Ⅲ243.来襲侍女は始める。
「本当に大丈夫ですか?」
そう、心配そうに落とした声色で尋ねられたのは今日だけで何回目だろうとプライドは考える。今朝から同じ返事をしながらもとうとう苦笑が混じってしまう。
無事に朝を迎え身支度も万全な今、残すはステイルの手によりいつもの宿へ瞬間移動するだけという状況だ。
しかしそんな中でも最終確認のように「もう少し休んでからでも」とステイルに尋ねられるプライドは「大丈夫よ」と小さく手を振った。こうして心配されるのも当然だと誰よりも自分が思い知っている。
今朝、王女人生としては珍しい寝坊をしてしまったのだから。
仕方ない、と自分ではプライドは思う。昨日は強制入眠も含め余分に睡眠を取っているが、昨夜ベッドで寝付いたのは深夜よりも明け方に近い時間帯だった。しかし今まで寝る時間が遅い時や睡眠時間が浅いことがあっても、珍しかったプライドの寝坊は彼女の異常とみなすには充分だった。
専属侍女のマリーとロッテも、カーテンを開けてもどころか声を掛けても、揺さぶっても目を覚まさないプライドに二人で顔を見合わせた。目覚め一番に「体調が芳しくありませんか」と声を掛けた彼女達の言葉に、プライドも時計を確認すればサァッと顔色が変わった。寧ろがっつり眠れた感覚が心地良かったですと言えるわけがない。
目覚めのスタートダッシュが遅れたままに身支度を始め、ステイルや近衛騎士達を部屋の前で予定よりも五分近く待たせてしまった。
プライドの様子が昨日から気に掛かっていた騎士もステイルも、その遅刻ただただ彼女の不調を按じた。「お待たせしてごめんなさい!」と言われた時の慌てようからは、想定以上に声に張りもあり血色も良かったことだけが幸いだった。
出発前に女王と摂政へ挨拶に向かえば、その二人までも当然のように身支度を済ませて自分を迎えたことが余計プライドの胃に負荷をかけた。騎士の目もある以上寝衣とは思わないが、外出しない予定の二人が身支度を済ませている中、外出すると大口叩いていた張本人である自分が一番の寝坊者だということが際立った。
更には、女王の母親から「昨夜は休めましたか」という問いに続き叔父であるヴェストから発せられたのは
『昨夜のせいか』
いつにも増して探るような低めた声に、プライドは心臓がひっくり返るところだった。
ぎくっっ!!と正直に肩が上下し、胸を押さえながら表情も引き攣った。昨夜、廊下に控えていた騎士達も王族を起こさないように最小限の騒ぎにはしていたが同時に侵入者疑惑に騒がないのもまた無理な話だった。プライドとローザと同じ階であるヴェストの部屋まで直接報告とは言わずとも少なからず波風の余波は届く。
あんな深夜まで起きていたなんて!と思うプライドだが、実際に起きていたのはヴェストではなくローザだった。
昨夜プライドの事が心配で、更には頼って貰えなかったことに落ち込み、夫であるアルバートだったら頼って貰えたのかもしれないのにと自己嫌悪に陥りつつ頭を悩ませていたローザは結局ベッドで枕にも落ち着かず毛布に包まったまま悩ませ続けていた。そうすれば隣であるプライドの部屋から物音と、そして騎士の騒ぎまで聞こえれば飛び起きるしかない。
女王である自分が起きてきたと知られれば更に大ごとになることも自覚していたローザは、温度感知の騎士の目も考え、扉や壁に耳を立てるわけにもいかなかった。結局ベッドに座った体勢のまま、必死に耳を立てていれば聞こえたのは隣の部屋からよりも騎士達の「配達人?」「どうやって」「プライド様がお呼びになったらしい」という会話と、…………最終的に聞こえたプライドの笑い声だった。
こんな夜更けに、異性である配達人を部屋に呼ぶなど!!と流石に慌てたローザだったが、しかし今日起きたことを思い返せば何か考えがあってのことかとも過った。
