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貴婦人形  作者: 子無狐
10/14

10 - 理想

 少年の手が触れたとたん、堅く閉ざされていたはずの扉は容易に開いた。内側へと開いた扉は、まるで彼を招いてみるようにも感じられた。

 部屋に鍵がかけられていないのは、メンテナンスのためなのか、それとも誰かの策略なのか。

 だが、少年にとって、扉が開いてる理由などもうどうでもよかった。

「……主様?」

 部屋の内から囁かれる声。造りものの瞳が少年を見つけ、細まる。

 言葉とは異なる対象を見つけたからだろう。

「あなたは……?」

 怪訝な声が、薄暗がりの中から問いかけられる。

 扉から射しこむ光を背負いながら、少年は人形へと歩みよる。彼女の住まう、薄暗がりの闇へ足を踏みいれる。

「君は、今の君は、本当の君じゃないんだ」

 近づきながら、少年は口ずさむ。

 それは、まるで言い聞かせるような響きがあった。

「わたしが、わたしじゃない?」

 人形は、少年の問いかけに対して、強い反応を示した。

「そう、本当の君は――」

 少年の手が、指が、人形に巻き付けられた包帯に触れる。

「――この、鎖の下にこそあるんだ」

 確信を持って、少年は言う。

 だが、根拠はなかった。けれど、紳士が閉ざしたその部分にこそ、少年の理想が隠れているはずだった。

 それだけは、確信ももって口に出来ることだった。

 少年の言葉に、人形は細く白い指先を、顔の包帯へとなぞらせて。

「……この下には、なにもない。なにもないわ」

 まるで他人事のような淡々とした口調で、そう返答した。

 それは、風景を語るような、他人の状態を告げるような、抑揚のなさであり。

「ここにあるのは、応えられなかった欠陥の証」

「違う」

「あなたが言いたいことは、本当の私は、壊れているということ?」

「違う、違うよ、そういうことじゃない」

「壊れているということなら、そう、わたしは壊れているわ。壊れているからこそ、この場所にいる意味がある」

「違う、違う……!」

 諦観を感じさせる人形の言葉に、少年は、力強く叫んだ。

「そんな壊れた場所――壊れていなければいられないのなら、僕が、俺が、ぶっ壊してやる!」

 常にない口調で、少年は静かに絶叫した。眼を、肩を、身を、強く怒らせながら。

 静かに激高する少年の姿に、人形もなにかを感じたのか。

「よくは、わからないけれど……」

 すっと、改めて、自分の指先を白い鎖へと導いて。

「……あなたが、この空洞を埋めてくださるの?」

 ゆっくりと指先でなぞりながら、人形は少年へと求めの言葉を投げかける。

 相も変わらず、その言葉は空虚な声音であるように響いた。

 だが少年には、少しばかりの変化を聞きとった。少しばかりだが、人形の言葉に、熱がこもっているように感じられたのだ。

 少年はその響きに、胸の内が熱くなり。

「……ああ、僕が、君を満たしてみせるよ」

 強く、静かに、そう頷き返したのだった。


∽∽∽∽∽∽∽∽∽


「……絵空事よ」

 自室への廊下を歩く少年に、声がかかる。

「……見て、たのか」

 振り向きながら驚くが、そうかもしれないと少年は察する。

 彼女は、少年と人形を、どこか見守っているような節があったからだ。

 ――なのに、彼女は二人の関係を絵空事と評する。それは、なぜなのだろう。

 想いかえせば、彼女の行動も気持ちも、少年には理解できないことばかりだった。近づけようとして離し、助けを出しながら突き放す。

 胸にわいた、言葉に出来ない気持ちを感じながら、少年はメイドへと口を開いた。

「彼女を、助けたいだけだ」

 少年は、真摯に自分の気持ちを打ち明けた。

 どのみち、嘘をつくのには慣れていない。

「あなたは、なにが欲しいの?」

「彼女の、本当の姿だよ」

「本当の姿って、なに?」

「それは……」

「その姿は、本当に、あなたの求める姿なのかしら?」

