向に地下の井戸、その先には山がある為地下の空洞も存在するかもしれないと推察する。ロドニーが壁まであと何十センチで到達するかを肺の痛みと闘いながら告げる。今自分にできることはそれしかない。
ティペットが引き摺るミシェルがせめて目を覚ましてくれないかと祈る思いで「起きろ!!」と呼びかける騎士もいる。しかし、一度意識を手放したミシェルは全く目を覚まさない。起きた先に、安寧が待っていると信じて意識を手放した彼の眠りは深すぎた。
堪らず、またプライドが暴れ出した。腕の中で押さえつけるアーサーが「駄目です!」と彼女がどうするつもりなのかも想像できてしまう上で押しとどめる。
確かにそれをすれば、ティペットの足を止めることができるかもしれない。もしかしたらミシェルを手放すかもしれない。だが、同時に今のミシェルと彼女が入れ替わるだけだ。
もう二度と、手放さない。だが、同時にそれが彼女にとっての何を見捨てることになるのかということもアーサーはよく知っていた。自分もまた誓った筈なのにと、そう考えてしまえば一瞬、ほんの一瞬、手を緩め共に行動した方が良いんじゃないかと頭に過
「「死んでも離すな!!」」
アーサー!!と、アランとカラム二人の怒号が意図せず重なった。
隊長二人から見透かしたような叱咤に、アーサーもまた無言で頷きプライドを両腕で捕まえる。たとえこれでプライドにどう思われようとも、護るただそれだけを優先する。
ティペット!と何度も呼びかけるプライドも一瞬身を竦めてしまう。同時にアーサーから取り押さえられる力が強まれば、手をバタつかせようともがく。「お願い離して!」と懇願まで声にするが、同時にロドニーの声に阻まれた。また数センチ順調に壁に近付いているカウントだけを聞かされる。
ティペットが正気を取り戻すまではいかずとも、せめて足を止めるきっかけをとプライドは思考を巡らせた。
そして思い出す。前世の知識で思い出したティペットにとっての関係者の存在を。攻略対象者でもある彼の名前ならばティペットに何かの影響を与えてくれるかもしれないと縋る想いで息を吸い上げるが直後、アーサーの手に口を覆われた。声を上げるだけでもプライドだと気付かれる可能性がある以上、もう喋らせてはいけないとアーサー自身も口を結び強行した。
プライドの存在がティペットの足を止める可能性もあるが、同時に攫われる可能性になるならばと阻止することを決めた。
たとえそれで何を見捨てることになろうとも。
固い意思で口を封じられたプライドも、やっと気付いた奥の手をアーサーに封じられ足をバタつかせる。首を横に振り、必死に離してと訴えるが今だけは許してくれない。アーサーが、そしてそれを目にしているロドニーとローランドまでもが断行している理由はプライド自身嫌でもわかる。だからそれでも、ティペットを、そしてミシェルをと必死に藻掻く。
途中でプライドの声がくぐもり止まったことに気付いたエリック達も一度振り返ったが、アーサーも誰も騒ぐ様子がないことからも状況を正しく理解する。今、プライドの存在を仄めかすことは良策ではない。そこまで考えたところでふと、エリックの眉が上がり声が放たれた。
「ッティペット!!ノアという男を知っているか!!?」
エリック副隊長!とプライドは心の中で叫ぶ。自分以外にもまた気付いてくれた人がいたことに一瞬だけ抵抗が止まった。
アランも、その名前にハッと息を飲む。カラムもティペットの逃走経路計算の地図から一度視線を外し壁へと再び注目した。しかし、ティペットのいるであろう場所に変化はない。
ロドニーの目にもティペットの変化はない。ゆっくりと、しかし確実に壁へ向かってミシェルを運んでいく。そして自分は彼女の顔色まで認識できるほどの優秀な特殊能力ではない。変化もないティペットに、それでもエリックは呼びかける。今、自分にできることはそれしかないと歯痒さを覚えながらも、ノアからの話を思い返し言葉にする。