個室を望んだのも、秘密裏にその配達人に何かを依頼する為だったのかしらと思い、騎士の温度感知の特殊能力を信じた。結局は騎士が止めに入る様子もなく、プライドの笑い声から間もなくして配達人は去ったらしいという旨だけは聞き取れた。結果的にプライドが寝付いた時間より遙かに後まで寝付けず娘の考えも読めなければ、配達人との言えぬ関係まで想像を膨らませたローザは実際宿泊者の中で睡眠時間が一番短い。
それをおくびにも出さず、今はただ化粧で釣り上げた目を真っ直ぐプライドへ向ける。騎士達護衛の前だからこそ落ち着き払った優雅な笑みで済ませたが、それでも娘であるプライドにははっきりとその金色の瞳が「どういうことかしら???」と明確に物語っていることを理解した。
視線がちくりと感じて振り返れば、ステイルだけでなく騎士達の目もまたただならないとプライドは無言で気付く。
昨晩のことを怪しまれているのだろうかと考えれば、それ以前に見張りの騎士には配達人の侵入が少なからず知られている。騎士団ネットワークで近衛騎士達の耳まど伝わっていてもおかしくないと遅れて理解する。もともとプライバシーを代償にした安全という名の絶対包囲網だ。
プライド自身、変に口止めをして騎士達に疑惑の目を向けられたくない為に口止めもしていない。
しかし実際、近衛騎士達の耳に情報は回っていない。プライドのことが気に掛かり、すぐには寝付けなかったアーサー達だが騎士として不眠には慣れている。夜明けに近い時間になれば、睡眠時間関わらず目も覚めて準備も早めに済ませていた。
交代でプライドの見張りを行っていた騎士達とすれ違うこともあれば、外で出くわすことも、騎士の待機部屋で聞くこともある。当然ながら昨夜のプライドの様子が気になったままに尋ねたが、騎士達は誰もが〝異常なし〟と〝遅くまで起きておられるようだった〟しか報告しなかった。
昨夜プライドの部屋に配達人が〝呼ばれ〟話をしていたと。その事実を知る者は騎士団の中でも、当時見張りに立っていた数十人と騎士団長のみである。
温度感知の騎士による何も疚しい様子はなかったいう証言、プライド本人からの無事であるという証言、そして配達人もそのまま部屋を去ったという証言も、全て騎士団長であるロデリックに報告された。
婚姻前の王女であるプライドに対しあまりの人選に深く長い溜息を吐いたロデリックだが、プライドと配達人が親しいことはもう今更だ。隷属の契約による安全装置と、プライド自身に何か考えがあるのならばそれを自分達が邪魔するわけにもいかない。
彼女一人が動くのならば止めるのが騎士である自分達の役目とも思うが、彼女が配達人というどこの部隊にも所属していない人間へ秘密裏に指示を出して自分の代わりに動かすのならばそれを止める権利はない。自分達は王族を守る立場ではあっても管理する立場ではない。
王族の内密な動きを逐一聞いては全て共有しては、信頼にも関わる。傍で護衛させて貰っている立場として、情報漏洩は決して許されない。
頭を痛めたロデリックから外での見張りは宿の壁にも厳重に注意を払うことと、変な噂が立たないようにと騎士達に口止めもされた。……が、アランとカラム、エリックそしてアーサーには少なからず不穏は感じ取れていた。
夜見張りの騎士達に尋ねれば、同じ騎士として肌感で伝わる部分はある。昨夜何もなかったわけではない、という形にない不安を抱くには充分だった。アーサーに至っては、尋ねれば尋ねるほどどの騎士からも表情に違和感を覚えてしまう。絶対何かあったろと思うのに、具体的に話されないのが余計に不安をかき立てられた。
少なくとも事件になるほどのことであれば、プライドの意思に関わらず騎士団でも情報共有はされる。しかし、そうならないということは害のある事態ではなかったということだ。しかし、昨日のプライドの状況を思い出せば、魘されていたでも泣いていたでも充分に近衛騎士達には重くのしかかる。昨夜部屋に一人でいた彼女の心情を思えば、楽観視などできるわけもない。
