09 - 齟齬
――問える知識と、得られる立場は、身につけたはずだ。
とある部屋の前でたたずんでいる少年は、自身にそう言い聞かせる。すでに数十回、言いきかせを行った内容ではあるのだが。
中に踏み入れずに数分立ち尽くし、手先をドアへと向け、しかし離してためらう。
いつもと同じ行為のはずだとも、少年は自問する。日々の仕事と同じように、ただドアを叩けばいいだけのはず。
だが、いつもと異なる部分がある。
日常は、少年自身の望みではなく、部屋主の求めに応じてドアを叩く。
今回は、その逆。部屋を叩く主体は、少年自身なのだ。
そして、部屋の主に出会えば、少年の望む答えと合わせ、大きな変化が訪れることは間違いなかった。
――惑う。その変化に、はたして自分は耐えられるのだろうかと。少年は、ふるえる。
だが――覚悟したからこそ、少年は今、ここにいる。
意を決して、ドアを叩く。
返答はいつもどおり、あっさりと返ってきた。目的の相手は、なかにいる。
あとは、自分の決断だけ。
「失礼します」
入った部屋の中央には、紳士がソファに座っていた。ドアの方に視線を向け、誰かを待つようにくつろいだ姿勢で。
――まるで、少年が来ることを知っていたかのような振る舞い。なんの約束もしていないというのに。
その態度に、少年にとっては不可解で不快な感触を受ける。先日のメイドの謎かけの時も、同じ気分になったことを想いだす。
(……待っていた、のか?)
見透かされたかのような態度に、少年は入り口で固まってしまう。
ためらう少年を導くためか、紳士は口を開く。
「入りたまえ。そう、硬くなることもない」
対面のソファを勧められ、少年は静かに腰掛ける。
少年と紳士がこうしてしっかりと対面することは、実のところ久しぶりであった。
振り返れば、こうしてまっすぐに瞳を交わすことは――初めて出会った、あの日以来かもしれない。少年は、改めてこの人物と対峙していなかった自分を自覚した。
「それで、用件はなにかね?」
紳士は淡々と質問をし、だから、少年も淡々と答えた。
「彼女のことを、聞きたいのです」
曖昧な返答だったが、紳士はうなずいて、しかしすぐに言葉を発しはしなかった。
黙する紳士の態度に、少年は口を開く。こちらから攻めねば、答えにはたどり着けないと感じられたからだ。
少年は問う。主へと。
――美しいものに、どうしてあんな姿をさせているのかと。
紳士はその言葉を受け止め、言い含めるような声音で、少年に言った。
「少年。私が愛でているのは、そもそも美しさではないのだよ」
なら、なぜ彼女を。少年は、幼い正義感でそう詰問した。
主への反抗ともとれる少年の行動に、しかし紳士は怒るそぶりもない。むしろ、そう言われることを待っていたかのような、おおらかな雰囲気すら感じさせた。
「君には、まだ、わからないのかもしれんがね」
紳士は、どこか歪んだ笑みを口元に浮かべながら、続ける。
「退廃が似合うものに美しさを求めることこそ、淡い憧れにすぎんのだよ」
その言葉の意味が、少年にはまるでわからない。
――美しいものが美しくなくて、なんの意味があるのだろうか?
紳士は、少年の願う内心を知っている。だが、知っていて、理解させようとする言葉を一切発することはない。
ねじれているのだ、その心理が。
拒絶しているのだ、少年の淡い想いを。
ならば、と少年は考えを切り替える。違う方面から答えを求めれば、紳士の考えを突けるかもしれない。
仕事の余暇に、少年は人形のことを、自分なりに調べていた。そのなかで、一つだけ気になることがあった。
この世界に存在する人形達は、例外なく、体内に埋められた『賢者の石』により動く。
石の精錬の程度で、人形の能力に差異があるという。
彼女の能力は、あまり高いものではないと聞いている。そう、メイドが教えてくれた。少年はメンテナンスを行っていないが、その手順所やスペック表をみる限り、大きく間違ってはいないと考えていた。
顔面の欠損も、もしや、そういった面から来ているのだろうか。だとすれば、彼女の傷は妥当ではあるのだ。認めたくない結論でもあったが。
少年が得た一つの疑念を、紳士に尋ねる。
とある一つの結論に対して、紳士がとった態度は――また、先ほどと変わらぬものだった。
「だとしたら、君はあの姿で満足かね?」
ねじれた返答に、少年の心もまた屈折する。
そんな答えを求めていないのに、その言葉は、少年の心理をひどく深くえぐっていく。
「――彼女は、もっと美しい。本当は……あんな姿じゃないと想っている」
ひねりだすような心情を、少年は始めて言葉に乗せて表現した。感情とともに。
その言葉に対する――反抗に対する――紳士の態度は、不思議と落ち着いたものだった。
「……私もかつて、そう想っていた時がある」
頷かれるとは想っていなかった少年は、紳士の素直な態度に、少なからぬ驚きを覚える。
ならば、なぜ? ――そう、問いかけようとした時だった。
マスクが隠せない口元から、呟きが漏れ出てきたのは。
「だからこそ、だ。彼女は、あの姿でいなければならないのだよ」
呟きは、ふるえていた。
「……?」
「完全なものなど、有りはしないのだ、有るとすれば――存在することこそが、罪なのだよ」
その声音が、今までに聞いたこともないような、歓喜と絶望を混ぜ合わせたようなもので。
少年は言葉に詰まり、だが、その紳士の言葉にうなずけもせず。
ただ、一言だけ。
「……わからない。僕には、わからない」
絞り出せたのは、そんな些細な反抗のみ。
紳士の言葉の意味が、少年にはまるで理解することができない。なぜなら、少年の眼は、記憶は、完全になりうる存在を知っているのだから。
幻でも夢でもない、現実に存在するヒトガタとして、この世界に存在するのだから。
少年の内心をすくうように、紳士は挑発する。初めて出会った時に聞かされた言葉で。
「言っただろう? わかるようになってもらう、と」
少年は、だが、今ならその言葉の意味が理解できる。紳士の目的の意味も、その言葉が示すものも。
とまどう少年だったが、紳士は彼の様子など無視して、口を開いた。
「もういいだろう。……そういうことだ」
そう言って、紳士は腰を上げてソファを後にする。
自身の机に場所を移し、紳士は少年に退室するよう告げた。
少年にとっても、すでに交わす言葉は残っていなかった。
おとなしく紳士の部屋を後にする。
「……わから、ない……」
呟きに応える声はない。
おそらく紳士は、少年の言葉の意味と願いを知っている。そうでありながら、その答えや行き先を指し示すことはしない。それが、彼のやり方と異なることを、知っているからだ。
――なら、僕は僕のやり方をする。
少年は足を踏み出す。
暗く深い闇に閉じ込められた、未完成な理想の待つ部屋へと。




