10 - 理想
少年の手が触れたとたん、堅く閉ざされていたはずの扉は容易に開いた。内側へと開いた扉は、まるで彼を招いてみるようにも感じられた。
部屋に鍵がかけられていないのは、メンテナンスのためなのか、それとも誰かの策略なのか。
だが、少年にとって、扉が開いてる理由などもうどうでもよかった。
「……主様?」
部屋の内から囁かれる声。造りものの瞳が少年を見つけ、細まる。
言葉とは異なる対象を見つけたからだろう。
「あなたは……?」
怪訝な声が、薄暗がりの中から問いかけられる。
扉から射しこむ光を背負いながら、少年は人形へと歩みよる。彼女の住まう、薄暗がりの闇へ足を踏みいれる。
「君は、今の君は、本当の君じゃないんだ」
近づきながら、少年は口ずさむ。
それは、まるで言い聞かせるような響きがあった。
「わたしが、わたしじゃない?」
人形は、少年の問いかけに対して、強い反応を示した。
「そう、本当の君は――」
少年の手が、指が、人形に巻き付けられた包帯に触れる。
「――この、鎖の下にこそあるんだ」
確信を持って、少年は言う。
だが、根拠はなかった。けれど、紳士が閉ざしたその部分にこそ、少年の理想が隠れているはずだった。
それだけは、確信ももって口に出来ることだった。
少年の言葉に、人形は細く白い指先を、顔の包帯へとなぞらせて。
「……この下には、なにもない。なにもないわ」
まるで他人事のような淡々とした口調で、そう返答した。
それは、風景を語るような、他人の状態を告げるような、抑揚のなさであり。
「ここにあるのは、応えられなかった欠陥の証」
「違う」
「あなたが言いたいことは、本当の私は、壊れているということ?」
「違う、違うよ、そういうことじゃない」
「壊れているということなら、そう、わたしは壊れているわ。壊れているからこそ、この場所にいる意味がある」
「違う、違う……!」
諦観を感じさせる人形の言葉に、少年は、力強く叫んだ。
「そんな壊れた場所――壊れていなければいられないのなら、僕が、俺が、ぶっ壊してやる!」
常にない口調で、少年は静かに絶叫した。眼を、肩を、身を、強く怒らせながら。
静かに激高する少年の姿に、人形もなにかを感じたのか。
「よくは、わからないけれど……」
すっと、改めて、自分の指先を白い鎖へと導いて。
「……あなたが、この空洞を埋めてくださるの?」
ゆっくりと指先でなぞりながら、人形は少年へと求めの言葉を投げかける。
相も変わらず、その言葉は空虚な声音であるように響いた。
だが少年には、少しばかりの変化を聞きとった。少しばかりだが、人形の言葉に、熱がこもっているように感じられたのだ。
少年はその響きに、胸の内が熱くなり。
「……ああ、僕が、君を満たしてみせるよ」
強く、静かに、そう頷き返したのだった。
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「……絵空事よ」
自室への廊下を歩く少年に、声がかかる。
「……見て、たのか」
振り向きながら驚くが、そうかもしれないと少年は察する。
彼女は、少年と人形を、どこか見守っているような節があったからだ。
――なのに、彼女は二人の関係を絵空事と評する。それは、なぜなのだろう。
想いかえせば、彼女の行動も気持ちも、少年には理解できないことばかりだった。近づけようとして離し、助けを出しながら突き放す。
胸にわいた、言葉に出来ない気持ちを感じながら、少年はメイドへと口を開いた。
「彼女を、助けたいだけだ」
少年は、真摯に自分の気持ちを打ち明けた。
どのみち、嘘をつくのには慣れていない。
「あなたは、なにが欲しいの?」
「彼女の、本当の姿だよ」
「本当の姿って、なに?」
「それは……」
「その姿は、本当に、あなたの求める姿なのかしら?」
いつになく、メイドの言葉は少年へとダイレクトに向けられる。
ゆえに、メイドの声が、少年にはとても煩わしい。
――すでに、決めてしまったのだ。迷う心地よさは、もう、苦痛でしかないのだ。
「あっちへ、行ってくれないか」
「あら、冷たい。わたしは人形じゃないのよ、優しくして欲しいわ」
「だから、冷たくされるんだ」
「……そういうものかしら」
彼女の自嘲するような声に、少年は何も声を返さない。
もう、言葉を続けてほしくなかった。
「――なにも変わらないものが、そんなに愛おしいのかしら?」
メイドの言葉に、少年は眼光を鋭く向ける。
けれど、向けた先の彼女の瞳が、なぜかとても澄んでいて。
いつものからかうような、おどけるような、そんなものとはまるで違っていて。
――人形とは異なる、けれど、透明感溢れる優しい瞳をしていたから。
少年は言葉を失い、そして。
「……君は、不可解なんだ」
そう呟くのが、精一杯だった。
館に住んでから、一番長く時間を過ごしても。
ともにここではない場所で、同じ時間を過ごそうと優しく誘われても。
いつも、怯える少年を暖かく離れた視線で、見守ってくれたとしても。
少年にとって、理想とかけ離れながらも愛おしいメイドは、不可解で大事なものだったのだ。
うつむいた少年に、メイドの声が降り注ぐように聞こえた。
「当たり前じゃない。だって、人間なんだもの……」
それは、どこか消え入りそうな声。
その儚さに、少年が答えを返せずにいると、言葉が続いた。
「……温もりも、あるってこと」
「?」
「形だけじゃなく、生身だってこと」
「……」
「生きてるって、そういうことじゃ……ない?」
そうした彼女の直接的な物言いを聞いて、少年は足を動かす。
「――行くの?」
「ああ」
そう、小さく呟いて。
胸中の言葉を押し殺しながら、少年はその場から立ち去った。
――生身だっていうことが、そんなに大切ことなのか?――
少年の脳裏には、美しい瞳でこちらを見つめる、儚い少女の姿があり。
堅く響く足音は、今までの少年とは違う、ふりかえらない強さを感じさせた。
その場に残されたメイドは、少年の後ろ姿へ向けて、ぽつりと呟く。
「温もりがないと……また、同じことじゃない」
その言葉は、切実に訴えかけるような弱さを持ったものだった。だが、ふりかえることのない少年の耳に、言葉が届くことはなかった。
「――同じことをしているのに、違う結論を求めるのは、無意味なことだ」
だが、代わりに答える声があった。低温で響くその声は、壮年の男のもの。
突然に聞こえてきたその声に、しかしメイドは驚くことも、表情を変えることもない。
視線も変えず、声の主を探すこともせず、ゆっくり、ただメイドは口を開いた。なにかを、ためていたなにかを吐き出すように。
「変えるのでは、ダメ。変えてしまうのではなく、変わっていこうとしなければいけない。変わろうとしない限り、いつかまた、始まってしまう。――あなただって、それを知ってしまったはず」
どこか悲しみを含んだ声で、メイドはそう言い。
「だからわたしはここに来た。今度こそ、と願いながら――!」
今度は、相手に向かって振り返りながら、メイドは言葉をとばした。
視線の先には、館の主であり、人形の主でもある、紳士がただたたずんでいた。
二人は少しばかり、無言で見つめ合い。
「――繰り返すさ。なぜなら、彼は……いや、彼女は……そうあるべくして、あるのだから」
仮面の男は、そう呟いて、夜の闇へと消えていった。
残されたメイドは、瞳を閉じ、宙を仰いで。
「どうして、いつも、その瞬間をこそ求めるの? ――なぜ、過ちの道が、正しいことにはならないの?」
メイドの呟きに、答えるものは現れなかった。