唯一、情報を知らないステイルも、ヴェストの発言に「どういうことでしょうか」と聞きたくて一歩足が前に伸びかけた。
しかしプライドから「いえそんなことは……!!」と首を激しく振られればそれ以上の追及も難しくなる。同階のヴェストが把握している程度で、しかしここで情報開示と共有がされない、昨夜自分は目を覚まさなかった程度の事態となればやはりいくら考えても小事しか予想できない。
「それではレオン、セドリック。行ってきます。二人とも巻き込んじゃってごめんなさい。今日はゆっくり休んでね」
「何を言う。むしろ共に動けずすまない」
「僕らのことは気にしなくて良いよ。君こそ本当に無理はしないで」
母親達への挨拶も終わり出発を前に、ステイルの手を取る前にプライドは改めて向き直る。
専属侍女のロッテとマリー、騎士達だけでなく見送りの為だけにレオンとセドリックもプライド達の元へ足を運んでいた。今日はフリージア王国女王の強い希望により、安全な宿での待機に決まった二人だが、せめて見送りくらいはしたかった。プライドの心境が少しでも軽くなることに今できるのは全てしないと気が済まない。一番恐怖の中にいる筈の彼女が再び街へと身を投じるのだから。
プライドも、二人が見送りに来てくれたことはそれだけで胸が温まった。彼らが安全な場所にいてくれるだけではない、彼らの顔を見れるだけでもほっと息が漏れる。
昨夜の騒ぎを知らないセドリックとレオンの表情はただでさえ自然体の笑みそのものだった。自分のことを心配してくれていると理解した上で、それでも笑んでくれる彼らにプライドも心からの笑みで返した。
今日は宿に残る間、レオンとセドリックでも改めて予知した民について、ノア、ティペットについて今後の検討を騎士団長と共に行う場と許可もステイルが昨日のうちに得ている。自分達と離れた場所で、その三人が検討してくれることがまた心強い。
ありがとう、と二人からの気遣いに言葉を返すプライドはそこでステイルの手を取った、その時。
「昨夜は寝れなかったかあ?主」
「ッッ少しは寝ましたけど?!」
不意に、さっきまで眠そうに欠伸を溢していたヴァルからの白々しい発言に、プライドは勢い良く振り返る。
レオンやセドリックと違い、行動を共にするヴァルは自分と同じくステイルに瞬間移動される側に立っていた。今まで良くも悪くも無言だったヴァルが、急に口を開いたと思えば昨晩のことを仄めかすような言い方をしてくることにプライドの目がつり上がる。昨日夜更かしした相手にだけは言われたくない。
ぷんすかと鼻の穴を膨らませ唇を尖らせるプライドに、ケラケラと笑っていたヴァルも顔を向けられたところでニヤニヤと笑みを変えてきた。プライドからも命令を受けているお陰で誰にどう突かれようと自分の口から言う心配がない分、彼女をからかうことだけを満喫できる。
プライドからのお怒りに「そりゃあ何よりだ」と笑い混じりの声で返し、軽く手を振った。あんな深夜まで起きていた時点で、彼女の睡眠が浅いことに自分の責任はないと思う。むしろここで寝れなかったと答えられたらもう少し弄ってやろうかと思った分、寝れたのならばとそこで満足した。
時間など関係なく、眠るという行為に入れたたどうかで体調も精神も天地の差であることはヴァルもよく知っている。寝不足なのは結果として、お互い様だ。
あの格好について一回くらい弄ってば良かったと思ったが、もう言う機会がないのもつまらないかった分ここで突いてやりたい部分もあった。
人の恥ずかしい弱味を握ってニヤニヤするヴァルに、ここで「貴方こそ寝れたのでしょうね?!」と言いたい気持ちをプライドはぐっと口の中に飲み込み我慢する。
そんなことをしたらステイル達に勘づかれることは間違いない。深夜に一人に進んでなったにも関わらず、怖くて眠れずヴァルに弱音を吐いて泣きついたなど言えるわけもない。そんなことを言ったら、昨晩我慢してまで今日の捜査に繋げた意味がなくなってしまう。
