表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

blood



世界が誕生したとき、アルディナと呼ばれる神柱が生まれた。

大地を創造する、自我を持った最初の生命でもあった。


大地が星を覆うと、水が流れ、野が茂り、雷鳴が轟き、炎が燃え盛り、風が吹いた。

アルディナは世界の父であり、母であった。

アルディナが世界の破片かけらを生み出すたび、それらは命を与えられていた。


しかしアルディナは孤独であった。

胸の渇きに苛まれていた時、風の精霊王はアルディナに囁いた。


ーー我々は貴方様に造られ、守られ、何にも侵されず、世界を安定に導く為の規律はあろうとも、心はどこまでも自由なのです。

創造主とは何故、孤独でなければならないのでしょうか。ーー


アルディナは淡々と風の精霊王の言葉を聞いた。

空虚はアルディナを蝕み、無機質なその双眼の奥には無が広がっていた。


ーー創造主よ、我らが起源よ。貴方様無くして世界は回りますまい。

どうか、貴方様だけの守護者をお造りになりますよう。ーー


風の精霊王が去ってから10日を待って、アルディナは夜空に向かって口を開いた。

言葉を紡ぐと、星が一つ流れた。

星の軌道はアルディナへと向かって落ち、はでると再び辺りを静寂が満たした。


弾けた光の中から現れたのは、星屑を纏うような銀色の毛並みの一匹の狼であった。

狼はアルディナの足元へ擦り寄ると、当たり前のようにその隣に居続けた。






*****






「……ど、こだここ……」


今日に限って欲しい薬草が見つからず、無心になって探すうちに今まで一度も足を踏み入れたことのない山奥まで来てしまった。

木々が惜し気なく生い茂り、光が届きづらいせいか薄暗い。

何故か寒気を感じる場所で、女は小さく身震いをした。


「……仕方ない、今日は諦めるか」


ポツリと一人言を呟いて回れ右をする。

眉を八の字に下げ、天を仰いだ。落胆から頭をかくと、どこかでくっ付けてしまっていたらしい葉が、乱雑に切られた短髪からふわりと落ちた。


女は誰も寄り付かないような人里離れた場所で、もう何年も一人暮らしをしていた。

つまりそれだけの年月をたった一人で生活しているため、人と言葉を交わすなど遥か昔に置き忘れたもの。

女にとって言葉を発するという行為は、人としての最低限を忘れない為の戒めでもあった。


草の背丈は高く、女の腰あたりまで茂っている。

小動物が木を伝った。巣穴に身をひそめる動物は一匹では無かった。

女は目を細め、気配をたどる。

遠くからこちらへと逃げてくる鳥が、連なる木々の隙間から見えた。


〝山が怯えている〟


女はすぐさま下山を開始した。

それは自然と、時折姿を現わす動物たちと同じ針路となる。


ようやく見知った風景に辿り付いたその時。人の気配など無い場所で突如、草を踏みつける音が響く。

動物にしてはあまりに大きく、女は警戒しながら音のした方へそろりと視線を向けた。


もう一つ音が鳴る。

それと同時に、草を掻き分けて大きなものが現れた。


〝人狼〟


女は心中でそう呟いた。

2メートル近いであろう身長に、褐色の身体は筋肉質で逞しい。闇夜のような漆黒の長髪の下に見えるのは、鋭くも美しい、惹き付けて止まない端整な顔だった。

そして彼は、人には無い、髪と同色の狼のような耳と尻尾を持っていた。


女は目を奪われた。

これほどまでに美しい人狼を見たことがあっただろうか。


クレアシオンの街にも人狼は溢れている。世界は人間が7割、人狼が3の割合で生息していた。

人ならざる者と言っても、彼ら種族は限りなく人間に近かった。言葉も話すし、学習もする。地球上の生命で、人と人狼のみが思考を与えられていた。


違うところといえば、彼らには獣としての習性・身体能力があるということ。

それとその、人間には無い動物のような耳と尻尾がついた外見だった。


しかし目の前の人狼は、今まで出会ったどの人狼をも目劣りさせてしまうほどの空気を漂わせていた。

清廉とした、深い闇のよう。

何ものにも侵されることなど無いというように、女と対峙する人狼の身を包む空気はどこまでも澄んでいた。


予期せぬ素晴らしい出会いに、女はキラキラとした瞳で人狼を見つめた。

久しぶりに言葉を交わせる者に出会えたという理由も上乗せで、若干迷子になっていたことも頭の中から忘れされるほど気分は高揚していた。


「ほれほれ、こっちおいでー」


手をヒラヒラと振って、人狼に自分の方へと来るよう促す。

まるで小さな動物にするような動作に女は、はっと我に返る。あまりの嬉しさに対応がおかしくなっていた。


「これはやっぱ違うよね」


ははは、と気の抜けるような笑い声をもらして、様子を伺うように横目で人狼を見た。

しかし人狼は来たときのまま、冷たいほどの無表情を貼り付けたままだった。


その様子に女はコトリと首を傾ける。

こうやって対峙したものの、何のアクションも見せない人狼にどうしたものかと悩む。


女は、うん、と一つ頷く。徐に人狼の方へと足を向け、ゆったりとした動作で歩み寄った。

一歩一歩近づくのに比例して、人狼の瞳は鋭利なものとなる。

それに気付いているはずなのに、女はあと1メートルという距離まで近づいた。


「ええっと。社交的に……だよな」


自分にしか届かない程度の声量で女は自分自身に言い聞かせる。