 いつになく、メイドの言葉は少年へとダイレクトに向けられる。

 ゆえに、メイドの声が、少年にはとても煩わしい。


 ――すでに、決めてしまったのだ。迷う心地よさは、もう、苦痛でしかないのだ。


「あっちへ、行ってくれないか」

「あら、冷たい。わたしは人形じゃないのよ、優しくして欲しいわ」

「だから、冷たくされるんだ」

「……そういうものかしら」

 彼女の自嘲するような声に、少年は何も声を返さない。

 もう、言葉を続けてほしくなかった。

「――なにも変わらないものが、そんなに愛おしいのかしら?」

 メイドの言葉に、少年は眼光を鋭く向ける。

 けれど、向けた先の彼女の瞳が、なぜかとても澄んでいて。

 いつものからかうような、おどけるような、そんなものとはまるで違っていて。


 ――人形とは異なる、けれど、透明感溢れる優しい瞳をしていたから。


 少年は言葉を失い、そして。

「……君は、不可解なんだ」

 そう呟くのが、精一杯だった。

 館に住んでから、一番長く時間を過ごしても。

 ともにここではない場所で、同じ時間を過ごそうと優しく誘われても。

 いつも、怯える少年を暖かく離れた視線で、見守ってくれたとしても。

 少年にとって、理想とかけ離れながらも愛おしいメイドは、不可解で大事なものだったのだ。

 うつむいた少年に、メイドの声が降り注ぐように聞こえた。

「当たり前じゃない。だって、人間なんだもの……」

 それは、どこか消え入りそうな声。

 その儚さに、少年が答えを返せずにいると、言葉が続いた。

「……温もりも、あるってこと」

「?」

「形だけじゃなく、生身だってこと」

「……」

「生きてるって、そういうことじゃ……ない?」

 そうした彼女の直接的な物言いを聞いて、少年は足を動かす。

「――行くの?」

「ああ」

 そう、小さく呟いて。

 胸中の言葉を押し殺しながら、少年はその場から立ち去った。


 ――生身だっていうことが、そんなに大切ことなのか?――


 少年の脳裏には、美しい瞳でこちらを見つめる、儚い少女の姿があり。

 堅く響く足音は、今までの少年とは違う、ふりかえらない強さを感じさせた。

 その場に残されたメイドは、少年の後ろ姿へ向けて、ぽつりと呟く。

「温もりがないと……また、同じことじゃない」

 その言葉は、切実に訴えかけるような弱さを持ったものだった。だが、ふりかえることのない少年の耳に、言葉が届くことはなかった。


「――同じことをしているのに、違う結論を求めるのは、無意味なことだ」


 だが、代わりに答える声があった。低温で響くその声は、壮年の男のもの。

 突然に聞こえてきたその声に、しかしメイドは驚くことも、表情を変えることもない。

 視線も変えず、声の主を探すこともせず、ゆっくり、ただメイドは口を開いた。なにかを、ためていたなにかを吐き出すように。

「変えるのでは、ダメ。変えてしまうのではなく、変わっていこうとしなければいけない。変わろうとしない限り、いつかまた、始まってしまう。――あなただって、それを知ってしまったはず」

 どこか悲しみを含んだ声で、メイドはそう言い。

「だからわたしはここに来た。今度こそ、と願いながら――!」

 今度は、相手に向かって振り返りながら、メイドは言葉をとばした。

 視線の先には、館の主であり、人形の主でもある、紳士がただたたずんでいた。

 二人は少しばかり、無言で見つめ合い。

「――繰り返すさ。なぜなら、彼は……いや、彼女は……そうあるべくして、あるのだから」

 仮面の男は、そう呟いて、夜の闇へと消えていった。

 残されたメイドは、瞳を閉じ、宙を仰いで。

「どうして、いつも、その瞬間をこそ求めるの? ――なぜ、過ちの道が、正しいことにはならないの?」

 メイドの呟きに、答えるものは現れなかった。

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