「ッ行きましょう!」
代わりにとステイルの手を強く握り締める。
予想を遙かに超える力強いプライドの手の強さに、ステイルは思わず肩が上がる。今朝までずっと、この触れる彼女の手が震えていたら自分はここで瞬間移動するのを躊躇うかもしれないと考えていたのに。
怒りに任せてとはいえ、プライドの手のひらはしっかり強くそこに震えはない。日々の稽古で鍛えられたステイルの手がプライドの握力に痛みを感じることはなかったが、それとは別に右手全てが熱くなった。驚きよりも安堵が勝り自分の手の平の方で微弱に震えてしまいそうになりながら、ステイルは気付かれる前にと左手で先にアーサー達へと手を伸ばす。
最初に温度感知の騎士を含めた近衛騎士達を瞬間移動させた。昨日の騎士とはまた別の騎士だ。前のままでも良かったプライドだが、ステイルから違う騎士を依頼しましょうと説得された。
前回の騎士は温度感知の精度や範囲などの特殊能力自体は騎士団で一番優秀な騎士だが、今回は特殊能力よりも騎士としての実力を重視した騎士である。
最後に、非協力的なヴァルに一声かけ手の届く距離まで来させた。ヴァルの肩をやや乱暴に掴み、そしてプライドの手を取ってから改めてステイルからもレオン達へ礼をする。
「お気を付けて」「プライドをよろしくね」と協力者二人にも見送られ、そこでプライド達の視界は切り替わった。
「……では〝ジャンヌ〟。この後の予定ですが、どちらを優先するかは決まりましたか」
貴族として宿泊した宿に瞬間移動ところで、ステイルからの言葉も切り替わった。
「失礼します」とプライドが額に装備していたネイトのゴーグルを促すまでもなくそっと彼女の目に掛けさせる。既に宿についた時点で、アーサーとカラム、アランも一番に装備したゴーグルだ。サーカスで一度は注目を浴びた以上、自分達一人でも注意を受ければプライドを含めた全員が認識されることになる。人数が多い分、目立つ危険性には重々気をつけなければならない。ネイトから大盤振る舞いされた分、回数が減ればまた新たなゴーグルを身につける。
プライドのゴーグルを丁寧な手つきで付けさせてから、自分も眼鏡を外しゴーグルを付けるステイルにプライドもすぐに理解し頷いた。今日は予知した民の捜索に集中、寄り道は一箇所のみというローザからの指定はたとえ監視下から離れたとはいえ破るわけにはいかない。
明日には朝からミスミへの移動が決まっている以上、今日が実質の最終日にきり上がった。女王の命令で近衛騎士も買い出し等必要に応じて抜けられるのは一人のみ、残り四人は片時もプライドから離れてはならない。
朝食の時間を惜しんで活動時間を早めたプライドだが、代わりとなる朝食を持たされている。エリックが持つ人数分の軽食で、少なくとも朝食は市場で買い物する必要もなければ食料調達の為に騎士が市場へ離れる必要もない。
今朝から決めていたプライドから、行き先を告げられればステイルは少し息が詰まってからすぐ引き締めた。「本当にそれで良いのですね」と従者に対してらしい言葉に直しながら、確かめる。それに迷わず答えるプライドは直後、するりと視線をステイルから騎士の一人へと流し向けた。
「代わりに─……」
指名された騎士が両眉を上げ、しかし直後にははっきりと通る声で応じた。
彼女が動かない分、騎士である彼らが賄うのは当然だ。プライドと離れることへの躊躇いは生じても、それ以上に彼女がより安全な行動を選べることに重きを置く。他の騎士達も頷く中、そこで行動はもう決まった。
行きましょう、と。プライドから落ち着いた笑みで部屋の扉へ促せば、その足取りに続き宿を出る。
「そういえばフィリップ様。今日、彼の誕生日だったわよね。私、今朝思い出して……」
「帰ったら今日の分しっかり祝いましょう」
まるで昨日のことはなかったかのように不思議と調子を取り戻していて日常話まで投げかける彼女とステイルの会話に、誰も水は差しはしなかった。