人狼はピクリと耳を震わせた。


コミュニケーション能力が底辺である彼女が導き出すのは、到底最善とは言い難い交流方法であろうというのは目に見えていた。

ここはまず握手だろう。

そのよく分からない結論に至った女は、人狼に手を伸ばそうとした。

だがそれは、強烈な痛みと共に返ってくる。


女は人狼によって、したたかに地面へと縫い付けられた。

草がクッションになっているとはいえ、力任せに倒された体に鈍い痛みが走った。

突然の衝撃と痛みに思わず呻くも、人狼が手を離す気配はない。爪が食い込むほど押さえつけられ、女の上に馬乗りになった人狼からは威嚇の唸り声が発せられた。


人狼の鋭利な爪が白くて細い肩を傷つける。

滲む血は質素な服を徐々に赤色に染め上げ、どろりとした色合いを浮き立たせた。


痛みに支配されているにも関わらず、女は褐色の腕から人狼の顔へと静かに視線を移動させた。

未だ拘束の力は緩まず、瞳は射抜くように女を睨み付けていた。


女は人狼の様子に何かを感じ、彼の体を出来うる限り見渡す。

すると人狼の脇腹に切り裂かれたような傷を発見し、一瞬瞠目した後また人狼の顔を見つめ返した。


「大丈夫。僕は何もしないよ」


大丈夫。大丈夫。


それだけを何度も囁き、痛みに耐えながら女は微笑んだ。

安心させるまで、いくらでも。

何かに怯えているであろう、この人狼に。


幾らか経って、女を食い入るように見つめていた人狼の瞳から鋭さが消えていった。

表情はあまり変わらないもの、その切れ長な瞳は何よりも彼の感情を雄弁に語ってくれていた。


そろりと離れた大きな身体。

探るように伸ばされた人狼の手を無視して、先ほどの事など無かったかのような身軽さで女は上体を起こした。

人狼の表情を読み取って、笑む。


「よしよし、いい子だねー」


思わず人狼の頭を撫でた。

自分よりいくらも大きな身体をしていても、女には人狼が小さな子供に見えて仕方がなかった。


自分の頭を撫でる暖かい手に、人狼の瞳が僅かに揺れる。

成されるがままに気持ちよくなっていると更に頭を撫でてくれる彼女に、手を伸ばしやすいよう少し体を折った。


「あ、ちょっと君、座ってくれるかな?」


女の言葉に一瞬躊躇するも、人狼は言われるままにその場にちょこんと座る。


「いやいや正座じゃなくて、足を伸ばしてくれると嬉しいな」


こうやってさ、と女も足を投げ出しながら座って見本を見せる。

ちらちらと自分と彼女とを見比べながら、人狼も同じように座った。


「はい、偉い。そのままじっとしててね」


そう言って女は持っていたバックの中から薬草を選び出すと、腰回りに付けていた道具で煎じ始めた。

人狼は興味津々といった様子で少し身を乗り出して見ている。


薬草がペースト状になると人狼の服をたくし上げ、右脇腹の傷口に塗り付ける。清潔な布を当て包帯を巻きつけ終わる頃には、薬草の色が中から滲み出て包帯を染めた。


「……よしっ。この薬草は傷に良くきくから、しばらくすれば痛みも消えるよ」


手当てされた傷口を見ている人狼の様子に女は息をつくと、道具を片付けて立ち上がった。


「僕はもう行くよ。次は気を付けなきゃ駄目だよ」


女はいきなり「握手」と言って人狼の手をギュッとにぎる。

人狼が不思議に思う前には、女は踵を返して歩き出してしまった。


彼女が背を向ける瞬間、自分の手に触れた女の掌が赤く汚れていたのを人狼は見逃さなかった。

その血は人狼自身についていたもの。

血の正体に気付くと、人狼は首を絞めそうなほど勢い良く女の服の襟を掴んだ。


人狼の手を汚していたのは女の肩から出た血液。

それを拭き取るだけ拭き取って、なに食わぬ顔で帰ろうとした彼女に人狼は思わず引き止めていた。


「うんっと、どうしたの?」


変わらない笑顔を向けてくれる女に、人狼は体の中から熱いものが込み上げてくるのを感じた。

一旦顔を伏せると、女の傷ついている方の肩を恐る恐る触り、傷口に舌を這わせた。


「……おっ、おいっ」


あたふたする女に気付かず、人狼は女の血の最後の一滴まで一心不乱に舐めとった。

傷口からはもう血は出てこない。

それを確かめてから、人狼は彼女を見下ろした。


「……そんなに泣きそうな顔をしなくても、僕は大丈夫だから」


ありがとうね。

そう言った女に人狼は更に泣き出しそうになった。


困った女は、また人狼の頭を撫でてやる。今度はわしゃわしゃと豪快に。

乱れた髪でポカンと見返してくる人狼にホッと胸を撫で下ろすと、女は人狼にお別れを告げてから今度こそその場を後にした。


つもりだった。

あれから、自分の家へ戻ろうと女は下山していた。

何故か後ろから一定の距離を保って付いてくる足音を聞きながら。

足音は気配を隠そうともせず、でも決して追いつく様子もない。

このまま気付かないフリをしているわけにもいかなく、女は足を止め後ろを振り返った。


「まだ僕に用があるの?」


人狼は何も言わない。

いや、その瞳は彼の言葉を何より代弁してくれているのだが。


女はため息をつくと、何かが吹っ切れたように笑顔をみせた。

今日の夕飯は二人分作らなければならないな、と考えながら。


「君も、来る?」


言えば、僅かに動揺を見せたものの歩み寄ってくる人狼。

豊かな尻尾が左右に揺れていることに、女は声を上げて笑った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