そして慄く。
「お待たせしました姉君。先ほど僕の方に返事が来ました。母上達も今からお時間を空けて下さるそうです」
いつも通り黒縁の眼鏡を指先で押さえながらにこやかに告げるステイル様は、レオン王子とセドリック王弟に一言挨拶をしてから早速女王のいる部屋の方向を手で示された。
恐らくプライド様に報告に行く途中で、ステイル様に伝令係から声がかけられたのだろう。昨日の緊急事態も重なりお忙しいであろう女王ではあるが、やはり娘の帰還が気に掛かることもあるのだろうか。思ったよりも早々に時間を作ってくれたものだと思う。
女王としての完璧さ故か、あまり人間味の感じることは少ない陛下が、やはり娘のことは気に掛けておられることには勝手に安堵が下りる。今までも時折プライド様と親子らしいやり取りは見せられたことはあるものの、王族の親ともなると距離が近いとは思えない。貴族であってもそんなものだ。……昨日は、同室を拒まれたことに少なからず気落ちしているようにも思えたが。
ステイル様に促され、プライド様もゆっくりと腰を上げられた。
女王の執務室用の部屋へと向かい、セドリック王弟とレオン王子も共に途中までも同行を名乗り出られた。ふと目だけで振り返ってみればヴァルも壁際から足を動かしていた。今回の件で同行をしている彼だが、心なしか今日はいつもよりもプライド様との行動を気に掛けているように思える。ここ最近ならば、酒飲み仲間らしいレオン王子と共に別行動を取ることも多かった彼が、口数こそいつも通りの少なさだがプライド様の傍を離脱しない。
彼も、口には出さないだけで昨日のプライド様の件を気に掛けているのだろうかと考える。
階段を上がるプライド様に、ステイル様がそっと手を貸される。部屋の前まで付けば、ブライスとノーマンが見張りに立っていた。部屋の中にはヴェスト摂政も共にいることも告げられれば、自然に私達騎士全員が背筋が伸びた。
近衛騎士を通し入室の許可を受け、プライド様とステイル様だけでなく私達護衛の騎士全員、更には廊下までと身を引こうとされていたレオン王子とセドリック王弟も許可を得た。
ヴァルも許可を得たが、明らかに酷く不快に顔を歪めていた。そういえば彼は隷属の契約がある。王族の前では礼を尽くすように命じられている。例外の王族もプライド様を含め数名いるが、女王と摂政は例外ではない。
プライド様もヴァルが許可を得た途端、ハッとしたような顔で振り返られた。冷や汗を流しながら口元をヒクつかせ慌てた様子で「ここで待っていて結構です!」と許可を告げられたが、……珍しいことに、今回はそれでも同行を選んだ。
無言で不快そのものの表情を浮かべるヴァルは、開かれた扉の先でプライド様を始めに我々の一番最後で入室した。その後は我々から離脱し、扉に最も近い壁際で無言のまま片膝をついた。
これにはアーサー達だけでなく私も自分の目が丸くなるのがわかった。彼が片膝をついたことではなく、それでも同行したことにだ。それほどプライド様を按じているということだろうが、態度に見せるのは珍しく思う。深くは知らないが、彼はセフェクとケメトそしてプライド様の為であれば普段は考えられない行動をすると密かに思う。
先頭にプライド様、ステイル様。そして少し離れた位置にセドリック王弟とレオン王子。そして壁際に我々騎士が控える中、プライド様自らが貧困街での一件を報告される。
やはりエルドとホーマーのことは省いた上での説明だ。予知した民を見つけその保護と、更に今奴隷収容所にも同じく予知した民がいることが判明したと。そうプライド様から語られれば、威厳に溢れた女王の整った表情が僅かにピクリと頬の筋肉が動いたように見える。眉も少し釣り上がったのではないだろうか。隣に立つヴェスト摂政も、柔らかな眼差しを険しく細められていた。
最上層部が怒るのも当然だ。我が国の民がやはり一人既に奴隷として捕らえられているだけでも不愉快だろう。そして今は我が国は異を唱えて良い国家間の条約が存在している。
「事情はわかりました」と告げる女王は、ヴェスト摂政と目配せするまでもなく優美な唇で笑まれた。その笑みにすら威厳が溢れておられる。
「これから貴方達はその収容所へ向かうつもりということですね」
「はい。予知した民かこの目で確かめる必要もあります。私は侍女のままですが、件の発明があります。騎士達と共に行動すればまず気付かれないでしょう」
「僕が第一王子として訪問し、注意を惹こう思います。フリージア王国の王族が宿を取っていることは周知でしょうし、我が国ではもう国外であろうと奴隷は見逃されるべき存在ではありませんから」
プライド様の言葉に続き、ステイル様からそのまま先の策までが女王に語られる。あくまでプライド様は侍女として身を潜め、そして私達騎士から離れないと。相手の注目を浴びるのはステイル様や我々騎士が引き受けると説明される中、策の最後まで言い切る前に一度ステイル様の言葉が止められた。「待て」と低めた声で制止をかけたのは、ヴェスト摂政だ。
許可を得るまでもなく発言する女王の片腕は、眉を狭めたままではあるが声は平坦だった。いつもと同じ水面のような静けさだ。
「ステイル。お前はプライドと共に行動し離れないのではなかったのか」
「!お待ちくださいヴェスト叔ッヴェスト摂政。これは私の方がステイルにお願いしたのです」