「お前の生まれ育った村の幼馴染みという男性だ!!今もお前を探して、ミスミの隣国であるラジヤの」
「ティペット!!!!!!!!!!!!」
エリックの高らかな発声をも上塗る声。裏返り混じった声はまるで女性の嬌声にも錯覚させた。
エリックの声に遮られ聞こえなかった螺旋階段の足音と共に部屋へと飛び込んだ。まさかの、新たな人物の乱入に騎士達も行動が早かった。飛び込んできた人物を受け止めるほどの速さで押さえつけ、二人がかりで締め付け拘束する。「何者だ?!」と剣を首へと瞬時にもう一人の騎士が突きつけたが、飛び込んだ男には見えていなかった。「ティペット!いるんだろう?!」と叫び、焦点の合っていない目で口を大きく開け喚く。
彼を知る者も、その登場にはすぐに声が出なかった。何故ここに、とその言葉を今言うべきかも躊躇った。プライドも息を止めて見入る中、彼一人が必死の形相で舌を回す。
「ティペット!!!?いるんだろう?!私だ!ノアだ!!覚えているだろう?!!!ずっと探してた!!ずっとずっとずっとずっとずっと!!!!君を!!!!」
あまりにも突如のことに、騎士達も取り押さえる以上のことができない。彼がティペットの関係者なのか、アダムの関係者なのか、敵か味方も判断がつかない。ただ一つ確かなことは、殲滅した筈の屋敷の人間ではないことだけだ。
唾を飛ばし早くも涙を浮かべて喚く男は誰の目にもまともではなかった。見えない筈のティペットを呼び、さも彼女がいるように呼びかける。しかし、その間もティペットの動きも速度も全く変わっていないことをロドニーだけが知る。壁に近付いている距離を数え声に出すが、それも喚く男の声にうわ塗られる。
「お願いだ!!連れて行くなら私を連れて行ってくれ!!私の方がずっと君の為になる!!君の為ならなんでもする!!私はっ私にはっ……」
駄目、と。プライドは思わず出かかった声すらもアーサーに塞がれた。首を振るだけで訴えても、自分の姿もまたノアには映らない。
叫ぶばかりで呼吸も怪しくなるノアは、そこで一度酸素を取り込まざるをえなかった。ゲホゲホと興奮し過ぎた咳き込みに、騎士が突きつけた剣が何度も首や頬を擦ってしまったがそれも何も感じない。今は、ここに辿り着けた幸福を思う。
彼女は見えないがここに居る、それだけで幸福に血管が弾み肺が拡張する。良かった、良かった、本当にどこまでもどこまでも追い掛けてきて良かったと心底思う。
もうティペットは、後ろ歩きのまま後頭部を壁と一体化させるほど近付いていた。ずるりずるりと、自分の名前を必死に呼ぶ男に顔すらも上げない。魂の叫びのようなノアの訴えも、彼女には何も
「私には〝傷を癒やす〟特殊能力がある!!これが君の役に立つなら奴隷でもなんでもする!!」
─ 優先事項が、切り替わる。
ピタリッと、初めてティペットの動きが止まったのをロドニーはその目で見た。今までどれだけ叫ぼうと呼びかけようとも反応をしなかったティペットが、初めて顔を上げ足を止めた。
直後には、ロドニーが言うよりも前にミシェルの姿が全員の目に露わになった。
ティペットに引き摺られる為に腕を持ち上げられた状態からぱたりと、そのまま壁に後頭部を小さく打ちつけた。ミシェルの姿を捉えた瞬間、アランが滑り込むような速さで彼を掴まえ抱き上げた。呼吸があるかと確かめるよりも先に、抱き上げた手のままに別方向へ振り返る。ミシェルが手放された理由など一つしかない。
─ 美声を囀る最上級奴隷から
先生!!と思わず慣れた呼び方で叫んだアランと、そして呼ぶと同時に手を伸ばし確保しようとしたカラムとエリックに、ノアは目も向けなかった。姿の見えない彼女が〝選んでくれた〟のだと目を恍惚を輝かせ両腕を開く。ロドニーが彼女の動きを大声で報告しきるよりも前に、それはきた。