叱責にも似た口調に、ステイル様の肩が揺れられた。先ほどまでの落ち着いた表情が、今は僅かに無に返る。唇を結び、見開いた目はやはり今の言葉を叱責と受け取られたのだろう。
確かに昨日、ステイル様は今日の行動でプライド様から離れないということも条件に含めて共に外出を許されていた。しかし、あくまで目的地は同じでその中での別行動だ。ステイル様の中では離れるに値しなかった部分もあるだろう。ただでさえ瞬間移動という距離を無に帰する特殊能力だ。プライド様とは合図で繋がってもおられる。
しかし恐らくではあるが、瞬間移動はまだしも〝合図〟については女王もヴェスト摂政も知っておられない。
ステイル様が秘密を全て明かしている相手などアーサーぐらいのものではないだろうか。そして知らないからこそ、今の策はステイル様が昨日の約束を反故したようにも聞こえる。
慌ててプライド様の一歩前に出てステイル様を庇われる。実際、この提案をした際にステイル様からは離れるわけには、離れたくないのですがと苦言もあった。しかしアーサーとは決して離れないという約束の下、頷かれていた。
我々騎士だけでは、警戒されるどころか理由を付けて門を通されず、時間稼ぎをされる可能性もある。セドリック王弟もレオン王子も今日は外出ができない中、残された動ける王族はステイル様だけだ。もしくはアーサーも聖騎士としてならばできるだろうが、……彼にこういうのは向いていない。
数秒の沈黙が流れる中、フリージア王族の会話にセドリック王弟もレオン王子も入れずに姿勢を正すばかりだった。目配せすらも今は安易に許されない。
最初に動いたのは、女王だった。静かな笑みを維持したまま白い手をそっとヴェスト摂政の前に伸ばし、止める。「そこまでに」という意図を飲んだヴェスト摂政が一礼をすれば、そこで再び陛下が発言を始められた。
つまりは、と。ステイル様の想定される策を確認されてから、今度は威厳に覇気も混じらせた笑みだった。
「ヴェストの意見も尤もです。ステイル、貴方は昨日私達に約束をしましたね?」
「仰る通りです、母上。……申し訳ございません」
ステイル様の低頭も通常より更に深い。プライド様もそれに顔色を変えられた。何か言おうとされたのか口が僅かに動いたが、それよりも先に陛下の発言が続く。
「ならば、もっと良い人選がいるではありませんか」
は、と。ステイル様と、そしてプライド様の息の音が近く重なった。
ゆるやかな女王の声にお二人が視線を上げられる中、ヴェスト摂政は口を閉じたまま溜息に近い息を吐かれるのが肩の下がり具合でわかった。同時に頷きも見せれば、恐らく陛下の考えも察しておられるのだろう。それとも、陛下がヴェスト摂政の意向をくみ取られたのか。
人選、という言葉に私も思考を巡らすが、すぐには思いつかない。まさかここまで来てやはりレオン王子やセドリック王弟を巻き込むとも思えない。ステイル様もプライド様と共に行動するというのならば……と、一瞬嫌な予感で近くに立つ騎士に目を向けてしまう。本人はぽかんとした顔だが、私だけでなくアランとエリック、ロドニーそしてハリソンまでもが全員同じことを考えたのであろう彼に目が向いていた。騎士隊長である私やアランも不可能ではないが、相手はただの奴隷商ではなくこの地一番の規模の収容所だ。恐らく領主も絡んでくる中で聖騎士の
「ヴェスト。同行を頼めますか」
「女王陛下の御命令とあらば」
深々と優雅に女王へ礼をしたヴェスト摂政に、恐らく全員が言葉を無くしただろう。なっ……と、少なくともステイル様は声を漏らしプライド様は背中を反らされた。
優雅な笑みをヴェスト摂政ではなく、プライド様とステイル様へと向けたままの陛下は、どこか反応を楽しんでおられるようにも見える。確かに、ステイル様ではなくの代理として……いや代理以上の存在だ。この国の摂政、最上層部のお一人だ。
まさかのここで、聖騎士よりも遙かに国家間の政治上脅威になる人物を采配された。
女王が有無を言わせない笑みのまま、絶句する王女王子にそこでクスリと音を漏らされた。プライド様の返事を聞かずとも、ヴェスト摂政が合意した時点で決まりなのだと、女王の一挙一動全てがこの場を支配し物語る。
「騎士隊と、ヴェストの護衛にはロデリック騎士団長も付けましょう。どうですプライド、ステイル。これでは心許ないと言うならば遠慮はいりませんよ」
「いえ……とても、心強い……です……」
「ありがとう……ございます……」
騎士団長……!!
恐ろしい追撃に、私達まで緊張が全員に走る。息を飲む音がハリソンからも聞こえた。見れば、……目が輝いている。そういうところは前向きで羨ましい時がある。
まさかの摂政に続き騎士団長まで挙げられれば、プライド様は更に声を枯れさせた。ヴェスト摂政が出た時点でぴしりと背筋が張り詰めたステイル様と比べ、プライド様は加えて騎士団長の名に半歩足が逃げかけていた。しかしもう我々も不憫に思う余裕はない。
その存在を掲げられるだけで動悸と共に奥歯を噛み締め、姿勢を正し指先まで張り詰める。
「愛しい我が子達。必ず無事で帰ってくるのですよ」
これは命令です。
そう響かせる女王陛下の声に、一瞬この場が謁見の間であると錯覚する。第一王女第一王子が見事にねじ伏せられた。
優美に笑む陛下の、女王として……いや。女王とそして母親の確固たる意思を垣間見た。
民の奪還と、そして我が子の身の安全の両立を。