高速の足を持つハリソンの指先が届く寸前。突き飛ばすだけでは足りない。掴まえそのまま屋敷の外まで自分が連れ去るか。それともこの場で始末するべきか。アランがロドニーの声がする方にミシェルを投げ渡すのを視界の隅に捉えたのと同時に、……ノアは姿を消した。
ハリソンの手をすり抜け、カラムとエリックを含む複数の騎士達が衝突するか寸前に避ける中にはもうノアはいなかった。どこに、と状況を正しく理解した騎士がロドニーに振り返るまでもない。自分達の立つその場で、自分達の誰でもない声が啜り泣きのような細さで聞こえ出す。
─ 主人の傷を癒やす力を持つ特殊能力者へ。
「嗚呼……良かったティペット……ティペット……あ゛あ゛……逢いたかった……逢いたかったよ……」
騎士達の集う中心で聞こえるその声は、まるで亡霊のようだった。
ロドニーの目には、二つの温度が綺麗に重なり合う姿まで捉えられたが口にするには躊躇った。涙混じりの濡れた声で、ひたすらに歓喜を呟く男の悍ましさが喉に引っかかる。抱き合っているのではない、ただ一方的に抱き締めているのだと目では確認できずとも確信した。
姿が見えなくなった二人の温度が、ゆっくりとしかしミシェルを運んだ時よりも遙かに順調な歩速で近くの壁へと進んでいく。それをやっと口にしたが、騎士の誰もが手の付けようがない。
「あああああ良かった……良かったぁぁ……。ありがとうありがとうありがとう……、……本当に本当にっ……会えた……!」
ニンマリと、顔は見えないのにノアの顔が笑んでいるのをプライドは肌で感じた。
何故、どうして彼がここに辿り着けたのかを確信してしまう。アーサーに口を塞がれずとも声が出なくなる。身を強張らせ、自分の身体が自分のものではないように錯覚する。
壁に消える間際、彼が初めてティペット以外に向けたその言葉が誰に向けられたか。
互いに姿は見えない筈なのに、ノアと目が合ったような感覚に全身の毛が逆立った。「待って」「いかないで」「先生」「ティペットは」その言葉全てが凍り付く。瞬きをやめてから何十秒何分か、乾ききった眼球が濡れていく。ロドニーの報告を聞きながら、彼らが今度こそ壁の向こうに消えていくのをただ聞くことしかできなかった。手足に力が入らず、あれだけ藻掻いていたのが嘘のように崩れていく。
抱き締めた腕の中でプライドの力が抜け、自分で立つ気力を失った身体が重くなっていくのに気付いたアーサーが何度も呼びかけたがもう頭に届かない。膝が落ち、手を床にぺたりと付け、さっきまでミシェルが自分を見上げていていたのと似た姿勢になる。紫の瞳が濡れたまま、何もない壁を見つめて離さない。
ノアの声が聞こえた、その先へ向けカラム達が騎士へ指示し動かすのも頭ではわかるのに希望を見いだせない。もう彼女も彼も、共に壁の向こうに消えてしまった。ティペットへ言葉は届かず、自分の望まなかった形でノアが再会し連れて行かれた。
反応のない彼女に、呼吸を確かめる為にアーサーの手が下ろされる。ジャンヌ、ジャンヌ、と聞き慣れたその名で呼ばれても何も感じない。自分は今、民を〝二人も〟救えなかったのだという事実だけが突きつけられる。
「どうしたアーサー」「ジャンヌさんは」「ご無事なのか」「ローランド説明しろ」「ロドニー今奴らはどこに」と。掛けられる騎士の声も聞き分けられなくなる。
まるで人形のように力なく座りこんだ彼女の視線が、落ちる。ぼたりと目から大粒が溢れたが何なのかわからない。ぼたぼたと見開いた目を潤すそれを嬉しいとも哀しいとも思えない。滲んだ視界が捉えるのは逃げられた壁から床に、下ろされた自分の手に、何もできずに護られるだけで見ていることしかできなかった無力な
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッ!!!!!!!!!!!」
第一王女の嘆きが、響き渡った。
Ⅲ227-2.224
本日4話更新分、次の更新は来週月曜日です。
よろしくお願い致します。




